
概要
科学と国家と世俗化の時代に、信仰は消えるどころか、形を変えて燃え上がり続けた。
この物語について
近代になれば宗教は衰え、科学と理性に置き換わっていく。19世紀の多くの知識人はそう考えた。だが実際には、宗教は消えるどころか、形を変えて何度も燃え上がった。近代は、信仰にとってどんな時代だったのか。
宗教改革のあと、ヨーロッパは宗派の違いで殺し合い、やがて異なる信仰と共に生きる道を探しはじめた。国家は教会から距離を置き、信教の自由が憲法に書き込まれていった。その一方で、大覚醒やメソジストのような信仰の復興の波が、一人ひとりの心に訴えかけた。
19世紀、進化論と聖書の批判的な研究は、伝統の信仰を揺さぶった。教皇は近代の思想を退け、自らの教えは誤りえないと宣言した。アメリカではモルモン教が、ペルシアではバハイ教が、日本では天理教や大本のような新しい宗教が生まれた。シカゴの万国宗教会議では、東洋の宗教が西洋の人々の前に対等に現れた。
20世紀、国家は宗教を利用し、また弾圧した。日本の国家神道は戦争の支えになり、敗戦で解体された。共産主義の国々は宗教を抑えたが、ポーランドの教皇は、信仰が独裁を揺るがす力を持つことを示した。カトリック教会は公会議で現代の世界に向き合い直し、ラテンアメリカでは貧しい人々の側に立った。
20世紀の後半からは、宗教は政治の舞台の中心に戻ってきた。イランの革命、ペンテコステ派の爆発的な広がり、宗派の対立と、宗教の名による暴力。閉ざされた集団の悲劇も繰り返された。
この物語は、近代という時代に、宗教が国家や科学や世俗の社会とぶつかり、手を結び、形を変えながら生き続けてきた歩みを並べたものになる。
この物語が起きた場所
筋(38)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 95か条の論題できごとAD1517年10月31日宗教改革の始まりルターの問いかけが印刷術に乗って広がり、西方教会が割れた。宗教改革の始まり。ヴィッテンベルク

- サン・バルテルミの虐殺できごとAD1572年8月24日宗派の名による虐殺王妹とプロテスタントの王子の結婚式に集まったユグノーの貴族が、夜明けの鐘で殺された。パリで3000人、地方で数万。教皇は感謝のミサをし、メダルを打った。国王が自分の臣民を殺した、と歴史は書く。パリ

- ナントの勅令できごとAD1598年4月13日異なる信仰と共に生きるプロテスタントからカトリックに改宗した王が、プロテスタントに信仰と礼拝と武装した都市を認めた。36年の宗教戦争を止めた。「パリはミサに値する」。87年後、孫がこれを取り消して、20万人が国を出る。ナント

- ウェストファリア条約できごとAD1648年30年戦争を終わらせ、国が互いの内政に干渉しないという原則を置いた。主権国家の体系が始まる。
- 大覚醒できごとAD1734年回心の熱1730年代から40年代にかけて、イギリス領の北アメリカの植民地を、激しい信仰の復興の波が覆った。マサチューセッツの牧師ジョナサン・エドワーズの教会では、罪と地獄を説く説教に、町の人々が次々に回心した。イギリスから来た説教師ジョージ・ホワイトフィールドは、植民地を縦断して野外で説教し、数万人を集めた。信仰は教会の儀式ではなく、一人ひとりが心で体験するものだとされた。教会は新しい流れと古い流れに割れ、新しい大学がいくつも生まれた。植民地を超えて人々が同じ体験を分かち合ったことは、のちの独立への下地の一つになったともいわれる。ノーサンプトン(マサチューセッツ)
- メソジストの始まりできごとAD1738年5月24日労働者の信仰イギリス国教会の牧師ジョン・ウェスレーは、オックスフォードの学生のころ、弟チャールズらと規則正しい祈りと奉仕の会を作り、きちょうめんなやり方から「メソジスト」とからかわれた。1738年5月24日、ロンドンのアルダーズゲート通りの集まりで、ルターの書いた文章の朗読を聞いていたとき、彼は心が不思議に温まるのを感じたと日記に書いた。翌年から、教会の外の野原や炭鉱の入口で、労働者に向けて説教を始める。馬で国じゅうを回り、信徒を小さな組に分けて互いに支え合わせた。産業革命で教会から取り残された人々の信仰になり、のちに国教会から分かれた。ロンドン
- ラーム・モーハン・ローイ人物AD1772年5月22日 – AD1833年9月27日ヒンドゥーの改革寡婦の焚死(サティー)の廃止を求めた。経典を自分で読み直し、それは経典の要求ではないと論証する。
- モルモン教の始まりできごとAD1830年4月6日アメリカで生まれた宗教ニューヨーク州の農家の青年ジョセフ・スミスは、天使に導かれて丘に埋まった金の板を見つけ、そこに古代のアメリカの民の歴史が刻まれていたと語った。彼がそれを訳したとする『モルモン書』は1830年3月に出版され、翌月6日、スミスは6人で教会を作った。新しい預言者を戴く教えは周囲の反発を買い、信徒はオハイオ、ミズーリ、イリノイと追われ、スミスは1844年に暴徒に殺された。ブリガム・ヤングに率いられた信徒は、西の荒野を越えてソルトレークの盆地に移り住んだ。一夫多妻をやめたのは1890年で、ユタはその後に州になった。フェイエット(ニューヨーク州)(位置は特定されていない)
- 天理教の始まりできごとAD1838年10月26日日本の新しい宗教大和の庄屋の家の主婦、中山みきは、1838年10月26日、長男の病を治す祈祷の最中に神がかりになり、神の社として身を差し出したと伝えられる。家の財産を貧しい人に施し、家は没落した。安産の守りや病気の治りを通して、農民のあいだに信者が広がる。人びとが助け合って陽気に暮らす世を説いた。幕府と明治の政府からは何度も取り締まりを受け、みきは高齢で何度も拘留された。江戸の終わりから、民衆の中から生まれた新しい宗教の一つである。天理
- 『種の起源』できごとAD1859年11月24日進化論の衝撃種が変化することを膨大な観察で示した。人間が特別ではないという考えが広がる。ロンドン

- バハイ教の始まりできごと1863年4月イスラムから生まれた新しい宗教1844年、ペルシアのシーラーズで、バーブと名乗る青年が、神から遣わされた新しい使者の到来が近いと説き、1850年に処刑された。その信徒の一人で、追放されてオスマン帝国のバグダードにいたバハオラは、1863年4月、町の外の庭園で、自分こそバーブが予告した者だと仲間に告げた。バハイ教の始まりである。神は一つで、すべての宗教はその同じ神の教えであり、人類は一つの家族だと説いた。男女の平等、すべての人への教育、科学と宗教の調和も掲げた。バハオラはさらにイスタンブル、エディルネ、パレスティナのアッコへと流され、そこで生涯を終えた。バグダード
- 信徒発見できごとAD1865年3月17日250年の潜伏開国のあと、長崎の外国人居留地にフランス人の神父が教会を建てた。1865年3月17日、浦上の村人十数人が教会を訪れ、一人の女性が神父に、私たちの胸はあなたと同じです、とささやいた。二百五十年近く、神父なしでひそかに祈りを伝えてきた潜伏キリシタンだった。だが信仰を明かした浦上の信徒は、明治の新政府に捕らえられ、各地に流されて多くが死ぬ。欧米の抗議を受けて禁教の高札が下ろされたのは、1873年である。長崎
- 救世軍の始まりできごと1865年7月教会が街へ出る1865年7月、メソジストの説教師ウィリアム・ブースは、ロンドンの貧しい東の地区ホワイトチャペルで、天幕を張って伝道を始めた。酒と貧しさにまみれた人々は、立派な教会には足を運ばなかった。ブースは彼らのもとへ出向き、スープと石けんと救いを差し出した。1878年、会は「救世軍」と名を変え、軍隊にならって制服と階級を持ち、楽隊を連れて街を行進した。妻キャサリンをはじめ女性も説教に立った。救世軍は世界に広がり、日本では山室軍平らが、遊郭から逃れたい女性を助ける廃娼の運動に取り組んだ。年末の社会鍋も救世軍に始まる。ロンドン
- 神仏分離と廃仏毀釈できごとAD1868年国家が神と仏を分ける千年以上、日本では神と仏は混ざり合い、寺の中に神社があり、神社に僧がいた。1868年、明治の新政府は、天皇を中心とする国作りのため、神社から仏像や仏具を取り除き、神と仏を分けるよう命じる。これをきっかけに各地で、寺や仏像や経典を壊し、焼く動きが広がった。廃仏毀釈である。奈良の興福寺の五重塔が売りに出されたとも伝わる。多くの文化財が失われ、それを惜しんだ外国人が買い取っていった。京都
- 第1バチカン公会議と教皇不可謬できごとAD1870年7月18日教皇は誤りえないイタリアの統一が進み、教皇の領土が削られていくなかで、教皇ピウス9世は、近代の自由主義や合理主義を誤りとして退け、1869年、ローマに世界の司教を集めて公会議を開いた。1870年7月18日、公会議は、教皇が信仰と道徳について教皇の座から正式に宣言するとき、その教えは誤りえないと定めた。反対の司教の多くは採決の前にローマを去っていた。翌日、普仏戦争が始まり、教皇を守っていたフランス軍が引き揚げると、9月にイタリア軍がローマに入った。公会議は中断されたまま終わり、教皇はバチカンに閉じこもった。ローマ
- 文化闘争できごとAD1871年国家と教会の闘いドイツ帝国ができたばかりの1871年、宰相ビスマルクは、ローマ教皇に従うカトリック教会が国の中の国になることを恐れた。学校の監督を教会から国に移し、イエズス会を追放し、結婚は役所に届け出るものに改め、従わない司教や司祭を投獄する。だが信者たちはかえって結束し、カトリックの政党は議席を増やした。ビスマルクは十年足らずで矛先を社会主義者へ移し、多くの法を緩めた。国家と宗教の境をどこに引くかをめぐる争いだった。ベルリン
- 万国宗教会議できごとAD1893年9月11日東洋の宗教が西洋へ1893年、コロンブスの到達400年を祝うシカゴの万国博覧会に合わせて、世界の宗教の代表を集める会議が開かれた。キリスト教とユダヤ教だけでなく、ヒンドゥー教、仏教、ジャイナ教、イスラム、神道などの代表が、同じ壇上で自分たちの教えを語った。インドの若い僧ヴィヴェーカーナンダは「アメリカの姉妹、兄弟たちよ」と呼びかけて喝采を浴び、一躍名を知られた。日本からは臨済宗の釈宗演ら仏教の僧が加わった。釈宗演の縁で、のちに鈴木大拙が禅を西洋に紹介していく。東洋の宗教が、西洋の人々の前に、対等な教えとして現れた場だった。シカゴ
- フランスの政教分離法できごとAD1905年12月9日ライシテナポレオンがローマ教皇と結んだ1801年の取り決め以来、フランスの国は、カトリックの司祭や、プロテスタント、ユダヤ教の聖職者の給料を払ってきた。19世紀の末、共和派とカトリック教会の対立は、ドレフュス事件でいっそう深まった。1905年12月9日に成った法は、国は良心の自由を保障し、礼拝の自由を守るとしたうえで、どの宗教も公認せず、給料も補助金も出さないと定めた。教会の財産の目録づくりは、翌年、各地で信徒との衝突を招いた。国が宗教から距離を置く「ライシテ」は、フランスの共和国の柱の一つになり、いまも公立学校のスカーフなどをめぐって争われている。パリ
- アズサ通りの集会できごと1906年4月ペンテコステ派の誕生1906年4月、ロサンゼルスで、黒人の説教師ウィリアム・シーモアの集まりで、人々が聖霊に満たされたとして、知らない言葉で祈り始めた。集会はアズサ通りの古い建物に移り、それから3年あまり、昼も夜も続いた。人種の分け隔てが法で定められていた時代に、黒人と白人、メキシコ系の人々が同じ床に座り、ともに歌い、祈った。新聞はこれを奇妙な騒ぎとしてからかったが、訪れた人々が各地に持ち帰り、ペンテコステ派と呼ばれる流れが生まれる。聖霊の体験を重んじるこの流れは、20世紀の後半、中南米やアフリカ、韓国などで急速に広がり、いまでは数億人の信徒を持つ。ロサンゼルス
- スコープス裁判できごとAD1925年7月10日進化論を法廷で1925年、テネシー州は、公立学校で、人が下等な動物から生じたという説を教えることを禁じる法を作った。自由人権協会が、この法を法廷で争う教師を探していると知ったデイトンの町の人々は、町の名を売るために、若い教師ジョン・スコープスを説き伏せ、わざと訴えさせた。7月、小さな郡の裁判所に全国から記者が押し寄せ、裁判はラジオで中継された。検察には三度大統領選挙に出た政治家ブライアン、弁護には名高い弁護士ダロウ。ダロウはブライアンを証人に呼び、聖書を文字どおりに読むことの矛盾を問い詰めた。スコープスは有罪になり、罰金100ドルを科された。デイトン(テネシー州)
- ムスリム同胞団の結成できごと1928年3月イスラム主義の源1928年、スエズ運河の会社の町イスマイリアで、小学校の教師ハサン・アル=バンナーが、運河で働く6人の労働者とともに、ムスリム同胞団を作った。町では、運河を握るイギリスとフランスの人々が豪邸に住み、エジプト人は粗末な家に住んでいた。アル=バンナーは、イスラムは信仰だけでなく、政治も法も暮らしも包む全体の教えだと説き、学校や診療所を開いて貧しい人々の間に根を張った。同胞団は数十万人の運動に育ったが、暴力に手を染める者も出た。ナセルの政権に弾圧され、のちのイスラム主義の運動の源の一つになった。イスマイリア
- 創価学会の始まりできごとAD1930年11月18日小学校の校長だった牧口常三郎は、日蓮の仏教の教えに基づく教育の研究会を、1930年11月18日に作った。戦時中、国家神道の神札を祀ることを拒み、不敬の罪で捕らえられ、1944年に獄中で死ぬ。戦後、弟子の戸田城聖が会を立て直し、都市に出てきた人びとの間で急速に信者を増やした。のちに政党を作り、政治にも深く関わるようになる。戦後の日本で最も大きな新しい宗教の一つになった。東京
- 第二次大本事件できごとAD1935年12月8日国家が教えを裁く1892年、京都府綾部の貧しい女性出口なおが神がかりし、世の立て替え立て直しを告げた。娘婿の出口王仁三郎が教えを広め、大本は大正から昭和にかけて、知識人や軍人も引きつける大きな教団になった。政府は、天皇を中心とする国の秩序を脅かすものとして大本を警戒した。1935年12月8日の未明、警官およそ五百人が綾部と亀岡の本部を急襲し、王仁三郎ら幹部を、治安維持法と不敬の罪で捕らえた。教団は解散させられ、建物はダイナマイトで壊された。1942年の二審で治安維持法の罪は無罪とされたが、教団が自由を取り戻したのは敗戦後だった。綾部
- ホロコーストできごと1941年約600万人のユダヤ人が組織的に殺された。近代の官僚機構と技術が、絶滅のために使われた。アウシュヴィッツ

- 神道指令できごとAD1945年12月15日国家神道の解体明治以来、日本の政府は、神社を宗教ではなく国の祭祀だとして特別に扱い、国のお金で支え、学校や軍で参拝させてきた。1945年12月15日、占領軍の総司令部は、国家と神道を切り離すよう命じた。神社への国や地方の公金の支出をやめ、公立学校から神棚を外させ、神道の教えを国の教育に使うことを禁じた。公の文書で「大東亜戦争」や「八紘一宇」といった言葉を使うことも禁じられた。神社は、ほかの宗教と同じ一つの宗教の団体になった。翌年の元日には天皇のいわゆる人間宣言が出され、新しい憲法は政教分離を定めた。東京
- 人間宣言できごとAD1946年1月1日天皇は神ではない1946年1月1日、昭和天皇は、新しい日本を建てることについての詔書を出した。詔書は冒頭に明治の五箇条の御誓文を掲げ、そのうえで、天皇と国民の絆は、信頼と敬愛で結ばれているのであって、神話や伝説によるものではなく、天皇を生きた神とし、日本人をほかの民族より優れた、世界を支配すべき民族とする考えは、架空のものだと述べた。新聞はこれを天皇の「人間宣言」と呼んだ。文案には占領軍の側の人々もかかわっていた。天皇を神とする考えは、戦争へと国民を動員するときの支えになっていた。東京
- インド・パキスタン分離できごとAD1947年宗教で国を分ける独立と同時に線が引かれ、1000万人以上が移動した。数十万から百万が死んだとされる。アムリトサル

- イスラエルの建国できごとAD1948年5月14日イギリスの委任統治が終わる前日の1948年5月14日、ダヴィド・ベン=グリオンがテルアビブでイスラエルの独立を宣言した。ホロコーストを生き延びたユダヤ人にとって、ようやく持てた自分たちの国である。翌日、周りのアラブの国々が攻め込み、戦争になる。戦いのなかで、七十万人ほどのパレスチナのアラブ人が故郷を逃れ、あるいは追われた。彼らはこれをナクバ、大災厄と呼ぶ。同じ一日が、一方には独立の日、もう一方には追放の日として記憶されている。テルアビブ
- チベット動乱できごとAD1959年3月10日亡命した法王ラサで蜂起が起き、鎮圧された。23歳の指導者はヒマラヤを越えてインドへ逃れ、以後亡命政府を率いる。8万人以上が続いた。ラサ

- 第二バチカン公会議できごとAD1962年10月11日教会が現代に向き合う1962年10月11日、教皇ヨハネ23世は、世界の司教二千人余りをローマに集め、教会の窓を開けて新しい風を入れる、と語った。三年あまりの会議で、ミサはラテン語ではなく、それぞれの土地の言葉で行えるようになる。イエスの死の責任をユダヤ人全体に負わせることを退け、他の宗教との対話を勧めた。信者の暮らしの中の教会の姿が大きく変わった。一方で、変わりすぎたと嘆く人びとも生み、その評価はいまも分かれている。ローマ
- 解放の神学できごとAD1968年8月26日貧しい人々の側に立つ第二バチカン公会議が教会を現代の世界へ開いたあと、1968年、ラテンアメリカの司教たちはコロンビアのメデジンに集まり、この大陸で教会は何をすべきかを話し合った。貧困と独裁と暴力のなかで、司教たちは、貧しさを生む社会の仕組みそのものを「制度化された暴力」と呼び、教会は貧しい人々の側に立つべきだとした。ペルーの神父グスタボ・グティエレスは、この考えを『解放の神学』にまとめた。信徒は村や貧しい地区で小さな共同体を作り、聖書を自分たちの暮らしに引きつけて読んだ。軍事政権はこれを共産主義とみなして弾圧し、エルサルバドルのロメロ大司教はミサの最中に撃たれた。メデジン
- 人民寺院事件できごとAD1978年11月18日閉ざされた集団の悲劇アメリカの牧師ジム・ジョーンズが率いる人民寺院は、人種の平等と社会主義を掲げ、サンフランシスコで多くの信徒を集めた。批判の報道が強まると、ジョーンズは信徒を南米ガイアナの密林に開いた村へ移した。1978年11月、信徒の家族の訴えを受けたアメリカの下院議員レオ・ライアンが村を訪れ、帰ろうとした飛行場で、記者らとともに銃撃されて殺された。その日の夕方、ジョーンズは信徒に毒を入れた飲み物を飲ませ、子ども三百人ほどを含む九百人あまりが死んだ。2001年の同時多発テロまで、意図して起こされた事件でアメリカの民間人が最も多く死んだ例だった。ジョーンズタウン(位置は特定されていない)
- イラン革命できごとAD1979年2月1日宗教が革命を率いるイランの国王は、アメリカの後ろ盾で近代化を急ぎ、秘密警察で反対を抑えた。石油の富は一部に集まる。1978年、宗教家から学生、商人、労働者までが加わる抗議が国じゅうに広がり、1979年1月、国王は国を離れた。2月1日、亡命していた宗教指導者ホメイニーが帰国し、四月には国民投票でイスラム共和国が成立する。十一月、学生がアメリカ大使館を占拠し、人質は四百四十四日とらわれた。宗教が近代の革命の旗になり得ることを、世界は知った。テヘラン
- ヨハネ・パウロ2世のポーランド訪問できごとAD1979年6月2日信仰が独裁を揺るがす1978年、ポーランドのクラクフの大司教カロル・ヴォイティワが、455年ぶりのイタリア人でない教皇に選ばれ、ヨハネ・パウロ2世となった。翌年6月、教皇は共産党が治める祖国を訪れた。ワルシャワの広場で開かれたミサで、教皇は、聖霊よ降りて地の面を新たにしてください、この地の面を、と祈り、群衆は何分も歌い続けた。9日間の訪問で、国民のおよそ三分の一が教皇を直に見た。人々は、国が許さなくても、これほど多くの仲間がいることを知った。翌年の夏、造船所のストライキから自主管理の労働組合「連帯」が生まれた。ワルシャワ
- バーブリー・モスクの破壊できごとAD1992年12月6日宗教の名の民族主義アヨーディヤーには、十六世紀にムガル朝の時代に建てられたモスクがあった。ヒンドゥーの人びとの一部は、そこがラーマ神の生まれた場所で、もとの寺院を壊して建てられたのだと主張した。1992年12月6日、ヒンドゥー至上主義の団体の集会に集まった十数万の人びとが、モスクを素手と道具で打ち壊す。その後の宗教の暴動で、各地で二千人ほどが死んだ。2019年、最高裁はその土地を寺院の建設に与える判断を下し、2024年、寺院が開かれた。アヨーディヤー
- 地下鉄サリン事件できごとAD1995年3月20日1995年3月20日の朝、通勤客で混む東京の地下鉄三路線五本の車内で、オウム真理教の信者たちが猛毒のサリンを撒いた。十四人が亡くなり、六千人を超える人が被害を受けた。霞ケ関の官庁街を狙ったものだった。教団はそれまでにも殺人や松本での毒ガス事件を起こしていた。高い学歴を持つ若者が多く加わっていたことも、社会に衝撃を与えた。阪神・淡路大震災の二か月後で、安全だと信じていた日常が、続けて揺らいだ年になった。東京
- 9・11同時多発テロできごとAD2001年9月11日宗教の名による暴力旅客機4機。2機が世界貿易センターの2棟に、1機が国防総省に、1機はペンシルベニアの野に落ちた(乗客が操縦室に突入した)。2977人が死んだ(19人の実行犯を除く)。93か国の人。生中継された。アメリカは「テロとの戦争」を宣言し、10月にアフガニスタン、2003年にイラク。空港の検査、監視法、そして「9・11以後」という言い方が残った。ニューヨーク

- シャルリー・エブド襲撃事件できごとAD2015年1月7日風刺と冒涜パリの風刺新聞シャルリー・エブドは、宗教も政治家も容赦なく笑いものにしてきた。預言者ムハンマドの風刺画を繰り返し載せたことで、脅迫も受けていた。2015年1月7日、武装した兄弟が編集部に押し入り、編集会議の最中の漫画家や記者ら十二人を殺した。私はシャルリー、という言葉が広がり、パリで百万人を超える行進が行われる。表現の自由をどこまで守るか、他人の信仰をどこまで傷つけてよいか、という議論が世界で起きた。パリ
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
キリスト教のひろがり16件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。主権はだれのものか5件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。考えることの歴史5件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。差別の歴史5件を共有 / 線を引いて内と外を分ける。理屈は、たいてい後から付けられた。宗教改革と科学革命4件を共有 / 教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。二つの大戦4件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。冷戦4件を共有 / 撃ち合わずに40年競った。ただし代理の戦場では、実際に人が死に続けた。冷戦のあと4件を共有 / 対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。インドと仏教3件を共有 / 一人の王子が始めた問いが、アショーカ王に拾われ、玄奘に運ばれ、東アジアへ届くまで。イスラム世界3件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。明治2件を共有 / 藩を消し、身分を消し、40年で列強と戦えるところまで作り替えた。その代償も含めて。都市の歴史2件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。民族移動の時代2件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。コテンラジオで聞く歴史2件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。メディアの歴史2件を共有 / 誰が、どれだけ速く、何人に届けられるか。その力を誰が握るかをめぐる歴史になる。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史2件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。幕末1件を共有 / 黒船が来てから15年で、700年近く続いた武家政権が終わった。技術と産業1件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。帝国と独立1件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。確かめるという方法1件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『サピエンス全史』で読む歴史1件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『暴力の人類史』で読む歴史1件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で読む歴史1件を共有 / 資本主義を生んだのは強欲ではなく、救われているか分からない不安だった、という100年前の論文。『想像の共同体』で読む歴史1件を共有 / 国民とは、会ったこともない人を同じ仲間だと思える想像力のことだ、という本。『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後1件を共有 / 冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。『中世の秋』で読む中世の終わり1件を共有 / ルネサンスの前夜ではなく、中世そのものの終わり方。過剰な儀礼と、死への執着に覆われた14〜15世紀。『ホモ・デウス』で読む次の歴史1件を共有 / 飢餓と疫病と戦争を抑え込んだ人類が、次に何を目指すか。『サピエンス全史』の続編。『チーズとうじ虫』で読む一人の宇宙1件を共有 / 16世紀の村の粉挽きが、世界は腐ったチーズから生まれたと語った。裁判の記録から、一人の頭の中を復元する。教育の歴史1件を共有 / 子どもが学校へ行くのが当たり前になったのは、ごく最近になる。誰が、誰に、何のために教えてきたか。支え合いの歴史1件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。働くことの歴史1件を共有 / 一日八時間、週に五日。その区切りは、二百年かけて争って手に入れたものになる。戦争と平和の歴史1件を共有 / 戦争を無くせなかった人類が、それでも戦争を縛り、減らし、裁こうとしてきた工夫の歴史。法と裁判の歴史1件を共有 / 力の強い者の思いのままだった裁きを、書かれた法と手続きで縛ってきた歴史。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史1件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。