できごと

スヴァールバル世界種子貯蔵庫

The Svalbard Global Seed Vault
AD2008年2月26日
重要度 4
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概要

北極圏の島の、永久凍土の山腹に、130メートルの坑道を掘って作られた。各国の種子銀行が、その複製を預ける。所有権は預けた側にあり、貯蔵庫は開けない。金庫の貸金庫と同じ仕組みである。零下18度に保つが、電気が止まっても凍土が数十年、温度を保つ。収蔵は120万点を超えた。2015年、シリアの内戦で研究所を失ったICARDAが、初めて引き出しを求めた。中東の乾燥地の小麦と大麦の種が、モロッコとレバノンへ送られ、殖やされ、そして返された。

場所

スヴァールバル
78.23°N 15.49°E · ノルウェー

本文

世界には、作物の種を保存する種子銀行が1700ほどある。国が営むもの、大学や国際的な研究機関が営むものなど、規模も形もさまざまだ。種子銀行は、品種改良の材料となる古い品種や野生の近縁種の種を冷やして保管し、研究者や育種家の求めに応じて配る。ところがこの銀行そのものが、たびたび失われてきた。戦争、内戦、火災、停電、資金切れ、そして管理の不手際によってである。

2002年ごろ、アフガニスタンでは内戦の混乱の中で、国内の種子の保管施設が荒らされた。狙われたのは種ではなく、種を入れていたガラス瓶や金属の容器だったと伝えられ、中身の種は床にぶちまけられた。2003年のイラク戦争では、バグダッド近郊のアブ・グレイブにあった国の遺伝資源の施設が、略奪と破壊で失われた。幸い、その一部の複製がシリアの国際研究機関に預けてあった。フィリピンでは2006年に台風の洪水が、2012年には火災が国の種子銀行を襲った。記録に残らない喪失は、さらに多いと考えられている。

イラク戦争に関わる図版:UStanks baghdad 2003
イラク戦争Wikimedia Commons Technical Sergeant John L. Houghton, Jr., United States Air Force · Public domain

こうした危うさに備えて、どこか安全な場所に複製を置いておこうという考えは、1980年代からあった。実際、1984年から北欧の種子銀行が、北極圏のスヴァールバル諸島にある廃坑の中に種を保管していた。2004年、食料と農業のための植物遺伝資源を各国で共有する国際条約が発効すると、世界規模の保管庫を作る話が具体化した。ノルウェー政府が建設を引き受け、2006年6月に工事が始まり、2008年2月26日に開所した。

場所は、スヴァールバル諸島最大の島スピッツベルゲン島の町ロングイェールビーンの近く、北緯78度である。人が定住している町としては世界で最も北の部類に入る。空港があるので種を運び込める。島々はノルウェーの領土で、1920年の条約によって軍事利用が禁じられ、締約国の人々が経済活動を行える特別な地位にある。政治が安定していることも、何十年、何百年という単位で種を預ける場所に欠かせない条件だった。

貯蔵庫内部の様子
貯蔵庫内部の様子Wikimedia Commons Dag Endresen · Public domain

保管庫は山の中腹に掘られている。入口から100メートルあまりの坑道が山の奥へ延び、その突き当たりに三つの保管室がある。入口は海抜約130メートルにあり、極地の氷がすべて融けて海面が上がっても水に沈まない高さとして選ばれた。周りの岩は永久凍土で、ふだんから氷点下数度に冷えている。保管室は冷凍機でさらに零下18度に保たれる。これは種を長く保存するときの国際的な目安の温度で、この条件なら多くの作物の種が数十年から数百年、芽を出す力を保つとされる。仮に電気が止まっても、周りの凍土が長いあいだ低い温度を守ってくれる。この場所が選ばれた最大の理由はそこにある。大麦なら2000年、モロコシなら2万年近く持つという推計もあるが、実際に測ったものではなく、計算で引き延ばした数字である。

仕組みで最も大事なのは、保管庫が種を「持たない」ことである。各国の種子銀行は、自分の収蔵品の複製を箱に詰めて送る。箱は封をされたまま棚に並べられ、持ち主は預けた側のままである。保管庫の運営者は箱を開けず、中身を調べもしない。引き出しを求められるのは、預けた本人だけだ。銀行の貸金庫と同じ考え方である。

スヴァールバル世界種子貯蔵庫の種子保存用アルミ袋
スヴァールバル世界種子貯蔵庫の種子保存用アルミ袋Wikimedia Commons Dag Endresen · Public domain

この仕組みがあったから、多くの国が参加できた。作物の遺伝資源をどの国が持つのかは、極めて敏感な問題である。豊かな国の企業が貧しい国の在来の品種を持ち出し、それをもとに権利を取ることへの警戒は強い(種苗と育成者の権利)。もし保管庫が世界中の種を「集める」機関だったなら、多くの国は預けなかっただろう。建物はノルウェー政府が持って費用を負担し、北欧の遺伝資源の研究機関が運営する。途上国の種子銀行が種を準備して送るのは、国際的な基金が支えている。

開所したときの収蔵は約27万点だった。いまは120万点を超える。米、小麦、とうもろこしの国際研究機関が大口の預け手で、100を超える国と機関が箱を寄せている。政治的に対立する国どうしの箱が、同じ棚に並んでいる。

スヴァールバル貯蔵用の北欧遺伝資源センターの種子箱(2007年)
スヴァールバル貯蔵用の北欧遺伝資源センターの種子箱(2007年)Wikimedia Commons Dag Endresen · CC BY 2.0

この保管庫が初めて本当に使われたのは、2015年である。国際乾燥地農業研究センターは、シリアのアレッポ近郊に本部を置き、中東の乾いた土地で育つ小麦、大麦、レンズ豆、そら豆、ひよこ豆の種を、世界で最も多く集めていた。その数は約15万点にのぼった。2012年、シリア内戦がアレッポに及び、外国人の職員は退避した。地元の職員の一部が残って発電機を回し、冷凍を保ったので、種そのものは守られた。しかし施設は使えなくなり、種を畑で殖やして世界の研究者へ配るという本来の仕事が止まった。種子銀行は、種を配れなければ意味がない。

2015年9月、センターはスヴァールバルに預けていた複製の返却を求めた。約3万8000点が北極圏から運び出され、新たに拠点を置いたモロッコとレバノンの施設へ送られた。そこで畑に蒔かれ、殖やされ、研究者に配られた。そして2017年以降、殖やした種の複製が、再びスヴァールバルに預け直された。保管庫は、まさに設計されたとおりに働いた。

問題もある。2016年秋、異例の暖かさで永久凍土の表面が融け、入口の坑道に水が流れ込んだ。保管室はさらに奥にあり、種に被害はなかったが、気候の変化から種を守るための施設が気候の変化に脅かされたことは、警告として受け止められた。その後、入口まわりの防水と排水が大がかりに改修された。

種で保存できない作物もある。じゃがいも、さつまいも、キャッサバ、バナナ、りんごなど多くの果樹は、種から育てると親と同じ品種にならないか、種がそもそも長く持たない。こうした作物は、畑で生きたまま育て続けるか、組織を培養したり液体窒素で凍らせたりして保つしかなく、スヴァールバルには預けられない。そして畑の保存は、災害にも資金にも政治にも、はるかに弱い。

貯蔵庫だけでは足りない理由は、ほかにもある。種は生きているので、冷凍しても少しずつ芽を出す力が落ちる。定期的に蒔いて殖やし、新しい種に更新しなければならない。それは元の種子銀行の仕事で、スヴァールバルは複製を預かるだけである。元の銀行が働かなくなれば、複製もいずれは死ぬ。また、銀行の中の種は時が止まっているが、農民が畑で作り続けている在来の品種は、病気や害虫や気候に応じて変わり続けている。農民が在来の品種を作り続けられるよう支える取り組みも、同じくらい大事だとされる。

こうした保管が必要になったのは、20世紀に作物の多様性が大きく失われたからである。緑の革命で収量の多い品種が世界に広がり、飢えは大きく減ったが、各地の在来の品種はそれに置き換えられた。20世紀に作物の遺伝的な多様性の4分の3が失われた、という国連食糧農業機関の数字がよく引かれるが、その算出の根拠ははっきりしない。それでも大きな喪失があったこと自体は、多くの研究が支持している。

緑の革命に関わる図版:Index-of-cereal-production-yield-and-land-use World
緑の革命Wikimedia Commons Hannah Ritchie · CC BY 4.0

一つの品種に頼る危うさは、歴史が何度も示してきた。19世紀のアイルランドのジャガイモ飢饉では、ほぼ一つの品種に頼っていたじゃがいもが病気で全滅した。1970年のアメリカでは、とうもろこしの大半が同じ系統の性質を受け継いでいて、その系統に弱い病気が広がり、全国の収穫が1割以上減った。種の多様性を集めようとした先人には、20世紀前半に世界中を旅して種を集めたニコライ・ヴァヴィロフがいる。彼の集めた種は包囲下の種子で、包囲された町の研究者たちが飢えながら守った。

北極圏の山の中に、120万を超える種の箱が眠っている。そのほとんどは、二度と開けられないほうがよい。開けられるのは、どこかで何かが失われたときだからである。

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