ロシアのウクライナ侵攻
概要
第二次世界大戦以後のヨーロッパで最大規模の戦争になった。冷戦の終わりに固まったはずの国境が、力で動かせるかどうかが問われている。
場所
50.45°N 30.52°E · ウクライナ
本文
戦争の根は、1991年のソ連の解体にある。ソ連を構成していた共和国の境界線が、そのまま独立国の国境になった。ウクライナはその一つで、旧ソ連の核兵器の一部を国内に抱えたまま独立した。数で言えば、当時は世界で3番目の核保有国だった。
1994年のブダペスト覚書で、ウクライナは核兵器をロシアに引き渡して放棄し、その代わりにアメリカ、イギリス、ロシアから主権と国境の尊重を約束された。約束であって、守ってもらう義務を負わせる同盟ではなかった。

ウクライナとロシアの歴史は長く絡み合ってきた。18世紀以後の大半の時期、ウクライナの多くはロシア帝国、のちにソ連の一部だった。1930年代の初めには、穀物の強制的な取り立てによる大飢饉で数百万人が死に、ウクライナではこれをホロドモールと呼んで、意図的な虐殺として記憶している。共通の過去は、親しさとともに深い傷も残していた。
独立後のウクライナは、ヨーロッパに寄るか、ロシアに寄るかで揺れ続けた。2013年末、ロシア寄りの大統領がEUとの協定の署名を見送ると、キーウの独立広場に人々が集まり、翌年2月に大統領は国外へ逃れた。ロシアはその直後にクリミアの編入を行い、東部のドンバス地方では、ロシアの支援を受けた勢力とウクライナ軍の戦闘が始まった。停戦の取り決めは結ばれたが、守られないまま8年が過ぎた。

2022年2月24日未明、プーチン大統領は「特別軍事作戦」を始めると演説した。ロシア軍は北のベラルーシ側から、東から、そして南のクリミアから、いくつもの方面で国境を越えた。空挺部隊がキーウ近郊の空港を襲い、首都の北には長い車列が伸びた。数日でキーウが落ちるという見方が、ウクライナの外にはあった。
落ちなかった。ゼレンスキー大統領は首都を離れず、ウクライナ軍は道路と橋を押さえて車列の補給を断った。3月にはトルコのイスタンブールなどで停戦の交渉も行われたが、まとまらなかった。3月末、ロシア軍はキーウ周辺から退いた。撤退後のブチャなどの町で、多数の民間人の遺体が見つかっている。南部ではヘルソンが占領され、東部のマリウポリは包囲のすえに廃墟となった。

秋にはウクライナ軍が北東のハルキウ州で反攻し、広い地域を取り戻した。ロシアは9月末、占領地を含む4つの州を自国に編入すると一方的に宣言した。11月にはウクライナ軍がヘルソン市を奪還する。同じ年の夏には、ロシア軍が占領したザポリージャ原子力発電所の周辺で砲撃が続き、ヨーロッパ最大の原発が戦場に置かれる事態になった。チェルノブイリ原発事故の記憶を持つ国で、である。冬が近づくと、ロシアはミサイルと無人機でウクライナの発電所や送電網を繰り返し攻撃し、人々は停電の中で冬を越した。2023年6月には南部のカホフカ・ダムが決壊し、下流の町と村が水に沈んだ。
その後は戦線がほとんど動かなくなった。2023年の夏の反攻は大きな成果を上げられず、東部の町バフムトやアウディーイウカは、数か月に及ぶ消耗戦のすえにロシア側の手に落ちた。地雷原と塹壕、砲撃、そして偵察と攻撃に使われる大量の無人機が、戦場の姿を変えた。2024年8月にはウクライナ軍が逆にロシアのクルスク州へ越境して攻め込み、その秋には北朝鮮の兵がロシア側で戦場に送られたと伝えられた。

ロシアは侵攻の理由として、北大西洋条約機構の東への拡大、ウクライナ東部のロシア語を話す住民の保護、ウクライナの「非ナチ化」を挙げた。プーチンは開戦の前年、ロシア人とウクライナ人はもともと一つの民族だとする長い論文を発表している。中世のキエフ・ルーシを共通の起源とする歴史の読み方そのものが、この戦争の争点の一つになった。ウクライナの側では、侵攻を境に日常でロシア語からウクライナ語へ切り替える人が増えたとも言われる。
被害の大きさは、確かな数字が出せない。兵士の死傷者は双方合わせて数十万人規模と推計されるが、どちらの政府も実数を公表していない。開戦後、ヨーロッパの国々に逃れて保護を受けたウクライナの人々は、多いときで数百万人にのぼった。2023年3月、国際刑事裁判所は、占領地から子どもをロシアへ移送した疑いでプーチン大統領に逮捕状を出した。

戦争はヨーロッパの地図の外側も動かした。長く軍事的に中立を保ってきたフィンランドとスウェーデンが、相次いで北大西洋条約機構に加わった(フィンランドとスウェーデンのNATO加盟)。ヨーロッパの国々はロシアの天然ガスから離れようとし、穀物の輸出が滞って世界の食料価格が上がった。
これは冷戦の終わりに引かれた線をめぐる戦争でもある。ブダペスト覚書に署名した国の一つが、その相手国に侵攻した。その前例が持つ意味は、核を持たない国が核を手放すかどうかの判断に影響する。2008年のロシア・ジョージア戦争、2014年のクリミアに続いて、力で国境を動かすことが通るのかが問われている。

第二次世界大戦以後のヨーロッパで、これほどの規模の国家間の戦争は無かった。停戦や和平をめぐる交渉は何度も伝えられてきたが、この項目を書いている時点で、戦争の終わりの形はまだ見えていない。