冷戦のあと

概要
対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。
この物語について
冷戦が終われば争いも終わる、と思われていた。実際に来たのは、別の形の争いだった。では、対立の構図が消えたあと、何が残り、何が新しく生まれたのか。1989年からの三十年あまりを、期待が裏切られていく順にたどる。

終わりの入口は、その数年前にあった。1985年にソ連の指導者になったゴルバチョフは、経済の立て直しと情報の公開を掲げ、アメリカのレーガン大統領との首脳会談を重ねた。1986年のレイキャヴィークでは、核兵器の大幅な削減が合意寸前まで行った。ソ連は東欧の国々に軍事介入しないという方針を示し、それが連鎖を呼ぶ。1989年、ポーランドで自主管理労組「連帯」が選挙で勝ち、ハンガリーがオーストリアとの国境を開いた。11月9日、ベルリンの壁が開かれ、人々は壁の上に登ってハンマーを振るった。チェコスロヴァキアでは、獄にいた劇作家ハヴェルが大統領になった。
同じ年の6月4日、北京の天安門広場では、民主化を求めて集まった学生や市民が軍に排除された(天安門事件)。死者の数はいまも公表されておらず、数百人から数千人まで推定に幅がある。ケ小平の中国は、政治の自由は認めず、経済だけを開く道をさらに進めた。1992年、ケ小平は南方の都市を回って改革開放を加速するよう訴え、中国はやがて「世界の工場」になっていく。東欧とは逆の選択が、同じ年に下されていた。

翌1990年10月、ドイツの再統一が実現し、1991年12月にはソ連そのものが消えた。アメリカの政治学者フクヤマは、自由な民主主義と市場経済に代わる体制はもう現れず、その意味で「歴史は終わった」と論じた。ヨーロッパでは1993年に欧州連合が発足し、2002年には12か国の人々が自国の通貨を手放してユーロを使い始めた。1995年には世界貿易機関ができ、国境を越えて物とお金が自由に動くことが、豊かさへの近道だと考えられた。
だが、冷戦の重しが外れたところでは、別の争いが噴き出した。ユーゴスラヴィアは民族ごとに割れ、1992年からのボスニア紛争では、隣人どうしが殺し合った。1995年7月、スレブレニツァで8千人以上のムスリムの男性と少年が殺された。ヨーロッパではもう戦争は起きないという前提が、終わってから3年で崩れた。旧ソ連のチェチェンでも、独立を求める地域にロシア軍が攻め込んでいる。
1994年は、希望と最悪が同じ年に並んだ年だった。南アフリカでは4月、すべての人種が参加する初めての選挙が行われ、27年を獄中で過ごしたマンデラが大統領になった(アパルトヘイトの終結)。白人の少数支配を終わらせながら、報復の内戦を避けたこの移行は、世界を驚かせた。同じ4月、中部アフリカのルワンダでは、多数派フツの過激派が少数派ツチと穏健派の殺害を始めた。約100日のあいだに、50万から100万人ほど、よく引かれる数字で80万人が殺された(ルワンダ虐殺)。国連の平和維持部隊はいたが、兵力を減らされ、止めることはできなかった。

経済の網の目も、強さと弱さを同時に見せた。1997年、タイの通貨の急落から始まったアジア通貨危機は、韓国やインドネシアに広がった。インドネシアでは翌年、32年続いたスハルトの政権が倒れる。お金が国境を越えて速く動くことは、逃げるときも速いということだった。同じ頃、1991年にバーナーズ=リーが公開したウェブは、90年代の後半に急速に家庭へ入り、検索と通販とインターネット百科事典が、人が知り、買う入口を変えていった。
日本にとっても、1989年は転換の年だった。年末の大納会で日経平均株価は3万8915円の最高値をつけ、その後バブルが崩れて、長い停滞が始まる。1995年には1月に阪神・淡路大震災が、3月に地下鉄サリン事件が起き、安全で豊かな国という自画像が揺らいだ。同じ90年代、国連難民高等弁務官だった緒方貞子は、国境を越えられずに国内で逃げ惑う人々も保護の対象にすると決めた。冷戦のあとの争いの多くは、国と国のあいだではなく、国の内側で起きていたからである。
2001年9月11日、乗っ取られた旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルとワシントンの国防総省に突入し、3千人近くが死んだ(9・11同時多発テロ)。国家ではない組織が、世界で最も強い国の中心を攻撃した。アメリカはアフガニスタンに、2003年には大量破壊兵器を理由にイラクに攻め込んだが、その兵器は見つからなかった。イラクの混乱からは、のちに「イスラム国」を名乗る勢力が生まれる。

2008年9月、アメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが破綻し、世界金融危機が世界を覆った。返せる見込みの低い住宅ローンを束ねて切り分けた金融商品が、格付け会社の高い評価を得て世界中で売られていた。網の目のどこかで起きた破れが、全体に広がった。各国の政府は巨額の公的資金で銀行を救ったが、職と家を失った人々のあいだには、エリートと既成の政治への不信が残った。
2010年12月、チュニジアで露店の野菜売りの青年が役人の扱いに抗議して焼身自殺したことをきっかけに、アラブの春が始まった。スマートフォンとソーシャルメディアで呼びかけがたちまち広がり、チュニジア、エジプト、リビアで長期の独裁者が倒れた。だが、民主化が根づいたのはチュニジアなど限られた国にとどまり、シリアでは内戦になって数十万人が死に、数百万人が国を逃れた。2015年、その人々の多くがヨーロッパを目指し、受け入れをめぐって欧州連合の国々は割れた。

翌2016年、イギリスは国民投票で欧州連合からの離脱を選び、アメリカではトランプが大統領選挙に勝った。どちらも、開かれた国境と自由な貿易で取り残されたと感じた人々の票が効いたとみられている。冷戦のあとに当然と思われていた方向が、豊かな国の内側から問い直された。
大国どうしの争いも戻ってきた。2014年、ロシアはウクライナの政変の隙をついてクリミア半島を自国に編入した(クリミアの編入)。冷戦の終わりに固まったはずの国境が、力で書き換えられた。2022年2月24日、ロシアはウクライナ全土に攻め込み(ロシアのウクライナ侵攻)、ヨーロッパで第二次世界大戦後最大の戦争が始まった。香港では、50年は変えないと約束された「一国二制度」が、返還から23年後の2020年、国家安全維持法によって事実上終わった。

国境では止められない問題も、この時代に大きくなった。2015年のパリ協定で、各国は気温の上昇を抑える目標に合意したが、排出はなお続いている。2020年には新型コロナウイルスが世界に広がり、国境が閉じられ、街から人が消えた。ヒトゲノムの解読、ゲノム編集、そして2022年に一般に公開された対話型の生成AIは、人が何を作り、何を知るかの前提を変えつつある。
冷戦は二つの陣営の争いで、敵と味方がはっきりしていた。そのあとに来たのは、国家どうしの争い、国家ではない組織の攻撃、そして網の目そのものが揺れる危機が、同時に重なる世界だった。歴史は終わらなかった。ただ、ベルリンの壁を越えた人々や、南アフリカで初めて投票の列に並んだ人々が、自分の手で体制を変えたことも、同じ三十年の事実として残っている。
この物語が起きた場所
筋(164)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 鄧小平人物AD1904年8月22日 – AD1997年2月19日市場を導入して中国を世界の工場に変えた。同時に天安門では武力を用いた。
- 信用格付けの始まりできごとAD1909年2008年に問われた構造鉄道の債券が大量に発行され、投資家はどれが危ないか分からなかった。ジョン・ムーディーが、鉄道会社の債券を調べ、AaaからCまでの記号で並べた冊子を売り出した。1916年にプアーズ、1922年にスタンダード統計、1924年にフィッチ。当初は投資家が買う情報誌だったが、1970年代から、格付けを受ける側が料金を払う方式に変わった。評価される者が評価する者に金を払う。この構造が、2008年の金融危機で厳しく問われた。ニューヨーク
- ネルソン・マンデラ人物AD1918年7月18日 – AD2013年12月5日27年の獄中生活の後、報復ではなく和解を選んだ。アパルトヘイトを終わらせる。
- ジュリウス・ニエレレ人物AD1922年4月13日 – AD1999年10月14日在任中に自ら権力を手放した独自の社会主義を試みて経済は行き詰まったが、自ら退いた。アフリカで在任中に平和的に権力を手放した早い例。
- リー・クアンユー人物AD1923年9月16日 – AD2015年3月23日経済の成功と政治的自由の制限を同時に体現した資源の無い小島を、一世代で先進国にした。同時に、政治的な自由への制限を正当化し続けた。
- マーガレット・サッチャー人物AD1925年10月13日 – AD2013年4月8日イギリス初の女性首相。国営企業を売り、労組と対決した。評価は本人の死後もまっぷたつに割れている。
- 緒方貞子人物AD1927年9月16日 – AD2019年10月22日国境の内側の避難民も助けると決めた国連難民高等弁務官を10年務めた。国境の内側にいる避難民も助けるという判断で、支援の枠を広げる。
- ゴルバチョフ人物AD1931年3月2日 – AD2022年8月30日改革を試み、結果として体制を畳んだ。武力で押さえつけない選択が、冷戦を戦争なしに終わらせる。
- タスキーギ梅毒研究できごとAD1932年1997年の謝罪アメリカ公衆衛生局が、アラバマの黒人小作農399人の梅毒患者を「治療せずに経過を観察する」研究を始めた。参加者には「悪い血」の治療と告げ、無料の食事と埋葬費を与えた。1940年代にペニシリンが治療薬になっても、与えなかった。研究は40年続き、1972年に内部告発で報道されて中止された。死者128人、妻への感染40人、先天梅毒の子19人。1997年、大統領が謝罪した。医学研究への不信が、いまも残っている。タスキーギ
- ミリアム・マケバ人物AD1932年3月4日 – AD2008年11月9日アパルトヘイトを国連で証言し、31年間パスポートを取り上げられた歌手。9つの国が名誉市民権を与えた。
- ダライ・ラマ14世人物AD1935年7月6日 – ?2歳で認定され、24歳でインドへ亡命した。60年以上、国を持たないまま国を代表している。
- 世界の規格を決める場できごとAD1947年第二次世界大戦で、連合国は部品や工具の規格が合わない不便を痛感した。戦後の1947年、各国の規格団体が集まって国際標準化機構が作られる。ねじ、紙、コンテナ、ねじ込み電球、非常口の記号、品質管理の手順。決めるのは政府ではなく、各国の代表と業界の技術者が議論して合意する形である。強制力は無い。それでも、多くの国が国内の規格として取り込むので、事実上の世界の決まりになる。誰が会議に出て、どの案を通すか。規格を握ることは、市場を握ることでもある。ジュネーヴ
- 世界保健機関の設立できごとAD1948年4月7日天然痘を根絶した国際連合の専門機関として発足した。憲章の前文に、いまも引かれる定義がある。「健康とは、単に病気や虚弱でないということではなく、身体的・精神的・社会的に完全に良好な状態である」。そして「到達しうる最高水準の健康を享受することは、すべての人間の基本的権利の一つである」。天然痘の根絶(1980年宣言)を成し遂げ、ポリオを追い、結核とマラリアと戦い、そして加盟国の政治と予算に絶えず縛られてきた。ジュネーヴ
- ティム・バーナーズ=リー人物AD1955年6月8日 – ?CERNで文書を相互に繋ぐ仕組みを考え、特許を取らずに公開した。誰でも情報を出せる世界がここから始まる。
- 水俣病できごとAD1956年条約に水俣の名が付いた1956年5月、原因不明の中枢神経の疾患として公式に確認された。手足がしびれ、言葉が不明瞭になり、視野が狭まる。原因は、工場が排出したメチル水銀である。魚に濃縮され、それを食べた人に及んだ。胎盤を通って、胎児にも及んだ。企業は排水を続け、行政は認定を絞り、患者は差別された。公式の確認から国が公害と認めるまで12年かかった。2013年、水銀に関する国際条約が「水俣条約」と名づけられた。水俣
- ビニール傘できごとAD1958年安く作れることは、大切にしなくなること和傘から洋傘への切り替えで、日本の傘屋は布の傘を作っていた。雨に濡れると布は傷む。東京の小さな傘屋が、布の代わりに塩化ビニルの薄い膜を張った傘を作る。透明で前が見え、濡れても拭くだけでよい。1964年の東京オリンピックで外国人が買い、輸出が始まったと伝えられる。安価な輸入品が加わって、傘は買い直すものになった。日本では年に約一億三千万本が消費され、大半が使い捨てられる。直して使う道具だった傘が、百年ほどで反対側へ行き着いている。東京
- リゴベルタ・メンチュウ人物AD1959年1月9日 – ?キチェ・マヤの活動家。内戦下の先住民への弾圧を世界に伝え、ノーベル平和賞を受けた。証言の細部をめぐる論争もある。
- アラル海の縮小できごと1960年計画された環境破壊綿花のために二つの大河から水を引き、世界で4番目に大きかった湖がほぼ消えた。漁港が砂漠の真ん中に取り残されている。計画された環境破壊の例として引かれる。アラル海(位置は特定されていない)
- 冷房が変えた人口できごとAD1960年代アメリカ南部と南西部は、夏の暑さと湿気のため、長く人口の少ない地域だった。役所も議会も、夏は閉じるのが普通である。家庭用の冷房が安くなると、それが変わった。工場が移り、退職者が移り、企業の本社が移る。フェニックス、ヒューストン、アトランタが急速に大きくなり、連邦議会の議席も南へ動いた。冷房は快適さの道具であると同時に、人口と政治の地図を書き換える装置でもあった。その電力の多くは、いまも化石燃料から来ている。涼しくするほど、外は暑くなるという循環も抱えている。ヒューストン
- 『沈黙の春』できごとAD1962年環境保護庁の設立海洋生物学者レイチェル・カーソンが、農薬、特にDDTの生態系への影響を、平易な散文で書いた。冒頭は寓話である。ある町で、春が来ても鳥が鳴かない。彼女は乳癌を患いながら、4年かけて資料を集め、註を並べた。化学業界は、彼女を「ヒステリックな独身女性」と攻撃した。ケネディが諮問委員会を作り、報告書が彼女を支持した。1970年、環境保護庁の設立。1972年、アメリカでのDDTの農業使用が禁止された。ニューヨーク
- ジェニファー・ダウドナ人物AD1964年2月19日 – ?シャルパンティエとともに、細菌の免疫の仕組みをゲノム編集の道具にした。その道具が人の胚に使われることを、自分で警告している。2020年ノーベル化学賞。
- ASEANの設立できごとAD1967年8月8日争わないことを目的にした地域の集まりベトナム戦争のさなかに5か国で始まった。争わないことを目的にした地域の集まりとして続く。バンコク
- アースデイできごとAD1970年4月22日環境が、票を動かす問題になった川が燃え、石油が海岸を覆い、都市はスモッグにかすんでいた。上院議員ゲイロード・ネルソンは、ベトナム反戦の集会のやり方で、環境について全国の学校と町で語り合う日を呼びかけた。1970年4月22日、アメリカで二千万人が参加したとされる。その年のうちに環境保護庁が作られ、大気を守る法律が強められた。環境の問題が、専門家や愛好家のものから、選挙で票を動かす問題になった。ワシントンD.C.
- 減反政策できごとAD1970年戦後、国は農家から米を高い値段で買い入れ、増産を促してきた。ところが1960年代、人々の食事がパンや肉に移って、米を食べる量が減りはじめる。1970年ごろには、国の倉庫に古い米が大量に積み上がった。国は、米を作る田の面積を減らせば補助金を出すという、生産の調整を始める。「減反」である。田を休ませ、麦や大豆に作り替えることが求められた。米を作り続けたい農家との間で、あつれきが続いた。国が作る量を割り当てるこの仕組みは、2018年に廃止された。東京
- 博物館に行列ができるできごとAD1972年1922年に見つかったツタンカーメンの副葬品が、半世紀ほどのちに世界を巡回した。1965年の日本では三百万人近くが見て、1972年のロンドンでは百六十万人が並んだ。開館前から列ができ、数時間待って数分見る。博物館は、静かに学ぶ場所から、企画で人を集める場所になった。入場料と物販が運営を支え、次の企画を呼ぶ。同時に、遺物を運ぶ危険や、持ち主の国との関係も問われるようになる。誰の宝を、誰が、どこで見せるのか。この巡回展は、その問いを大きな規模で突きつけた。ロンドン
- 禿げ山を緑に戻すできごとAD1973年植民地期の伐採と、戦争と、燃料にするための伐り出しで、韓国の山は裸になっていた。雨のたびに崩れ、薪も無い。1973年、政府は十年計画で山を緑に戻すことを国の事業とした。村ごとに植える面積を割り当て、学生も動員し、同時に家庭の燃料を薪から練炭へ切り替えた。切り替えなければ、植えたそばから伐られるからである。計画は前倒しで終わり、数十億本が植えられた。強い上からの動員で成し遂げられた事業であり、いまは森の質をどう上げるかが課題になっている。漢城(ソウル)
- 担保のない融資できごとAD1976年経済学者ムハマド・ユヌスは、竹細工で暮らす村の女性たちが、材料を買う数ドルの借金のために稼ぎのほとんどを高利貸しに取られているのを知った。彼が自腹で貸した額は、四十二人分でわずか二十七ドルだったという。担保を取らない代わりに、数人で組を作らせ、互いに返済を見守らせる。返済率は高く、この方式は各国に広がった。2006年にノーベル平和賞を受ける。一方で、金利の高さや、多重債務、返済の圧力による悲劇も報告された。小口の金融は、万能薬ではなく、道具の一つになる。ダッカ
- セベソの事故できごとAD1976年7月10日1976年7月10日の昼、ミラノの北の町セベソの近くにある化学工場で、反応の釜の温度が上がりすぎ、猛毒のダイオキシンを含む雲が噴き出した。風下の町に白い粉が降り、数日のうちに小動物が死に、子どもたちの皮膚にただれが出る。住民が避難させられたのは一週間以上たってからだった。数万頭の家畜が処分される。この事故をきっかけに、危険な物質を扱う工場に、周りの住民への情報の公開と備えを求めるヨーロッパの決まりが作られた。セベソ
- グリーンベルト運動できごとAD1977年木を植える運動が、環境と女性の自立と民主化を同時に扱うものになった。ナイロビ
- 中国の改革開放できごとAD1978年政治は開かずに経済だけ開く市場を部分的に導入した。以後40年で数億人が貧困を脱し、世界の製造の中心が移る。北京
- 天然痘の根絶宣言できごとAD1980年5月8日人類が病を一つ、地上から消した。最後の自然感染は1977年のソマリア。20世紀だけで3億人を殺した病が、13年の計画で終わった。ジュネーヴ
- 母乳代替品の売り方できごとAD1981年粉ミルクは、母乳が出ない母にとって命綱である。同時に、売る側が広く売ろうとすれば別の問題が起きた。1970年代、企業は途上国の産院に無料の見本を配った。退院するころには母の乳が出なくなっており、家族は買い続けるしかない。安全な水も燃料もない家では、薄めたミルクと汚れた水が子を死なせた。1977年に不買運動が始まり、1981年、世界保健機関が販売の規約を採択する。見本の配布、医療機関での宣伝、乳児の絵を使った広告を禁じた。売ってよいものでも、売り方は決められる。ジュネーヴ
- 新しい耐震基準できごとAD1981年6月1日1978年の宮城県沖地震で、仙台の新しい建物やブロック塀が崩れ、多くの死者が出た。これを受けて1981年6月1日、建物の耐震の基準が大きく改められる。中くらいの地震でほとんど傷まず、まれな大地震でも倒れて人を押しつぶさないことを目標にした。1995年の阪神・淡路大震災では、この基準より前に建てられた建物に倒壊が集中した。その後、古い建物の耐震診断と補強が進められている。いつ建てたかが、生死を分けた。東京
- スリランカ内戦できごとAD1983年言葉の政策が、内戦の始まりにスリランカでは、多数派のシンハラ人の政府が、シンハラ語だけを公用語にし、少数派のタミル人を大学や職から締め出す政策をとった。タミル人の武装組織は、北と東に自分たちの国を作ろうとする。1983年7月、兵士が殺された報復に、コロンボなどでタミル人への暴動が起き、多くの人が殺された。内戦は二十六年続き、自爆攻撃も多く使われた。2009年、政府軍が組織を壊滅させて終わったが、最後の戦いで多くの市民も死んだ。コロンボ
- ボパールの化学工場事故できごとAD1984年12月3日危険な工場が、規制の緩い国に置かれる1984年12月2日の夜から3日にかけ、インドのボパールにあるアメリカ系企業の農薬工場から、猛毒のイソシアン酸メチルのガスが漏れ出した。風に乗ったガスは、工場の周りの貧しい人びとの家に流れ込む。眠っていた人びとは目と肺を焼かれ、数千人がその夜のうちに死んだ。その後の死者と後遺症に苦しむ人は数十万人に及ぶとされる。安全装置は止まっていた。会社が払った補償は被害に比べてわずかで、土地の汚染はいまも残っている。ボパール
- シェンゲン協定できごとAD1985年6月14日1985年6月14日、フランス、西ドイツ、ベルギー、オランダ、ルクセンブルクの代表が、ルクセンブルクの小さな村シェンゲンの近く、三国の境が接するモーゼル川に浮かぶ船の上で、国境での検問を少しずつなくしていく協定に署名した。実際に検問がなくなったのは1995年である。いまでは三十に近い国々のあいだを、旅券を見せずに行き来できる。そのかわり、外との境の守りと、警察の情報の共有を強めた。2015年に難民が押し寄せたときや、2020年の感染症の流行のときには、各国が国境の検問を一時的に戻した。シェンゲン
- レイキャヴィーク会談できごとAD1986年終わりの入口核廃絶が現実の議題に上った。合意は成らなかったが、ここから軍縮が動きはじめる。レイキャヴィーク

- ピープルパワー革命できごとAD1986年2月25日数十万の市民が装甲車の前に立ち、修道女がロザリオを持って先頭にいた。流血なしに20年の独裁が終わり、夫を暗殺された主婦が大統領になる。マニラ(エドサ通り)

- モントリオール議定書できごとAD1987年9月16日代替品が温室効果ガスだった1974年、ローランドとモリーナが、フロンが成層圏で分解してオゾンを壊すと予測した。1985年、イギリスの観測隊が南極上空のオゾンの急減を報告した。予測を、はるかに超える速さだった。2年後、24か国が生産の削減に合意した。後の改定で全廃に至る。親条約のウィーン条約とともに、全ての国連加盟国が批准した最初の条約になった。オゾン層は回復に向かっている。代替品として使われた物質が、強力な温室効果ガスであることが、後に分かった。モントリオール
- 行き場のないごみ船できごとAD1987年1987年、ニューヨーク州ロングアイランドのごみ三千トンを積んだ運搬船モブロ4000号が、捨て場を探して出航した。ノースカロライナ、ルイジアナ、メキシコ、ベリーズ、バハマと、どこも受け入れを拒む。半年近く海をさまよい、結局ニューヨークへ戻って焼かれた。ごみそのものは特に危険なものではなかった。だが報道で船の姿が繰り返し映され、埋め立て地が足りなくなるという不安が広がる。アメリカで資源ごみの回収が一気に進むきっかけになった。ニューヨーク
- 過労死できごとAD1988年働き盛りの人が、脳や心臓の病で突然亡くなる。長い残業と休みの無さが原因ではないかと、医師が過労死という言葉で呼び始めた。1988年、弁護士たちが過労死の電話相談を開くと、各地から相談が殺到する。遺族が会社の責任を問い、労働災害として認めさせる裁判が続いた。言葉は日本語のまま英語の辞書にも載った。2014年に過労死を防ぐための法律ができ、働き方の改革が議論されている。休まないことが、死因として名指しされた。東京
- リクルート事件できごとAD1988年政治への不信が、制度の改革へ1988年、情報出版の会社リクルートが、上場前の子会社の株を、政治家や官僚、財界人に安く譲っていたことが明らかになった。上場すれば値が上がる株で、受け取った人は大きな利益を得る。与野党の有力者の名が次々に挙がり、翌年、竹下登の内閣は退陣した。消費税の導入と重なり、政治への不信が一気に高まる。のちの選挙制度の改革と、政権の交代へ続いていく流れは、ここから始まった。東京
- IPCCの設立できごとAD1988年論文を読んで、各国と文言を確かめる1988年の夏、アメリカの議会で、気候の研究者ジェームズ・ハンセンが、地球の温暖化はすでに始まっていると証言した。同じ年、国連の二つの機関が、気候の変化についての科学の知見を集めて評価する政府間の組織を作る。IPCCは自ら研究をせず、世界の研究者の論文を読んで報告書にまとめ、各国の政府と一行ずつ文言を確かめる。報告は回を重ねるごとに、人間の活動が原因であることをより強く述べるようになった。2007年、ノーベル平和賞を受けた。ジュネーヴ
- ブーゲンビル紛争できごとAD1988年銅山の利益はどこへ行ったかパプアニューギニアのブーゲンビル島には、世界有数の銅山パングナがあった。利益は外国の会社と首都の政府に流れ、土地を削られた島の人々には、川の汚れが残った。1988年、地主の若者たちが鉱山の送電線を爆破し、島の独立を求める戦いが始まる。政府は島を封鎖し、薬も食べ物も届かなくなった。1998年に停戦が結ばれるまでに、戦いと封鎖で一万人を超える人が死んだとされる。2019年の住民投票では、97パーセントが独立を選んだ。ブーゲンビル島(位置は特定されていない)
- ベン・ジョンソンのドーピングできごとAD1988年9月24日1988年9月24日、ソウル・オリンピックの陸上の男子100メートルの決勝で、カナダのベン・ジョンソンは、宿敵のカール・ルイスを破り、9秒79の世界記録で優勝した。だが3日後、彼の尿から筋肉を増やす禁止薬物が見つかり、金メダルと記録は取り消された。ジョンソンは国へ逃げ帰るように帰国した。のちの調べで、この決勝を走った8人のうち何人もが、薬物の使用に関わっていたことが明らかになった。世界中が見ていた舞台での発覚は、スポーツとドーピングの問題を広く知らしめ、1999年の世界アンチ・ドーピング機構の設立へとつながった。ソウル
- 天安門事件できごとAD1989年6月4日民主化を求める学生らに軍が投入された。ベルリンの壁が開く5か月前の出来事になる。北京
- 有害なごみを輸出しないできごとAD1989年3月22日捨てる場所の不平等は、国と国のあいだにもある豊かな国で処分すると高くつく有害なごみを、貧しい国へ安く運ぶ商売があった。1988年、ナイジェリアの港町ココで、イタリアから運ばれた有害物質入りのドラム缶数千本が、農家の空き地に置かれているのが見つかる。こうした事件が相次ぎ、1989年3月22日、スイスのバーゼルで、有害な廃棄物を国境を越えて動かすときの取り決めが採択された。相手国の同意なしに送ってはならない。捨てる場所の不平等は、国と国のあいだにもある。バーゼル
- バブルの頂点できごとAD1989年12月29日1989年12月29日、年の最後の取引で、日経平均株価は三万八千九百円を超えて最高値をつけた。東京の土地の値段でアメリカ全土が買えると言われた。年が明けると株は下がり始め、政府は土地への貸し出しを抑え、日銀は金利を上げる。1991年から土地の値も下がり、銀行には返らない貸し出しが積み上がった。景気の低迷は失われた十年、やがて二十年、三十年と呼ばれる。株価がこの最高値を超えたのは、三十四年後の2024年だった。東京
- エクソン・ヴァルディーズ号の原油流出できごとAD1989年3月24日事故が起きてから、防ぐ仕組みができる1989年3月24日の深夜、アラスカのプリンス・ウィリアム湾で、原油を満載したタンカーが暗礁に乗り上げた。四万キロリットルを超える原油が流れ出し、二千キロを超える海岸を汚した。数十万羽の海鳥やラッコやアザラシが死んだ。人手の少ない荒れた海で、回収は遅れた。船長は酒を飲んでおり、舵を任された航海士の操船の誤りが原因とされる。事故のあと、タンカーの船体を二重にすることが義務づけられた。プリンス・ウィリアム湾(位置は特定されていない)
- 汎ヨーロッパ・ピクニックできごとAD1989年8月19日1989年8月19日、ハンガリーとオーストリアの国境の町ショプロンの近くで、両国の市民が国境の門を三時間だけ開けて交流する「ピクニック」が開かれた。ハンガリーの改革派の政治家と、ハプスブルク家の末裔オットー・フォン・ハプスブルクが後ろ盾になっていた。噂を聞いて集まっていた東ドイツの人々が門に押し寄せ、国境の警備兵は撃たずに見送った。六百人を超える人が西へ逃れた。三週間後、ハンガリーは東ドイツの人々に国境を開き、11月にはベルリンの壁が崩れる。ショプロン
- ドイツの再統一できごとAD1990年10月3日壁が消えても、線はすぐには消えないベルリンの壁が崩れてから十一か月、東ドイツで初めての自由な選挙が行われ、統一を急ぐ勢力が勝った。通貨をまず一つにし、戦勝四か国の同意を取りつける。1990年10月3日、東ドイツの諸州が西ドイツに加わる形で、ドイツは再び一つの国になった。東の工場の多くは西との競争に耐えられずに閉じ、失業が広がる。統一から三十年以上たっても、東と西の賃金や意識の差は残っている。ベルリン
- 湾岸戦争できごとAD1991年1月17日居間に生中継された戦争1990年8月2日、イラクがクウェートに攻め込み、併合を宣言した。国際連合は撤退を求め、アメリカを中心とする三十か国あまりの多国籍軍が集まる。1991年1月17日、空からの攻撃が始まり、その映像は夜空に光る対空砲火として世界の居間に生中継された。二月の地上戦は百時間で終わる。日本は巨額の資金を出したが、人を出さないと批判され、翌年、自衛隊を国連の平和維持活動に送る法律を作った。クウェート市
- ラジーヴ・ガンディーの暗殺できごとAD1991年5月21日1991年5月21日の夜、南インドのシュリーペルンブドゥールで、選挙の遊説をしていた元首相ラジーヴ・ガンディーに、花輪を捧げに近づいた女性が、体に巻いた爆弾を爆発させた。ラジーヴと十数人が死んだ。女性は、スリランカで独立を求めて戦うタミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」の一員だった。ラジーヴは首相だった1987年、スリランカに平和維持の部隊を送り、組織と戦わせていた。母インディラも暗殺されており、ネルーの家から出た首相が二代続けて殺されたことになる。シュリーペルンブドゥール
- インドの経済自由化できごとAD1991年7月24日金塊をロンドンへ運んだ屈辱1991年、インドは外貨が尽きかけ、輸入の代金が払えなくなる寸前だった。国の金を担保に借りるため、準備の金塊を飛行機でロンドンへ運んだほどである。7月24日、財務大臣のマンモハン・シンは予算の演説で、独立以来の、国が産業を細かく許可制で縛る仕組みを改め、関税を下げ、外国の投資を受け入れると告げた。ヴィクトル・ユーゴーの「時が来た考えを止めることはできない」という言葉を引いている。インドの経済はその後、速い成長の時代に入り、ITの産業が世界に知られるようになった。デリー
- スロヴェニアとクロアチアの独立宣言できごとAD1991年6月25日兄弟愛と団結の終わり1980年にチトーが死ぬと、六つの共和国からなるユーゴスラヴィアを束ねる力は弱まった。セルビアのミロシェヴィッチが民族主義を煽って力を強めると、豊かな北の共和国は連邦を離れることを選ぶ。1991年6月25日、スロヴェニアとクロアチアが独立を宣言した。スロヴェニアでは連邦軍との戦いが10日で終わったが、セルビア人が多く住むクロアチアでは、町が包囲され、隣人どうしが殺し合う戦争になった。ユーゴスラヴィアの解体は、ヨーロッパで第二次世界大戦のあと最も血なまぐさい戦争の始まりだった。リュブリャナ
- マボ判決できごとAD1992年6月3日オーストラリアは無主の地だった、という法の建前を最高裁が覆した。原告本人は5か月前に死んでいる。キャンベラ
- ボスニア紛争できごと1992年ヨーロッパで戦争は終わった、という前提が崩れた同じ言葉を話し、隣り合って暮らしてきた人びとが、宗教で線を引かれて殺し合った。ヨーロッパで戦争は終わったという前提が、冷戦の3年後に崩れる。サラエヴォ
- ショートメッセージできごとAD1992年12月3日携帯電話の規格を作るとき、通話の制御に使う隙間の信号に、短い文字を載せられることが分かった。おまけのような機能である。1992年12月、技術者がパソコンから同僚の携帯へ「メリークリスマス」と送った。最初のショートメッセージとされる。当初は受け取るだけで、送るには手間がかかった。ところが若者が使い始め、数字キーを何度も押して文字を打つやり方が広まる。通話より安く、相手の時間を奪わない。電話会社が本命と思っていなかった機能が、最大の収入源になった時期がある。ニューベリー
- バーブリー・モスクの破壊できごとAD1992年12月6日破壊を理由にした破壊アヨーディヤーには、十六世紀にムガル朝の時代に建てられたモスクがあった。ヒンドゥーの人びとの一部は、そこがラーマ神の生まれた場所で、もとの寺院を壊して建てられたのだと主張した。1992年12月6日、ヒンドゥー至上主義の団体の集会に集まった十数万の人びとが、モスクを素手と道具で打ち壊す。その後の宗教の暴動で、各地で二千人ほどが死んだ。2019年、最高裁はその土地を寺院の建設に与える判断を下し、2024年、寺院が開かれた。アヨーディヤー
- 地球サミットできごとAD1992年6月3日環境が、国と国の交渉の問題になった冷戦が終わった直後の1992年6月、リオデジャネイロに百七十を超える国の代表と、多くの市民団体が集まった。気候の変動を防ぐ条約と、生き物の多様さを守る条約が署名に開かれる。十二歳の少女が大人たちに、直し方を知らないなら壊すのをやめて、と語りかけた演説も知られている。持続可能な開発という言葉が、世界の約束の言葉になった。だが豊かな国と貧しい国のどちらが負担するかという争いは、この会議から始まっていた。リオデジャネイロ
- サラエヴォ包囲できごとAD1992年4月5日1425日の包囲1992年春、ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立を宣言すると、セルビア人の勢力は首都サラエヴォを囲む山々に砲と狙撃の兵を置いた。包囲は1425日続き、現代の戦争で最も長い首都の包囲になる。市民は、狙撃兵の通り道を走って水を汲み、パンの列に並んだところを砲撃された。1994年と1995年には市場への砲撃で多くの人が死ぬ。空港の下に掘ったトンネルが、外とつながるただ一つの道だった。死者は一万人を超え、子どもも多く含まれる。8年前に冬のオリンピックを開いた町だった。サラエヴォ
- 井戸のヒ素できごとAD1990年代危険を減らす手段が、測っていない別の危険を連れてくる池や川の水で下痢の病が多いなら、地下水を汲めばよい。1970年代から、援助機関と政府がバングラデシュ各地に管井戸を掘った。数百万本が掘られ、乳児の死亡は確かに減る。だが1993年、地下水から高濃度のヒ素が検出された。地層に元からある成分で、掘る前には誰も測っていなかった。皮膚の病と癌が広がり、数千万人が曝露したと推定される。世界保健機関は、史上最大規模の集団中毒と呼んだ。ある危険を減らす手段が、測っていなかった別の危険を連れてくる。ダッカ
- オスロ合意できごとAD1993年9月13日あり得た和平と、失われた機会ノルウェーの仲介で、イスラエルとパレスチナ解放機構の代表が、オスロの郊外で秘密の話し合いを重ねた。互いを交渉の相手として認め、パレスチナ人が自ら治める地域を段階的に広げていく。1993年9月13日、ワシントンのホワイトハウスの庭で、ラビン首相とアラファト議長が握手した。だが境界やエルサレムや難民の帰還といった難題は先送りされた。二年後、ラビンは和平に反対するユダヤ人の青年に撃たれて死ぬ。合意の約束の多くは果たされないまま残った。ワシントンD.C.
- アパルトヘイトの終結できごとAD1994年全人種が参加する選挙が行われ、マンデラが大統領になった。報復ではなく和解が選ばれる。ヨハネスブルグ

- ルワンダ虐殺できごと1994年アパルトヘイトが終わったのと同じ年100日で80万人以上が殺された。植民地時代に固定された民族の区分が、その下地にあった。キガリ
- 閉じ込める数できごとAD1990年代1970年代から、アメリカの受刑者は増え続けた。麻薬への厳罰、量刑の下限を法で固定する制度、三度目の有罪で終身刑という州法。裁判官の裁量が減り、検察官が起訴の内容で刑を事実上決めるようになる。人口あたりの受刑者数は世界最多になり、黒人の若い男の割合が著しく高い。犯罪が減ったのはこの政策のためだという主張と、他の要因が大きいという研究が並ぶ。刑務所を運営する会社の株が取引される。閉じ込めることが産業になると、需要を減らす方向へは働きにくい。ワシントンD.C.
- 仰向けに寝かせるできごとAD1994年眠っている間に、健康な赤ん坊が突然亡くなる。原因は分からなかったが、統計を重ねると、うつ伏せに寝かせた子に多いことが見えてきた。イギリスでは1991年に、アメリカでは1994年に、赤ん坊を仰向けに寝かせるよう呼びかける運動が始まる。数年で乳幼児の突然死は半分ほどに減った。薬も手術もなく、寝かせる向きを変えただけである。専門家が一度勧めたことを、数字を見て取り消した例でもある。ワシントンD.C.
- サパティスタの蜂起できごとAD1994年1月1日武器より言葉で戦う1994年1月1日、北米の自由貿易協定が発効したその日に、メキシコ南部チアパスの先住民を中心とするサパティスタ民族解放軍が、サン・クリストバル・デ・ラス・カサスなどの町を占拠した。協定は先住民への死刑宣告だと訴える。戦闘は十数日で止んだが、彼らは覆面の代弁者の声明をインターネットで世界に発信し続けた。武器よりも言葉で戦う運動として、世界の反グローバル化の運動に影響を与える。自治の村々は、いまも続いている。サン・クリストバル・デ・ラス・カサス
- チェチェン紛争できごとAD1994年12月11日戦争で支持を得た指導者ソ連が解体すると、北カフカースのチェチェンは、ロシアからの独立を宣言した。1994年12月11日、ロシア軍が攻め込む。首都グロズヌイは砲撃で瓦礫の町になり、多くの市民が死んだ。ロシア軍も大きな損害を出し、1996年に撤退する。1999年、モスクワの集合住宅の爆破をきっかけに、首相になったばかりのプーチンが再び軍を送った。この二度目の戦争で、プーチンは強い指導者として支持を集めていく。グロズヌイ
- 無償労働を数えるできごとAD1995年9月15日サテライト勘定第4回世界女性会議の行動綱領に、各国政府への要求が入った。無償労働を測定し、国民経済計算のサテライト勘定として記録すること。生活時間調査を行うこと。以後、各国が調査を始めた。日本の推計で、無償労働の貨幣評価はGDPの2割前後にあたる。世界では、女性が男性の2倍から10倍の無償労働を担っている。数えても、支払われるわけではない。それでも、数えなければ、議論の対象にすらならない。北京
- ネットで本を売るできごとAD1995年選んで買うから、探して届けさせるへ1995年、シアトルのガレージで始まった会社が、インターネットで本を売り始めた。本は種類が多く、書店の棚には並びきらない。画面の上なら、何百万冊でも並べられる。買った人が評価を書き込み、次の客がそれを読んで選ぶ。やがて本以外のあらゆる品を扱い、倉庫と配送の網を自前で持つようになる。町の書店と商店は減った。店に並ぶ品を選んで買うことから、画面で探して家に届けさせることへ、買い物の形が変わった。シアトル
- 阪神・淡路大震災できごとAD1995年1月17日防ぐのは、建物の強さと、そばにいる人1995年1月17日の午前5時46分、淡路島の北を震源とする地震が、神戸を中心とする都市を襲った。六千四百人余りが亡くなり、その多くは倒れた家の下敷きになった。高速道路の高架が横倒しになり、長田の町では火災が広がった。古い木造の家と、古い基準で建てられた建物に被害が集中する。全国から百万人を超える人がボランティアとして駆けつけ、この年はボランティア元年と呼ばれた。市民の活動を支える法律が、この経験から生まれた。神戸
- 地下鉄サリン事件できごとAD1995年3月20日安全だと信じていた日常が揺らいだ1995年3月20日の朝、通勤客で混む東京の地下鉄三路線五本の車内で、オウム真理教の信者たちが猛毒のサリンを撒いた。十四人が亡くなり、六千人を超える人が被害を受けた。霞ケ関の官庁街を狙ったものだった。教団はそれまでにも殺人や松本での毒ガス事件を起こしていた。高い学歴を持つ若者が多く加わっていたことも、社会に衝撃を与えた。阪神・淡路大震災の二か月後で、安全だと信じていた日常が、続けて揺らいだ年になった。東京
- 世界貿易機関できごとAD1995年1月1日自由な貿易の恩恵と、職を失う人の溝戦後の貿易は、関税を下げるための協定の上で、交渉を重ねて広がってきた。1995年1月1日、それを常設の国際機関に改めた世界貿易機関が、ジュネーヴで発足する。物だけでなく、サービスや特許も扱い、国どうしの争いを裁く手続きを持った。2001年には中国が加盟し、世界の工場になっていく。一方で、1999年のシアトルの会議は大規模な抗議に包まれた。自由な貿易の恩恵と、その陰で職を失う人びととの溝は、いまも埋まっていない。ジュネーヴ
- ウィンドウズ95できごとAD1995年8月24日ビル・ゲイツの会社は、ほとんどのパソコンに載る基本のソフトを握っていた。1995年8月24日、新しい版のウィンドウズが世界で売り出される。画面の隅のスタートボタンから操作を始める形が、ここで定まった。日本では十一月の発売日の深夜、秋葉原に長い行列ができた。のちにインターネットを見るソフトを組み込んだことが競争を不当に妨げているとして、アメリカ政府に訴えられる。パソコンは、この年から一気に家庭に入っていった。レドモンド
- デイトン合意できごとAD1995年11月21日戦争を止め、分断を固めた線1995年11月、アメリカのオハイオ州デイトンの空軍基地に、セルビア、クロアチア、ボスニアの大統領が3週間閉じ込められるようにして話し合い、21日、ボスニア紛争を終わらせる合意に達した。仲介したのはアメリカの外交官リチャード・ホルブルックである。夏のスレブレニツァの虐殺のあと、NATOの空爆とクロアチア軍の攻勢で、戦いの形勢が変わっていた。ボスニアは一つの国として残るが、中はボシュニャク人とクロアチア人の連邦と、セルビア人の共和国の二つに分けられ、大統領は三民族から一人ずつ出す。戦争は止まったが、民族ごとに分かれた国の仕組みは、いまも残っている。デイトン(位置は特定されていない)
- ラグビー・ワールドカップと南アフリカできごとAD1995年6月24日南アフリカの代表チーム、スプリングボクスは、アパルトヘイトの時代、白人の誇りの象徴で、黒人の多くは相手のチームを応援した。アパルトヘイトが終わり、1994年に大統領になったネルソン・マンデラは、翌年に自国で開かれるラグビーのワールドカップを、国をまとめる機会にしようとした。1995年6月24日、ヨハネスブルグの決勝で、南アフリカは延長の末にニュージーランドを破った。表彰の場に、マンデラはスプリングボクスの緑のジャージを着て現れ、白人の主将に優勝杯を手渡した。白人の多い観客席から、マンデラの名を呼ぶ声が沸き起こった。ヨハネスブルグ
- オキシコンチンできごとAD1996年痛みを我慢させないという正しい主張が、売るための言葉として使われたパーデュー・ファーマが、ゆっくり溶ける被膜をかけたオキシコドンを売り出した。十二時間効くから乱用されにくい、依存は一パーセント未満だと営業は説明した。その数字の出所は、別の文脈で書かれた五行の投書だった。医師に講演料を払い、痛みを第五のバイタルサインと呼ぶ運動を後押しした。錠剤は砕けば一度に効く。二十年で数十万人が過剰摂取で死に、うち多くは処方から始まった。痛みを我慢させないという正しい主張が、売るための言葉として使われた。スタンフォード(コネチカット)
- ポート・アーサー事件と銃規制できごとAD1996年4月28日12日で銃の規制をまとめる1996年4月28日、タスマニアの観光地ポート・アーサーの流刑地の跡で、ひとりの男が半自動の銃を撃ち、35人を殺した。首相になったばかりのジョン・ハワードは、自分を支える地方の農民の反発を押し切り、12日後には各州に銃の規制で合意させる。半自動の銃は禁じられ、政府が買い取って壊した銃は65万丁を超えた。ハワードは集会に防弾のチョッキを着て立った。オーストラリアで銃による大量の殺人が起きることは、その後長く見られなくなった。ポート・アーサー
- マララ・ユスフザイ人物AD1997年7月12日 – ?女子が学校へ行くことを主張して銃撃され、生き延びた。17歳でノーベル平和賞を受ける。
- アジア通貨危機できごとAD1997年タイのバーツの暴落から、数か月で東南アジア全域と韓国へ広がった。短期の外国資金が一斉に引き揚げた。IMFの処方箋が事態を悪化させたという批判が、いまも残る。バンコク

- ツバルと海面上昇できごとAD1997年領土が無くなったとき、国家は残るのか国土の最高地点が5メートルもない。国連の場で、島が消えるかもしれないと訴え続けている。2021年11月、外相が海に膝まで浸かって演説する映像をCOP26に送った。フナフティ
- 海のごみできごとAD1997年腐らないという長所が、そのまま問題になったヨットで太平洋を横断していたチャールズ・ムーアは、風の弱い環流の海域で、何日走っても水面に細かなプラスチックの破片が浮いているのを見た。ごみの島があるわけではない。日光と波で砕けた粒が、スープのように水中に漂っている。回収は難しく、魚や海鳥の体内から見つかるようになった。プラスチックは安く、軽く、腐らないという長所で広まった素材である。その腐らないという性質が、そのまま問題になった。捨てるとは、どこかへ移すことにすぎないと、この海域が示している。北太平洋の環流(位置は特定されていない)
- 香港返還できごとAD1997年7月1日五十年の約束の、半分も経たないうちにアヘン戦争でイギリスが奪った香港は、のちに新界を九十九年の期限で借りる形で広がった。期限を前にした交渉の末、1997年7月1日、香港は中国に返された。一つの国に二つの制度を置き、五十年のあいだ香港の資本主義と自由を変えない、と約束される。雨の中で英国旗が降ろされた。だが約束の半分も経たないうちに、選挙と言論の自由は狭められ、国家安全の法律が作られた。香港
- アルバニアのねずみ講崩壊できごとAD1997年市場を知らない国のねずみ講アルバニアは、独裁者ホッジャのもとで、ソ連とも中国とも手を切り、ヨーロッパで最も閉じた国だった。1990年代の初めに社会主義が終わると、人々は市場経済の仕組みを知らないまま、高い利子をうたう投資の会社に預金を注ぎ込んだ。後から入った人の金で前の人に利子を払う、ねずみ講である。国民の多くが家や家畜を売って加わり、集まった金は国の経済の規模の半分近くに達したとされる。1997年の初め、会社が次々に潰れると、怒った人々は武器庫を襲い、国は無政府の状態に陥った。二千人ほどが死に、イタリアを中心とする多国籍の部隊が送られた。ティラナ
- 対人地雷禁止条約できごとAD1997年12月3日市民団体が作った条約地面に埋められた対人地雷は、戦争が終わっても残り、畑を耕す農民や遊ぶ子どもの手足を奪い続ける。1990年代、カンボジアやアンゴラ、アフガニスタンなどでは、毎年何万人もが地雷で死んだり傷ついたりしていた。千を超える市民団体が手を組んで禁止を訴え、カナダの政府がこれに応えて、国連の軍縮の会議の外で、賛成する国だけを集めて条約づくりを進めた。1997年12月3日、オタワで122か国が署名した。対人地雷の使用、生産、貯蔵、移転を全面的に禁じる。その年のノーベル平和賞は、運動を率いた市民団体の連合に贈られた。アメリカ、ロシア、中国は加わっていない。オタワ
- 明石海峡大橋できごとAD1998年本州と淡路島のあいだの海峡は、潮が速く、水深があり、台風と地震の通り道でもある。中央の径間は二キロ近く、世界で最も長い吊り橋になった。工事の途中、1995年の阪神淡路大震災が起きる。二つの主塔の基礎はそれぞれ別の地盤に立っており、地面がずれて塔の間隔が一メートル近く広がった。設計を修正して工事を続け、1998年に開通する。橋を架ける難しさは、長さや重さだけではない。何十年ものあいだに動く地面と風と潮の中で、それでも持つように作ることになる。明石海峡
- リンクで順位をつけるできごとAD1998年知る入口を、一つの会社の計算が握るウェブのページが爆発的に増え、欲しい情報を探すのが難しくなっていた。スタンフォード大学の大学院生ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンは、多くのページからリンクされているページほど重要だ、という考えで検索の順位をつける方法を作った。学術論文の引用の数え方に似ている。1998年、二人は会社を作り、借りたガレージで事業を始めた。やがて検索に添える広告が巨大な収入になる。何を知るかの入口を、一つの会社の計算が握るようになった。メンローパーク(カリフォルニア)
- 国際宇宙ステーションできごとAD1998年11月20日冷戦のあいだ宇宙で競い合ったアメリカとロシアが、日本、ヨーロッパ、カナダとともに、一つの宇宙の住まいを組み立てることになった。1998年11月20日、最初の部品がカザフの発射場から打ち上げられる。2000年11月からは、つねに誰かが住んでいる。日本の実験棟「きぼう」も加わった。重さは四百トンを超え、人の作った最大の宇宙の構造物である。地上で国どうしが対立しても、軌道の上では乗組員が同じ空気を吸い続けてきた。バイコヌール
- スハルトの退陣できごとAD1998年5月21日経済の危機が独裁を倒す引き金に三十年あまりインドネシアを治めたスハルトの体制は、アジア通貨危機で一気に揺らいだ。通貨ルピアは暴落し、物価が跳ね上がり、失業があふれる。1998年5月、学生たちの抗議が広がり、ジャカルタでは暴動が起きて、多くの華人の商店が襲われ、女性たちが暴行を受けた。軍の後ろ盾も離れ、5月21日、スハルトは退陣を表明する。長い独裁が終わり、インドネシアは民主化と地方分権の時代に入った。ジャカルタ
- インドとパキスタンの核実験できごとAD1998年5月11日核を持つ国どうしが隣り合う1998年5月11日と13日、インドは西部の砂漠のポカランで、合わせて五回の地下核実験を行い、核兵器を持つ国であると宣言した。インドは1974年に同じ場所で「平和目的」とする核爆発を行っていたが、その後は兵器を持つとは言わずにいた。5月28日と30日、パキスタンもバローチスターンの山で核実験を行って応じる。三度戦ってきた二つの国が、ともに核兵器を持つことになった。アメリカや日本は経済の制裁を科したが、両国は核を手放さず、核拡散防止条約の外に立ち続けている。ポカラン
- チャベス政権できごとAD1999年2月2日一つの資源に頼る国のもろさ石油の富が一部の人にしか届かないベネズエラで、かつてクーデターに失敗した元軍人ウーゴ・チャベスが、貧しい人びとの支持を集めて大統領に選ばれた。1999年2月2日に就任し、ボリバルの名を掲げた革命を唱える。石油の収入で、貧しい地区に診療所や学校を作った。一方で、憲法を改めて権力を集め、批判的な放送局を閉じた。石油の値が下がると経済は崩れ、後継の政権のもとで、国民の数百万人が国外へ逃れることになった。カラカス
- ナップスターできごとAD1999年1999年、ボストンの大学の一年生だったショーン・ファニングは、インターネットにつながった互いのパソコンの中の音楽の圧縮ファイルを、名前で探して直接もらえるソフトを作った。ナップスターである。二年足らずで数千万人が使い、音楽はただで手に入るものになった。ヘヴィメタルのバンド、メタリカや、レコード会社が著作権の侵害で訴え、2001年、裁判所の命令で止められる。しかし、ファイルを分け合う技術は止まらず、レコード会社の売上は長い下り坂に入った。ボストン
- コソヴォ紛争とNATOの空爆できごとAD1999年3月24日主権より人を守るという戦争コソヴォはセルビアの南の地方で、住民の大半はアルバニア人だが、セルビア人にとっては中世の王国の聖地だった。1989年、ミロシェヴィッチは自治を奪う。アルバニア人の武装組織が生まれ、セルビアの軍と警察は村々を攻めた。1999年3月24日、NATOは、国連の安全保障理事会の決議を得ないまま、セルビアへの空爆を始めた。人道のための介入をうたう初めての大きな軍事行動である。空爆は78日続き、その間に数十万人のアルバニア人が追い出された。6月、セルビアは軍を引き、コソヴォは国連の管理の下に置かれた。2008年、コソヴォは独立を宣言した。プリシュティナ
- 数え直しできごとAD2000年アメリカ大統領選の勝敗が、フロリダ州の数百票で決まることになった。使われていた投票用紙は、穴を開けて意思を示す方式である。開けきれず紙片がぶら下がったもの、へこんだだけのもの。どこまでを一票と数えるかで結果が変わる。郡ごとに基準が違い、手作業の数え直しが始まった。三十六日後、連邦最高裁が数え直しを止め、結果が確定する。この一件は、票を数えるという単純に見える作業が、道具と手続きに深く依存していることを見せた。以後、各国が投票の機械と数え方を見直すことになる。フロリダ(位置は特定されていない)
- 債務を帳消しにする運動できごとAD2000年最貧国の政府は、返済のために保健と教育の予算を削っていた。利子だけで元本が減らない国もある。旧約聖書の、五十年ごとに負債を帳消しにするヨベルの年にちなんで、教会と市民団体が運動を始めた。首脳会議の会場を人間の鎖で囲み、二千万を超える署名を集める。2005年、主要国は最貧国の多国間債務の帳消しに合意した。批判もあった。返さなくてよいと分かれば、次は誰も貸さない。腐敗した政権が借りた金をなぜ国民が返すのか、という問いも残る。ロンドン
- ITバブルの崩壊できごとAD2000年3月10日インターネットで商売をすると言うだけで、利益の出ていない会社の株が買われた。1990年代の終わり、新しい技術の会社が多く上場するナスダック市場の指数は、数年で数倍になる。2000年3月10日に最高値をつけると、そこから二年半で八割近く下がった。多くの会社が消えたが、生き残った会社のいくつかは、のちに世界で最も大きな会社になる。指数がこの最高値を取り戻すのは、十五年後のことだった。ニューヨーク
- 雪印乳業の集団食中毒できごとAD2000年6月27日隠すことが信用を失わせる2000年6月の終わりから、雪印乳業の大阪工場で作られた低脂肪乳を飲んだ人々が、吐き気や下痢を訴えた。患者は一万三千人を超え、戦後最大の集団食中毒になる。原因は、北海道の工場で停電の間に脱脂粉乳の原料に菌の毒素が増え、それをそのまま使ったことだった。会社の発表は遅れ、記者に囲まれた社長が「私は寝ていないんだ」と口にした姿が繰り返し放送される。二年後には子会社が輸入の牛肉を国産と偽っていたことが発覚し、その会社は解散した。企業の隠し方が、ブランドを一度に失わせることを示した事件である。大坂
- 9・11同時多発テロできごとAD2001年9月11日旅客機4機。2機が世界貿易センターの2棟に、1機が国防総省に、1機はペンシルベニアの野に落ちた(乗客が操縦室に突入した)。2977人が死んだ(19人の実行犯を除く)。93か国の人。生中継された。アメリカは「テロとの戦争」を宣言し、10月にアフガニスタン、2003年にイラク。空港の検査、監視法、そして「9・11以後」という言い方が残った。ニューヨーク

- 誰でも書ける百科事典できごとAD2001年1月15日書き手の資格を問わない百科事典専門家が書き、査読してから載せる無料の百科事典の計画は、一年かけても記事がわずかしか増えなかった。2001年1月15日、ジミー・ウェールズとラリー・サンガーは、誰でもその場で書き換えられる仕組みで、別の百科事典を始める。間違いはすぐ入り、すぐ直される。数年で既存の百科事典を記事の数で追い越した。広告を載せず、寄付で運営されている。書き手の多くは名前も知られない人びとである。知識の作り方の、新しい形が生まれた。サンディエゴ
- 国際刑事裁判所できごとAD2002年7月1日国家でなく個人を裁くニュルンベルクと東京の裁判は、勝者が敗者を裁く臨時の法廷だった。旧ユーゴとルワンダの法廷も、事件ごとに作られた。常設の裁判所を作る構想は1948年からあり、冷戦で止まり、1998年のローマ規程で実現した。集団殺害、人道に対する罪、戦争犯罪、そして侵略の罪。国家ではなく個人を裁く。国内の裁判が機能しないときにだけ動く(補完性)。アメリカ、ロシア、中国、インドは加盟していない。逮捕は加盟国の協力に頼るしかない。ハーグ

- ユーロの紙幣と硬貨できごとAD2002年1月1日お金という国の印を手放した1999年、ヨーロッパの十一か国が通貨を一つにし、ユーロが帳簿の上で生まれた。三年後の2002年1月1日、十二か国で一斉に紙幣と硬貨が出回る。マルクもフランもリラも、数週間のうちに消えた。紙幣の図柄には、特定の国の人物や建物ではなく、どこにも実在しない窓と門と橋が描かれた。為替の手間は消え、国境を越えた商売はしやすくなる。だが通貨を一つにしても財政は別々のままで、のちのギリシャの危機でその無理が表に出た。フランクフルト
- ヒトゲノム計画できごとAD2003年4月14日遺伝子の数は予想の3分の1だった1990年に始まり、6か国の20の研究所で13年、30億ドル。30億の塩基対を読んだ。途中からクレイグ・ヴェンターの民間の会社が別の方法で追い上げ、2000年、ホワイトハウスで「引き分け」の共同発表になった。遺伝子は10万個と思われていたのが、2万個ほどしかなかった。データは全部、無償で公開された。いま、1人分を読むのに数百ドル、1日。ワシントンD.C.
- グレタ・トゥーンベリ人物AD2003年1月3日 – ?15歳で議会の前に座り、1年後に世界の400万人を歩かせた。国連で「よくもそんなことを」と言った。
- 薬を練り込んだ蚊帳できごとAD2003年寝る場所を守るのが、いちばん効いた蚊帳に殺虫剤を浸しても、洗えば落ちる。住友化学は、殺虫剤を樹脂の糸に練り込み、表面へ少しずつ染み出す蚊帳を作った。数年のあいだ効き目が続く。2003年、その技術をタンザニアのアルーシャの会社に無償で渡し、現地で作れるようにした。数千人の雇用が生まれる。国際機関の資金で数億張りが配られ、2000年から2015年にアフリカで防げたマラリアの多くは、この蚊帳によると推計されている。寝る場所を守るのが、いちばん効いた。アルーシャ
- ごみゼロを宣言した町できごとAD2003年ごみは、出す前に減らせる徳島の山あいの上勝町には、ごみの収集車が来ない。住民が自分でごみステーションへ持ち込み、数十の種類に分けて出す。野焼きと小さな焼却炉をやめなければならなくなったとき、町は焼く施設を作るより、分けることを選んだ。2003年、日本で初めてごみゼロを宣言する。再び使えないものは作る側が考えるべきだ、という考えも掲げた。人口千数百人の町だからできる、という見方もある。それでも、ごみは出してからではなく出す前に減らせることを示した。上勝町
- ダルフール紛争できごとAD2003年二度と繰り返さない、が再び試されたスーダン西部のダルフールで、2003年、中央政府に取り残されてきた住民の武装勢力が反乱を起こした。政府は、アラブ系の民兵ジャンジャウィードを使って村々を襲わせる。村は焼かれ、井戸には毒が入れられ、女性たちは暴行された。数十万人が死に、二百万人を超える人が家を追われたと推計される。2009年、国際刑事裁判所は、現職の大統領バシールに逮捕状を出した。現職の国家元首に対する初めての逮捕状だった。エル・ファーシル
- 実名でつながるできごとAD2004年2月4日人のつながりの入口を握る2004年2月4日、ハーヴァード大学の学生マーク・ザッカーバーグは、同じ大学の学生が実名と顔写真で互いのページを見られるサイトを始めた。すぐに他の大学に、やがて世界じゅうの誰にでも広がる。友人の近況が次々に流れてくる画面は、利用者の関心を引きつけ続けるように計算され、その関心が広告の売り物になった。利用者は二十億人を超える。選挙への干渉や、偽りの情報や、民族への憎しみを広げる道具にもなったと批判されている。ケンブリッジ(マサチューセッツ)
- シーズン262安打できごとAD2004年10月1日日本で七年続けて首位打者を取ったイチローは、2001年、日本人の野手として初めてアメリカの大リーグに移った。体の小さな日本の打者は通用しないとも言われたが、一年目から首位打者と最優秀選手になる。2004年10月1日、一シーズンの安打の数で、八十四年破られなかった記録を抜き、最終的に二百六十二本を打った。本塁打ではなく、打って走る野球で世界の頂点に立った。のちに多くの日本の選手が海を渡る道を開いた。シアトル
- EUの東方拡大できごとAD2004年5月1日ヨーロッパへの回帰2004年5月1日、ポーランド、チェコ、ハンガリー、バルトの三国など、東欧と地中海の10か国が、いっせいにヨーロッパ連合(EU)に加わった。冷戦のあいだソ連の側にいた国々が、十五年をかけて、民主主義、市場経済、法の支配といった加盟の条件を満たすよう、国の仕組みを作り直した末のことである。EUは15か国から25か国になった。国境を越えて働きに出る人が増え、イギリスへ渡ったポーランドの人々は、のちのイギリスのEU離脱の議論の火種の一つにもなった。ブリュッセル
- オレンジ革命できごとAD2004年11月22日広場が選挙の結果を変える2004年のウクライナの大統領選挙は、ロシア寄りの首相ヤヌコヴィチと、西欧寄りのユシチェンコの争いになった。ユシチェンコは選挙の途中でダイオキシンを盛られ、顔が大きく変わった。11月21日の決選投票でヤヌコヴィチの勝ちが発表されると、不正を訴える人々が、ユシチェンコの陣営の色のオレンジを身に着けて、キーウの独立広場を埋めた。零下の寒さの中、テントを張って座り込みが続く。最高裁判所は選挙のやり直しを命じ、12月26日の再投票でユシチェンコが勝った。広場の抗議が選挙の結果を変えた例として、ロシアの政権は強く警戒した。キーウ
- iPS細胞できごとAD2006年体のどんな細胞にもなれる細胞は、受精卵を壊して取り出すしかなく、倫理の上で強い反対があった。京都大学の山中伸弥は、大人の細胞を若返らせる鍵になる遺伝子を、候補の二十四個から絞り込み、四つにまでたどり着く。2006年、マウスの皮膚の細胞から、何にでもなれる細胞を作ったと発表した。翌年には人の細胞でも成功する。卵も胚も使わずに、細胞の時計を巻き戻せる。2012年、山中はクローン羊の研究の源流にいたガードンとともにノーベル賞を受けた。京都
- 三峡ダムできごとAD2006年洪水を抑える工事と、人と土地の犠牲長江の中流の三峡は、洪水が繰り返し下流の人びとを襲う場所だった。孫文の時代からあったダムの構想を、中国の政府は1990年代に動かし、2006年に堤体が完成する。世界最大の水力の発電所になった。貯水で、百万人を超える人が住み慣れた町や村から移住させられ、多くの遺跡が水に沈む。地すべりや水質の悪化も心配されてきた。洪水を抑え電気を生む巨大な工事は、同時に人と土地の大きな犠牲の上に立っている。宜昌
- スマートフォンの登場できごとAD2007年6月29日10年で世界の半分がそれをポケットに入れた電話とネットとカメラが一枚のガラスになった。10年で世界の半分がそれをポケットに入れる。人が何を見て何時間を使うかが、この板で決まるようになった。クパチーノ
- 緊急地震速報できごとAD2007年10月1日地震の揺れには、速く伝わる小さな揺れと、遅れて来る大きな揺れがある。震源の近くの観測点で最初の揺れを捉えれば、大きな揺れが届く前に、数秒から数十秒の猶予ができる。2007年10月1日、気象庁は、この仕組みで強い揺れを知らせる速報を一般に流し始めた。列車を止め、手術の手を止め、机の下に入る時間になる。震源に近い場所では間に合わず、外れることもある。それでも、揺れる前に知るという、かつて無かった数秒が生まれた。東京
- 世界金融危機できごとAD2008年つながっていることが弱点になる住宅ローンの証券化が世界に連鎖した。国境を越えた金融の速さが、そのまま危機の速さになる。ニューヨーク
- スヴァールバル世界種子貯蔵庫できごとAD2008年2月26日シリアの研究所が引き出した北極圏の島の、永久凍土の山腹に、130メートルの坑道を掘って作られた。各国の種子銀行が、その複製を預ける。所有権は預けた側にあり、貯蔵庫は開けない。金庫の貸金庫と同じ仕組みである。零下18度に保つが、電気が止まっても凍土が数十年、温度を保つ。収蔵は120万点を超えた。2015年、シリアの内戦で研究所を失ったICARDAが、初めて引き出しを求めた。中東の乾燥地の小麦と大麦の種が、モロッコとレバノンへ送られ、殖やされ、そして返された。スヴァールバル
- ロシア・ジョージア戦争できごとAD2008年8月8日西へ近づく国を、力で止めた最初の例ソ連の解体のあと、ジョージアの中の南オセチアとアブハジアは、ロシアの後ろ盾で事実上の独立を保っていた。ジョージアは西側への接近を強め、NATOへの加盟を望む。2008年8月8日、北京オリンピックの開会の日、ジョージア軍が南オセチアの中心の町を攻撃すると、ロシア軍が大挙して反撃した。五日間の戦争でジョージアは敗れ、ロシアは二つの地域の独立を承認する。旧ソ連の国が西へ近づくことを、ロシアが力で止めた最初の例になった。ツヒンヴァリ
- Spotifyの開始できごとAD2008年10月7日持つものから、使うものへ2008年10月7日、スウェーデンで、音楽を持たずに、聞くたびにネットから流して聞く配信のサービスSpotifyが始まった。創業者のダニエル・エクは、海賊版のファイル共有より便利なものを作れば、人はお金を払う、と考えた。広告を聞けば無料、月額を払えば広告なしで、何千万もの曲が聞き放題になる。音楽は所有するものから、使うものに変わった。レコード会社の売上は配信で持ち直したが、一回の再生で歌い手に入るお金はわずかで、その分け方をめぐる争いが続いている。ストックホルム
- ネパールの王政廃止できごとAD2008年5月28日240年の王政を選挙で終える2001年6月1日、ネパールの王宮で、皇太子が銃を乱射して国王夫妻ら王族9人を殺し、自らも撃って死んだ。王位を継いだ国王の弟ギャネンドラは、毛沢東主義の武装勢力との内戦を理由に議会を停止し、2005年には全権を握った。2006年、首都の街頭に数十万人が集まる運動で国王は権力を手放し、内戦も終わる。2008年5月28日、選挙で選ばれた制憲議会は、240年続いた王政を廃止し、ネパールを連邦民主共和国とした。かつて武器を取った毛沢東主義の党は、選挙で第一党になった。カトマンズ
- ソマリア沖の海賊できごと2008年国が崩れた海1991年に政府が崩れたソマリアでは、外国の漁船が沖で魚を獲り荒らし、廃棄物を捨てていった。漁師の中には、海を守ると称して船を襲う者が現れ、やがて身代金を目当ての商売になった。2008年ごろから、スエズ運河へ向かう船が通るアデン湾とインド洋で、小さな高速艇に乗った海賊が、大型のタンカーや貨物船を次々に乗っ取った。国連の安全保障理事会は各国の軍艦による取り締まりを認め、ヨーロッパ連合や日本などが艦艇を送った。日本はジブチに初めての海外の拠点を置いた。船に武装した警備員が乗るようになり、2012年以降、襲撃は大きく減った。アデン湾(位置は特定されていない)
- ビットコインできごとAD2009年1月3日金融危機のさなかの2008年、サトシ・ナカモトと名乗る正体不明の人物が、銀行も国も通さずに、見知らぬ者どうしが直接お金をやり取りする仕組みを論文で示した。取引の記録を、参加者全員で持つ一つの帳簿に鎖のようにつないでいく。2009年1月3日、最初の記録が作られ、そこにはロンドンの新聞の、銀行への二度目の救済を伝える見出しが書き込まれていた。値段は激しく上下し、投機と犯罪にも使われる。国が出さないお金が本当にお金になりうるのか、という問いはいまも続いている。ロンドン
- アラブの春できごとAD2010年12月17日(チュニジアでの発端)露天商の焼身自殺をきっかけに、チュニジア・エジプト・リビア・イエメンで政権が倒れた。民主化に落ち着いたのはチュニジアだけで、シリアは内戦になる。チュニス

- 地下七百メートルの救出できごとAD2010年8月5日救出の物語は残り、規制の話は忘れられやすいチリ北部の銅と金の鉱山で落盤が起き、三十三人が地下七百メートルに閉じ込められた。十七日後、試掘の穴に結ばれた紙が上がってくる。全員無事、と書かれていた。救出には、直径七十センチの縦穴を掘り、専用の筒で一人ずつ引き上げる方法が採られる。準備に二か月、引き上げに二十二時間半。生中継を世界で十億人が見たとされる。歓声の陰で、そもそもなぜ落盤したのかという問いが残った。安全の指摘は以前から出ており、避難所の設備も不十分だった。コピアポ
- 台所の煙できごとAD2010年技術を配るだけでは、台所は変わらない世界ではいまも二十億を超える人が、薪や炭や家畜の糞を燃やして煮炊きをしている。家の中にこもる煙は肺と心臓を傷め、毎年数百万人の早すぎる死につながると推計される。煙をいちばん吸うのは、台所に立つ女性と、そばにいる幼い子どもである。2010年、煙の少ないかまどを広める国際的な連合がニューヨークで立ち上げられた。だが新しいかまどは、料理の作法に合わなければ使われない。技術を配るだけでは台所は変わらない。ニューヨーク
- メキシコ湾原油流出できごとAD2010年4月20日海の底まで石油を追う危うさ2010年4月20日、メキシコ湾の沖で、海底の油井を掘っていた掘削の施設が爆発し、十一人が死んだ。水深千五百メートルの海底の井戸から原油が噴き出し続け、止められたのは八十七日後だった。流れ出た量は、史上最大の海の原油の流出とされる。漁業と観光は大きな打撃を受けた。石油会社は数兆円の賠償と罰金を払う。深い海の底まで石油を追いかける時代の危うさが、はっきりと示された。メキシコ湾の油井(位置は特定されていない)
- 南スーダン国AD2011年7月9日 – (続く)いまのところ世界で最も新しい国20年を超える内戦のあと、住民投票を経て2011年に独立した。いまのところ、世界で最も新しい国になる。
- シリア内戦できごとAD2011年壁の落書きから、五十万人の死へアラブの春が広がった2011年3月、シリア南部の町ダルアーで、壁に政権を批判する落書きをした少年たちが捕らえられ、拷問された。抗議は全国に広がり、アサド政権は軍で応じた。反政府の側はいくつもの勢力に分かれ、イスラム国も入り込み、ロシアとイランは政権を、トルコやアメリカは反政府の側を支えた。五十万人前後が死に、人口の半分が家を追われたとされる。国外に逃れた人びとの波は、ヨーロッパの政治まで揺るがした。2024年、アサド政権は崩れた。ダルアー
- クライストチャーチ地震できごとAD2011年2月22日2011年2月22日の昼過ぎ、ニュージーランド南島のクライストチャーチの真下の浅いところで、マグニチュード6.2の地震が起きた。前の年の大きな地震で傷んでいた建物が崩れ、185人が死んだ。倒れたテレビ局のビルでは、語学学校で学んでいた日本人28人が犠牲になる。街の象徴だった大聖堂の尖塔も崩れた。中心部は二年にわたって立ち入りを禁じられ、多くの建物が取り壊されて、街はほとんど一から作り直された。クライストチャーチ
- ノルウェー連続テロ事件できごとAD2011年7月22日極右のテロ2011年7月22日の午後、オスロの官庁街で、車に積んだ爆弾が爆発し、8人が死んだ。その2時間ほどあと、警官の服を着た同じ男が、湖に浮かぶウトヤ島で開かれていた労働党の青年部の夏の合宿に渡り、1時間あまりにわたって銃を撃ち続けた。島で死んだのは69人で、多くは十代だった。犯人は移民とイスラムを敵とみなす極右の男で、労働党の多文化の政策を憎んでいた。首相のストルテンベルグは「より多くの民主主義、より多くの開かれた社会で応える」と語った。男には、刑期を延ばせる最長21年の拘禁が言い渡された。ウトヤ島
- マララの銃撃できごとAD2012年10月9日女子が学校へ行く権利を書きつづけた15歳が、下校のバスで頭を撃たれた。生き延び、2年後に史上最年少でノーベル平和賞を受ける。ミンゴラ

- CRISPR-Cas9によるゲノム編集できごとAD2012年6月28日安く、速く、誰でも使える細菌がウイルスを切る仕組みを、狙った場所でDNAを切る道具にした。安く、速く、誰でも使える。人の胚を編集した実験が3年後に報告される。バークレー
- 「江南スタイル」できごとAD2012年7月15日テレビを通さずに世界へ2012年7月15日、韓国の歌手PSYが、ソウルの豊かな地区の気取った暮らしをからかう歌「江南スタイル」の映像をインターネットに載せた。馬に乗るような踊りが世界じゅうでまねされ、12月、動画の共有のサイトで初めて再生が10億回を超える。2014年には再生の数がサイトの数える上限を超えそうになり、仕組みを改めさせた。韓国語の歌が、テレビやラジオを通さずに世界に広がったこの出来事は、のちのBTSなど、韓国のポップ音楽が世界の順位の上位に立つ道の先がけになった。ソウル
- 縫製工場の崩落できごとAD2013年4月24日ダッカ近郊の八階建ての商業ビル、ラナ・プラザには、欧米の有名な衣料品の服を縫う工場が入っていた。前日に壁のひびが見つかり、下の階の銀行や商店は閉めたが、工場の労働者は出勤を命じられる。2013年4月24日の朝、建物は崩れ落ち、千百人を超える人が死んだ。違法に上の階を建て増し、重いミシンと発電機を載せていた。事故のあと、発注する側の企業が工場の安全を点検する協定が結ばれる。安い服の値段の中に、この建物が入っていた。ダッカ
- 一帯一路できごとAD2013年9月7日絹の道を名に借りた大国の競争2013年9月、中国の国家主席の習近平は、カザフスタンの大学で、かつての絹の道のように陸でアジアとヨーロッパを結ぶ経済の帯を作ろうと呼びかけた。翌月には海の道も加わる。中国の銀行の資金で、各地に港や鉄道や発電所が造られた。道路や電気を必要とする国々には歓迎されたが、返せない借金のかたに港の運営権を渡した国も出て、借金の罠だという批判も起きる。影響力をめぐる大国の競争の、新しい舞台になった。アスタナ
- 和食の無形文化遺産できごとAD2013年12月4日消えかけているから、遺産にする2013年12月4日、アゼルバイジャンのバクーで開かれたユネスコの委員会は、「和食:日本人の伝統的な食文化」を無形文化遺産に登録すると決めた。登録されたのは料理そのものではなく、季節の食材を生かし、栄養の釣り合いがとれ、自然の美しさを盛りつけに表し、正月などの行事と結びついた食の習わしである。申請の背景には、日本人の家庭で和食が作られなくなりつつあるという危機感があった。フランスの美食術やメキシコの伝統料理に続く登録で、海外での和食の人気と、日本の食材の輸出を後押しした。バクー
- クリミアの編入できごとAD2014年3月18日冷戦の終わりに固まったはずの国境が動いたロシアが住民投票を根拠に編入を宣言した。国連総会はこれを認めない決議を採択している。この地図は2010年の国境のまま描いており、承認が割れている状態をそのまま置いてある。セヴァストポリ
- 「イスラム国」の台頭できごとAD2014年6月29日モスルを落とした武装組織がカリフ制を宣言した。イラクとシリアにまたがる領域を3年支配し、動画で処刑を配信した。バグダード
- セウォル号の沈没できごとAD2014年4月16日安全より利益を優先する社会が問われた2014年4月16日、仁川から済州島へ向かう旅客船セウォル号が、韓国南西の海で傾き、沈んだ。修学旅行の高校生を中心に、三百人を超える人が死ぬ。船内では、その場を動くなという放送が繰り返され、船長と乗組員の多くは先に逃げた。船は積める荷の量を大きく超えて貨物を積み、改造で重心が上がっていた。救助の遅れと、責任をあいまいにする政府の対応に、国民の怒りが向かった。安全より利益を優先する社会が問われた。珍島沖(位置は特定されていない)
- パリ協定できごとAD2015年12月12日196の国と地域が、気温の上昇を産業革命前から2度未満に抑えることに合意した。先進国だけに義務を負わせた京都議定書と違い、全部の国が目標を出す形になる。パリ
- 重力波の初検出できごとAD2015年9月14日13億年前に二つのブラックホールが合体したときの時空のさざ波が、地球に届いた。アインシュタインが100年前に予言し、自分では検出できないと考えていたもの。リヴィングストン(LIGO)

- 欧州難民危機できごとAD2015年統合が、人の移動の問題で揺らいだシリアの内戦から100万人がヨーロッパへ来た。ドイツは受け入れ、ハンガリーは柵を建てた。浜辺の3歳の子の写真が世界に回った。ベルリン
- シャルリー・エブド襲撃事件できごとAD2015年1月7日表現の自由と、信仰の尊重パリの風刺新聞シャルリー・エブドは、宗教も政治家も容赦なく笑いものにしてきた。預言者ムハンマドの風刺画を繰り返し載せたことで、脅迫も受けていた。2015年1月7日、武装した兄弟が編集部に押し入り、編集会議の最中の漫画家や記者ら十二人を殺した。私はシャルリー、という言葉が広がり、パリで百万人を超える行進が行われる。表現の自由をどこまで守るか、他人の信仰をどこまで傷つけてよいか、という議論が世界で起きた。パリ
- ブレグジットできごとAD2016年6月23日戦後のヨーロッパが初めて加盟国を失った国民投票でEU離脱が52対48で決まった。統合を進めてきた戦後のヨーロッパが、初めて加盟国を失う。実際の離脱までに4年かかった。ロンドン
- 調査が当たらないできごとAD2016年調査は、未来を当てる道具として扱われるほど苦しくなる2016年、イギリスの国民投票とアメリカの大統領選で、調査の予測と結果がずれた。全国の得票率の予測は大きくは外れていない。外れたのは、州ごとの予測と、それをまとめた勝敗の見立てだった。原因として挙げられたのは、電話に出ない人が増えたこと、学歴による回答の偏りを補正していなかったこと、そして投票直前に決める人が多かったことである。同時に、確率を示されても人は勝ち負けとして読む、という問題も残った。七割の確率で勝つという表示は、三割で負けるという意味でもある。ニューヨーク
- アルファ碁できごとAD2016年3月15日囲碁は打てる手が多すぎて、チェスのようにすべてを読むことができない。計算機が人に勝つのは十年は先だと言われていた。2016年3月、ソウルで、グーグル傘下の会社が作ったアルファ碁が、世界の頂点にいた李世ドルと五番勝負を打ち、四勝一敗で勝つ。自分自身と膨大な対局を重ねて学んだ機械は、人が数千年打ってこなかった手を打った。李世ドルが勝った一局は、人が機械に勝った最後の公式戦の一つになった。ソウル
- #MeTooできごとAD2017年10月15日何が許されるかの線が動いた映画プロデューサーの性暴力の告発から、一つのハッシュタグで数千万人が経験を語った。職場の権力と性の関係が、各国で問い直される。ニューヨーク
- ろうそく集会と大統領罷免できごとAD2017年3月10日2016年秋、韓国の大統領朴槿恵が、公職に無い長年の知人に国の政策や人事に口を出させ、財閥から金を集めさせていたことが明らかになった。毎週末、ソウルの光化門の広場に、ろうそくを手にした人びとが集まり、その数は延べで一千万を超えたとされる。国会は大統領の弾劾を可決し、2017年3月10日、憲法裁判所は全員一致で罷免を決めた。暴力も衝突もほとんど無いまま、市民の集まりが現職の大統領を退かせた。ソウル
- 核兵器禁止条約できごとAD2017年7月7日核兵器を違法にする核拡散防止条約のもとで、核を持つ国の軍縮が進まないことに業を煮やした国々と市民団体は、核兵器そのものを違法とする条約を求めた。2017年7月7日、ニューヨークの国際連合の会議で、核兵器の開発、実験、保有、使用、そして使うと脅すことまでを禁じる条約が、122か国の賛成で採択された。広島や長崎で被爆した人々の証言が、議論を後押しした。その年のノーベル平和賞は、条約を求めた市民団体の連合ICANに贈られ、授賞式では被爆者が演説した。条約は2021年に発効したが、核を持つ国々と、その核の傘の下にある日本などの国は加わっていない。ニューヨーク
- 気候のための学校ストライキできごとAD2018年8月20日15歳が議会の前に一人で座った。1年後、同じ日に世界で400万人が歩いた。「あなたたちは私たちの未来を盗んでいる」。ストックホルム
- 返す/返さないできごとAD2018年ヨーロッパの博物館にあるアフリカの美術品の多くは、植民地期に軍や行政が持ち出したものである。2018年、フランス大統領の委嘱を受けた報告書が、由来のはっきりしない品は原則として返還すべきだと述べた。翌年から、ベナンやセネガルへの返還が始まる。反対の言い分もある。世界中の品を一か所で比べられることに意味がある、保存の設備が整っていない、収蔵品の来歴を一つずつ調べるのは不可能に近い。ギリシアが1983年から返還を求めているパルテノンの彫刻は、いまもロンドンにある。パリ
- 中国がごみを受け入れなくなるできごとAD2018年リサイクルの先に、引き受ける場所があった分別して回収した紙やプラスチックの多くは、再び使われるために海を渡っていた。行き先の最大は中国で、世界の廃プラスチックのおよそ半分を受け入れていた時期がある。汚れた資源ごみが環境を損なうとして、中国は2018年から輸入を大きく絞った。欧米や日本の回収業者は行き場を失い、ごみは東南アジアへ移り、そこでも規制が始まる。リサイクルに出したという安心の先に、誰かが引き受ける仕事と場所があった。北京
- ブラックホールの撮影できごとAD2019年4月10日地球の大きさの電波望遠鏡の網で、5500万光年先の影を写した。見えないはずのものの輪郭が、オレンジ色の輪として公開される。ワシントンD.C.

- 香港国家安全維持法できごとAD2020年6月30日約束の50年のうち23年だった一国二制度の約束が50年のうち23年で書き換えられた。前年に200万人が歩いた街で、集会も新聞も消えていく。香港
- 武漢の封鎖できごとAD2020年1月23日2020年1月23日の朝、人口千百万の都市から、出る手段がすべて止められた。空港も、鉄道も、高速道路も、市内の地下鉄とバスも。近代の都市を丸ごと封じるのは、前例のない規模だった。住民は自宅に留め置かれ、食料は区画ごとに配られる。封鎖は七十六日続いた。この方法は各国に広く真似され、同時に、どこまで自由を止めてよいのかという議論を残した。六百年前にヴェネツィアが島で病を止めようとしたのと同じ発想を、都市の規模でやったことになる。武漢
- 答えてくれないできごとAD2020年代電話調査に応じる人の割合は、1970年代には七割を超えていた。いまは数パーセントである。固定電話が減り、知らない番号に出なくなり、勧誘と区別が付かない。答えてくれた少数が全体と似ているなら問題はないが、答える人と答えない人で意見が違えば、結果は歪む。調査の側は、補正の重みを増やし、インターネットの調査を併用し、統計の技法で埋める。ただし、補正が強くなるほど、結果は調査者の想定に近づく。人の考えを数で知るという営みが、いま難しくなっている。ロンドン
- ジョージ・フロイドの死できごとAD2020年5月25日少女の撮った映像が、世界を動かした2020年5月25日、ミネアポリスで、偽札を使ったと通報された黒人の男性ジョージ・フロイドが、白人の警察官に首を膝で押さえつけられ、九分あまりのあいだ息ができないと訴えながら死んだ。通りかかった十七歳の少女が、その一部始終を携帯電話で撮っていた。感染症の流行のさなかにもかかわらず、抗議はアメリカ全土と世界の数十か国に広がり、黒人の命も大切だ、という言葉が掲げられた。警察官は殺人の罪で有罪となる。ミネアポリス
- ミャンマーのクーデターできごとAD2021年2月1日選挙で大勝した政権を軍が拘束し、10年の民政が終わった。デモへの発砲から内戦になり、いまも続いている。ネピドー
- 無観客の東京オリンピックできごとAD2021年7月23日まったく違う形の祭典二度目の東京オリンピックは、2020年の夏に開かれるはずだった。新しい感染症の世界的な流行で、史上初めて一年延期される。2021年7月23日、開会式は、ほとんど観客のいない競技場で行われた。選手は検査を繰り返し、外との行き来を絞られる。開催に反対する声も強く、組織の幹部の失言や、汚職の事件も続いた。一方で、新しく加わった競技で十代の選手たちが活躍した。五十七年前の大会とは、まったく違う形の祭典になった。東京
- ロシアのウクライナ侵攻できごとAD2022年2月24日第二次世界大戦以後のヨーロッパで最大規模の戦争になった。冷戦の終わりに固まったはずの国境が、力で動かせるかどうかが問われている。キーウ
- 生成AIの普及できごとAD2022年11月30日書く・訳す・描く・調べる、の前提が組み替わる文章を書く機械が公開され、2か月で1億人が使った。書く・訳す・描く・調べるという仕事の前提が、数年で組み替えられていく。サンフランシスコ
- ジェームズ・ウェッブ宇宙望遠鏡できごとAD2022年7月12日150万キロ先で広げた6.5メートルの鏡が、宇宙の最初の銀河を赤外線で写した。ビッグバンから3億年の光になる。ワシントンD.C.

- フィンランドとスウェーデンのNATO加盟できごとAD2023年4月4日二百年の中立を捨てる冬戦争と継続戦争でソ連と戦ったフィンランドは、戦後、大国の隣で生き延びるため、ソ連を刺激しない中立を守った。スウェーデンも、ナポレオン戦争のあとおよそ二百年、どの同盟にも入らずにきた。2022年2月、ロシアがウクライナに全面的に攻め込むと、両国の世論は一変し、5月に二国そろってNATOへの加盟を申し込む。ロシアと1300キロ余りの国境を接するフィンランドは2023年4月4日に加盟し、トルコとハンガリーの承認に手間取ったスウェーデンは、2024年3月に加わった。ヘルシンキ
- 韓国の非常戒厳できごとAD2024年12月3日2024年12月3日の夜、韓国の大統領尹錫悦は、突然テレビで非常戒厳を宣布した。軍の部隊が国会に向かい、政治活動を禁じる布告が出される。だが議員たちは塀を乗り越えて議場に集まり、市民が兵士の前に立ちはだかった。宣布から二時間半ほどで、国会は戒厳の解除を求める決議を可決し、大統領は数時間のうちに戒厳を解いた。大統領は弾劾され、のちに罷免される。四十年近く前に独裁から抜け出した民主の仕組みが、一夜の試練を乗り越えた。ソウル
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
主権はだれのものか21件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。技術と産業19件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。確かめるという方法15件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。交易路とお金11件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。感染症と人類9件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。女性の権利9件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。差別の歴史8件を共有 / 線を引いて内と外を分ける。理屈は、たいてい後から付けられた。都市の歴史7件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。お金の歴史7件を共有 / 金属の塊が、紙になり、数字になった。お金が成り立っているのは、皆が信じているあいだだけになる。帝国と独立6件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後6件を共有 / 冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。メディアの歴史6件を共有 / 誰が、どれだけ速く、何人に届けられるか。その力を誰が握るかをめぐる歴史になる。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史6件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。冷戦5件を共有 / 撃ち合わずに40年競った。ただし代理の戦場では、実際に人が死に続けた。戦争と平和の歴史5件を共有 / 戦争を無くせなかった人類が、それでも戦争を縛り、減らし、裁こうとしてきた工夫の歴史。海の歴史5件を共有 / 海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。朝鮮半島4件を共有 / 大陸と島国のあいだで、独自の文字と技術を育てた1300年。近代と宗教4件を共有 / 科学と国家と世俗化の時代に、信仰は消えるどころか、形を変えて燃え上がり続けた。イスラム世界3件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。誰が書き残したか3件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。『文明崩壊』で読む歴史3件を共有 / イースター島、マヤ、グリーンランドのノルウェー人。環境を使い尽くした社会と、そうしなかった社会。『ホモ・デウス』で読む次の歴史3件を共有 / 飢餓と疫病と戦争を抑え込んだ人類が、次に何を目指すか。『サピエンス全史』の続編。働くことの歴史3件を共有 / 一日八時間、週に五日。その区切りは、二百年かけて争って手に入れたものになる。住まいの歴史3件を共有 / 洞窟と竪穴の家から、長屋、集合住宅、団地、郊外の一戸建てまで。人はどこに、どう住んできたのか。中国の王朝2件を共有 / 殷から清まで3000年。王朝は替わっても、同じ型で替わり続けた。民族移動の時代2件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。考えることの歴史2件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。表現の歴史2件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。『暴力の人類史』で読む歴史2件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。『繁栄』で読む歴史2件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。教育の歴史2件を共有 / 子どもが学校へ行くのが当たり前になったのは、ごく最近になる。誰が、誰に、何のために教えてきたか。支え合いの歴史2件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。食の歴史2件を共有 / 何を食べるかは、誰が作り、どう運び、どう残すかで決まってきた。台所の外の仕組みの歴史になる。法と裁判の歴史2件を共有 / 力の強い者の思いのままだった裁きを、書かれた法と手続きで縛ってきた歴史。大学の講義で学ぶ歴史2件を共有 / 東京大学の公開講座や放送大学の動画から、歴史の項目に当たる講義を選んで付けた。研究者が自分の専門を語る、長めの講義が中心になる。二つの大戦1件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。接触前のアメリカ1件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史1件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『負債論』で読む歴史1件を共有 / お金は物々交換の不便から生まれた、という話は史料に無い。先にあったのは借りのほうだ、という本。障害の歴史1件を共有 / 同じ体でも、社会の作りが変われば障害の重さは変わる。誰を数に入れるかの歴史になる。子どもの歴史1件を共有 / 子どもは、いつから守られ、学び、遊び、権利を持つ一人の人として扱われるようになったのか。交通と旅の歴史1件を共有 / 人が速く遠くへ動けるようになるたびに、世界は狭くなり、旅は一部の人の冒険から誰もの楽しみになった。言葉と文字の歴史1件を共有 / 話す言葉を書き留める文字が生まれ、印刷と国家と機械が、言葉を広め、整え、ときに奪ってきた。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史1件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。