『文明崩壊』で読む歴史

概要
イースター島、マヤ、グリーンランドのノルウェー人。環境を使い尽くした社会と、そうしなかった社会。
この物語について
かつて栄えた社会は、なぜ消えたのか。そして同じような困難に出会いながら、消えなかった社会は何が違ったのか。『文明崩壊』(ジャレド・ダイアモンド、2005年、日本語版2005年)は、著者の前の本『銃・病原菌・鉄』の裏返しになる。前の本が、なぜある社会が栄えたかを地理で説明したのに対し、この本は、なぜ滅んだかを問い、原題の副題では、社会はどのように失敗と成功を選ぶのか、と言っている。
本はまず、崩壊を考えるための五つの要因を挙げる。自分たちの手による環境の破壊、気候の変化、敵対する隣人、友好的な交易相手の喪失、そして社会がそれらの問題にどう応じたか。前の四つは、ある程度は外から来る。だが最後の一つだけは、社会の側で選べる。本の題が「崩壊」であっても、本当の主題は選択のほうにある。
本の始まりは意外にも、著者が若いころ夏を過ごしたアメリカのモンタナ州になる。美しい山の谷で、鉱山の汚染、森林火災、水の取り合い、外から来た富裕層と地元の人びとのすれ違いが起きている。豊かな現代の土地にも、昔の社会が直面したのと同じ種類の問題がある、ということを示してから、本は過去の社会へ向かう。
本の中心にある例は、南太平洋のイースター島(ラパ・ヌイ)である。ポリネシア人の太平洋拡散で太平洋のほぼ全域に散ったポリネシア人の、最も東の端の一つに、人びとは船で着いた。彼らは数百年にわたって巨大な石像を彫り、運び、立てた。モアイの造営である。1722年、オランダの船が来たとき、島には木がほとんど無く、大きな船を作れる材木も無かった。本の読みでは、島の人びとは森を切り尽くし、像を運ぶための木も、漁に出る船も、土を守る木の根も失って、食料が足りなくなり、争いのなかで人口が減った。島の大きさ、雨の少なさ、遠さといった条件も、森が戻りにくい理由として本は挙げる。
この読みには、強い反論がある。考古学者のテリー・ハントとカール・リポは、森を失わせたのは人よりも、人と一緒に島に渡ったナンヨウネズミがヤシの実を食べたせいが大きく、人口が大きく崩れたのはヨーロッパ人の来航後、持ち込まれた病と、19世紀のペルーの奴隷狩りのせいだ、と論じた。像は木のそりではなく、立てたまま左右に揺らして「歩かせた」とも言う。その後の研究でも、ヨーロッパ人が来る前に人口が崩れた証拠ははっきりしない、とするものが出ている。イースター島は、本の中で最も知られた例であり、同時に最も争われている例でもある。この物語では、反論の側の講演も同じ項目に付けてある。
人が島に着いてすぐに起きることの例として、モアの絶滅も並べてある。ニュージーランドに人が着いてから、飛べない大きな鳥モアは比較的短いあいだに狩り尽くされた。本の五つの要因のうち、最初の一つがいちばん分かりやすく出た例になる。
北アメリカの南西部では、祖先プエブロがチャコ・キャニオンに何百もの部屋を持つ石の建物を造った。チャコ・キャニオンの大集落の代表がプエブロ・ボニートである。本は、峡谷のまわりの木を使い尽くし、遠くの山から柱を運ぶようになった社会が、12世紀の長い干ばつに耐えられず、やがて峡谷を離れたと見る。ここでは環境の破壊と気候の変化が重なっている。
中米のマヤの諸都市も、本の大きな章を占める。マヤ低地の崩壊では、9世紀ごろを中心に低地の多くの都市が放棄された。本は、人口の増加、森林の伐採と土の流出、干ばつ、そして王どうしの戦争が重なり、王たちが目の前の争いと記念碑の建造にばかり力を注いで、長い目で見た問題に向き合わなかった、と書く。マヤの人びとが消えたのではなく、王と都市の仕組みが崩れたのだ、という点は、本も強調している。南米の海岸のモチェ文化も、気候の変動のあとに社会が形を変えた例として、この物語に並べた。
本の中で最も長く書かれているのが、グリーンランドのノルウェー人である。10世紀の末、赤毛のエイリークに率いられた人びとがアイスランドから渡り、氷の島のわずかな緑の土地に農場を開いた。ノルウェー人のグリーンランド入植である。エイリークの子のレイフ・エリクソンはさらに西へ進んで、北アメリカの海岸に至った。だが、ヴィンランド到達のあとの入植は続かなかった。先住民との争いと、本国からの遠さが理由とされる。

グリーンランドの入植地は、450年から500年ほど続いた。そして15世紀に消えた。本はこのノルウェー領グリーンランドの終焉を、五つの要因がすべてそろった例として書く。牛や羊を飼うために芝土と草を削り、土地を傷めた。小氷期で寒さが増した。同じ島にいたイヌイットとは交わらず、ときに争った。ノルウェーとの交易は、セイウチの牙の値が下がり、航路が細って途絶えた。そして本の見立てでは、ノルウェー人は、ヨーロッパの農民であり教会の信徒である自分たちの暮らし方にこだわり、アザラシ猟の技術や皮の船のように、イヌイットが持っていた寒さへの工夫を取り入れなかった。ただ、本が書いた「ノルウェー人は魚を食べなかった」という点は、その後の骨の分析で、アザラシなど海の食べ物をかなり多く食べていたことが分かり、見直されている。
本は失敗だけを並べるわけではない。成功の例として、本はまずニューギニア高地の農耕を挙げる。下から積み上げた工夫で、数千年にわたって同じ土地で農耕を続けてきた社会である。小さな島ティコピアでは、畑を荒らす豚をすべて処分し、人口が増えすぎないよう抑える習わしを保った。そして上からの命令で森を取り戻した例として、江戸時代の日本が出てくる。17世紀、城と町の建設で山の木が大きく減ると、幕府と藩は伐採を制限し、植林を進めた。幕府の山林保護令はその一つである。本は、日本が森を失わずに済んだのは、支配する側が長くその土地に留まると分かっていて、先のことを考える理由があったからだ、と見る。
現代の例も本は扱う。ルワンダ虐殺について、本は民族の対立だけでなく、人口の増加と土地の細分化で、若者が土地を持てなくなっていたことが下地にあったと書く。同じ地域の中で、人が人を殺した例が、土地の争いと重なっていた、という読みである。この読みには、虐殺は政治の指導者が組織したもので、人口の圧力で説明すると責任の所在がぼやける、という批判がある。イスパニョーラ島を分け合うハイチとドミニカ共和国の比較では、本はハイチの森がほぼ失われ、ドミニカ共和国には多く残っていることを、両国の歴史と指導者の違いから説明しようとする。ハイチの側の歴史の出発点が、1791年に始まるハイチ革命である。
20世紀に五つの要因がそろった例として、アラル海の縮小をこの物語に加えてある。中央アジアの大きな湖が、綿花畑の灌漑のために川の水を取られ、数十年で大部分が干上がった。本の後半は、中国やオーストラリアなど現代の国が抱える環境の問題と、社会が判断を誤る理由に充てられる。問題が見えない、見えても対処すると損をする人がいる、価値観にしがみつく、といった理由が並ぶ。
この物語には、本が直接扱っていない環境と絶滅のできごとも、同じ問いの延長として並べてある。人の目の前で最後の一羽が消えたドードーの絶滅、数十億羽いたと推定される鳥が1914年に最後の一羽を失ったリョコウバトの絶滅、北アメリカの平原を埋めていた群れが19世紀の末に千頭足らずまで減ったアメリカバイソンの激減。1930年代のアメリカの平原で、耕しすぎた土が風に吹き上げられたダストボウルは、本の言う自らの手による環境の破壊が、近代の農業で起きた例になる。逆に、失われかけたものを守ろうとした側の歴史もある。作物の起源の土地を探して世界の種を集めたヴァヴィロフと起源の中心、ドイツ軍に包囲されたレニングラードで研究者たちが飢えながら種に手をつけなかった包囲下の種子、北極圏の島に世界の種を預けるスヴァールバル世界種子貯蔵庫、そして絶滅のおそれのある生き物を数えて公表するレッドリストである。
本の見方には、イースター島以外にも反論がある。考古学者や人類学者が集まって2010年に出した論集は、本が「崩壊」と呼んだ多くの社会は消えたのではなく形を変えて続いたのであり、崩壊の責任を住民自身の誤りに求める書き方は、植民地支配の影響を軽く見ている、と批判した。それでも、社会の運命を気候や隣人のせいだけにせず、その社会が何を見て、何を選んだかを問う、という本の問いは、気候の変化が現実の問題になった今、むしろ重みを増している。
この物語は、本が例に使ったできごとと、同じ問いにつながるできごとを、このデータベースの側から並べ直したものである。本文は写していない。崩壊は一度に来るのではなく、気づかれないまま少しずつ進む、と本は言う。最後の一本の木を切った人は、そのとき何を考えていたのか。本が繰り返すこの問いは、答えのないまま、私たちの側に向けられている。前の本のほうは、この年表に物語物語「『銃・病原菌・鉄』で読む歴史」として並べてある。
動画(2)
この物語が起きた場所
筋(27)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- ニューギニア高地の農耕できごとこの年表より前から(およそ1万年前に始まる)第9章。7000年続いた例世界で独立に農耕が始まった数少ない場所のひとつ。タロイモとバナナを育てる排水路の跡が残る。ニューギニア高地(位置は特定されていない)
- ポリネシア人の太平洋拡散できごとBC1000年頃〜AD1300年頃同じ祖先が、島の大きさと雨で違う運命になった星と波とうねりを読んで、地球の3分の1に及ぶ海域に渡った。地図も羅針盤も無しに、人類最大級の移住をやってのけた。ラピタ(トンガ)(位置は特定されていない)
- マヤの諸都市国BC250年頃(先古典期の終わり) – AD900年頃(低地の古典期マヤの崩壊)第5章統一国家にはならず、数十の都市が争いながら並んだ。ゼロを含む記数法と、正確な暦と、南北アメリカで唯一の完全な表記体系を持つ。9世紀に低地の都市が次々に放棄される。
- モチェ文化できごと100年気候の変動のあとに社会が形を変えた砂漠に運河を引いて谷を潤し、日干し煉瓦の巨大な神殿を建てた。写実的な土器が数万点残り、文字のない社会の暮らしと儀礼を細かく伝えている。モチェ渓谷(位置は特定されていない)
- 日本国AD3〜4世紀ごろ(古墳時代の王権) – (続く)第9章。江戸時代の森畿内の王権から律令国家になり、武士の時代を経て、近代に帝国として外へ広がり、敗戦で列島に戻った。政体は何度も変わるが、土地としては一本の連続になる。
- 祖先プエブロ国AD850年頃(チャコの建設の始まり) – AD1300年頃(放棄)第4章砂漠の峡谷に、石を積んで数百室の建物を建てた。チャコ・キャニオンから真っ直ぐな道が四方に延びる。13世紀の干ばつで放棄され、人びとは南へ移った。
- マヤ低地の崩壊できごとAD900年頃第5章南部の都市が次々に放棄された。干ばつ、戦争、環境の疲弊が挙げられるが、決着していない。ティカル
- レイフ・エリクソン人物AD970年頃 – AD1020年頃第6章グリーンランドから西へ渡り、北アメリカに足をつけた。コロンブスの約500年前。
- ノルウェー人のグリーンランド入植できごとAD985年頃第6〜7章。ノルウェー人が氷の島で牧畜を始めたアイスランドを追われた赤毛のエイリークが、氷の島に「緑の土地」と名を付けて人を呼んだ。最盛期で数千人が牧畜で暮らす。ブラッタリーズ
- ヴィンランド到達できごとAD1000年頃第6章。もっと西へ行ったが、続かなかったヨーロッパ人が北アメリカに着いた。集落は数年で放棄され、この到達は大陸の歴史を動かさなかった。ランス・オ・メドー
- プエブロ・ボニートできごとAD1050年頃50年の旱魃チャコ・キャニオンの谷底に、石を積んだ4階建て、部屋650、大キヴァ(円形の儀礼の部屋)3つ。木材20万本を80キロ先の山から運んだ(馬も車輪もなく、人が担いだ)。谷から放射状に、幅9メートルのまっすぐな「道」が何百キロも延びる。人はあまり住んでいなかった、と考えられる。巡礼と再分配の中心。1130年からの50年の旱魃で、放棄された。プエブロ・ボニート
- チャコ・キャニオンの大集落できごとAD1050年頃(最盛期)第4章。峡谷の木を使い尽くし、干ばつで放棄された砂漠の峡谷に、数百室・五階建ての石造建築が十数棟並んだ。数十キロ先まで真っ直ぐな道が延び、太陽と月の周期に合わせた建物の向きが残る。チャコ・キャニオン
- モアイの造営できごと1250年第2章。本の中心の例。反論側の講演も付けてある絶海の孤島で1000体近い石像が立てられた。森を使い尽くしたことが衰退の一因とされるが、議論がある。イースター島
- ノルウェー領グリーンランドの終焉できごとAD15世紀半ば第8章。五つの要因が全部そろった例500年続いた入植地が、誰にも気づかれずに消えた。最後の記録は1408年の結婚式。寒冷化、交易の途絶、イヌイットとの関係。理由は一つではない。ブラッタリーズ
- モアの絶滅できごとAD15世紀人が島に着いてすぐ起きること飛べない鳥の9種すべてが、人の到着から一世紀ほどで消えた。人類が最後に着いた大きな島で、同じことが三度目に起きた。アオテアロア(位置は特定されていない)
- ドードーの絶滅できごとAD1662年絶滅を初めて目で見たモーリシャス島には捕食者がいなかった。だから、この鳩の仲間は飛ぶ必要がなく、地面に巣を作り、人を恐れなかった。1598年にオランダ人が上陸し、100年経たずに姿を消した。人が食べた数より、持ち込まれた豚と鼠と猿が卵を食べた影響が大きい。最後の確実な目撃は1662年。標本はほとんど残らず、オックスフォードの一体も1755年に大半が焼却された。「絶滅」という現象を、人が初めて自分の目で確かめた例になった。モーリシャス
- 幕府の山林保護令できごとAD1666年第9章。上からの命令で森を取り戻した例城と町を建てるために山を裸にし、洪水が続いた。幕府は伐採を制限し、植林を命じた。人口3000万の島国が森を取り戻した例として『文明崩壊』が取り上げる。江戸
- ハイチ革命できごと1791年第11章。同じ島の二つの国奴隷が蜂起して独立を勝ち取った、史上唯一の例。人権の理念を掲げた本国が、それを植民地に認めなかった矛盾を突いた。ポルトープランス

- アメリカバイソンの激減できごとAD1875年3000万頭が1000頭に19世紀の初め、北アメリカに3000万頭以上いた。1889年、野生の個体は1000頭を割った。鉄道が平原を横切り、なめし技術の改良で皮が工業用ベルトに使えるようになると、狩猟者が押し寄せた。一人で一日100頭を撃った記録がある。骨は肥料に、皮は工場へ。軍がこれを黙認あるいは奨励した面がある。平原の先住民はバイソンに依存していた。獣を絶やせば、彼らは居留地へ来るしかない。「インディアンの糧食庫を殺す」と、ある将軍が書いている。グレートプレーンズ
- リョコウバトの絶滅できごとAD1914年9月1日50億羽が40年で消えたかつて北アメリカで最も数の多い鳥だった。推定50億羽。群れが通ると空が数日暗くなったと記録されている。1860年代から、電信で群れの位置を知らせ、鉄道で運ぶ商業的な狩猟が始まった。この鳥は密集して繁殖するので、繁殖地を襲えば一挙に絶える。40年で消えた。最後の一羽マーサが、1914年9月1日午後1時、シンシナティ動物園で死んだ。これほど多い種でも絶滅しうるという事実が、アメリカの自然保護法制を動かした。シンシナティ
- ヴァヴィロフと起源の中心できごとAD1926年飢饉をなくすための収集作物は、世界のどこで生まれたか。ニコライ・ヴァヴィロフは、遺伝的な多様性が最も高い場所が、その作物の起源地であると考えた。彼は64か国を回り、種を集めた。エチオピア、アフガニスタン、ペルー、中国。集めた標本は25万点を超え、当時、世界最大の種子の集積になった。目的は、飢饉をなくすことである。多様性の中から、寒さと病に強い品種を探す。彼はスターリンの下でルイセンコに敗れ、1940年に逮捕され、1943年、獄中で餓死した。サンクトペテルブルク
- ダストボウルできごとAD1935年昼が夜になった日南部大平原は、もともと丈の深い草の草原である。根が土を掴んでいる。第一次大戦の小麦の高値と、トラクターの普及で、その草地が一斉に耕された。1930年代、旱魃が来た。裸の土が、風に飛んだ。1935年4月14日の黒い日曜日、高さ数百メートルの砂の壁が来て、昼が夜になった。塵はシカゴを越えてワシントンまで届いた。数十万人が土地を捨てた。以後、土壌保全局が作られ、等高線耕作と防風林が推奨された。土は、資源であり、失えば戻らない。南部大平原
- 包囲下の種子できごとAD1942年9人が守り抜いた1941年から900日近く、レニングラードは包囲された。市民100万人以上が死んだ。多くが餓死である。市の中心に、ヴァヴィロフが集めた種子の研究所があった。食べられる米、麦、豆、じゃがいもが、数十トン。職員は、それを守った。交代で不寝番に立ち、鼠を追い、そして手をつけなかった。米の担当者ドミトリー・イワノフは、米の袋に囲まれた机で死んだ。落花生の担当者も、じゃがいもの担当者も。記録に残るだけで、9人が餓死した。標本は、戦後、各地に配られた。サンクトペテルブルク
- アラル海の縮小できごと1960年本の五つの要因が、20世紀に起きた例綿花のために二つの大河から水を引き、世界で4番目に大きかった湖がほぼ消えた。漁港が砂漠の真ん中に取り残されている。計画された環境破壊の例として引かれる。アラル海(位置は特定されていない)
- レッドリストできごとAD1964年国際自然保護連合が、絶滅のおそれのある種の一覧を作り始めた。当初は手書きのカードで、著名な大型動物が中心である。1994年、基準が数値で定義された。個体数の減少率、分布の面積、そして絶滅の確率。近絶滅、絶滅危惧、危急、そして野生絶滅と絶滅。判定が個人の印象から手続きに変わった。評価済みの種は十六万を超え、その約三割が危機にあるとされる。そして評価されていない種のほうが、はるかに多い。ジュネーヴ
- ルワンダ虐殺できごと1994年第10章。人口の圧力が下地にあった、と本は言う100日で80万人以上が殺された。植民地時代に固定された民族の区分が、その下地にあった。キガリ
- スヴァールバル世界種子貯蔵庫できごとAD2008年2月26日貯蔵庫は開けない北極圏の島の、永久凍土の山腹に、130メートルの坑道を掘って作られた。各国の種子銀行が、その複製を預ける。所有権は預けた側にあり、貯蔵庫は開けない。金庫の貸金庫と同じ仕組みである。零下18度に保つが、電気が止まっても凍土が数十年、温度を保つ。収蔵は120万点を超えた。2015年、シリアの内戦で研究所を失ったICARDAが、初めて引き出しを求めた。中東の乾燥地の小麦と大麦の種が、モロッコとレバノンへ送られ、殖やされ、そして返された。スヴァールバル
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
接触前のアメリカ9件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。都市の歴史6件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。探検と発見4件を共有 / 地平線の向こうに何があるかを、確かめに行った人たちの記録。技術と産業4件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。ヴァイキング4件を共有 / 襲撃者として現れ、交易者になり、入植者になった。北アメリカにも、ロシアにも、イングランドにも痕跡がある。確かめるという方法4件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。冷戦のあと3件を共有 / 対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。『銃・病原菌・鉄』で読む歴史3件を共有 / なぜ征服したのがスペイン人で、されたのがインカだったのか。ダイアモンドは答えを人ではなく大陸の形に求めた。主権はだれのものか2件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。二つの大戦1件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。武士の700年1件を共有 / 地方の武装集団が政権を取り、そして自ら身分ごと消えるまで。民族移動の時代1件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。帝国と独立1件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。表現の歴史1件を共有 / 書いた人、描いた人、作った人。政治と戦争のあいだに、ずっと別の営みがあった。『サピエンス全史』で読む歴史1件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史1件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『暴力の人類史』で読む歴史1件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。『想像の共同体』で読む歴史1件を共有 / 国民とは、会ったこともない人を同じ仲間だと思える想像力のことだ、という本。『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後1件を共有 / 冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。『失敗の本質』で読む日本軍1件を共有 / なぜ負けたのかを、作戦ではなく組織の性質から説明した本。六つの作戦を並べて、同じ型を取り出す。『地に呪われたる者』で読む脱植民地1件を共有 / 植民地支配が人の心に何をするかを、精神科医が診察室から書いた。36歳で死ぬ年に口述された本。『暴力と不平等の人類史』で読む格差1件を共有 / 格差を大きく縮めたのは、改革ではなく破局だった。戦争、革命、国家の崩壊、疫病の四つしかない、という本。『応仁の乱』で読む日本の転換点1件を共有 / 主役がいない。勝者もいない。11年戦って何も決まらなかった戦乱を、二人の僧の日記から追う。『砂糖の世界史』で読む世界商品1件を共有 / 一つの白い粒を追いかけると、カリブの奴隷とイギリスの朝食と産業革命が一本につながる。『昨日までの世界』で読む伝統社会1件を共有 / 国家のない社会は、争いも子育ても老いも、私たちと違うやり方で扱ってきた。何を学べるか。『武士の家計簿』で読む幕末1件を共有 / 加賀藩の会計係の家が、37年つけた家計簿が見つかった。武士は、思われているよりずっと借金に苦しんでいた。『黒い皮膚・白い仮面』で読む植民地の心1件を共有 / 支配される側が、支配する側の目で自分を見てしまう。27歳の精神科医が書いた最初の本。戦争と平和の歴史1件を共有 / 戦争を無くせなかった人類が、それでも戦争を縛り、減らし、裁こうとしてきた工夫の歴史。海の歴史1件を共有 / 海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。住まいの歴史1件を共有 / 洞窟と竪穴の家から、長屋、集合住宅、団地、郊外の一戸建てまで。人はどこに、どう住んできたのか。