概要
戦後、国は農家から米を高い値段で買い入れ、増産を促してきた。ところが1960年代、人々の食事がパンや肉に移って、米を食べる量が減りはじめる。1970年ごろには、国の倉庫に古い米が大量に積み上がった。国は、米を作る田の面積を減らせば補助金を出すという、生産の調整を始める。「減反」である。田を休ませ、麦や大豆に作り替えることが求められた。米を作り続けたい農家との間で、あつれきが続いた。国が作る量を割り当てるこの仕組みは、2018年に廃止された。
場所
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都
本文
戦後の日本は、米を増やすことに力を注いだ。食糧管理法のもとで、国は農家から米を買い上げる。その値段は、農家の暮らしが成り立つよう、年々引き上げられた。品種の改良と、化学肥料と、機械の普及で、田からとれる米は大きく増えた。1967年ごろには、ついに米の自給ができるようになる。
ところが同じころ、人々の食事は変わっていた。学校給食で育った世代はパンに慣れ、肉や乳製品を食べる量が増え、一人が一年に食べる米は1962年をピークに減りはじめる。国が高く買った米は売れ残り、1970年には、国の倉庫に古い米が数百万トン積み上がった。保管の費用も、家畜のえさや海外への援助に回す損も、国の赤字になる。
1970年、国は米の生産を調整する政策を始めた。米を作る田を減らし、休ませたり、麦や大豆や野菜の畑に替えたりした農家に、補助金を払う。各地の農協や自治体を通じて、減らす面積が割り当てられた。「減反」である。
減反は、半世紀近く続いた。田を作ってきた農家にとって、米を作るなと言われることは、生き方を否定されるに等しかった。割り当てに従わない農家には、補助金が出ない。守る人と守らない人の間に、村の中でも溝ができた。国が生産量の目安を配るこの仕組みは、2018年に廃止された。それでも、米を作る田の面積は、主食用の米の需要に合わせて、いまも減り続けている。