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Story / ストーリー

戦争と平和の歴史

出てくるできごと BC1274 – AD2022
できごと 51
この物語に出てくる図版:Karnak Ägyptisch-Hethitischer Friedensvertrag 06
この物語に出てくるエジプト・ヒッタイト平和条約から。Karnak Ägyptisch-Hethitischer Friedensvertrag 06 Wikimedia Commons Olaf Tausch · CC BY 3.0

概要

戦争を無くせなかった人類が、それでも戦争を縛り、減らし、裁こうとしてきた工夫の歴史。

この物語について

戦争は、文明と同じくらい古い。人はいつから、戦争を止めよう、せめて戦争に決まりを作ろうと考えはじめたのか。そして、それはどれほど効いてきたのか。

最古の平和条約は、三千年あまり前、エジプトとヒッタイトの王が戦いのあとで結んだものだった。インドのアショーカ王は、血にまみれた征服を悔いて、武力による征服を捨てると碑に刻んだ。中世のヨーロッパでは、教会が「神の平和」を唱えて、戦ってよい相手と日を限ろうとした。

宗派の争いが国々を焼いた17世紀、グロティウスは、国と国の間にも理性の法があると説き、三十年戦争はウェストファリアの講和で、主権を持つ国々が並び立つ秩序を生んだ。カントは、市民が戦争を決める国々の連合が、永遠の平和への道だと考えた。

19世紀には、戦場の負傷者を敵味方なく助ける赤十字が生まれ、ハーグの会議は戦争の法を条約にした。二つの世界大戦のあいだ、人類は国際連盟と不戦条約で戦争そのものを禁じようとして失敗し、それでも国際連合と、侵略を裁く法廷を作り直した。

核兵器の登場で、戦争は人類を終わらせうるものになった。科学者たちの宣言、核実験の禁止、核拡散の防止、ミサイルの全廃、地雷の禁止。冷戦は、大国どうしが直接戦わないまま終わった。

だが戦争は終わっていない。この物語は、戦争を無くせないまま、それでも戦争を縛り、減らし、裁こうとしてきた人類の試みを、成功も失敗も含めて並べたものになる。

この物語が起きた場所

ロシアカナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国中国ブラジルオーストラリアグリーンランドカザフスタンアルゼンチンインドアルジェリアスーダンザイールモンゴルワシントンD.C.(5件) 十四か条の平和原則 ワシントン海軍軍縮条約 キューバ危機 核拡散防止条約 中距離核戦力全廃条約5パリ(3件) グロティウス『戦争と平和の法』 不戦条約 世界人権宣言3ジュネーヴ(3件) 第一回ジュネーヴ条約 国際連盟の発足 国際連合の成立3ウィーン(2件) ウィーン会議 国際原子力機関の設立2ハーグ(2件) ハーグ平和会議 国際刑事裁判所2イーペル(2件) クリスマス休戦 イーペルの毒ガス2ベルリン(2件) 第二次世界大戦 ベルリンの壁の崩壊2ロンドン(2件) ユネスコの設立 ラッセル=アインシュタイン宣言2東京(2件) 東京裁判 日本国憲法2カデシュ(1件) カデシュの戦いカリンガ(1件) カリンガ戦争とアショーカの改宗サーンチー(1件) アショーカ王の碑文シャルー(1件) 神の平和クレルモン(1件) 十字軍の呼びかけオノンダガ(1件) イロコイ連邦の成立(大平和の法)プラハ(1件) 三十年戦争ミラノ(1件) ベッカリーア『犯罪と刑罰』ケーニヒスベルク(1件) カント『永遠平和のために』ソルフェリーノ(1件) 『ソルフェリーノの思い出』ストックホルム(1件) ノーベル賞の始まりサラエヴォ(1件) 第一次世界大戦ヴェルサイユ(1件) ヴェルサイユ条約ダンディ(1件) 塩の行進北京(1件) 満洲事変広島(1件) 広島・長崎への原爆投下ニュルンベルク(1件) ニュルンベルク裁判ビキニ環礁(1件) 第五福竜丸シナイ半島(1件) 国連平和維持軍の始まりモスクワ(1件) 部分的核実験禁止条約ヘルシンキ(1件) ヘルシンキ宣言キガリ(1件) ルワンダ虐殺スレブレニツァ(1件) スレブレニツァの虐殺オタワ(1件) 対人地雷禁止条約ニューヨーク(1件) 核兵器禁止条約キーウ(1件) ロシアのウクライナ侵攻

できごと49件が起きた35か所。 同じ場所で何度も起きていれば、その数だけ大きくなります。国境はAD2022の版図(この枠に大きく入る15勢力)。 物語は何百年にもまたがるので、最後のできごとの年で描いています。人物・国と、場所の分かっていないできごと2件は出ていません。押すと、この物語だけに絞った地図が開きます。

筋(51)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. カデシュの戦いできごとBC1274年大国どうしの戦いと、その後エジプトとヒッタイトが戦車で激突した。記録に残る最古級の大会戦で、双方が勝利を主張した。カデシュ(位置は特定されていない)
  2. エジプト・ヒッタイト平和条約できごとBC1259年最古の平和条約現存する最古の国際和平条約。両国の言語で書かれた版が双方に残っている。
  3. カリンガ戦争とアショーカの改宗できごとBC261年征服を悔いた王十万を超える死者を出した征服の惨禍を悔い、アショーカ王は仏教に帰依して法による統治へ転じた。カリンガ(位置は特定されていない)
  4. アショーカ王の碑文できごとBC260年頃武力でなく法による征服法(ダルマ)による統治を石柱と岩に刻ませた。インド最古級の文字記録でもある。サーンチー
  5. 神の平和できごとAD989年戦ってよい相手と日を限る10世紀の末、王の力が衰えたフランスでは、城を構えた騎士たちが互いに争い、教会や農民の家畜を奪った。989年、フランス西部のシャルーの修道院に司教たちが集まり、教会を襲う者、農民や貧しい者から家畜を奪う者、武器を持たない聖職者を打つ者を、教会から締め出すと宣言した。聖人の遺物が野に運び出され、大勢の民衆の前で騎士たちが誓わされた。11世紀には、決まった曜日や祭りの季節には戦ってはならないという「神の休戦」が加わる。戦いそのものをなくすのではなく、戦ってよい相手と時を限る試みだった。シャルー
  6. 十字軍の呼びかけできごとAD1095年内の平和と外への暴力教皇が聖地の回復を呼びかけた。以後200年、ヨーロッパと西アジアが繰り返しぶつかる。クレルモン
  7. イロコイ連邦の成立(大平和の法)できごとAD15世紀頃(1142年説もある)五つの部族の和平の法五つの部族が争いをやめ、一つの長屋に住むと誓った。武器を白い松の根元に埋めた、と伝承は語る。合議と氏族の母による首長の選出が、その法の中身になる。オノンダガ(位置は特定されていない)
  8. 三十年戦争できごと1618年宗派の名による殺戮宗教戦争として始まり、国家どうしの戦争として終わった。ドイツでは地域によって人口が3分の1減ったとされる。プラハ
  9. グロティウス『戦争と平和の法』できごとAD1625年国と国の間の法オランダの法学者フーゴー・グロティウスは、国内の宗教の争いに巻き込まれて終身刑を言い渡されたが、妻の手引きで本を運ぶ箱に隠れて城から逃げ、パリに亡命した。三十年戦争のさなかの1625年、そこで出したのが『戦争と平和の法』である。国と国の間にも、人の理性から導かれる法がある。戦争には正しい理由が要り、戦争の最中にも守るべき決まりがある。グロティウスは、神がいないと仮定しても、この法は成り立つとまで書いた。王も宗派も超えて国々を縛る法を考えたこの本は、国際法の出発点とされる。パリ
  10. ウェストファリア条約できごとAD1648年主権国家の秩序30年戦争を終わらせ、国が互いの内政に干渉しないという原則を置いた。主権国家の体系が始まる。
  11. ベッカリーア『犯罪と刑罰』できごとAD1764年国家の暴力を理屈で問う26歳のミラノの貴族が匿名で出した100ページの本。刑罰の目的は復讐ではなく、犯罪の抑止である。だから、罰は犯罪に比例し、確実で、迅速でなければならない。拷問は無実の弱い者を自白させ、罪ある強い者を放免するので、真実を得る手段として無効である。死刑は、抑止の効果が終身の労役に劣り、国家が殺人を犯すことで暴力を教える。各国語に訳され、エカチェリーナ2世、トスカーナ大公、そしてアメリカの起草者たちが読んだ。ミラノ
  12. カント『永遠平和のために』できごとAD1795年市民が戦争を決める国の連合1795年、プロイセンがフランス革命の政府と講和を結んだ年、71歳のカントは、平和条約の形をとった小さな本を出した。将来の戦争の種をひそかに残した条約は平和条約とはいえない。常備軍はいずれ全廃する。戦争のために国が借金をしてはならない。ほかの国の体制に力で口を出してはならない。そのうえで、どの国も市民が戦争の是非を決める共和的な体制をとり、自由な国々が連合を作るべきだと説いた。戦争の苦しみを負う市民が決めるなら、軽々しく戦争はしないはずだ、という理屈である。国際連盟や国際連合を構想する人々が、この本を読み返した。ケーニヒスベルク
  13. ウィーン会議できごと1814年大国の協調による平和ナポレオン後の秩序を大国で決めた。この枠組みが約100年、ヨーロッパの大戦争を抑える。ウィーン
  14. 『ソルフェリーノの思い出』できごとAD1859年6月24日戦場の負傷者を見た商人北イタリアのソルフェリーノで、フランス・サルデーニャ軍とオーストリア軍が一日戦い、死傷者は数万にのぼった。商用で通りがかったジュネーヴの実業家アンリ・デュナンは、近くの町の教会に運び込まれた負傷兵が、手当てを受けられずに死んでいくのを見た。軍の衛生隊はわずかしかいない。彼は町の女たちを集め、敵のオーストリア兵も同じように手当てした。女たちは「みな兄弟」と言ったと伝えられる。三年後、彼は自費でその光景を本にし、戦争のたびに負傷者を助ける民間の団体を、平時から各国に作っておくべきだと書いた。ソルフェリーノ
  15. 第一回ジュネーヴ条約できごとAD1864年8月22日敵味方なく負傷者を救うデュナンの本に動かされたジュネーヴの五人が委員会を作り、各国の代表を呼んで話し合いを重ねた。1864年8月、十二か国が条約に署名する。戦場の傷病兵は、どちらの国の兵であっても収容して手当てする。野戦病院とそこで働く者は攻撃しない。そのしるしとして、白地に赤い十字を掲げる。わずか十条の取り決めだった。戦争そのものは禁じていない。戦争をする国どうしが、戦争の最中にも守る決まりを、戦争の前に約束したのは、これが初めてである。ジュネーヴ
  16. ハーグ平和会議できごとAD1899年5月18日戦争の法を条約にロシア皇帝ニコライ2世の呼びかけで、1899年5月、26か国の代表がオランダのハーグに集まった。軍備の競争を止めることが表向きの目的だったが、軍備を減らす約束はまとまらなかった。そのかわり、国どうしの争いを裁判のような手続きで解く常設の仲裁裁判所を作り、陸の戦争で捕虜や住民をどう扱うかの決まりを条約にした。毒ガスを撒く砲弾、体の中で広がる弾丸、気球からの爆弾の使用を禁じる宣言も出された。1907年の2回目の会議には44か国が集まる。戦争を禁じることはできなくても、戦争に法の枠をはめる試みだった。ハーグ
  17. ノーベル賞の始まりできごとAD1901年12月10日平和に賞を贈るダイナマイトを発明したアルフレッド・ノーベルは、その爆薬で巨万の富を築いた。兄が死んだとき、ある新聞が本人と取り違えて、死の商人が死んだ、という記事を載せたと伝えられる。1895年、ノーベルは遺言で、財産の大半を基金にし、物理、化学、医学、文学、平和の五つの分野で人類に最も貢献した人に毎年賞を与えるよう書き残した。親族は争ったが、1901年12月10日、彼の命日に最初の授賞式が開かれる。科学の栄誉の最高位が、爆薬の利益から生まれた。ストックホルム
  18. 第一次世界大戦できごと1914年総力戦の惨禍サラエヴォの一発から、同盟の連鎖で世界が巻き込まれた。塹壕と機関銃と毒ガスで1000万人が死ぬ。サラエヴォ
  19. クリスマス休戦できごとAD1914年12月24日兵士たちの自発的な休戦1914年のクリスマス・イヴ、ベルギーのイーペルのまわりなど西部戦線の各地で、ドイツ軍の塹壕の縁に、ろうそくを灯したクリスマス・ツリーが並んだ。「きよしこの夜」の歌声が聞こえ、向かいのイギリス兵も歌で応えた。翌日、両軍の兵士たちは誰の命令もなく塹壕を出て、敵味方の間の無人地帯で握手し、たばこや食べ物、軍服のボタンを交換し、倒れたままの仲間を一緒に葬った。サッカーをしたという話も残る。司令部はこれを嫌い、翌年からは厳しく禁じた。戦争はこのあと4年近く続いた。イーペル
  20. イーペルの毒ガスできごとAD1915年4月22日禁じたはずの毒ガス1915年4月22日の夕方、ベルギーのイーペルの北で、ドイツ軍は塹壕に並べた五千本あまりのボンベの栓を開け、170トンほどの塩素を風に乗せて流した。黄緑色の雲が、アルジェリアの兵とフランスの兵の塹壕に流れ込み、兵は喉と肺を焼かれて逃げ出した。前線に数キロの穴が開いたが、ドイツ軍にも突破に回す兵がなく、カナダ兵がその穴をふさいだ。大がかりな毒ガスの使用はこれが初めてで、指揮したのは化学者フリッツ・ハーバーだった。以後、両軍がガスを撃ち合い、1917年にここで使われたマスタードガスは、町の名から「イペリット」と呼ばれる。イーペル
  21. 十四か条の平和原則できごとAD1918年1月8日民族自決と国際機構の構想ウィルソンが議会で読んだ。秘密外交の廃止、海洋の自由、軍備縮小、民族自決、国際連盟。ドイツはこれを信じて休戦を求め、ヴェルサイユで違うものを受け取った。アメリカ議会は連盟を拒んだ。理想は、言った国が最初に捨てた。ワシントンD.C.
  22. ヴェルサイユ条約できごとAD1919年6月28日次の戦争の種を残した講和敗戦国に過酷な賠償を課した。この不満が20年後の戦争の土壌になる。ヴェルサイユ
  23. 国際連盟の発足できごとAD1920年1月10日最初の国際機構第一次世界大戦のあと、二度と戦争を起こさないために、国々が集まって争いを話し合いで解く常設の組織が作られた。1920年1月10日、ジュネーヴに本部を置いて国際連盟が発足する。提唱したのはアメリカの大統領ウィルソンだったが、アメリカの議会は加盟を認めなかった。日本は常任の理事国となり、新渡戸稲造が事務次長を務めた。難民や衛生や労働の分野では成果を残したが、大国の侵略を止める力は無かった。その反省から国際連合が作られる。ジュネーヴ
  24. ワシントン海軍軍縮条約できごとAD1922年2月6日軍備を数字で縛る第一次世界大戦のあと、アメリカ、イギリス、日本は、巨大な戦艦を次々に造る競争に入り、どの国の財政も悲鳴を上げていた。1921年、アメリカの呼びかけでワシントンに各国が集まり、会議の初日、アメリカの国務長官は、建造中の戦艦を含めて多くの艦を廃棄しようと、具体的な艦の名を挙げて提案した。翌年2月6日に結ばれた条約は、主力艦の保有量を、米英5・日本3・仏伊1.67の割合に抑え、10年間は新しい戦艦を造らないと決めた。軍備を数字で縛る、最初の大きな軍縮条約だった。日本の海軍の中では、この割合を受け入れるかどうかで深い亀裂が残った。ワシントンD.C.
  25. 不戦条約できごとAD1928年8月27日戦争の放棄1928年8月27日、パリで、15か国の代表が、国の政策の手段としての戦争を放棄し、争いは平和的な手段でだけ解くと約束する条約に署名した。フランスの外相ブリアンが持ちかけた米仏の約束を、アメリカの国務長官ケロッグが多くの国に広げたもので、のちに六十を超える国が加わる。日本も加わった。違反した国を罰する仕組みはなく、自衛のための戦いは認められると解釈された。各国は戦争を「事変」と呼び替えて戦い続け、条約は十年あまりで無力をさらけ出した。だが戦争を違法とする考えは残り、戦後の国際連合の憲章や、侵略を裁いた戦犯の裁判の土台になった。パリ
  26. 塩の行進できごと1930年非暴力という闘い方塩の専売に抗い、380kmを24日かけて歩いた。誰でも真似できる不服従が、帝国を揺さぶる。ダンディ
  27. 満洲事変できごとAD1931年9月18日「事変」と呼んだ戦争関東軍が自ら鉄道を爆破し、それを口実に満洲を占領した。日本が国際連盟を脱退する契機になる。北京
  28. 第二次世界大戦できごと1939年国際連盟の失敗人類史で最大の戦争。軍民あわせて5000万人以上が死に、世界の枠組みが作り替えられた。ベルリン
  29. 広島・長崎への原爆投下できごとAD1945年8月6日人類を滅ぼしうる兵器一発で都市が消えた。人類が自らを絶滅させうる力を持ったことが、この日から前提になる。広島
  30. 国際連合の成立できごとAD1945年10月24日集団安全保障のやり直し二度の大戦を経て、戦争を防ぐ枠組みが作られた。安保理の拒否権が、その限界も最初から抱え込む。ジュネーヴ
  31. ニュルンベルク裁判できごとAD1945年11月20日平和に対する罪戦争に負けた国の指導者を、勝った国々が法廷で裁く。1945年11月20日、ナチスの党大会が開かれた町ニュルンベルクで、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連の判事による裁判が始まった。侵略の戦争を計画したこと、そして人道に対する罪が問われる。命令に従っただけだ、という弁明は退けられた。翌年、十二人に死刑が言い渡される。勝者の裁きだという批判もあったが、国家の指導者個人が国際法で裁かれるという原則は、のちの国際刑事裁判所につながった。ニュルンベルク
  32. ユネスコの設立できごとAD1945年11月16日心の中の平和1945年11月16日、ロンドンに集まった40を超える国の代表は、国際連合の教育科学文化機関、ユネスコの憲章に署名した。憲章の前文は、戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない、と書いた。教育と科学と文化の交流を通じて、互いを知らないことから来る疑いと不信をなくすことが目的だった。本部はパリに置かれた。日本では1947年に仙台で世界初の民間のユネスコ協会が生まれ、日本は1951年、まだ占領下のうちに加盟した。戦後の日本が初めて加わった国際機関だった。ロンドン
  33. 東京裁判できごとAD1946年5月3日市ヶ谷の旧陸軍省。11か国の判事。A級戦犯28人。「平和に対する罪」。2年半。7人が絞首刑。東条英機、広田弘毅。インドのパル判事は全員無罪の意見書を書いた。天皇は訴追されなかった。「勝者の裁き」か「文明の裁き」か、日本ではいまも二つの答えがある。東京
  34. 日本国憲法できごとAD1946年11月3日戦争の放棄を憲法に敗戦後、日本の政府が出した憲法の改正案は、明治の憲法をほとんど変えないものだった。連合国軍総司令部は自ら草案を作って示し、政府はこれをもとに案を作り直す。帝国議会の審議で、戦力を持たないとする条文の書き方や、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利が加えられた。1946年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行される。国民が主権を持ち、戦争を放棄し、基本的人権を保障する。一度も改められないまま、いまに至っている。東京
  35. 世界人権宣言できごとAD1948年12月10日二つの大戦とホロコーストのあとで、国連総会が48か国の賛成、反対なしで採択した。拷問の禁止、奴隷の禁止、法の前の平等。守られない国は多いが、基準はここで書かれた。パリ
  36. 第五福竜丸できごとAD1954年3月1日死の灰1954年3月1日の未明、ビキニ環礁の東で操業していた静岡の焼津のマグロ漁船・第五福竜丸は、西の空が明るくなるのを見た。アメリカの水爆実験だった。数時間後、白い灰が降り注ぎ、乗組員二十三人は被曝する。半年後、無線長の久保山愛吉が亡くなった。汚染されたマグロが捨てられ、魚が売れなくなる。核兵器に反対する署名は三千万を超え、翌年、最初の原水爆禁止世界大会が開かれた。その年の秋、映画『ゴジラ』が公開される。ビキニ環礁
  37. ラッセル=アインシュタイン宣言できごとAD1955年7月9日科学者たちの宣言1954年、アメリカがビキニ環礁で行った水爆の実験は、予想を超える規模になり、日本の漁船の乗組員も死の灰を浴びた。1955年7月9日、イギリスの哲学者バートランド・ラッセルは、ロンドンで、11人の科学者や知識人が署名した宣言を読み上げた。署名には、その年の4月に亡くなったアインシュタインが死の直前に書いた署名と、日本の湯川秀樹の名もあった。宣言は、核兵器による戦争は人類を滅ぼしうるとして、各国の政府に、争いを戦争でなく平和的な手段で解くよう求めた。この呼びかけから、東西の科学者が核の危険を話し合うパグウォッシュ会議が生まれた。ロンドン
  38. 国連平和維持軍の始まりできごとAD1956年11月5日青いヘルメット1956年秋、エジプトがスエズ運河を国有化すると、イギリス、フランス、イスラエルがエジプトに攻め込んだ。アメリカもソ連もこれを非難し、事態は大国どうしの対立に広がりかねなかった。カナダの外相レスター・ピアソンは、国際連合の部隊を送り、攻め込んだ軍の撤退を見届け、両者の間に立たせることを提案した。1956年11月5日、国連の総会は国連緊急軍を作ることを決め、事務総長ハマーショルドは、受け入れ国の同意、どちらにも肩入れしないこと、自衛のほかは武器を使わないことを原則に定めた。兵士たちは、ヘルメットを国連の青に塗った。平和維持活動の始まりである。シナイ半島(位置は特定されていない)
  39. 国際原子力機関の設立できごとAD1957年7月29日核の査察1953年12月、アメリカのアイゼンハワー大統領は国際連合の総会で、核の技術を兵器ではなく、電力や医療など平和のために使おうと呼びかけ、そのための国際機関を作ることを提案した。「平和のための原子力」と呼ばれる演説である。1957年7月29日、国際原子力機関、IAEAがウィーンに生まれた。原子力の平和な利用を広めると同時に、核の物質が兵器に回されていないかを確かめる査察を担う。核拡散防止条約ができると、その査察の役目はさらに重くなった。2005年、IAEAと事務局長エルバラダイはノーベル平和賞を受けた。ウィーン
  40. キューバ危機できごとAD1962年核戦争の淵核戦争に最も近づいた13日間。以後、米ソは直通回線を引く。ワシントンD.C.
  41. 部分的核実験禁止条約できごとAD1963年8月5日核実験を大気から締め出すキューバ危機の10か月後。大気圏内、宇宙、水中での核実験を禁じた。地下は残った。米英ソ。フランスと中国は署名しなかった。「ホットライン」と同じ夏。核の冬に一歩近づいてから、一歩下がった最初。モスクワ
  42. 核拡散防止条約できごとAD1968年7月1日持つ国を増やさない取り引き1960年代、核兵器を持つ国はアメリカ、ソ連、イギリス、フランス、中国の五つになり、このままでは数十の国が持つようになると恐れられた。1968年7月1日、ワシントン、ロンドン、モスクワで署名が始まった核拡散防止条約は、核を持たない国は今後も持たないと約束し、持つ五か国は核軍縮に誠実に取り組むと約束する取り引きだった。原子力の平和な利用は、査察を受けることを条件に認められた。1970年に発効し、いまでは世界のほとんどの国が加わっている。だが、インド、パキスタン、イスラエルは加わらずに核を持ち、北朝鮮は脱退して核実験を行った。持つ国の軍縮も進んでいない。ワシントンD.C.
  43. ヘルシンキ宣言できごとAD1975年8月1日東西の緊張緩和35か国。ソ連は戦後の国境の承認を得た。西側は「人権と基本的自由の尊重」を第7原則に入れた。ソ連は紙だと思った。東欧の反体制派はそれを盾にした。「ヘルシンキ・グループ」。憲章77。それが1989年につながった、と言われる。ヘルシンキ
  44. 中距離核戦力全廃条約できごとAD1987年12月8日核兵器の一つの種類をなくす射程500から5500キロのミサイルを、米ソが全部壊す。2692基。初めて核兵器の「削減」でなく「全廃」。レーガンは「信頼せよ、だが検証せよ」とロシアの諺を言い、ゴルバチョフが「毎回それを言う」と笑った。2019年、アメリカが離脱した。ワシントンD.C.
  45. ベルリンの壁の崩壊できごとAD1989年11月9日撃ち合わずに終わった冷戦28年間ドイツを分けた壁が一夜で開いた。冷戦の終わりが目に見える形になる。ベルリン
  46. ルワンダ虐殺できごと1994年止められなかった虐殺100日で80万人以上が殺された。植民地時代に固定された民族の区分が、その下地にあった。キガリ
  47. スレブレニツァの虐殺できごとAD1995年7月11日国連の安全地帯で国連が「安全地帯」と宣言した町。守っていたのはオランダ軍400人。ムラディッチのセルビア人部隊が入り、女子供をバスで運び出し、男と少年8372人を、数日で、倉庫と学校と野原で殺して、埋めた。後に重機で掘り返して別の場所へ移した(骨が散らばって、身元の特定を難しくした)。ヨーロッパで第二次大戦後、最大の大量殺害。国際法廷がジェノサイドと認定した。スレブレニツァ
  48. 対人地雷禁止条約できごとAD1997年12月3日市民団体が作った条約地面に埋められた対人地雷は、戦争が終わっても残り、畑を耕す農民や遊ぶ子どもの手足を奪い続ける。1990年代、カンボジアやアンゴラ、アフガニスタンなどでは、毎年何万人もが地雷で死んだり傷ついたりしていた。千を超える市民団体が手を組んで禁止を訴え、カナダの政府がこれに応えて、国連の軍縮の会議の外で、賛成する国だけを集めて条約づくりを進めた。1997年12月3日、オタワで122か国が署名した。対人地雷の使用、生産、貯蔵、移転を全面的に禁じる。その年のノーベル平和賞は、運動を率いた市民団体の連合に贈られた。アメリカ、ロシア、中国は加わっていない。オタワ
  49. 国際刑事裁判所できごとAD2002年7月1日個人の戦争犯罪を裁く常設の法廷ニュルンベルクと東京の裁判は、勝者が敗者を裁く臨時の法廷だった。旧ユーゴとルワンダの法廷も、事件ごとに作られた。常設の裁判所を作る構想は1948年からあり、冷戦で止まり、1998年のローマ規程で実現した。集団殺害、人道に対する罪、戦争犯罪、そして侵略の罪。国家ではなく個人を裁く。国内の裁判が機能しないときにだけ動く(補完性)。アメリカ、ロシア、中国、インドは加盟していない。逮捕は加盟国の協力に頼るしかない。ハーグ
  50. 核兵器禁止条約できごとAD2017年7月7日核兵器を違法にする核拡散防止条約のもとで、核を持つ国の軍縮が進まないことに業を煮やした国々と市民団体は、核兵器そのものを違法とする条約を求めた。2017年7月7日、ニューヨークの国際連合の会議で、核兵器の開発、実験、保有、使用、そして使うと脅すことまでを禁じる条約が、122か国の賛成で採択された。広島や長崎で被爆した人々の証言が、議論を後押しした。その年のノーベル平和賞は、条約を求めた市民団体の連合ICANに贈られ、授賞式では被爆者が演説した。条約は2021年に発効したが、核を持つ国々と、その核の傘の下にある日本などの国は加わっていない。ニューヨーク
  51. ロシアのウクライナ侵攻できごとAD2022年2月24日戦争は終わっていない第二次世界大戦以後のヨーロッパで最大規模の戦争になった。冷戦の終わりに固まったはずの国境が、力で動かせるかどうかが問われている。キーウ

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

二つの大戦17件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。冷戦13件を共有 / 撃ち合わずに40年競った。ただし代理の戦場では、実際に人が死に続けた。主権はだれのものか13件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。『暴力の人類史』で読む歴史8件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史8件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。法と裁判の歴史6件を共有 / 力の強い者の思いのままだった裁きを、書かれた法と手続きで縛ってきた歴史。考えることの歴史5件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。冷戦のあと5件を共有 / 対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。確かめるという方法5件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後3件を共有 / 冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史3件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。宗教改革と科学革命2件を共有 / 教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。古代オリエント2件を共有 / 文字も法も都市も、まずここで生まれた。そして次々に主が入れ替わる2500年。インドと仏教2件を共有 / 一人の王子が始めた問いが、アショーカ王に拾われ、玄奘に運ばれ、東アジアへ届くまで。技術と産業2件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。帝国と独立2件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。キリスト教のひろがり2件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。コテンラジオで聞く歴史2件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。『サピエンス全史』で読む歴史2件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『世界史』(マクニール)で読む歴史2件を共有 / 文明どうしが接触し、借り、競い合うことで歴史が動く。世界を一つの物語として書いた最初の教科書。『近代世界システム』で読む歴史2件を共有 / 国ごとの発展を比べるのをやめる。16世紀からずっと、世界は一つの分業の仕組みとして動いてきた、という本。『ホモ・デウス』で読む次の歴史2件を共有 / 飢餓と疫病と戦争を抑え込んだ人類が、次に何を目指すか。『サピエンス全史』の続編。『暴力と不平等の人類史』で読む格差2件を共有 / 格差を大きく縮めたのは、改革ではなく破局だった。戦争、革命、国家の崩壊、疫病の四つしかない、という本。明治1件を共有 / 藩を消し、身分を消し、40年で列強と戦えるところまで作り替えた。その代償も含めて。イスラム世界1件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。感染症と人類1件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。都市の歴史1件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。接触前のアメリカ1件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。『文明崩壊』で読む歴史1件を共有 / イースター島、マヤ、グリーンランドのノルウェー人。環境を使い尽くした社会と、そうしなかった社会。『オリエンタリズム』で読む歴史1件を共有 / 西洋が「東洋」について語ってきたことは、東洋についての知識ではなく、西洋についての物語だった、という本。『想像の共同体』で読む歴史1件を共有 / 国民とは、会ったこともない人を同じ仲間だと思える想像力のことだ、という本。『アラブが見た十字軍』で読む十字軍1件を共有 / 同じ200年を、襲われた側の年代記だけで書き直した本。彼らはそれを「フランク人の襲来」と呼んだ。『菊と刀』で読む日本1件を共有 / 一度も日本へ行かないまま、戦時中のアメリカで書かれた日本人論。読み継がれ、批判され続けている。『失敗の本質』で読む日本軍1件を共有 / なぜ負けたのかを、作戦ではなく組織の性質から説明した本。六つの作戦を並べて、同じ型を取り出す。教育の歴史1件を共有 / 子どもが学校へ行くのが当たり前になったのは、ごく最近になる。誰が、誰に、何のために教えてきたか。差別の歴史1件を共有 / 線を引いて内と外を分ける。理屈は、たいてい後から付けられた。支え合いの歴史1件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。近代と宗教1件を共有 / 科学と国家と世俗化の時代に、信仰は消えるどころか、形を変えて燃え上がり続けた。
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この物語だけに絞って、地図と年表で追う国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →