概要
2004年のウクライナの大統領選挙は、ロシア寄りの首相ヤヌコヴィチと、西欧寄りのユシチェンコの争いになった。ユシチェンコは選挙の途中でダイオキシンを盛られ、顔が大きく変わった。11月21日の決選投票でヤヌコヴィチの勝ちが発表されると、不正を訴える人々が、ユシチェンコの陣営の色のオレンジを身に着けて、キーウの独立広場を埋めた。零下の寒さの中、テントを張って座り込みが続く。最高裁判所は選挙のやり直しを命じ、12月26日の再投票でユシチェンコが勝った。広場の抗議が選挙の結果を変えた例として、ロシアの政権は強く警戒した。
場所
50.45°N 30.52°E · ウクライナ
本文
ソ連から独立したウクライナは、西部ではヨーロッパとのつながりを、東部と南部ではロシアとのつながりを強く感じる人が多い国だった。大統領クチマの政権は、財閥と結びついた腐敗と、批判的な記者の殺害の疑いで評判を落としていた。2004年の大統領選挙で、クチマは後継に首相のヴィクトル・ヤヌコヴィチを立て、ロシアのプーチン大統領も彼を応援した。
対するヴィクトル・ユシチェンコは、元の中央銀行の総裁で、ヨーロッパとの結びつきを唱えた。選挙の運動のさなかの9月、彼は重い病に倒れる。のちに、大量のダイオキシンを盛られていたことが分かった。顔にあばたが残ったまま、彼は運動を続けた。
11月21日の決選投票の後、出口調査ではユシチェンコが勝っていたのに、選挙の委員会はヤヌコヴィチの勝ちを発表した。投票の水増しや、同じ人が何度も投票する不正が指摘された。22日、ユシチェンコの陣営の色のオレンジのマフラーやリボンを身に着けた人々が、キーウの独立広場に集まりはじめる。数十万人が、零下の寒さの中、テントを張って17日間座り込んだ。音楽家が舞台で歌い、市民が食べ物を運んだ。
12月3日、最高裁判所は決選投票を無効とし、やり直しを命じた。12月26日の再投票で、ユシチェンコが勝った。暴力をほとんど伴わずに、広場の抗議が選挙の結果を変えたのである。しかしその後の政権は内輪もめで行き詰まり、2010年の選挙ではヤヌコヴィチが大統領になる。ロシアの政権は、この出来事を西側が仕掛けた「色の革命」と見て、自国への波及を強く警戒した。その不信は、2014年のクリミアの編入にもつながっている。