概要
1976年7月10日の昼、ミラノの北の町セベソの近くにある化学工場で、反応の釜の温度が上がりすぎ、猛毒のダイオキシンを含む雲が噴き出した。風下の町に白い粉が降り、数日のうちに小動物が死に、子どもたちの皮膚にただれが出る。住民が避難させられたのは一週間以上たってからだった。数万頭の家畜が処分される。この事故をきっかけに、危険な物質を扱う工場に、周りの住民への情報の公開と備えを求めるヨーロッパの決まりが作られた。
場所
セベソ
45.65°N 9.14°E · イタリア・ロンバルディア州
45.65°N 9.14°E · イタリア・ロンバルディア州
本文
白い粉。
1976年7月10日の昼。
(1)ミラノの北の町セベソの近くの化学工場で、反応の釜の温度が上がりすぎた。
(2)そして、猛毒のダイオキシンを含む雲が噴き出した。
(3)さらに、風下の町に白い粉が降った。
遅れた避難。
数日のうちに、小動物が死んだ。
(1)子どもたちの皮膚に、ただれが出た。
(2)そして、住民が避難させられたのは、一週間以上たってからだった。
(3)さらに、数万頭の家畜が処分された。
残ること。
危険な物質を扱う工場に、周りの住民への情報の公開と備えを求める。
そのヨーロッパの決まりが、この事故をきっかけに作られた。町の名が、決まりの名になった。