できごと

国際刑事裁判所

The International Criminal Court
AD2002年7月1日
重要度 5
国際刑事裁判所に関わる図版:International Criminal Court – State Parties
International Criminal Court – State Parties Wikimedia Commons Nice4What · Public domain

概要

ニュルンベルクと東京の裁判は、勝者が敗者を裁く臨時の法廷だった。旧ユーゴとルワンダの法廷も、事件ごとに作られた。常設の裁判所を作る構想は1948年からあり、冷戦で止まり、1998年のローマ規程で実現した。集団殺害、人道に対する罪、戦争犯罪、そして侵略の罪。国家ではなく個人を裁く。国内の裁判が機能しないときにだけ動く(補完性)。アメリカ、ロシア、中国、インドは加盟していない。逮捕は加盟国の協力に頼るしかない。

場所

ハーグ
52.08°N 4.31°E · オランダ

本文

国家が自国の指導者を裁くことは、めったにない。そして国際法は、長いあいだ国家と国家のあいだの法だった。個人は国際法の当事者ではなく、ある国の指導者が自国の民を大量に殺しても、外の国がそれを裁く法的な根拠は乏しかった。

この前提を破ったのが、第二次世界大戦後のニュルンベルク裁判と東京裁判である。ナチス・ドイツと日本の指導者たちが、国際法にもとづいて個人として裁かれた。ニュルンベルクの判決は、国際法に対する犯罪は抽象的な国家ではなく人間によって犯されるのであり、その個人を罰してはじめて国際法は実効を持つ、という趣旨を述べている。ただ、この裁判には当時から批判があった。侵略戦争を罪とする法は、行為の時点で本当に存在したのか。連合国の側の行為、たとえば都市への無差別爆撃や原爆の投下、ソ連によるカティンの森の虐殺は裁かれなかった。勝者が敗者を裁く法廷であり、しかもこの事件のためだけに臨時に作られた法廷だった。

東京裁判に関わる図版:IMTFE court chamber 2
東京裁判Wikimedia Commons The Occupation administration · Public domain

常設の国際刑事裁判所を作ろうという構想は、すぐに生まれた。1948年に国連総会が採択したジェノサイド条約は、集団殺害を裁く国際的な刑事裁判所に言及している。国連は国際法委員会に裁判所の規程の起草を求め、草案もできた。だが冷戦がそれを凍らせた。「侵略」の定義で各国は折り合えず、米ソはどちらも自国の行動が裁かれかねない仕組みを認めようとしなかった。構想は四十年近く止まった。

冷戦の終わりとともに、議論は動き出す。1989年、カリブ海の島国トリニダード・トバゴが、国境を越える麻薬取引を裁く国際裁判所を国連総会で提案し、国際法委員会が作業を再開した。そこへ二つの惨事が重なった。一つは1990年代の旧ユーゴスラビアの内戦で、民族浄化や強制収容所が行われ、1995年にはスレブレニツァの虐殺で八千人を超えるボシュニャク人の男性が殺された。もう一つは1994年のルワンダ虐殺で、およそ百日のあいだに五十万から八十万人が殺された。国連の安全保障理事会は、1993年に旧ユーゴ、1994年にルワンダについて、それぞれ国際刑事法廷を設けた。どちらも事件ごとの臨時の法廷だったが、国際的な刑事裁判が実際に機能しうることを示した。ルワンダの法廷は1998年、強姦を集団殺害の手段の一つと認める画期的な判決を出している。

2012年、ICC検察官のファトゥ・ベンスーダとルイス・モレノ・オカンポ、エストニア外相ウルマス・パエトとともに
2012年、ICC検察官のファトゥ・ベンスーダとルイス・モレノ・オカンポ、エストニア外相ウルマス・パエトとともにWikimedia Commons Estonian Foreign Ministry · CC BY 2.0

1998年6月から7月にかけて、ローマで国連の外交会議が開かれた。160か国の代表と、多くの市民団体が集まった。争点は多かった。検察官が自分の判断で捜査を始められるのか。安保理は捜査を止められるのか。侵略の罪を含めるのか。各国の国内の裁判とどう関わるのか。7月17日の採決で、裁判所の設立条約であるローマ規程は、賛成120、反対7、棄権21で採択された。反対の中には、それを公にしたアメリカ、中国、イスラエルが含まれていた。

ローマ規程が裁く罪は四つである。集団殺害の罪、人道に対する罪(文民に対する広範または組織的な攻撃の一部として行われる殺人、奴隷化、強制移送、拷問、性暴力、強制失踪など)、戦争犯罪、そして侵略の罪。侵略の罪については定義をめぐって折り合いがつかず、2010年にウガンダのカンパラで開かれた会議で定義が合意され、2018年にようやく裁判所の管轄に入った。罪に時効は無く、元首や首相であることも免責の理由にならない。

2022年3月9日、ロシアのプーチン大統領との会談に臨む子供の権利担当全権代表マリア・リヴォワ=ベロワ
2022年3月9日、ロシアのプーチン大統領との会談に臨む子供の権利担当全権代表マリア・リヴォワ=ベロワWikimedia Commons Президент России · CC BY 4.0

この裁判所の大きな特徴が、補完性の原則である。罪を裁く第一の責任は各国にある。国際刑事裁判所が乗り出すのは、国内の裁判所が本気で捜査や訴追をする意思か能力を欠いている場合に限られる。いわば最後の手段である。裁判所が扱えるのは、加盟国の領土で起きた事件か、加盟国の国民が疑われる事件、または安保理が付託した事件などである。2002年7月1日、六十か国の批准がそろって規程が発効し、裁判所はオランダのハーグに置かれた。

だが、加盟していない大国は多い。アメリカ、ロシア、中国、インドはいずれも加わっていない。安保理の常任理事国五か国のうち、加盟しているのはイギリスとフランスだけである。世界の人口の半分以上が、裁判所の直接の管轄の外にいる。アメリカはクリントン政権が任期の終わりに署名したものの、ブッシュ政権が2002年にその署名を取り消すと通告し、裁判所に拘束されたアメリカ人を取り戻すためにあらゆる手段を認める法律まで作った。その後の政権も、裁判所の職員に制裁を科したり解除したりと、態度を揺らし続けている。

2005年、国連安全保障理事会はダルフールの情勢をICCに付託した
2005年、国連安全保障理事会はダルフールの情勢をICCに付託したWikimedia Commons Sean Woo, general counsel to Sen. Brownback, or John Scandling, chief of staff to Rep. Wolf, per description on p. 11 of · Public domain

この裁判所には警察が無い。逮捕状を出しても、加盟国が被疑者を捕らえて引き渡さなければ、被疑者は法廷に来ない。ダルフール紛争をめぐって2009年に逮捕状が出たスーダンのバシール大統領は、その後も各国を訪れ、加盟国の中にも彼を逮捕しない国があった。初期の事件がアフリカに集中したことから、「アフリカばかりを狙う裁判所」という批判も強まり、2017年にブルンジが、2019年にフィリピンが脱退した。一件の審理に何年もかかり、有罪判決の数もまだ多くない。

それでも、裁判所は少しずつ実績を積んできた。最初の有罪判決は2012年、コンゴ民主共和国で子どもを兵士として集めた武装勢力の指導者トマ・ルバンガに対するものだった。2016年には、マリのトンブクトゥで歴史的な霊廟を壊した男が有罪となり、文化財の破壊が戦争犯罪として裁かれる先例になった。2023年3月には、ロシアのウクライナ侵攻のなかでウクライナの子どもを違法にロシアへ移したとして、プーチン大統領に逮捕状が出された。2024年には、ガザでの戦争をめぐって、イスラエルのネタニヤフ首相とハマスの指導者に逮捕状が出ている。2025年には、脱退前のフィリピンでの麻薬撲滅作戦の殺害をめぐって、ドゥテルテ前大統領が逮捕され、ハーグへ移送された。

ICCはダルフールでの戦争犯罪の疑いでスーダンのオマル・アル=バシールに逮捕状を出した
ICCはダルフールでの戦争犯罪の疑いでスーダンのオマル・アル=バシールに逮捕状を出したWikimedia Commons U.S. Navy photo by Mass Communication Specialist 2nd Class Jesse B. Awalt/Released · Public domain

1998年まで、国際社会には指導者の犯罪を裁く常設の場が一つも無かった。いまは、それがある。逮捕状が出れば、被疑者は加盟国へ旅することをためらう。国内の裁判所が、国際刑事裁判所の介入を避けるために自ら訴追に乗り出すこともある。力は限られている。だがこの裁判所の罪には時効が無い。裁かれずに済んだと思っている者にも、いつか法廷に立たされる可能性が残り続ける。

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