パリ協定
概要
196の国と地域が、気温の上昇を産業革命前から2度未満に抑えることに合意した。先進国だけに義務を負わせた京都議定書と違い、全部の国が目標を出す形になる。
場所
48.86°N 2.35°E · フランス
本文
大気中の二酸化炭素が増え続けていることは、1958年からハワイの山の上で続けられた観測(キーリング曲線)が、はっきりと示していた。1988年には各国の科学者が知見をまとめるIPCCの設立が設けられ、1992年の地球サミットで、温室効果ガスを減らすための国際的な枠組みである気候変動枠組条約が結ばれた。この条約の締約国が毎年集まる会議が、COP(締約国会議)である。
最初の具体的な約束は、1997年の京都議定書だった。京都議定書は、先進国にだけ、数値で決めた排出削減の義務を課した。それまで大気に温室効果ガスを出してきたのは先進国であり、まず責任を負うべきだという考え方である。だが、この設計はうまく働かなかった。当時最大の排出国だったアメリカは議定書に署名しながら批准せず、2001年に離脱した。中国やインドなどの新興国には削減の義務がなく、21世紀に入ると中国の排出はアメリカを追い越した。義務を負う国々の排出は、世界の一部にすぎなくなっていった。

京都議定書の後の枠組みを作ろうとした2009年のコペンハーゲンの会議は、先進国と途上国の対立で決裂に近い形に終わった。各国の首脳が集まりながら、正式な合意を採択できなかったのである。その失敗を踏まえて準備されたのが、2015年11月末からパリで開かれたCOP21だった。開幕の2週間あまり前、パリは同時多発テロに襲われたばかりで、会議は厳戒の中で始まった。
パリ協定は、京都議定書とは逆の設計をとった。削減の量を上から割り当てるのではなく、すべての国が、自分で決めた目標(国が決定する貢献)を出す。目標を達成すること自体は法的な義務にせず、目標を作って提出し、その実施の状況を報告することを義務とした。そして5年ごとに目標を出し直し、そのたびに前の目標より野心的なものにする。世界全体の進み具合も5年ごとに点検する。一度に大きく削らせるのではなく、少しずつ引き上げていく仕組みである。

協定は、世界の平均気温の上昇を、産業革命の前と比べて2度より十分低く保ち、1.5度に抑える努力を続けることを目標に掲げた。1.5度という数字を強く求めたのは、海面の上昇で国土そのものが失われかねないツバルなどの太平洋の島国だった(ツバルと海面上昇)。今世紀の後半には、人間が出す温室効果ガスと、森や海などが吸収する量とを釣り合わせることもうたわれた。いわゆる実質ゼロである。先進国が途上国の対策に資金を出すことも盛り込まれた。
会期を1日延ばした12月12日の夜、議長を務めたフランスの外相ファビウスが小槌を打ち、協定は採択された。会場には拍手と歓声が広がった。196の国と地域が加わる枠組みは、気候変動について初めて、先進国も途上国もすべての国が参加するものだった。

協定の弱さも、最初から指摘されていた。各国の目標を足し合わせても、2度の目標には届かない。目標を守らなくても罰はない。批判する人々は、これでは中身のない約束だと言った。一方で、拘束力を弱めたからこそ、アメリカや中国、インドも加われたという見方もある。2016年9月、世界の二大排出国であるアメリカと中国がそろって締結を表明し、協定は11月に発効した。
協定は、各国の政権の交代にも揺さぶられてきた。アメリカでは2017年にトランプ大統領が離脱を表明し、2020年11月に離脱が実際に効力を持った。翌2021年、バイデン大統領は就任の初日に復帰の手続きをとった。そして2025年、2期目のトランプ大統領が再び離脱を表明している。最大の排出国の一つが、政権が代わるたびに出入りする仕組みでもある。

それでも、協定は世界の議論の土台になった。2018年にIPCCが1.5度の上昇と2度の上昇の影響の違いを示す報告書を出すと、1.5度が事実上の目標として扱われるようになり、日本を含む多くの国が2050年ごろの実質ゼロを掲げた。同じ年に始まった気候のための学校ストライキのように、若い世代が各国の政府に約束の実行を迫る動きも広がった。
ただ、各国が出している目標がすべて実行されたとしても、今世紀末の気温上昇は2度を超えると見積もられている。2024年には、1年間の世界の平均気温が初めて産業革命前より1.5度以上高くなったと報告された。1年だけで協定の目標が破られたことにはならないが、残された時間が少ないことは、誰の目にも明らかになりつつある。