概要
パプアニューギニアのブーゲンビル島には、世界有数の銅山パングナがあった。利益は外国の会社と首都の政府に流れ、土地を削られた島の人々には、川の汚れが残った。1988年、地主の若者たちが鉱山の送電線を爆破し、島の独立を求める戦いが始まる。政府は島を封鎖し、薬も食べ物も届かなくなった。1998年に停戦が結ばれるまでに、戦いと封鎖で一万人を超える人が死んだとされる。2019年の住民投票では、97パーセントが独立を選んだ。
場所
-6.20°N 155.50°E · パプアニューギニア・ブーゲンビル自治州
本文
ブーゲンビル島は、地理ではソロモン諸島に属するが、19世紀の末にドイツとイギリスが島々を分け合ったとき、ドイツ領ニューギニアの側に入れられた。そのためパプアニューギニアの一部となったが、島の人々は肌の色も言葉も、ソロモン諸島の人々に近い。
1972年、島の中央の山で、オーストラリアの会社が運営するパングナ銅山が操業を始めた。露天で掘る世界有数の銅と金の鉱山で、パプアニューギニアの輸出の半分近くを稼いだ。しかし利益の大半は会社と首都ポートモレスビーの政府に入り、島の地主に入るのはわずかだった。削られた土と鉱滓は川に流され、魚が消え、畑が埋まった。
1988年、地主の側のフランシス・オナらが、鉱山の送電線の鉄塔を爆破した。翌年、鉱山は閉じられ、1990年、ブーゲンビル革命軍が独立を宣言する。政府は軍を送り、島を海と空から封鎖した。薬も食べ物も入らない年月が続き、島の人々どうしの争いも重なった。1997年には、政府が外国の傭兵を雇おうとしたことが露見し、首都で軍が反旗を翻し、首相が退陣に追い込まれている。
1997年から98年にかけて、ニュージーランドの仲立ちで停戦が結ばれ、2001年の和平協定で、島は自治政府を持つことになった。死者は一万人から二万人とされる。協定に基づく2019年の住民投票では、97.7パーセントが独立を選んだ。ただし投票に拘束力はなく、独立の時期はパプアニューギニアの議会との話し合いに委ねられている。