概要
旅客機4機。2機が世界貿易センターの2棟に、1機が国防総省に、1機はペンシルベニアの野に落ちた(乗客が操縦室に突入した)。2977人が死んだ(19人の実行犯を除く)。93か国の人。生中継された。アメリカは「テロとの戦争」を宣言し、10月にアフガニスタン、2003年にイラク。空港の検査、監視法、そして「9・11以後」という言い方が残った。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
関わった人(1)
ウサーマ・ビン・ラーディンAD1957年3月10日–AD2011年5月2日 · 計画した本文
2001年9月11日、火曜日。晴れ。
午前7時59分、ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便(ボーイング767)が離陸。8時14分、ユナイテッド175便。8時20分、ワシントン・ダレス発のアメリカン77便。8時42分、ニューアーク発のユナイテッド93便(滑走路の混雑で40分遅れた)。
19人。サウジアラビア出身15人、UAE2人、エジプト1人、レバノン1人。4組に分かれ、それぞれに操縦訓練を受けた者が1人(アメリカの飛行学校で学んだ)。カッターナイフと、爆弾があるという嘘。
8時46分、11便が世界貿易センター北棟の93〜99階に突入。時速790キロ、燃料3万4000リットル。9時03分、175便が南棟の77〜85階に。生中継されていた(最初の衝突を追ってカメラが向いていた)。
9時37分、77便が国防総省の西側に。
9時59分、南棟が崩れた(衝突から56分)。10時28分、北棟(102分)。鋼鉄が燃料の火で強度を失い、上の階の重さが下を押し潰した(進行性の崩壊)。
93便。乗客と乗員が、地上の家族との電話で、他の3機のことを知った。投票して、操縦室に突入することを決めた。「レッツ・ロール」。10時03分、ペンシルベニア州シャンクスヴィルの野に、時速900キロで墜落した。目標は、議会議事堂かホワイトハウスだったと考えられている。
死者2977人(実行犯を除く)。世界貿易センター2753人、国防総省184人、93便40人。93か国。消防士343人、警察官71人。逃げ遅れた人と、助けに上った人。上の階から飛び降りた人が、少なくとも100人。
その日。全米の空港が閉鎖され、上空の4500機が着陸させられた(カナダのガンダーの町が、38機、6600人を受け入れた)。国境が閉じ、株式市場が4日、止まった。
その後。9月14日、議会が武力行使の権限を大統領に与えた(反対1票。バーバラ・リー下院議員)。10月7日、アフガニスタン侵攻。10月26日、愛国者法(監視の権限の拡大)。11月、運輸保安庁(空港の検査)。2002年、国土安全保障省。2003年3月、イラク侵攻(大量破壊兵器を理由に。見つからなかった)。グアンタナモ。拷問。
2011年5月2日、パキスタンのアボッタバードで、ビン・ラディンが米軍特殊部隊に殺された。
「グラウンド・ゼロ」。跡地には、2つの正方形の滝(元の2棟の輪郭)と、その縁に犠牲者の名前が刻まれた記念碑。2014年、新しいビル(ワン・ワールド・トレード・センター。高さ541.3メートル=1776フィート。独立宣言の年)。
粉塵。崩壊で、アスベストと鉛とガラス繊維とコンクリートの微粉が、下町を覆った。救助と清掃に当たった人と住民に、呼吸器の病気と癌が広がった。2023年までに、粉塵に関連する病気で亡くなった人の数が、当日の死者に近づいた、と報じられた。
アメリカのイスラム教徒への嫌がらせが増え、9月15日にはアリゾナで、ターバンを巻いていたシク教徒のガソリンスタンド経営者が撃たれて死んだ。