概要
2001年6月1日、ネパールの王宮で、皇太子が銃を乱射して国王夫妻ら王族9人を殺し、自らも撃って死んだ。王位を継いだ国王の弟ギャネンドラは、毛沢東主義の武装勢力との内戦を理由に議会を停止し、2005年には全権を握った。2006年、首都の街頭に数十万人が集まる運動で国王は権力を手放し、内戦も終わる。2008年5月28日、選挙で選ばれた制憲議会は、240年続いた王政を廃止し、ネパールを連邦民主共和国とした。かつて武器を取った毛沢東主義の党は、選挙で第一党になった。
場所
27.72°N 85.32°E · ネパール
本文
ネパールは、18世紀の半ば、ゴルカの王プリトビ・ナラヤン・シャハが、カトマンズ盆地の小国を攻め取ってまとめた国である。19世紀から20世紀の半ばまでは、宰相を世襲したラナ家が実権を握り、王は飾りにとどまった。1951年に王が実権を取り戻し、1990年の民主化の運動で、議会を持つ立憲君主の国になった。
1996年、ネパール共産党毛沢東主義派は、王政の廃止と、貧しい農民とカーストの低い人々の解放を掲げて武装闘争を始めた。山の村々を支配下に置き、政府軍と戦う。10年に及ぶ内戦で、1万数千人が死んだ。
2001年6月1日の夜、カトマンズの王宮の夕食会で、皇太子ディペンドラが銃を乱射し、父の国王ビレンドラと母の王妃ら9人を殺し、自らも頭を撃った。結婚をめぐって両親と対立していたとされる。意識のないまま王位に就いた皇太子は3日後に死に、国王の弟ギャネンドラが王位を継いだ。国の多くの人は、この説明を疑った。ギャネンドラは内戦の混乱を理由に首相を解任し、2005年2月には議会を停め、自ら全権を握った。
2006年4月、主な政党と毛沢東主義派が手を結び、カトマンズの街頭に数十万人が集まって、外出の禁止を破り続けた。19日間の運動の末、国王は議会を元に戻すと約束し、11月には内戦を終わらせる和平の協定が結ばれた。2008年4月の制憲議会の選挙で、毛沢東主義派は第一党になる。5月28日、制憲議会は王政の廃止を決め、ネパールは連邦民主共和国になった。ギャネンドラは王宮を出て、一市民になった。