
概要
海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。
この物語について
地球の表面の七割は海である。人はいつから海に乗り出し、海は人の歴史をどう変えてきたのか。
数万年前、人は小舟で海を渡ってオーストラリアに着き、のちにポリネシアの人々は、星と波を読んで太平洋の島々に広がった。インド洋ではモンスーンの風に乗るダウ船が、地中海ではガレー船が、交易と戦争を運んだ。羅針盤と海図が、陸の見えない海へ船乗りを導いた。
15世紀、ヨーロッパの船は大洋を越え、世界の海は一つにつながった。海は、香辛料と銀と、奴隷にされた人々と、病を運んだ。海を制する者が世界を制するとされ、大きな海戦が国の運命を決めた。経度を測る時計、灯台、海上保険が、海を少しずつ安全で計算できるものにしていった。
19世紀、蒸気船と運河は海の旅を短くし、電信のケーブルが海底を走った。探検家は北極の氷の海に挑んで命を落とし、科学者は深い海の底を初めて調べた。大型の客船の沈没は、無線と救命の決まりを生んだ。
20世紀、潜水艦が海の下で戦い、戦艦の時代は空母の時代に変わった。コンテナが世界の貿易を作り変え、人は海溝の底に下りた。一方で、鯨は捕り尽くされかけ、タンカーの油とプラスチックのごみが海を汚し、温暖化が島々を沈めようとしている。
この物語は、海に乗り出し、海を使い、海と争い、海を守ろうとしてきた人類の歩みを並べたものになる。
この物語が起きた場所
筋(57)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- サフルへの渡海できごと約6万5000年前(5万〜7万年前と幅がある)海を渡った最初の人々氷期でも、この海は陸続きにならない。最低でも数十kmを船で渡ったことになる。人類が意図して外洋を越えた、最も古い証拠になる。マジェドベベ
- ラピタ土器の広がりできごとBC1500年太平洋へ乗り出した人々同じ文様の土器がニューギニアからトンガまで点々と現れる。太平洋へ出ていった人々の足跡そのもの。ラピタ(トンガ)(位置は特定されていない)
- ポリネシア人の太平洋拡散できごとBC1000年頃〜AD1300年頃星と波を読む航海星と波とうねりを読んで、地球の3分の1に及ぶ海域に渡った。地図も羅針盤も無しに、人類最大級の移住をやってのけた。ラピタ(トンガ)(位置は特定されていない)
- フェニキア人のアフリカ周航(伝承)できごとBC600年頃ネコ2世がフェニキア人を紅海から送り、3年で地中海に戻ったとヘロドトスは書く。「彼らは太陽が右手にあったと言った。私は信じない」。南半球で太陽は北に見える。信じなかった一文が、本当だった証拠になった。喜望峰
- サラミスの海戦できごとBC480年9月海が国の運命を決める狭い海峡に誘い込んでペルシア艦隊を破った。ギリシアの独立が守られる。サラミス

- ファロスの灯台できごとBC280年頃古代の灯台ナイル三角州の海岸は低く平らで、沖から陸の位置が分からない。プトレマイオス朝が、港の入口のファロス島に塔を建てた。高さは百メートルを超えたと伝えられ、四角、八角、円柱の三段。頂に火を焚き、金属の鏡で沖へ投げた。昼は煙を目印にした。設計者ソストラトスの名が、王の名の下の石に隠して刻まれていたという逸話がある。千五百年立ち、地震で崩れた。1994年、港の海底からその石材が見つかっている。ファロスの語が、多くの言語で灯台を意味する語になった。アレクサンドリア
- 『エリュトラー海案内記』できごとAD60年頃インド洋の交易の案内書エジプトから紅海を出て、東アフリカとインドへ行く商人のための実用書。港ごとに売れる物と買える物が書かれている。季節風の使い方が広まった時期のもの。アレクサンドリア
- シュリーヴィジャヤの海上交易できごとAD700年頃海峡を握る港の国マラッカ海峡を押さえ、インドと中国を結ぶ海の道で栄えた。仏教の学問の中心でもあった。パレンバン
- ヴァイキングの襲来できごとAD793年6月8日海から来る襲撃者修道院が襲われ、ヨーロッパは北からの脅威を知った。ヴァイキングはやがて交易者・入植者にもなる。リンディスファーン

- ダウ船とモンスーンできごとAD1000年頃モンスーンの風に乗るインド洋は、季節で風向きが反転する。夏は南西から、冬は北東から。この規則性を掴めば、帆船は往復できる。紀元1世紀の『エリュトラー海案内記』に既に書かれている。ダウ船は、板を釘でなく椰子の繊維で縫い合わせ、三角の帆(ラティーン・セイル)で風上へも切り上がった。アラビア、ペルシア、インド、東アフリカを結び、季節ごとに港で数か月を過ごした。スワヒリの都市は、その待ち時間の上に建った。キルワ
- 泉州の海上交易できごと1000年マルコ・ポーロが世界最大の港の一つと書いた町。ムスリムの商人が数万人住み、モスクとヒンドゥー寺院とマニ教の像が並んでいた。泉州
- 羅針盤が海に出るできごとAD1090年頃陸の見えない海へ磁石が南を指すことは中国で古くから知られ、占いの盤に使われた。1044年の『武経総要』に、鉄の魚を熱して冷まし磁化する方法がある。1088年、沈括が『夢渓筆談』に、糸で吊るす方法と、磁北が真北からずれること(偏角)を書いた。1117年の『萍洲可談』に、泉州の船乗りが「夜は星を見、昼は日を見、曇りの日は指南針を見る」とある。曇りでも進めるようになった。アラブとヨーロッパへ12世紀に伝わった。泉州
- ポルトラーノ海図できごとAD1300年頃羊皮紙に、海岸線と港の名を書き、そこへ32方位の線を放射状に張り巡らせた海図。内陸は空白のことが多い。船乗りが実際に測った針路と距離の集積で、地中海の形は驚くほど正確である。最古の現存は1290年頃の「ピサ図」。ジェノヴァ、マヨルカ、ヴェネツィアが作った。理論から描いた地図ではなく、航海の経験を紙にしたもの。緯度も経度もない。羅針盤とセットで働いた。ジェノヴァ
- 鄭和の南海遠征できごと1405年巨大な宝船の艦隊七度の航海で数百隻の船団がアフリカ東岸まで達した。植民も征服もせず、朝貢の関係を結んで帰る。だが事業は打ち切られ、記録の多くも失われた。海は他者に委ねられる。南京
- 喜望峰の回航できごとAD1488年ディアスがアフリカ南端を回った。インドへの海路が開けると分かり、10年後にダ・ガマが続く。喜望峰
- コロンブスの到達できごとAD1492年10月12日大洋がつながる二つの大陸が結ばれた。人・作物・家畜・病原体が行き来し、両側の世界が作り替えられる。サン・サルバドル島(位置は特定されていない)
- ヴァスコ・ダ・ガマのインド航路できごとAD1498年アフリカを回ってインドに着いた。地中海を通らない交易路が開き、富の流れが変わる。リスボン
- コロンブス交換できごとAD1500年頃海が運んだ作物と病1492年を境に、1万年ぶりに二つの生物界が繋がった。アメリカからヨーロッパ・アジア・アフリカへ、トウモロコシ、ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、トマト、唐辛子、カカオ、落花生、タバコ。逆向きに、小麦、米、サトウキビ、コーヒー、馬、牛、豚、羊、そして天然痘・麻疹・インフルエンザ。旧世界の人口は新作物で増え、新世界の人口は病で9割減った。イタリア料理のトマトも、四川の唐辛子も、この交換の産物である。メキシコシティ
- エルカーノの世界周航の完成できごとAD1522年9月6日世界を一周するマゼランがマクタンで死んだあと、バスクの航海士が18人でビクトリア号をセビリアに戻した。5隻270人で出て、1隻18人。3年。積んだ丁子で航海の費用は出た。皇帝は地球儀の紋章を与えた。「最初に私を回った」。日付が一日ずれていることに、帰って気づいた。セビリャ
- 大西洋奴隷貿易できごと1526年海を渡らされた人々1200万人以上がアフリカから大西洋を越えて運ばれた。三つの大陸の人口と社会が、この一つの流れで作り替えられる。ベニンシティ

- レパントの海戦できごとAD1571年10月7日オスマンの無敵の評判が地中海で崩れた。ただし帝国そのものはこの後も長く続く。レパント(位置は特定されていない)

- アルマダの海戦できごとAD1588年スペインの無敵艦隊が敗れた。イングランドが海洋国家へ向かう転機になる。ティルベリー

- ロイズと海上保険できごとAD1688年海の危険を値段にするテムズ河畔のタワー街に、エドワード・ロイドという男がコーヒーハウスを開いた。船主と船長と商人が集まる。彼は客のために、船の出入りと海難の情報を集めて紙に刷った(ロイズ・リスト、1734年から現存する世界最古級の日刊紙)。情報が集まる場所に、引受人が集まった。航海一件ごとに、複数の個人が「この額まで引き受ける」と紙の下に署名する。アンダーライター(下に書く人)の語源である。会社ではなく、個人の集まりが、無限責任で危険を分け合った。ロンドン
- 経度法できごとAD1714年経度という難問緯度は太陽か北極星の高さで出る。経度が出ない。地球は1時間で15度回るから、出港地の時刻を持ち歩けば、その場の正午との差で分かる。しかし、揺れて温度も湿度も変わる船で、正確に動く時計がなかった。1707年、シリー諸島で艦隊が座礁し2000人近くが死んだ。1714年、議会が賞金2万ポンドを設けた。天文学者は月の位置から出す方法を推した。時計職人が挑んだ。ロンドン
- 沖の岩に立つ灯台できごとAD1759年10月16日沖の岩に立つ灯台イングランド南西のプリマス沖二十キロほどに、満潮になると隠れる岩礁があり、多くの船が砕けた。1698年、ウィンスタンリーが岩の上に木の塔を建てて火を灯したが、五年後の大嵐で塔ごと彼も海に消えた。次の塔は火事で焼けた。技師ジョン・スミートンは、樫の木の幹の形にならって裾の広い石の塔を設計し、花崗岩を蟻継ぎで噛み合わせ、水の中でも固まる石灰を工夫した。1759年に灯った塔は、百二十年以上、波に耐えた。のちに岩のほうが削れて危うくなり、塔の上半分は陸に移されて、いまもプリマスの丘に立っている。エディストン岩礁
- ハリソンの航海時計できごとAD1761年海の上で時を刻むリンカンシャーの大工の子で、独学の時計職人ジョン・ハリソンが、31年かけて4台を作った。H1からH3は大きな機械。H4は直径13センチの懐中時計だった。1761年、ジャマイカまでの81日の航海で、遅れは5秒。経度にして誤差は数キロ。委員会は賞金を渋り、条件を足し続けた。1773年、80歳の彼は国王ジョージ3世の口添えで、ようやく相当額を受け取った。賞金そのものは、誰にも与えられなかった。ロンドン
- クックの太平洋航海できごと1768年三度の航海で太平洋の地図がほぼ完成した。同時に、この海域が列強の関心の的になる。ハワイ(位置は特定されていない)
- トラファルガーの海戦できごとAD1805年10月21日海の覇権ナポレオンはイギリスへの上陸を狙い、そのためにはドーヴァー海峡の制海権が要った。1805年10月21日、スペイン南岸のトラファルガー岬の沖で、ネルソンの率いるイギリス艦隊が、フランスとスペインの連合艦隊に二列の縦隊で突っ込み、列を断ち切った。連合艦隊の半数以上を失わせる大勝だったが、ネルソンは狙撃されて戦死する。イギリスへの上陸はあり得なくなった。以後百年、海はイギリスのものになった。トラファルガー岬
- 蒸気船の大西洋定期航路できごとAD1838年4月23日風を待たない船同じ日に2隻がニューヨークに着いた。小型のシリウス号(石炭が尽き、家具と予備の帆桁を焚いたと伝わる)と、ブルネル設計のグレート・ウェスタン号。石炭を積むほど船体は大きくなければならず、大きな船ほど効率がよい(体積は三乗、抵抗は二乗で増える)。ブルネルはそれを見抜いていた。風待ちが消え、航海が時刻表になった。1840年、キュナードが定期便を始めた。ニューヨーク
- フランクリン隊の遭難できごと1845年5月北極の氷に消えた探検隊1845年5月、イギリス海軍のジョン・フランクリンは、2隻の軍艦エレバス号とテラー号に129人を乗せ、大西洋から北極の島々を抜けて太平洋へ出る北西航路を探しに出た。3年分の缶詰を積み、蒸気機関まで備えた、当時最高の装備の探検隊だった。だが船は氷に閉じ込められ、二度と戻らなかった。十数年に及ぶ捜索で、イヌイットの証言と、氷の上に残された書き置きや遺骨が見つかり、フランクリンは1847年に死に、残った者は船を捨てて歩き出し、全員が倒れたことが分かった。2隻の沈没船は、2014年と2016年にようやく海底で見つかった。キングウィリアム島(位置は特定されていない)
- 黒船来航できごと1853年7月8日(嘉永6年6月3日)黒船が開いた国蒸気軍艦4隻が浦賀沖に現れ、開国を迫った。200年余り続いた体制が外から揺さぶられる。浦賀

- スエズ運河の開通できごとAD1869年11月17日大陸を切り開くヨーロッパとアジアの距離が一気に縮まった。エジプトは建設の負債で英国の支配下に入る。スエズ運河
- チャレンジャー号の探検できごとAD1872年12月21日深い海の底を調べる1872年12月、イギリス海軍の軍艦チャレンジャー号が、大砲の多くを降ろし、実験室と測深の装置を積んでポーツマスを出た。目的は、それまでほとんど知られていなかった深い海の底を調べることだった。3年半をかけて世界の海を回り、何百か所で錘のついた綱を海底まで下ろして深さを測り、海底の泥と生き物をすくい上げた。グアムの近くでは8000メートルを超える深さを測った。持ち帰った標本からは数千の新しい種が見つかり、報告は50巻に及んだ。深い海には生き物がいないという考えは覆され、海洋学という学問がここから始まった。ポーツマス(イギリス)
- 満載喫水線できごとAD1876年船乗りの命を守る線19世紀のイギリスで、老朽船に過積みして沈没させ、保険金を得る商法があった。「棺桶船」。船員は乗船を拒めば投獄された。議員サミュエル・プリムソルが、船主の議員たちを相手に10年戦い、議場で「人殺し」と叫んで退場処分になった。1876年の商船法で、船腹に丸に横線の印を義務づけた。この線より下に沈めてはならない。塩分と季節で必要な余裕が違うので、印は数本の線でできている。ロンドン
- 北西航路の初めての通過できごとAD1903年6月16日ヨーロッパから北アメリカの北の氷の海を抜けてアジアへ出る北西航路は、四百年にわたって探検家を引き寄せ、多くの命を奪ってきた。1903年、ノルウェーのロアール・アムンセンは、わずか6人の仲間と小さなニシン漁の船ヨーア号で出発した。大きな船では通れない浅い水路を選び、キングウィリアム島の入江で二度の冬を越した。そのあいだ、土地のイヌイットから、毛皮の服の作り方や犬ぞりの扱いを学んだ。1906年8月、一行はアラスカのノームに着き、船で北西航路を通り抜けた最初の人々になった。キングウィリアム島(位置は特定されていない)
- ドレッドノートの進水できごとAD1906年2月10日建艦競争1906年2月10日、イギリスのポーツマスの造船所で、新しい戦艦ドレッドノートが国王エドワード7世の手で進水した。それまでの戦艦は、大きさの違う砲をいくつも積んでいたが、ドレッドノートは同じ大口径の砲を10門そろえ、蒸気タービンで当時としては速い21ノットを出した。起工からおよそ1年で就役している。この一隻で、世界のすべての戦艦が一度に古くなった。ドイツはすぐに同じ型の戦艦を造り始め、英独の建艦の競争は第一次世界大戦へとつながる。日本語の「弩級」「超弩級」は、この艦の名の頭の音から来ている。ポーツマス(イギリス)
- SOSの採用できごとAD1906年11月3日無線の電信が船に積まれるようになると、遭難した船が助けを呼ぶための合図が必要になった。マルコーニの会社の無線士は「CQD」を使っていたが、国ごとに合図が違っていた。1906年11月3日、ベルリンで開かれた国際無線電信会議は、短点3つ、長点3つ、短点3つの合図を、世界共通の遭難の信号と決め、1908年に使われ始めた。文字の意味ではなく、雑音の中でも打ちやすく聞き分けやすいことから選ばれた。1912年、タイタニック号の無線士がこの合図を打ち、SOSは広く知られるようになった。ベルリン
- タイタニックの沈没できごとAD1912年4月15日沈まないはずの船処女航海の4日目、夜11時40分に氷山と接触し、2時間40分で沈んだ。2224人のうち1514人が死んだ。救命艇は定員の半分ぶんしかなく、法令はそれを満たしていた(船の大きさでなく総トン数で決める古い規則)。無線技士は氷山の警告を「取り込み中」と断っていた。翌年の海上人命安全条約(SOLAS)で、全員分の救命艇、無線の24時間当直、氷山監視が定められた。タイタニック沈没地点

- パナマ運河の開通できごとAD1914年8月15日フランスのレセップス(スエズの成功者)が1881年に着工し、海面式にこだわり、マラリアと黄熱で2万人以上を失って破綻した。アメリカが引き継ぎ、コロンビアが条件を拒むとパナマの独立運動を支援して新国家を承認し、運河地帯の権利を得た。ゴーガスが蚊を絶ち、閘門式に設計を変え、山を切り、川をせき止めて人造湖を作った。ニューヨークからサンフランシスコが2万2千キロ短くなった。1999年、パナマに返還された。パナマ運河
- ルシタニア号の撃沈できごとAD1915年5月7日潜水艦が客船を沈めるイギリスを海上封鎖で締め上げるため、ドイツは潜水艦で商船も沈めると宣言していた。1915年5月7日、ニューヨークからリヴァプールへ向かう大型客船ルシタニア号が、アイルランド沖で魚雷を受け、十八分で沈んだ。千二百人近くが死に、その中には百人を超えるアメリカ人がいた。船は弾薬も積んでいた。アメリカの世論はドイツへの怒りに燃えたが、参戦はまだ二年先になる。民間人を乗せた船が戦争の標的になった。キンセール沖(位置は特定されていない)
- ユトランド沖海戦できごとAD1916年5月31日イギリス151隻、ドイツ99隻。史上最大の戦艦の戦い。イギリスの巡洋戦艦が3隻爆発した。「今日は我々の忌々しい艦に何か問題があるようだ」。ドイツは港に帰って二度と出なかった。戦術で勝ち、戦略で負けた。海の封鎖は続いた。ユトランド沖
- 大西洋の戦いできごとAD1939年9月3日Uボートと船団島国イギリスは、食料と燃料と武器の多くを、大西洋を渡ってくる船に頼っていた。第二次世界大戦が始まると、ドイツは潜水艦Uボートでこの命綱を断とうとした。Uボートは群れをなして夜の海で船団を襲い、イギリスは船を船団にまとめ、護衛の艦と飛行機で守った。チャーチルは、戦争中に本当に恐ろしかったのはUボートの脅威だけだったと書いている。1943年の春、護衛の空母、長距離の哨戒機、レーダー、暗号の解読がそろうと形勢は逆転し、5月だけで40隻を超えるUボートが沈んだ。戦争の全期間を通じて続いた、最も長い戦いだった。北大西洋(位置は特定されていない)
- ミッドウェー海戦できごと1942年空母の時代日本が空母4隻を失い、太平洋の主導権が移った。開戦から半年での転換点になる。ミッドウェー

- アクアラングの発明できごとAD1943年人が魚のように泳ぐフランス海軍の士官ジャック=イヴ・クストーは、魚のように自由に海を泳ぎたいと願っていた。ドイツに占領された1943年、彼は技師エミール・ガニャンとともに、燃料不足の自動車を調理用のガスで走らせるための弁を作り変え、吸うときだけ背中のボンベから空気が出る仕組みを作った。南フランスの海で試し、仲間は60メートルを超える深さまで潜った。船から管で空気を送ってもらう重い潜水服から、人は解き放たれた。クストーは水中の撮影も進め、1956年の映画『沈黙の世界』は、海の中の世界を多くの人に初めて見せた。トゥーロン
- 洞爺丸事故できごとAD1954年9月26日1954年9月26日、台風15号が北海道に近づくなか、函館と青森を結ぶ国鉄の連絡船洞爺丸は、一時嵐が静まったのを見て、台風の目が過ぎたと判断して函館の港を出た。だが台風は勢いを保ったまま日本海を北上していて、港の外で猛烈な風と波に襲われた。洞爺丸は錨を下ろして耐えようとしたが、車両を積む甲板から水が入って機関が止まり、七重浜の沖で転覆した。乗っていた千三百人ほどのうち、千百五十人あまりが死んだ。この夜、ほかの連絡船4隻も沈んだ。事故は、海峡の下にトンネルを掘る計画を後押しした。函館
- 原子力潜水艦ノーチラスできごとAD1955年1月17日原子力で潜り続けるそれまでの潜水艦は、ディーゼル機関を動かすために空気が要り、たびたび浮上しなければならなかった。アメリカ海軍の技術士官リッコーヴァーは、原子炉で動く潜水艦を造ることに執念を燃やし、1955年1月17日、コネティカット州グロトンで、ノーチラス号は「原子力で航行中」と信号を送った。空気も燃料の補給も要らず、何週間も潜ったまま進める。1958年には北極の氷の下をくぐって、潜ったまま北極点を通過した。原子力潜水艦は、やがて核ミサイルを積んで深い海に隠れる、冷戦の抑止の主役になった。グロトン
- コンテナ輸送のはじまりできごとAD1956年4月26日箱が世界の貿易を変えるトラック運送業のマルコム・マクリーンが、改造したタンカー「アイデアルX」に58個の金属の箱を積み、ニューアークからヒューストンへ送った。荷役費が1トン5.83ドルから15.8セントになった。それまで、船荷は港で人の手で一つずつ積み替えられ、費用の半分近くが港で消えていた。箱の寸法が国際規格になり、船と鉄道とトラックが繋がり、港は都市の中心から沖の埋立地へ移った。工場が海の向こうへ行けるようになった。ニューアーク
- マリアナ海溝の底へできごとAD1960年1月23日海のいちばん深いところ1960年1月23日、スイスの科学者ジャック・ピカールとアメリカ海軍のドン・ウォルシュ大尉は、潜水艇トリエステ号に乗って、グアムの南西、マリアナ海溝のチャレンジャー海淵の底へ下りた。トリエステ号は、ジャックの父オーギュスト・ピカールが考えた、ガソリンを詰めた浮きの下に二人が入る鋼の球を吊るした乗り物である。5時間ほどかけて下り、深さは一万メートルを超えた。途中で窓にひびが入る音がしたが、二人は底に着き、20分ほどとどまった。人がこの深さに再び下りたのは、52年後のことだった。チャレンジャー海淵(位置は特定されていない)
- トリー・キャニオン号の座礁できごとAD1967年3月18日タンカーの油1967年3月18日、クウェートの原油を満載した大型タンカー、トリー・キャニオン号が、イギリス南西の端の沖のセブン・ストーンズ岩礁に乗り上げた。潮の時刻に間に合わせようと、船長が近道をとったためだった。流れ出た十万トンを超える原油は、コーンウォールとフランスのブルターニュの海岸を黒く覆った。イギリス政府は、空軍と海軍の飛行機で船を爆撃し、油を燃やそうとした。油を散らすために大量にまいた洗剤は、油よりも海の生き物を殺した。大型タンカーの時代に起きた最初の大きな事故は、船による海の汚染を防ぐ国際条約づくりのきっかけになった。セブン・ストーンズ岩礁
- ホクレア号のタヒチ航海できごとAD1976年伝統の航海術をよみがえらせる計器を使わない航海術で、ハワイからタヒチへ渡った。ハワイでは既に失われていた技術を、ミクロネシアの最後の航海者から学び直している。拡散が偶然の漂流でなかったことの実証になる。ハワイ(位置は特定されていない)
- 商業捕鯨の一時停止できごとAD1982年7月23日鯨を捕り尽くしかけて20世紀、捕鯨船は船の上で鯨を解体する工場船と、銛を撃つ砲を備えて南極の海へ押し寄せ、シロナガスクジラなどの大型の鯨は、絶滅の手前まで減った。1946年に捕鯨の国際条約が結ばれ、国際捕鯨委員会が捕る数を決めることになったが、乱獲は止まらなかった。1960年代から鯨を守る運動が広がり、1982年7月23日、イギリスのブライトンで開かれた委員会は、商業捕鯨を一時やめることを決めた。日本は異議を取り下げたあと、調査の名目で捕鯨を続け、2019年に委員会から抜けて、自国の海での商業捕鯨を再開した。ブライトン
- 国連海洋法条約できごとAD1982年12月10日海は誰のものか海は誰のものか。17世紀、グロティウスが自由な海を説き、セルデンが閉じられた海を説いた。長く、大砲の届く距離、およそ3海里が領海とされた。20世紀、海底の資源と漁業をめぐって主張が広がった。9年の交渉の末、ジャマイカで採択された条約が、領海12海里、排他的経済水域200海里、そして大陸棚の定義を決めた。深海底は人類の共同財産とされた。アメリカは、その部分を理由に、いまも批准していない。モンテゴ・ベイ
- エクソン・ヴァルディーズ号の原油流出できごとAD1989年3月24日1989年3月24日の深夜、アラスカのプリンス・ウィリアム湾で、原油を満載したタンカーが暗礁に乗り上げた。四万キロリットルを超える原油が流れ出し、二千キロを超える海岸を汚した。数十万羽の海鳥やラッコやアザラシが死んだ。人手の少ない荒れた海で、回収は遅れた。船長は酒を飲んでおり、舵を任された航海士の操船の誤りが原因とされる。事故のあと、タンカーの船体を二重にすることが義務づけられた。プリンス・ウィリアム湾(位置は特定されていない)
- 海のごみできごとAD1997年プラスチックの海ヨットで太平洋を横断していたチャールズ・ムーアは、風の弱い環流の海域で、何日走っても水面に細かなプラスチックの破片が浮いているのを見た。ごみの島があるわけではない。日光と波で砕けた粒が、スープのように水中に漂っている。回収は難しく、魚や海鳥の体内から見つかるようになった。プラスチックは安く、軽く、腐らないという長所で広まった素材である。その腐らないという性質が、そのまま問題になった。捨てるとは、どこかへ移すことにすぎないと、この海域が示している。北太平洋の環流(位置は特定されていない)
- ツバルと海面上昇できごとAD1997年沈みゆく島国土の最高地点が5メートルもない。国連の場で、島が消えるかもしれないと訴え続けている。2022年、外相が水に浸かって演説した。フナフティ
- ソマリア沖の海賊できごと2008年1991年に政府が崩れたソマリアでは、外国の漁船が沖で魚を獲り荒らし、廃棄物を捨てていった。漁師の中には、海を守ると称して船を襲う者が現れ、やがて身代金を目当ての商売になった。2008年ごろから、スエズ運河へ向かう船が通るアデン湾とインド洋で、小さな高速艇に乗った海賊が、大型のタンカーや貨物船を次々に乗っ取った。国連の安全保障理事会は各国の軍艦による取り締まりを認め、ヨーロッパ連合や日本などが艦艇を送った。日本はジブチに初めての海外の拠点を置いた。船に武装した警備員が乗るようになり、2012年以降、襲撃は大きく減った。アデン湾(位置は特定されていない)
- セウォル号の沈没できごとAD2014年4月16日2014年4月16日、仁川から済州島へ向かう旅客船セウォル号が、韓国南西の海で傾き、沈んだ。修学旅行の高校生を中心に、三百人を超える人が死ぬ。船内では、その場を動くなという放送が繰り返され、船長と乗組員の多くは先に逃げた。船は積める荷の量を大きく超えて貨物を積み、改造で重心が上がっていた。救助の遅れと、責任をあいまいにする政府の対応に、国民の怒りが向かった。安全より利益を優先する社会が問われた。珍島沖(位置は特定されていない)
重なっているストーリー
同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。
探検と発見23件を共有 / 地平線の向こうに何があるかを、確かめに行った人たちの記録。技術と産業16件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。交易路とお金16件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。都市の歴史7件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。『銃・病原菌・鉄』で読む歴史6件を共有 / なぜ征服したのがスペイン人で、されたのがインカだったのか。ダイアモンドは答えを人ではなく大陸の形に求めた。二つの大戦5件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。冷戦のあと5件を共有 / 対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。『サピエンス全史』で読む歴史5件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史5件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。大航海時代4件を共有 / 海が壁ではなく道になった。二つの大陸が結ばれ、世界がひとつの市場になっていく。イスラム世界3件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。民族移動の時代3件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。確かめるという方法3件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『地中海』で読む歴史3件を共有 / 歴史には三つの速さがある。ほとんど動かない時間、ゆっくり動く時間、そして事件。捕虜収容所で書かれた本。中国の王朝2件を共有 / 殷から清まで3000年。王朝は替わっても、同じ型で替わり続けた。感染症と人類2件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。女性の権利2件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。帝国と独立2件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。接触前のアメリカ2件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。誰が書き残したか2件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。コテンラジオで聞く歴史2件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史2件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『世界史』(マクニール)で読む歴史2件を共有 / 文明どうしが接触し、借り、競い合うことで歴史が動く。世界を一つの物語として書いた最初の教科書。『繁栄』で読む歴史2件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。『ヨーロッパ覇権以前』で読む13世紀2件を共有 / 1250年から1350年まで、世界はすでに一つにつながっていた。ただし中心はヨーロッパではなかった。『1491』『1493』で読む新大陸2件を共有 / コロンブス以前のアメリカは人の少ない原野ではなかった。以後の世界は、生き物の大移動でできている。『近代世界システム』で読む歴史2件を共有 / 国ごとの発展を比べるのをやめる。16世紀からずっと、世界は一つの分業の仕組みとして動いてきた、という本。『交易の世界史』で読む物の流れ2件を共有 / シュメールの銅から現代のコンテナまで。人が物を遠くへ運ぶために、何をしてきたか。『リオリエント』で読む世界経済2件を共有 / 1800年まで、世界経済の中心はアジアだった。ヨーロッパは、その列に遅れて並んだ客にすぎない。『収奪された大地』で読むラテンアメリカ2件を共有 / 500年の歴史を、何が持ち去られたかで書く。金、銀、砂糖、ゴム、コーヒー、銅、石油。食の歴史2件を共有 / 何を食べるかは、誰が作り、どう運び、どう残すかで決まってきた。台所の外の仕組みの歴史になる。幕末1件を共有 / 黒船が来てから15年で、700年近く続いた武家政権が終わった。冷戦1件を共有 / 撃ち合わずに40年競った。ただし代理の戦場では、実際に人が死に続けた。朝鮮半島1件を共有 / 大陸と島国のあいだで、独自の文字と技術を育てた1300年。ヴァイキング1件を共有 / 襲撃者として現れ、交易者になり、入植者になった。北アメリカにも、ロシアにも、イングランドにも痕跡がある。主権はだれのものか1件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。文明のはじまり1件を共有 / 農耕も都市も文字も、離れた場所で別々に始まった。そして始まった順序は、思っているのと違う。ペルシア戦争1件を共有 / 当時最大の帝国に、都市国家の寄り合いが勝った。ギリシアが自分たちを語りはじめる。『文明崩壊』で読む歴史1件を共有 / イースター島、マヤ、グリーンランドのノルウェー人。環境を使い尽くした社会と、そうしなかった社会。『大分岐』で読む歴史1件を共有 / 1800年まで、長江下流とイングランドは同じくらい豊かだった。分かれたのは石炭と植民地のせいだ、という本。『暴力の人類史』で読む歴史1件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。『オリエンタリズム』で読む歴史1件を共有 / 西洋が「東洋」について語ってきたことは、東洋についての知識ではなく、西洋についての物語だった、という本。『負債論』で読む歴史1件を共有 / お金は物々交換の不便から生まれた、という話は史料に無い。先にあったのは借りのほうだ、という本。『失敗の本質』で読む日本軍1件を共有 / なぜ負けたのかを、作戦ではなく組織の性質から説明した本。六つの作戦を並べて、同じ型を取り出す。『地に呪われたる者』で読む脱植民地1件を共有 / 植民地支配が人の心に何をするかを、精神科医が診察室から書いた。36歳で死ぬ年に口述された本。『中国の科学と文明』で読む技術の歴史1件を共有 / 中国には長い科学技術の蓄積があった。では、なぜ近代科学はそこで生まれなかったのか。『砂糖の世界史』で読む世界商品1件を共有 / 一つの白い粒を追いかけると、カリブの奴隷とイギリスの朝食と産業革命が一本につながる。『昨日までの世界』で読む伝統社会1件を共有 / 国家のない社会は、争いも子育ても老いも、私たちと違うやり方で扱ってきた。何を学べるか。『黒い皮膚・白い仮面』で読む植民地の心1件を共有 / 支配される側が、支配する側の目で自分を見てしまう。27歳の精神科医が書いた最初の本。支え合いの歴史1件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。メディアの歴史1件を共有 / 誰が、どれだけ速く、何人に届けられるか。その力を誰が握るかをめぐる歴史になる。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史1件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。