ブレグジット
概要
国民投票でEU離脱が52対48で決まった。統合を進めてきた戦後のヨーロッパが、初めて加盟国を失う。実際の離脱までに4年かかった。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
本文
イギリスは、ヨーロッパの統合に初めから距離を置いてきた国だった。1957年のローマ条約には加わらず、後から加盟を申し込んでシャルル・ド・ゴールに拒まれ、1973年にようやく加わった。1975年には加盟を続けるかを問う国民投票を行い、3分の2が残留を選んだ。だが1980年代、マーガレット・サッチャー首相は、ブリュッセルの官僚にイギリスのことを決めさせない、と統合の深まりに反発した。1992年のマーストリヒト条約でEUができても、イギリスは共通の通貨には加わらなかった。
2000年代、EUへの疑いは保守党の中で強まり、離脱を掲げるイギリス独立党も票を伸ばした。2004年のEUの東方拡大のあと、東ヨーロッパから多くの人が働きに来るようになった。EUの中では人が自由に移り住めるため、イギリスの政府は数を抑えられない。2013年、保守党のキャメロン首相は、次の選挙で勝てば、EUに残るか離れるかを国民投票で問うと約束した。党内の離脱派を抑え、決着をつけるためだった。

2016年6月23日、国民投票が行われた。キャメロン首相は残留を訴え、多くの経済学者や外国の首脳も、離脱すれば経済が傷つくと警告した。離脱派は、主権を取り戻せ、と訴えた。移民を自分たちで管理する、EUに払う分担金を国の医療に回す。離脱派のバスには、EUに毎週3億5000万ポンドを送っている、それを医療に、と書かれていた。この数字は、イギリスが受け取る払い戻しを差し引いていないと批判された。投票の直前の時期、2015年の欧州難民危機の記憶も新しかった。
結果は、離脱が51.9パーセント、残留が48.1パーセント。投票率は72パーセントだった。キャメロンは翌朝、辞任を表明した。選挙の結果は国を割っていた。若い世代は残留が多く、高齢の世代は離脱が多かった。ロンドンやスコットランド、北アイルランドは残留を選び、イングランドの地方の町々は離脱を選んだ。大学を出た人ほど残留を選ぶ傾向もあった。

後を継いだメイ首相は、2017年3月、EUの条約にもとづいて離脱を正式に通知した。交渉は2年の期限で始まった。いちばんの難題は、北アイルランドとアイルランドのあいだの境だった。北アイルランドでは、イギリスに残りたい人々とアイルランドとの統一を望む人々のあいだで長く争いが続き、1998年の和平合意で、ようやく境の検問所が消えていた。イギリスがEUの市場を出れば、この境で物を調べなければならなくなる。検問所を戻せば争いがよみがえりかねない。
メイがEUとまとめた離脱の協定は、議会で三度否決された。離脱の期限は二度延ばされた。2019年7月、メイに代わってジョンソンが首相になった。ジョンソンは、北アイルランドをEUの物のルールに残し、検査をアイルランド島とイギリス本島のあいだの海で行うという協定をまとめ、12月の総選挙で大勝した。

2020年1月31日の夜、イギリスはEUを離れた。加盟から47年。国民投票から3年7か月がたっていた。その年の終わりまでの移行期間に、貿易の協定がぎりぎりで結ばれた。統合を広げてきた戦後のヨーロッパが、初めて加盟国を失った。
離脱の影響は、いまも測られている途中である。EUとの貿易には手続きが増え、ヨーロッパから来ていた働き手は減った。北アイルランドの物のルールは、その後も見直しが重ねられた。スコットランドでは、EUに戻るためにイギリスから独立すべきだ、という声が強まった。世論調査では、離脱は誤りだったと答える人が多数を占めるようになっているが、もう一度加盟を申し込む動きにはなっていない。