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Event / できごと

減反政策

Gentan (rice production adjustment)
AD1970年 – AD2018年
期間を持つできごと重要度 3
ソビエト連邦中国モンゴルチベットビルマ大英帝国タイ日本ベトナムラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国大韓民国AD1970年東京
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD1970年の版図を描いています(14勢力)。

概要

戦後、国は農家から米を高い値段で買い入れ、増産を促してきた。ところが1960年代、人々の食事がパンや肉に移って、米を食べる量が減りはじめる。1970年ごろには、国の倉庫に古い米が大量に積み上がった。国は、米を作る田の面積を減らせば補助金を出すという、生産の調整を始める。「減反」である。田を休ませ、麦や大豆に作り替えることが求められた。米を作り続けたい農家との間で、あつれきが続いた。国が作る量を割り当てるこの仕組みは、2018年に廃止された。

場所

東京
35.68°N 139.77°E · 日本・東京都

本文

戦後の日本は、米を増やすことに力を注いだ。食糧管理法のもとで、国は農家から米を買い上げる。その値段は、農家の暮らしが成り立つよう、年々引き上げられた。品種の改良と、化学肥料と、機械の普及で、田からとれる米は大きく増えた。1967年ごろには、ついに米の自給ができるようになる。

ところが同じころ、人々の食事は変わっていた。学校給食で育った世代はパンに慣れ、肉や乳製品を食べる量が増え、一人が一年に食べる米は1962年をピークに減りはじめる。国が高く買った米は売れ残り、1970年には、国の倉庫に古い米が数百万トン積み上がった。保管の費用も、家畜のえさや海外への援助に回す損も、国の赤字になる。

1970年、国は米の生産を調整する政策を始めた。米を作る田を減らし、休ませたり、麦や大豆や野菜の畑に替えたりした農家に、補助金を払う。各地の農協や自治体を通じて、減らす面積が割り当てられた。「減反」である。

減反は、半世紀近く続いた。田を作ってきた農家にとって、米を作るなと言われることは、生き方を否定されるに等しかった。割り当てに従わない農家には、補助金が出ない。守る人と守らない人の間に、村の中でも溝ができた。国が生産量の目安を配るこの仕組みは、2018年に廃止された。それでも、米を作る田の面積は、主食用の米の需要に合わせて、いまも減り続けている。

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