できごと

9・11同時多発テロ

September 11 attacks
AD2001年9月11日
重要度 5
9・11同時多発テロに関わる図版:WTC smoking on 9-11
WTC smoking on 9-11 Wikimedia Commons Flickr user Michael Foran · CC BY 2.0

概要

旅客機4機。2機が世界貿易センターの2棟に、1機が国防総省に、1機はペンシルベニアの野に落ちた(乗客が操縦室に突入した)。2977人が死んだ(19人の実行犯を除く)。93か国の人。生中継された。アメリカは「テロとの戦争」を宣言し、10月にアフガニスタン、2003年にイラク。空港の検査、監視法、そして「9・11以後」という言い方が残った。

場所

ニューヨーク
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国

関わった人(1)

ウサーマ・ビン・ラーディンAD1957年3月10日–AD2011年5月2日 · 計画した

本文

事件の根は、1980年代のアフガニスタンにさかのぼる。ソ連の侵攻に抵抗するイスラームの義勇兵の中に、サウジアラビアの富豪の家に生まれたウサーマ・ビン・ラーディンがいた。ソ連が撤退したのち、彼は仲間とともにアルカイダという組織を作り、湾岸戦争の後もサウジアラビアに駐留を続けるアメリカ軍や、イスラエルを支えるアメリカの中東政策を敵とみなした。1990年代、アルカイダはケニアとタンザニアのアメリカ大使館の爆破などを起こし、アフガニスタンを支配したタリバンの保護のもとで、さらに大きな攻撃を準備していた。

2001年9月11日は、火曜日の晴れた朝だった。午前8時前から9時前にかけて、アメリカ東部の三つの空港から、西海岸へ向かう4機の旅客機が飛び立った。乗っていた19人の実行犯は、15人がサウジアラビア、2人がアラブ首長国連邦、エジプトとレバノンが1人ずつの出身で、4組に分かれていた。各組には、アメリカの飛行学校で操縦を学んだ者がいた。彼らは小さな刃物と、爆弾を持っているという脅しで機を乗っ取り、自ら操縦桿を握った。

ハイジャックされた4機の飛行ルート
ハイジャックされた4機の飛行ルートWikimedia Commons United States Federal Bureau of Investigation · Public domain

8時46分、ボストンを発ったアメリカン航空11便が、ニューヨークの世界貿易センターの北棟の上層に突っ込んだ。テレビ各局が燃える北棟を中継していたさなかの9時3分、同じボストン発のユナイテッド航空175便が南棟に激突し、その瞬間は世界中に生中継された。9時37分、ワシントン郊外の空港を発ったアメリカン航空77便が、国防総省(ペンタゴン)の建物の西側に突入した。

ビルは長くはもたなかった。燃料の火で熱せられた鋼鉄の骨組みが強さを失い、上の階の重みが下の階を次々に押し潰していった。9時59分に南棟が、10時28分に北棟が崩れ落ちた。上の階に閉じ込められた人々の多くは逃げ場を失い、炎と煙から逃れて飛び降りた人もいた。階段を上って救助に向かった消防士たちも、崩落に巻き込まれた。

ユナイテッド航空93便の墜落跡
ユナイテッド航空93便の墜落跡Wikimedia Commons US Government · Public domain

4機目のユナイテッド航空93便は、ニュージャージーのニューアークを出るのが遅れていた。乗っ取られたあと、乗客と乗員は機内の電話で地上の家族と話し、ほかの機がビルに突っ込んだことを知った。彼らは話し合い、操縦室に突入して機を取り戻そうとした。10時3分、93便はペンシルベニア州シャンクスヴィルの野に墜落し、乗っていた全員が死んだ。実行犯の狙いは、ワシントンの連邦議会議事堂かホワイトハウスだったと考えられている。

この日に亡くなった人は、実行犯を除いて2977人。世界貿易センターで2753人、国防総省で184人、93便で40人である。90を超える国の人々が含まれ、日本人も24人が犠牲になった。救助にあたった消防士の死者は343人に上った。アメリカの空はその日のうちにすべての便が地上に降ろされ、大西洋を渡ってきた多くの便はカナダの空港に下ろされた。人口1万人ほどのニューファンドランド島の町ガンダーは、38機の乗客と乗員、6000人以上を数日間もてなした。

アメリカのブッシュ政権は「テロとの戦争」を宣言した。9月14日、議会は大統領に武力の行使を認める決議を、下院でただ一人の反対票を除く圧倒的な多数で可決した。10月7日、アメリカはアルカイダをかくまうタリバンを倒すため、アフガニスタンへの攻撃を始めた(アフガニスタン戦争)。国内では、捜査機関の監視の権限を大きく広げる愛国者法が10月に成立し、空港の保安検査を国が担う役所と、国土の安全を担う新しい省が作られた。キューバのグアンタナモ基地には、裁判を受けないまま拘束される人々の収容所が置かれ、取り調べでの拷問も明るみに出た。2003年には、大量破壊兵器を持っているとしてイラクに攻め込んだが、兵器は見つからなかった(イラク戦争)。

イラク戦争に関わる図版:UStanks baghdad 2003
イラク戦争Wikimedia Commons Technical Sergeant John L. Houghton, Jr., United States Air Force · Public domain

国内の空気も変わった。イスラームを信じる人々や、中東や南アジアの出身に見える人々への嫌がらせや暴力が相次いだ。事件の4日後、アリゾナ州では、ターバンを巻いていたシク教徒のガソリンスタンドの経営者が、イスラーム教徒と間違えられて撃ち殺されている。

ビン・ラーディンは長く行方をくらましていたが、2011年5月、パキスタンのアボッターバードの隠れ家で、アメリカの特殊部隊に殺害された(ビン・ラディンの殺害)。アフガニスタンでの戦争はアメリカ史上最も長い戦争となり、20年後の2021年、アメリカ軍の撤退とともにタリバンが再び政権を握った(タリバンの復権)。

アメリカン航空11便がツインタワー北棟に突入した瞬間
アメリカン航空11便がツインタワー北棟に突入した瞬間Wikimedia Commons Wolfgang Staehle · Public domain

ビルの崩壊は、アスベストやガラスの繊維、コンクリートの粉を含んだ粉塵でマンハッタンの南部を覆った。何か月も続いた救助と瓦礫の撤去にあたった人々や近くの住民の間には、その後、呼吸器の病気や癌が広がり、粉塵に関わる病気で亡くなった人の数は、事件の当日の犠牲者の数に近づいているとも報じられている。

世界貿易センターの跡地はグラウンド・ゼロと呼ばれた。いま跡地には、二つのビルの輪郭をなぞった四角い池が掘られ、水が絶えず底へ流れ落ちている。池の縁の青銅の板には、犠牲者の名前が刻まれている。そばには、アメリカの独立の年にちなんで1776フィートの高さを持つ新しい超高層ビルが建った。空港で靴を脱ぎ、液体を取り上げられる手荷物の検査も、国家による通信の監視をめぐる議論も、この日から始まった。「9・11以後」という言い方は、一つの時代の区切りとして、いまも使われている。

出典(1)

サミュエル・P・ハンチントン(鈴木主税 訳) 『文明の衝突』本の刊行後。この本が読み直された出来事

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