
概要
線を引いて内と外を分ける。理屈は、たいてい後から付けられた。
この物語について
差別は、心の問題のように語られることが多い。だが歴史を並べると、先に制度があり、後から「だから当然だ」という理屈が足されている場合がほとんどになる。税を取りやすくするため、土地を奪うため、不満の向かう先を作るため。
線の引き方は、時代によって変わる。信仰で引いた時代があり、血で引いた時代があり、「科学」の名で引いた時代がある。十九世紀に人種を測ろうとした学問が、二十世紀の絶滅政策の言い訳に使われた。線そのものより、線を正当化する語彙のほうが、その時代をよく表す。
もう一つ見えるのは、差別された側が、次に別の誰かを外に置くことがある、ということになる。被害と加害は、きれいに分かれない。
この物語は、誰が誰を外に置き、何を理由にしたかを、時代を追って並べたものになる。自分がいま当然と思っている線が、どの理屈に支えられているかを疑うための材料になる。
この物語が起きた場所
筋(39)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- ヴェーダの成立できごとBC1500年身分を生まれで固定する仕組みの始まり口誦で伝えられた讃歌が、後のヒンドゥー教の根になる。カーストの原型もこの時期に現れる。ハラッパー
- エルサレム神殿の破壊できごとAD70年故郷を失った集団が、各地で少数派になっていくユダヤ戦争の末に神殿が焼かれた。ユダヤ教は神殿のない宗教へ形を変えていく。エルサレム

- バル・コクバの乱できごとAD132年反乱の敗北が、離散をさらに広げたハドリアヌスがエルサレムをローマの街に建て直そうとして、ユダヤ人が三年半戦った。指導者は「星の子」と呼ばれ、メシアとされた。鎮圧のあと、ユダヤ人はエルサレムへの立ち入りを禁じられ、属州の名がユダヤからパレスティナに変えられた。エルサレム
- デキウスの迫害できごとAD250年帝国の不安が、少数の信徒に向けられた帝国中の住民に神々への犠牲を命じ、証明書(リベルス)を持たせた。エジプトからその証明書が何十枚も出土している。従った信徒と逃げた信徒をどう扱うかで、教会が割れた。ローマ

- ディオクレティアヌスの大迫害できごとAD303年2月23日迫害される側だったキリスト教徒教会を壊し、聖書を焼き、聖職者を投獄し、翌年、全員に犠牲を命じた。10年続き、東方で厳しかった。最後で最大の迫害。それが終わって10年で、皇帝がキリスト教徒になる。ニコメディア

- ミラノ勅令できごとAD313年迫害される側が、公認される側に変わるキリスト教を含むすべての信仰を認めた。300年続いた迫害が終わる。メディオラヌム

- アザーンできごとAD7世紀前半奴隷だった者が、最初の呼びかけ手に選ばれたメディナの信徒が増えると、礼拝の時刻をどう知らせるかが問題になった。キリスト教徒は鐘を鳴らし、ユダヤ教徒は角笛を吹く。ムハンマドはどちらも採らず、人の声で呼ばわることに決めたと伝えられる。最初の呼びかけ手に選ばれたのは、奴隷の身から解かれたエチオピア出身のビラールで、声の良さで選ばれたという。日に五度、決まった文句を、街のいちばん高いところから声を張る。のちにミナレットが建ち、いまは拡声器が使われる。機械は替わったが、届けるのは人の声だという形は残った。メディナ
- ザンジュの乱できごとAD869年大規模に集められた黒人奴隷の反乱東アフリカから連れてこられた奴隷が、イラク南部の塩田で15年反乱した。バスラを落とし、独自の都を建てる。イスラーム世界最大の奴隷反乱になる。バスラ
- アルビジョア十字軍できごとAD1209年7月22日異端と名指すことが、殺す理由になる南フランスのカタリ派に対して、教皇が十字軍を呼んだ。ベジエ。「全員殺せ。神が自分の者を選り分ける」。2万人。北の騎士が南の土地を取った。20年。トゥールーズは王のものになり、オック語の文化は終わり、異端審問が制度になった。ベジエ

- モンタイユーの異端審問できごと1318年村人を一人ずつ取り調べた記録ピレネーの村の住民が、カタリ派の疑いで一人ずつ尋問された。その調書に、羊飼いの恋愛も、隣人の噂も、死後の世界の考えも残った。中世の村の暮らしを内側から読める、ほとんど唯一の史料になる。モンタイユー
- 黒死病できごと1347年疫病のたびに、少数派が毒を入れたと責められたヨーロッパの人口の3分の1が死んだ。働き手が減って農奴の立場が上がり、封建の仕組みが緩む。
- 浮浪を罰するできごとAD1349年貧しいことそのものを罰した法黒死病で人が減り、労働力が不足した。賃金が上がりそうになる。イングランドは労働者勅令を出し、疫病前の賃金を超えて払うことも受け取ることも禁じ、健康な者が働かずに施しを受けることを罪とした。以後、浮浪はたびたび厳罰化される。1547年の法は、三日以上働かない者を二年間の奴隷とし、胸にVの烙印を押すと定めた。過酷すぎて二年で廃止されている。移動する貧しい者を罰する法は、その後も形を変えて長く残った。ロンドン
- 『魔女に与える鉄槌』できごとAD1487年魔女という枠を作り、手引きにした本ドミニコ会の異端審問官ハインリヒ・クラーマーが、インスブルックで魔女裁判に失敗して司教に追い出され、教皇の勅書を付けて、この本を書いた。魔女は実在する。悪魔と契約し、交わり、天候と作物と男の性器を害する。ほとんどが女である(「女は信仰が弱い(femina=fe minus)」)。訊問と拷問と処刑の手引き。印刷術で30版。魔女狩りは1560年から1630年が頂点で、4万〜6万人が処刑された。シュパイアー

- メノッキオの異端審問できごと1584年自分の頭で考えた粉屋が焼かれた村の粉挽きが、世界は腐ったチーズから生まれたと語った。本を読み、自分で考え直した男の宇宙論が、審問の記録に残った。二度目の審問のあと火刑になる。フリウリ(モンテレアーレ)
- シャクシャインの戦いできごとAD1669年先住の人々との交易が、支配に変わる交易の条件をめぐるアイヌの蜂起。和睦の席で首長が謀殺され、以後アイヌは松前藩に従属していく。静内(位置は特定されていない)
- セイラムの魔女裁判できごとAD1692年共同体の不安が、名指しに向かう牧師の娘と姪が発作を起こし、医師が「魔女の仕業」と診断した。少女たちが名を挙げ、告発が連鎖した。200人以上が告発され、19人が絞首、1人が石で圧死、5人以上が獄死した。決め手になったのは「幽霊証拠」——被害者にしか見えない霊が誰の姿をしていたか——である。マサチューセッツ総督が妻を告発されて裁判所を解散させ、幽霊証拠を禁じると、有罪はほぼ止まった。何を証拠と認めるかが、生死を分けた。セイラム

- メイソン=ディクソン線できごとAD1767年奴隷制のある側と、ない側の線ペンシルベニアとメリーランドの領主が八十年争った境界を、決着させるために、二人のイギリス人が呼ばれた。天文学者チャールズ・メイソンと測量士ジェレマイア・ディクソンは、星の位置から緯度を出し、西へ三百キロ以上、直線を刻んでいった。一マイルごとに石を据え、五マイルごとに紋章入りの石を置く。作業は先住民の案内人が同行し、彼らが「ここから先は行けない」と言った地点で止まった。地形とも川とも関係のない線である。それが後に、奴隷制のある側と無い側を分ける言葉になった。フィラデルフィア
- イクイアーノの自伝できごとAD1789年奴隷にされた側が、自分の言葉で書いた奴隷にされ、自分で自由を買い戻した人が、その体験を書いた。版を重ね、議会でも読まれる。黒人が自分の言葉で書いた本が、そのこと自体で議論を動かした。ロンドン
- 解剖法できごとAD1832年8月1日解剖台に載るのは、いつも貧しい者だったイギリスでは、解剖に回してよい遺体は、処刑された殺人犯だけと定められていた。医学校は増え、処刑は減る。足りない分は、墓を掘り返す者たちが売った。1828年、エディンバラのバークとヘアは、掘るかわりに十六人を殺して解剖学者に売っていたことが露見する。議会が出した答えは、掘る動機を無くすことだった。救貧院や病院で死に、引き取り手のない者の体を、解剖に回せるようにする。墓を暴かれる恐れは消えたが、解剖台に載るのは、変わらず貧しい者だった。ロンドン
- イギリスの奴隷制廃止法できごとAD1833年8月28日帝国が奴隷制をやめる。補償金は所有者に払われた帝国の大半で奴隷制を廃止した。奴隷ではなく所有者に2000万ポンドの補償を払い、国はその借金を2015年まで返し続けた。ロンドン
- グレート・トレックできごとAD1836年のちの人種隔離につながる入植の移動イギリスがケープを取り(1806年)、英語を公用語にし、1834年に奴隷制を廃止した。オランダ系の農民(ボーア人)1万5000人が、牛車で内陸へ移った。ドラケンスバーグを越えて、ズールー王ディンガーンと衝突し、1838年のブラッド・リバーで、円陣を組んだ470人が数千のズールー兵を銃で撃った。川が赤くなった。オレンジ自由国とトランスヴァール。アパルトヘイトの神話の一つになった。ケープタウン
- 鳥の糞の時代できごとAD1840年代逃げ場のない島で働かされた契約労働者ペルー沖の小さな島々には、雨がほとんど降らないため、海鳥の糞が何千年も流されずに積み重なり、厚さ数十メートルの層になっていた。窒素とリンを多く含むこの糞は、畑に撒けば収穫が大きく増える。1840年代、ヨーロッパとアメリカの農家がこぞって買い求め、ペルーの国の収入の大半がこの糞になった。掘ったのは、中国から契約労働で連れてこられた人々で、鼻を突く粉塵の中で、逃げられない島で働かされた。糞は数十年で掘り尽くされる。そのあとを継いだのは、隣の砂漠の硝石をめぐる戦争だった。チンチャ諸島
- 奴隷解放宣言できごとAD1863年1月1日戦争の手段としての奴隷解放反乱している州の奴隷は「永遠に自由である」。合衆国に留まった奴隷州(ケンタッキー、メリーランド等)の奴隷は含まれなかった。戦争の手段として、大統領の軍の権限で。350万人。黒人が北軍に入った。18万人。戦争は「連邦を守る戦争」から「奴隷を終わらせる戦争」になった。奴隷制の廃止は1865年の憲法修正第13条。ワシントンD.C.

- ブラックバーディングできごと1863年島の人々を騙し、さらって働かせる太平洋の島々から、6万人以上が騙されるか攫われるかしてクイーンズランドやフィジーの農園へ運ばれた。奴隷貿易ではないという建前で、40年続いた。スバ

- 「失った友」の欄できごとAD1877年から売られて引き裂かれた家族が、解放後も探し続けた奴隷制のもとでは、親子や夫婦が売られて別々の土地へ送られた。解放されたあと、人々はばらばらになった家族を探し始める。ニューオーリンズで出ていたメソジストの週刊紙『サウスウェスタン・クリスチャン・アドヴォケイト』は、「失った友」という欄を設け、尋ね人の広告を無料で載せた。母の名、売られた年、最後にいた農園の主の名。字の読めない人も多いので、牧師は日曜の説教壇からこの欄を読み上げるよう勧められた。二千五百件を超える広告が残っている。再会できたと知らせる便りは、ごくわずかである。ニューオーリンズ
- ウーンデッド・ニーの虐殺できごとAD1890年12月29日土地を追われた人々への最後の虐殺武装解除の最中に発砲が起き、300人近いラコタが殺された。北米先住民との戦争の終わりとされる。ウーンデッド・ニー

- ドレフュス事件できごとAD1894年12月22日軍と世論が、一人のユダヤ人将校を犯人にしたユダヤ人の砲兵大尉が、ドイツへの通敵の罪で、筆跡だけで、終身流刑になった。悪魔島。真犯人エステラジーが分かっても、軍は隠した。1898年1月13日、ゾラの「私は弾劾する」。フランスが二つに割れた。再審、有罪、特赦、1906年に無罪。反ユダヤ主義が街に出た。ウィーンの記者ヘルツルはそれを見て、ユダヤ人の国を考えた。パリ

- 白豪主義できごとAD1901年移民の入口で、人種を選別する連邦の最初の議会が、移民を事実上ヨーロッパ系に限る法を通した。書き取り試験という形で、当人の知らない言語を選んで落とすことができた。シドニー

- 盗まれた世代できごと1910年子どもを親から引き離す政策先住民の子どもが、同化のために家族から引き離され施設や里親に預けられた。数は分かっていないが、10人に1人から3人に1人と推定される。2008年に首相が謝罪した。シドニー
- ローザ・パークス人物AD1913年2月4日 – AD2005年10月24日一人が動かないことから始まったバスで席を譲らなかった。偶然の一件のように語られるが、本人は以前から運動に関わっていた。
- キング牧師人物AD1929年1月15日 – AD1968年4月4日差別に抗う方法そのものを設計した非暴力で公民権運動を率いた。ガンディーの方法を、別の大陸で受け継ぐ。
- ホロコーストできごと1941年差別が、国家の計画的な絶滅に行き着いた約600万人のユダヤ人が組織的に殺された。近代の官僚機構と技術が、絶滅のために使われた。アウシュヴィッツ

- 難民条約できごとAD1951年7月28日外に置かれた人を、どこが引き受けるか第二次大戦後、ヨーロッパに数百万の帰る場所を持たない人がいた。二十六か国がジュネーヴに集まり、難民を定義し、その保護を条約にした。核心は第三十三条のノン・ルフールマンである。迫害されるおそれのある地へ、追い返してはならない。当初は1951年以前のヨーロッパの事件に限られ、1967年の議定書がその制限を外した。定義は人種、宗教、国籍、政治的意見、特定の社会集団への帰属による迫害である。気候と貧困は、そこに入っていない。ジュネーヴ
- モンゴメリー・バス・ボイコットできごと1955年座る場所を分ける決まりに、乗らないことで抗う一人が席を譲らなかったことから、黒人住民が381日間バスに乗らなかった。公民権運動の始まりとされる。モンゴメリー

- 水俣病できごとAD1956年病んだこと自体が差別の理由にされた1956年5月、原因不明の中枢神経の疾患として公式に確認された。手足がしびれ、言葉が不明瞭になり、視野が狭まる。原因は、工場が排出したメチル水銀である。魚に濃縮され、それを食べた人に及んだ。胎盤を通って、胎児にも及んだ。企業は排水を続け、行政は認定を絞り、患者は差別された。原因の特定から国が公式に認めるまで12年かかった。2013年、水銀に関する国際条約が「水俣条約」と名づけられた。水俣
- ソウェト蜂起できごとAD1976年6月16日教える言葉の押しつけに、子どもが立った授業をアフリカーンス語で受けさせる方針に、高校生が抗議して行進した。警官が発砲し、倒れた少年の写真が世界に流れる。アパルトヘイトへの国際的な圧力が、ここから強まった。ヨハネスブルグ

- 残留孤児の訪日調査できごとAD1981年3月2日国境の向こうに置き去りにされた子どもたち1945年8月、ソ連軍が満洲に入り、開拓団の日本人は逃げまどった。途中で親と死別し、あるいは生きるために預けられた子どもたちが、中国の家庭で育てられた。国交が正常化してから九年後の1981年3月、中国に残された孤児四十七人が、肉親を探しに初めて集団で日本へ来た。名前も、生まれた村も覚えていない人が多い。手がかりは、預けられたときの服や、かすかな記憶や、体の傷だった。報道が顔と特徴を伝え、心当たりのある人が名乗り出た。この回では三十人の身元が分かった。調査はその後も続いたが、分かったのは三割ほどにとどまる。東京
- アパルトヘイトの終結できごとAD1994年法で分けることを、法でやめる全人種が参加する選挙が行われ、マンデラが大統領になった。報復ではなく和解が選ばれる。ヨハネスブルグ

- スレブレニツァの虐殺できごとAD1995年7月11日隣人だった人々が、民族の名で殺された国連が「安全地帯」と宣言した町。守っていたのはオランダ軍400人。ムラディッチのセルビア人部隊が入り、女子供をバスで運び出し、男と少年8372人を、数日で、倉庫と学校と野原で殺して、埋めた。後に重機で掘り返して別の場所へ移した(骨が散らばって、身元の特定を難しくした)。ヨーロッパで第二次大戦後、最大の大量殺害。国際法廷がジェノサイドと認定した。スレブレニツァ
重なっているストーリー
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主権はだれのものか13件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。キリスト教のひろがり10件を共有 / 迫害される小集団が、300年で帝国の宗教になり、そこから何度も割れながら世界へ出ていった。民族移動の時代7件を共有 / 4〜6世紀、ユーラシアの東西で同時に人が動いた。ローマだけの話ではない。女性の権利5件を共有 / 人口の半分が、参政権を得るまでに文明の歴史のほとんどを要した。帝国と独立4件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。誰が書き残したか4件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。支え合いの歴史4件を共有 / 働けなくなった人を、誰が支えるのか。家族か、宗教か、国か。答えは何度も入れ替わってきた。ローマ人の物語3件を共有 / ラティウムの一都市が地中海全域を呑み込み、そして西半分が消えるまでの1200年。二つの大戦3件を共有 / 一発の銃声から31年。二つの戦争は別々ではなく、前者の終わらせ方が後者を呼んだ。冷戦3件を共有 / 撃ち合わずに40年競った。ただし代理の戦場では、実際に人が死に続けた。都市の歴史3件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。交易路とお金3件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。考えることの歴史3件を共有 / 同じ数百年のあいだに、ギリシアでも中国でもインドでも、人が根本から考え直した。働くことの歴史3件を共有 / 一日八時間、週に五日。その区切りは、二百年かけて争って手に入れたものになる。イスラム世界2件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。感染症と人類2件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。冷戦のあと2件を共有 / 対立の構図が消えたあと、何が残ったのか。1989年からの三十年。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史2件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『暴力の人類史』で読む歴史2件を共有 / 人が人を殺す率は、狩猟採集の時代から今まで、長い目で見ればずっと下がってきた、という本。反論も多い。『繁栄』で読む歴史2件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後2件を共有 / 冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。『モンタイユー』で読む中世の村2件を共有 / ピレネーの村人200人が、異端審問で一人ずつ尋問された。その調書から、村の暮らしが丸ごと出てくる。老いと死の歴史2件を共有 / どう老い、どう死に、どう弔うか。いちばん私的に見えることが、いちばん制度に支えられている。古代オリエント1件を共有 / 文字も法も都市も、まずここで生まれた。そして次々に主が入れ替わる2500年。インドと仏教1件を共有 / 一人の王子が始めた問いが、アショーカ王に拾われ、玄奘に運ばれ、東アジアへ届くまで。武士の700年1件を共有 / 地方の武装集団が政権を取り、そして自ら身分ごと消えるまで。技術と産業1件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。接触前のアメリカ1件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。コテンラジオで聞く歴史1件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。確かめるという方法1件を共有 / 偉い人がそう言ったから、をやめた話。誰が最初かは、思っているほどはっきりしない。『サピエンス全史』で読む歴史1件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。『銃・病原菌・鉄』で読む歴史1件を共有 / なぜ征服したのがスペイン人で、されたのがインカだったのか。ダイアモンドは答えを人ではなく大陸の形に求めた。『ローマ人の物語』で読むローマ1件を共有 / 塩野七生が15年かけて15巻で書いた、建国から西の帝国の終わりまで。このデータベースの第一期と同じ範囲になる。『疫病と世界史』で読む歴史1件を共有 / 歴史を動かしたのは王でも思想でもなく、目に見えない微生物だった、と最初に言い切った本。『ローマ帝国衰亡史』で読むローマ1件を共有 / ギボンが1776年に出しはじめた、トラヤヌスからコンスタンティノープル陥落までの1300年。「なぜ滅びたか」を問う型はここで作られた。『世界史』(マクニール)で読む歴史1件を共有 / 文明どうしが接触し、借り、競い合うことで歴史が動く。世界を一つの物語として書いた最初の教科書。『ヨーロッパ覇権以前』で読む13世紀1件を共有 / 1250年から1350年まで、世界はすでに一つにつながっていた。ただし中心はヨーロッパではなかった。『地中海』で読む歴史1件を共有 / 歴史には三つの速さがある。ほとんど動かない時間、ゆっくり動く時間、そして事件。捕虜収容所で書かれた本。『大転換』で読む歴史1件を共有 / 市場はずっと社会の一部だった。それが逆転して、社会のほうが市場に合わせはじめた19世紀に何が起きたか。『中世の秋』で読む中世の終わり1件を共有 / ルネサンスの前夜ではなく、中世そのものの終わり方。過剰な儀礼と、死への執着に覆われた14〜15世紀。『地に呪われたる者』で読む脱植民地1件を共有 / 植民地支配が人の心に何をするかを、精神科医が診察室から書いた。36歳で死ぬ年に口述された本。『チーズとうじ虫』で読む一人の宇宙1件を共有 / 16世紀の村の粉挽きが、世界は腐ったチーズから生まれたと語った。裁判の記録から、一人の頭の中を復元する。『暴力と不平等の人類史』で読む格差1件を共有 / 格差を大きく縮めたのは、改革ではなく破局だった。戦争、革命、国家の崩壊、疫病の四つしかない、という本。『砂糖の世界史』で読む世界商品1件を共有 / 一つの白い粒を追いかけると、カリブの奴隷とイギリスの朝食と産業革命が一本につながる。『歴史序説』で読む王朝の寿命1件を共有 / 14世紀の北アフリカで、社会には法則があると考えた人がいた。王朝はなぜ三代で衰えるのか。