人物

ジェニファー・ダウドナ

Jennifer Doudna
AD1964年2月19日 – ?
アメリカ合衆国重要度 4

概要

シャルパンティエとともに、細菌の免疫の仕組みをゲノム編集の道具にした。その道具が人の胚に使われることを、自分で警告している。2020年ノーベル化学賞。

所属

アメリカ合衆国

関わったできごと(1)

CRISPR-Cas9によるゲノム編集AD2012年6月28日 · 共同発表

本文

1964年、アメリカの首都ワシントンで生まれた。7歳のとき、父がハワイ大学ヒロ校で英米文学を教えることになり、一家はハワイ島のヒロに移った。火山と熱帯雨林に囲まれた町で、少女は森を歩き、珍しい植物や虫を観察して育った。金髪で背の高い彼女は、地元の子どもたちの中で浮いていて、学校ではいじめも受けたという。自分はよそ者だという感覚が、のちの研究への打ち込み方につながったと、本人は振り返っている。

ジェニファー・ダウドナ
ジェニファー・ダウドナWikimedia Commons Jussi Puikkonen/KNAW · CC BY 2.0

6年生のころ、父がジェームズ・ワトソンの『二重らせん』をベッドの上に置いておいた。彼女は最初、探偵小説だと思って読み始めた。生命の仕組みが分子の形で説明できること、そしてその謎を解く競争に人間くさいドラマがあること。それに心を奪われた(DNAの二重らせん)。高校の進路相談では、女の子は科学者にならないと言われたが、気にしなかった。

カリフォルニアのポモナ大学で化学を学び、ハーヴァード大学の大学院へ進んだ。そこで取り組んだのはRNAだった。DNAの情報を写し取る脇役と思われていたRNAが、自分で化学反応を進める酵素のような働きもすることが、そのころ分かり始めていた。生命が最初はRNAから始まったのではないか、という大きな問いにつながる研究である。その後、コロラド大学でRNAの立体構造を研究し、1996年、RNAが複雑な形に折りたたまれた姿を原子のレベルで初めて明らかにした。イェール大学を経て、2002年からカリフォルニア大学バークレー校で研究室を率いた。

2006年ごろ、同じバークレーの微生物学者から、細菌のDNAの中に見つかった奇妙な繰り返しの配列について相談を受けた。CRISPR(クリスパー)と呼ばれるこの配列は、細菌がウイルスから身を守る免疫の仕組みらしい。細菌は、侵入したウイルスのDNAの断片を自分のゲノムに書き込んでおき、次に同じウイルスが来ると、その記録をRNAに写して目印にし、ウイルスのDNAを見つけて切る。ダウドナは、そのRNAと、切る役目のタンパク質の構造を調べ始めた。

2011年春、プエルトリコでの学会で、フランス出身の微生物学者エマニュエル・シャルパンティエと出会った。シャルパンティエは、化膿レンサ球菌の中で、Cas9というタンパク質がこの免疫の中心で働いていることを突き止めていた。二人は旧市街を歩きながら、共同研究を約束した。スウェーデンとバークレーの研究室の間で、試料とデータが行き来した。

2012年6月、二人のチームは論文を発表した(CRISPR-Cas9によるゲノム編集)。Cas9は、二種類のRNAに導かれて、狙ったDNAの場所を切る。そして二種類のRNAを一本につなげた人工のRNAを作れば、その配列を書き換えるだけで、どんなDNAでも思った場所で切れる。論文の最後に、これは遺伝子を書き換える道具として使えるかもしれない、と書いた。

それからの広がりは速かった。翌年の初めには、マサチューセッツのブロード研究所の張鋒らと、ハーヴァード大学のジョージ・チャーチらが、相次いでヒトの細胞での編集に成功した。それまで数か月かかった遺伝子の改変が、数日で、安く、どこの研究室でもできるようになった。2003年のヒトゲノム計画の完了で人間の遺伝情報を読めるようになってから10年、今度はそれを書き換える道具が手に入ったのである。農作物、家畜、病気の研究、遺伝病の治療へと、使い道は一気に広がった。

その一方で、特許をめぐる長い争いが始まった。ダウドナの側は、自分たちが最初に仕組みを示したと主張し、ブロード研究所の側は、ヒトの細胞で使えるようにしたのは自分たちだと主張した。アメリカの特許の審判では、ヒトなどの細胞での利用についてブロード研究所の側に有利な判断が続いたが、ヨーロッパでは扱いが違い、争いは長く続いた。

ダウドナは、自分の道具が何をもたらしうるかに怯えるようになった。ヒトラーが自分の発明を使いたがっている夢を見た、と自伝的な著書に書いている。2015年、彼女は科学者たちを集め、子孫に受け継がれるヒトの受精卵や生殖細胞の編集を、安全性と倫理の議論が尽くされるまで控えるよう呼びかけた。

2018年11月、中国の研究者・賀建奎が、受精卵の段階で遺伝子を編集した双子の女の子が生まれた、と発表した。エイズウイルスに感染しにくくするためだという。ちょうど香港で開かれていた国際会議の場で、ダウドナは主催者の一人として彼の発表を聞くことになった。世界中の科学者が非難し、賀建奎は翌年、中国の裁判所で有罪判決を受けた。恐れていたことが、予想よりずっと早く起きたのだった。

2020年、シャルパンティエとともにノーベル化学賞を受けた。科学の部門で、女性二人だけが受賞するのは初めてだった。同じ年、新型コロナウイルスが広がると、彼女の研究所は大学の中に検査施設を立ち上げ、CRISPRを使った検査法の開発にも取り組んだ。

2023年、イギリスとアメリカで、CRISPRを使った初めての治療法が承認された。鎌状赤血球症という遺伝性の血液の病気に対するものである。細菌の免疫の研究から始まった発見は、10年あまりで病院に届いた。人間が自分自身の遺伝子を書き換える力を手にしたこと、その使い方を誰がどう決めるのか。彼女はいまもその議論の先頭に立っている。

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