
概要
一日八時間、週に五日。その区切りは、二百年かけて争って手に入れたものになる。
この物語について
「働く」という言葉が指すものは、時代でまるで違う。畑を耕すことと、工場で同じ動作を繰り返すことと、机で数字を打ち込むことは、同じ言葉で呼べない。
大きな切れ目は、時計になる。日の出から日没までだった仕事が、時間で測られ、時間で買われるようになった。すると、何時間が限度かという争いが始まる。八時間労働という区切りは、法や機械から自然に出てきたのではなく、争って、負けて、また争って、少しずつ削り取ったものになる。
もう一つの軸は、誰にやらせるかになる。奴隷、農奴、年季奉公、移民、女性と子ども。嫌な仕事、危ない仕事、安い仕事は、いつでも押しつけられる相手を探してきた。
この物語は、働き方を決めてきた三つのもの――時計、機械、そして「誰にやらせるか」――を軸に並べたものになる。
この物語が起きた場所
筋(31)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- ドゥームズデイ・ブックの水車できごとAD1086年人の力を、水の力に置き換えていくウィリアム征服王の土地台帳は、イングランドに5624の水車を数えた。50世帯に1つ。穀物を挽く。ローマの技術(ウィトルウィウス)が、中世に村ごとに広がった。領主は水車を独占して、農民に使用料を取った(「バナリテ」)。12世紀から、縮絨(毛織物)、鍛冶のハンマー、製材、製紙、鉱山の排水。ヨーロッパは、水の力で、機械の文明になった。ウィンチェスター
- 機械時計と、等しい一時間できごとAD1335年仕事が、日の長さではなく時間で測られ始めるそれまでの時間は、日の出から日の入りまでを等分したものだった。だから、一時間の長さが、夏と冬で違う。日時計も水時計も、そう作られていた。修道院が、定時の祈りのために正確な合図を求め、脱進機を持つ機械が生まれた。1335年、ミラノのサン・ゴッタルド教会の塔で、時刻ごとに自動で鐘を打つ装置が動いた。以後、時間は、天体からではなく、機械の刻みから来るものになった。長さの等しい一時間が、そこから始まる。ミラノ
- 黒死病できごと1347年働き手が減り、賃金が上がり、身分が揺れたヨーロッパの人口の3分の1が死んだ。働き手が減って農奴の立場が上がり、封建の仕組みが緩む。
- 浮浪を罰するできごとAD1349年働かない者を罰することで、働かせる黒死病で人が減り、労働力が不足した。賃金が上がりそうになる。イングランドは労働者勅令を出し、疫病前の賃金を超えて払うことも受け取ることも禁じ、健康な者が働かずに施しを受けることを罪とした。以後、浮浪はたびたび厳罰化される。1547年の法は、三日以上働かない者を二年間の奴隷とし、胸にVの烙印を押すと定めた。過酷すぎて二年で廃止されている。移動する貧しい者を罰する法は、その後も形を変えて長く残った。ロンドン
- ワット・タイラーの乱できごとAD1381年6月働く側が、初めて大きくまとまって動いた黒死病で人手が減り、賃金を抑える法と人頭税に農民が怒った。ロンドンを占拠し、王と会い、指導者は殺された。それでも農奴制は崩れていく。ロンドン

- 塩ダラできごとAD16世紀季節ごとに海を渡って働く人々ニューファンドランド沖の浅瀬には、底が見えないほどのタラがいた。十六世紀、バスク、ポルトガル、フランス、イングランドの漁師たちが毎年大西洋を渡り、夏のあいだタラを釣った。タラは脂が少ないので、塩をして浜の棚で風に干せば、板のように固くなって何年も持つ。塩の豊かな南の国の船は塩をたっぷり使い、塩の乏しいイングランドの船は陸に上がってよく干した。干しダラは船乗りの食料になり、カトリックの国々の断食の日の食卓に並び、やがて西インドの農園で働かされる人々の食べ物にもなった。セントジョンズ
- 囲い込みできごと1750年土地を失った人が、賃金で働く人になる共有地に柵が立ち、法で私有地になった。羊と機械のために土地が空き、行き場を失った人びとが工場の働き手になる。土地が売り買いされる商品になった過程でもある。ロンドン

- 鯨油できごとAD1750年頃何年も帰れない仕事と、その分配の仕組み夜を明るくする最良の油は、マッコウクジラの頭部から採れた。煙が少なく、臭わず、白く明るい。頭の中の脳油は冷えると蝋になり、ほとんど煤の出ない蝋燭になった。ナンタケット島とニューベッドフォードの船が、大西洋から太平洋へ、そして日本の沖へと漁場を広げていく。航海は三年に及んだ。乗組員は多様で、逃亡奴隷と先住民と各国の船乗りが同じ船で働いた。鯨油の値が高騰し、そして石油とガス灯が、この産業を終わらせた。ナンタケット
- ワットの蒸気機関できごとAD1769年力の値段が下がり、工場の形が変わる復水器を分けて燃料を大幅に減らした。既にあった蒸気機関が、ここで工場に置ける道具になる。ロンドン
- 『国富論』できごとAD1776年分業が生産を増やす、という見立て富は金銀ではなく労働の生産物だと定め、分業と市場が国を豊かにすると論じた。経済学がここから一つの学問になる。エディンバラ

- ド・プロニーの計算工場できごとAD1793年計算を細かく分けて、人に流れ作業でやらせた革命政府は、十進法にもとづく新しい三角関数表と対数表を必要とした。桁数も規模も、前例が無い。ガスパール・ド・プロニーは、アダム・スミスのピン工場の記述を読んで着想した。仕事を三層に分ける。上層の数学者数人が式を決め、中層の十人ほどが計算の手順に落とし、下層の百人近くが足し算と引き算だけを繰り返す。下層の多くは、革命で職を失った理髪師だったと伝えられる。人間を部品として組んだ計算機であり、バベッジが機械化を構想する直接の手本になった。パリ
- ニュー・ラナークの実験できごとAD1800年労働時間を短くしても回ることを示そうとしたクライド川の紡績工場を買ったロバート・オーウェンが、10歳未満の児童労働をやめ、労働時間を10時間半に減らし、工場の中に学校(1816年、性格形成学院)と、世界初とされる幼児学校と、安い店を作った。生産は落ちなかった。「人の性格は環境が作る」。1819年の工場法、協同組合、労働組合、そしてユートピア社会主義が、ここから出た。2001年、世界遺産。ニュー・ラナーク

- ペミカン布告できごとAD1814年1月8日運ぶ仕事を支えた保存食と、その取り合い北米の平原の人々は、バイソンの肉を薄く切って干し、砕いて、溶かした脂と混ぜ、皮の袋に詰めた。ペミカンと呼ばれるこの食べ物は、軽く、何年も持ち、少しで力が出る。毛皮を運ぶカヌーの漕ぎ手たちは、これなしでは遠い奥地まで行けなかった。その平原の真ん中に、ハドソン湾会社の後ろ盾で入植地が作られた。1814年、入植地の総督は、冬の食料が足りないとして、土地からペミカンを持ち出すことを禁じた。ペミカンに頼っていた競争相手の毛皮会社と、それを作っていたメティスの人々は怒り、二年後、血が流れた。レッドリヴァー植民地(位置は特定されていない)
- 八時間労働できごとAD1817年八時間という区切りが、要求として掲げられるロバート・オーウェンが標語を作った。八時間労働、八時間休息、八時間の自由。当時の工場は、一日14時間から16時間が普通で、子どもも同じだけ働いた。彼は自分の紡績工場で、労働時間を短縮し、子どもの就労年齢を上げ、それでも利益が出ることを示した。以後100年、この三つの八が、世界中の労働運動の要求になった。1886年5月1日のアメリカのゼネスト、そしてヘイマーケット事件。1919年、国際労働機関の第1号条約が、これを国際基準とした。ニュー・ラナーク
- 1833年工場法できごとAD1833年働かせてよい年齢と時間に、線が引かれた綿工場で、9歳未満の労働を禁じ、9〜13歳は1日9時間、13〜18歳は12時間まで、夜業を禁じ、9〜13歳に1日2時間の教育を義務づけた。それまでの法と違ったのは、給料を払う工場監督官を4人置いたこと。国家が、工場の中に人を入れて確かめる。児童労働は消えなかったが、「国が労働の条件を決める」という考えが、ここから広がった。同じ年、大英帝国の奴隷制が廃止された。ロンドン

- チャーティスト運動できごとAD1838年5月8日働く人が、政治に入れろと求めた1832年の選挙法改正で選挙権を得たのは中産階級だけだった。労働者は「人民憲章」6か条を掲げた。男子普通選挙、秘密投票、議員の財産資格の廃止、議員の歳費、平等な選挙区、毎年の選挙。署名128万、330万、570万(1848年、偽名が多かった)。議会は3回とも拒んだ。運動は消えた。6か条のうち5つは、1918年までに実現した。ロンドン

- 鳥の糞の時代できごとAD1840年代逃げられない場所での、契約という名の強制労働ペルー沖の小さな島々には、雨がほとんど降らないため、海鳥の糞が何千年も流されずに積み重なり、厚さ数十メートルの層になっていた。窒素とリンを多く含むこの糞は、畑に撒けば収穫が大きく増える。1840年代、ヨーロッパとアメリカの農家がこぞって買い求め、ペルーの国の収入の大半がこの糞になった。掘ったのは、中国から契約労働で連れてこられた人々で、鼻を突く粉塵の中で、逃げられない島で働かされた。糞は数十年で掘り尽くされる。そのあとを継いだのは、隣の砂漠の硝石をめぐる戦争だった。チンチャ諸島
- ミシンと分割払いできごとAD1851年家の中の仕事が、機械と分割払いで変わる手縫いでシャツ1枚に14時間かかった。ミシンなら1時間である。1846年にハウが本縫いの機構を特許にし、1851年にシンガーが実用的な足踏み式を作った。特許の争いが泥沼化し、1856年、各社が特許を持ち寄る共同管理(世界最初のパテント・プール)で決着した。シンガーの発明はむしろ売り方にある。高価な機械を、月賦で家庭に売った。分割払いという仕組みが、ここから消費財に広がる。同時に、縫製工場と既製服の産業が生まれた。ボストン
- 農奴解放令できごとAD1861年3月3日土地に縛られた労働から、人を解くロシアの人口の3分の1、2300万人の農奴が、人身の自由を得た。地主の所有でなくなった。土地は、49年の年賦で買い戻す。土地は村(ミール)が持ち、農民は村から出られなかった。「上から与えなければ、下から起きる」とアレクサンドル2世は貴族に言った。買い戻し金は重く、農民は貧しいままで、1905年と1917年に立った。皇帝は1881年に爆弾で殺された。サンクトペテルブルク
- 第一インターナショナルできごとAD1864年9月28日国を越えて労働者がつながろうとしたセント・マーチンズ・ホール。イギリスの労働組合、フランスのプルードン派、イタリアのマッツィーニ派、ドイツの亡命者。国際労働者協会。マルクスが創立宣言と規約を書いた。「労働者階級の解放は労働者階級自身の仕事である」。バクーニンとマルクスが割れ、1872年、本部をニューヨークに移して、1876年、解散した。第二インターは1889年。ロンドン

- タイプライターとQWERTYできごとAD1873年事務の仕事が生まれ、女性の職場になった新聞編集者クリストファー・ショールズらが、実用になる印字機を作った。活字棒が扇形に並び、打つと上へ跳ね上がって紙を叩く。速く打つと隣り合う棒が絡む。そこで、よく続けて使われる文字を離す配置に変えていった。QWERTY である。1873年、銃器製造のレミントン社が製造を引き受けた。紙が見えない、大文字しか打てない、という欠点を抱えたまま普及した。事務の現場に女性が入る大きな入口になり、配列だけが、いまも指の下にある。ミルウォーキー
- 宮内省の鵜匠できごとAD1890年(明治23年)鳥を使う漁が、宮内省の職になる長良川では、千年以上前から鵜を使って鮎を捕ってきた。夜、舟の先で篝火を焚くと、光に寄った鮎を、首に紐を巻いた鵜が水に潜って飲み込む。紐があるので大きな鮎は喉を通らず、鵜匠が鵜を舟に引き上げて吐き出させる。鵜の喉を通った鮎は、傷がなく、一瞬で締まるので味が良いとされた。戦国の世には織田信長が鵜飼を保護し、江戸時代には鮎が将軍家に献上された。明治になって後ろ盾を失いかけた鵜匠たちを、1890年、宮内省が御料鵜飼として抱えた。長良川の鵜匠は、いまも宮内庁の職員である。長良川(岐阜)
- 待ち行列の理論できごとAD1909年待たせることを計算する仕事が生まれるコペンハーゲン電話会社の技師アグナー・アーランは、交換機の回線を何本用意すべきかを問われた。多すぎれば無駄、少なければ客が繋がらない。彼は通話の発生を確率の過程として扱い、待たされる確率と、諦める確率を式にした。1909年の論文が、この分野の出発点である。以後、道路、病院、工場、そして計算機の設計に使われた。行列は、平均で足りているときでも生じる。到着がばらつくからである。それが、この理論の中心にある。コペンハーゲン
- トライアングル・シャツウエスト工場の火災できごとAD1911年3月25日逃げられない工場で、百四十六人が死んだビルの八階から十階の縫製工場で火が出た。働いていたのは大半が十代から二十代の移民の女性である。九階の出口の扉は、盗みを防ぐという理由で施錠されていた。非常階段は途中で崩れ落ちた。消防のはしごは六階までしか届かない。窓から飛び降りた者が多数いた。146人が死んだ。経営者二人は無罪になった。この火災が、労働安全の法規と、防火の規制と、そして労働組合を、決定的に押し進めた。ニューヨーク
- 科学的管理法できごとAD1911年動作を測り、最短の手順を決めるフレデリック・テイラーは、製鋼所で、労働者が意図的に手を抜いていると考えた。作業を要素に分解し、ストップウォッチで測り、最も速い手順を決め、それを守らせる。銑鉄を運ぶ量が一人あたり数倍になったと彼は書いた。数字には脚色があると、後の検証が指摘している。核心は、作業の知識を職人の手から取り上げて、管理する側に移すことである。労働者は考えなくてよい、と彼は明言した。効率は上がり、そして仕事は分解された。フィラデルフィア
- フォードの流れ作業できごとAD1913年人が動くのをやめ、物が動くようになったハイランドパーク工場。シカゴの食肉工場の「解体の流れ」を逆にした。組み立てる物が動き、人は動かない。T型フォード1台の組み立てが12時間半から93分に。値段は850ドルから260ドルへ。1914年、日給5ドル(当時の倍)と8時間労働。「私の工場の労働者が、自分の作る車を買えるように」。単純な動作の繰り返し。チャップリンが『モダン・タイムス』で笑った。ハイランドパーク(デトロイト)
- セルフサービスできごとAD1916年9月6日店員の仕事を、客に肩代わりさせるそれまでの食料品店では、客が欲しいものを店員に告げ、店員が棚から取ってくる。時間がかかり、人手が要る。クラレンス・サンダースは、メンフィスの店で、客を回転式の木戸から入れ、通路を一本道にして、すべての棚を通らせ、出口で精算させた。店員が減り、値が下がる。すべての商品に値札を付ける必要が生まれ、包装と銘柄が意味を持つようになった。買う物を、客が自分で選ぶ。ピグリー・ウィグリーという名の由来を、彼は最後まで説明しなかった。メンフィス
- 受験と学歴できごとAD1918年どんな仕事に就けるかが、学校で決まるようになる1872年の学制で学校ができ、1886年の学校令で帝国大学を頂点とする階梯が固まった。中学、高等学校、帝国大学。定員が限られ、入るには試験がある。1918年の高等学校令で高校が増設されたが、競争は緩まなかった。新聞が合格者名を載せ、「受験地獄」の語が大正期に定着した。家柄でなく試験で人を選ぶという建前は、機会を開くと同時に、失敗を本人の責任にした。予備校、模擬試験、偏差値(1960年代)。科挙と同じ構造が、別の形で現れた。東京
- ENIACできごとAD1946年計算する人の仕事を、機械が引き取り始めるペンシルベニア大学。弾道計算表を作るために陸軍が資金を出した。真空管17468本、重さ27トン、部屋一杯。それまで一発の弾道の計算に人が20時間かけていたものが、30秒になった。配線を差し替えて「プログラム」したのは、6人の女性数学者だった(当時「計算手(コンピューター)」と呼ばれていた職の出身)。彼女たちの名は長く公表されなかった。翌年からノイマン型の記憶プログラム方式へ移る。フィラデルフィア
- かんばん方式できごとAD1953年在庫を持たずに、必要な分だけ作る工場では、部品が工程と工程のあいだに山と積まれて、次の工程を待っていた。トヨタ自動車の大野耐一は、この待っている部品こそが無駄を隠していると考えた。後の工程が使った分だけを、前の工程に取りに行く。取りに行くときに、何をいくつ持っていったかを書いた札を置いてくる。前の工程は、札の枚数だけを作る。アメリカのスーパーマーケットの、減った分だけ棚を補う仕組みから思いついたと大野は書いている。1953年に本社工場の機械工場で始め、十年ほどかけて全社へ広げた。物を待たせないことで、どこで流れが詰まるかが見えるようになった。挙母(豊田)(位置は特定されていない)
- 押し屋できごとAD1955年(昭和30年)10月24日通勤という毎日の移動が、それ自体仕事になった戦後の東京では郊外に人が移り住み、朝の電車に乗客が溢れた。扉が閉まらず、発車が遅れ、その遅れが次の電車に積み重なっていく。国鉄は新宿駅に、ホームで乗客を車内へ押し込む係を置いた。正式の名は「旅客整理係学生班」で、多くは大学生のアルバイトだった。列に並んで待つ者を、一本でも早く運ぶために、車両の中の隙間を詰める。高度成長期には定員の二倍を超える混雑が当たり前になり、白い手袋で背中を押す姿は外国の雑誌にも載った。線路と車両を増やすまでのあいだ、足りない輸送力を人の手で埋めた仕事である。新宿
重なっているストーリー
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