できごと

ミャンマーのクーデター

2021 Myanmar coup d'état
AD2021年2月1日
重要度 3
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このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2021年2月1日の版図を描いています(29勢力)。

概要

選挙で大勝した政権を軍が拘束し、10年の民政が終わった。デモへの発砲から内戦になり、いまも続いている。

場所

ネピドー
19.76°N 96.08°E · ミャンマー

本文

ミャンマーの軍は、独立の時から国の中心にいた。独立の父とされるアウンサン自身が、日本の支援で作られた軍の指導者だった。そのアウンサンが1947年に暗殺され、翌年に独立した国では、少数民族の武装闘争と共産党の反乱が続いた(ビルマの独立)。1962年、ネウィン将軍がクーデターで権力を握り、以後およそ半世紀、軍が国を治めることになる。

1988年、経済の行き詰まりに怒った学生と市民が全国で立ち上がった(8888民主化運動)。軍はこれを銃で抑え込んだが、運動の中から一人の指導者が現れる。イギリスから母の看病に帰っていたアウンサンの娘、アウンサンスーチーだった。彼女の率いる国民民主連盟(NLD)は1990年の総選挙で圧勝したが、軍は結果を認めず、彼女は通算で15年にわたって自宅に軟禁された。1991年にはノーベル平和賞を受けている。

東京の霞ヶ関でアウンサンスーチーの釈放を要求する約3000人の在日ミャンマー人の群衆
東京の霞ヶ関でアウンサンスーチーの釈放を要求する約3000人の在日ミャンマー人の群衆Wikimedia Commons Syced · CC0

軍は、自ら描いた道筋で民政に移ろうとした。2008年に作った憲法は、議会の4分の1の議席を選挙を経ない軍人に割り当て、憲法の改正には4分の3を超える賛成を要するとした。つまり軍が同意しない限り、憲法は変えられない。外国籍の家族を持つ者は大統領になれないという条項もあり、イギリス人と結婚したアウンサンスーチーを締め出すものだと受け取られた。2011年、軍出身のテインセインを大統領とする政府が発足し、形の上では民政になった。

2015年の総選挙でNLDが大勝した。アウンサンスーチーは大統領になれなかったため、国家顧問という新しい地位を作り、事実上の政府の長になった。ただし国防と治安と国境の担当は、憲法で軍が握ったままだった。二つの権力が並び立つ危うい形で、軍とNLDの間の溝は埋まらなかった。2017年に西部で起きたロヒンギャへの軍の掃討(ロヒンギャ危機)では、アウンサンスーチーが軍を擁護する立場をとり、国際社会での評価を大きく落とした。

2021年、ヤンゴンでの軍政反対デモ
2021年、ヤンゴンでの軍政反対デモWikimedia Commons VOA Burmese · Public domain

2020年11月の総選挙で、NLDはふたたび大勝した。軍系の政党、連邦団結発展党は惨敗した。軍は有権者名簿に大規模な不正があると主張したが、選挙管理委員会は退けた。

2021年2月1日、新しい議会が開かれるはずだった朝、軍はウィンミン大統領とアウンサンスーチー国家顧問を拘束した。国軍総司令官ミンアウンフラインが全権を握り、非常事態を宣言した。10年続いた民政は、一夜で終わった。

拘束されたアウン・サン・スー・チーの肖像を掲げる抗議者たち
拘束されたアウン・サン・スー・チーの肖像を掲げる抗議者たちWikimedia Commons Unknown author Unknown author · Public domain

街に人が出た。若者たちは、タイの抗議運動にならって三本の指を掲げた。夜になると、悪いものを追い払うという言い伝えにちなんで、家々で鍋やフライパンを叩いた。医師や教師、鉄道員、銀行員などの公務員が仕事を放棄する「市民不服従運動」が広がり、役所も病院も止まった。

軍は撃った。2月の末から発砲が本格化し、3月27日の国軍記念日には、一日で100人以上が殺された。抗議は武力で抑え込まれ、数か月で死者は数百人に達した。

2021年のASEAN特別首脳会議(フン・センとジョコ・ウィドド)
2021年のASEAN特別首脳会議(フン・センとジョコ・ウィドド)Wikimedia Commons Office of Indonesian Foreign Minister · Public domain

平和的な抗議の道を断たれた若者たちは、国境の山地へ向かった。そこでは、何十年も軍と戦ってきた少数民族の武装組織が待っていた。拘束を免れた議員らは4月に国民統一政府を作り、その下に国民防衛隊が組織された。少数民族の組織から訓練と武器を受けた若者たちは、各地で軍と戦い始めた。かつて互いに不信を抱いていた多数派のビルマ人と少数民族が、軍という共通の敵の前で手を組んだ。内戦になった。

2023年10月、北東部のシャン州で三つの少数民族武装組織が一斉に攻勢に出て、中国との国境の町々を次々に奪った。これをきっかけに軍は各地で押され、多くの基地と町を失った。兵が足りなくなった軍は、2024年に徴兵制を発動し、若者たちの国外への脱出に拍車をかけた。2025年3月には中部で大地震が起き、多くの死者が出たが、その後も空爆は止まなかった。軍は2025年の末から自らの管理のもとで総選挙を行ったが、戦闘の続く地域では投票ができず、NLDはすでに解散させられていた。

戦いで殺された市民は数千人にのぼり、家を追われた人は国内だけで300万人を超えると国連は推計している。

アウンサンスーチーは、拘束のあと、無線機の不法な輸入、汚職、選挙の不正など多くの罪に問われ、合わせて33年の刑を言い渡された。のちに恩赦で一部が減じられたが、80歳を過ぎても、拘束は解かれていない(2025年末の時点)。父のアウンサンが暗殺されてから74年後のクーデターだった。軍を作った人の娘が、その軍に囚われている。

動画(1)

【ミャンマー・クーデター①】アウンサンスーチーvs国軍の権力闘争(Myanmar's power struggle)中田敦彦のYouTube大学 - NAKATA UNIVERSITY2021年のクーデターを、スーチーと国軍の関係から語る

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