#MeToo
概要
映画プロデューサーの性暴力の告発から、一つのハッシュタグで数千万人が経験を語った。職場の権力と性の関係が、各国で問い直される。
場所
40.71°N -74.01°E · アメリカ合衆国
本文
2017年10月5日、ニューヨーク・タイムズが一本の記事を載せた。ハリウッドで最も力のある映画プロデューサーの一人、ハーヴェイ・ワインスタインが、30年近くにわたって女優や社員に性的な嫌がらせや暴行を繰り返し、被害を訴えた女性たちと示談を結んで口を封じてきた、という調査報道だった。5日後には雑誌ニューヨーカーが、さらに多くの女性の証言を載せた。ワインスタインは自分の会社を解任され、その会社はやがて破産に追い込まれる。
ワインスタインのふるまいは、業界の中では半ば公然の秘密だったという。それでも長く表に出なかったのは、彼が映画の企画も配役も賞の行方も左右できる立場にいて、告発すれば仕事を失うことが目に見えていたからだ。示談の契約には口外を禁じる条項がつき、報じようとした記者には弁護士や調査会社の圧力がかかった。

10月15日、女優のアリッサ・ミラノがソーシャルメディアに書き込んだ。性的な嫌がらせや暴行を受けたことがあるなら、この投稿に「私も(Me too)」と返信して、と。問題の大きさを分かってもらえるかもしれない、と添えていた。返信は一日で数十万にのぼり、フェイスブックでは最初の24時間に数百万の人がこの言葉を使った。著名人も、無名の人も、何十年も誰にも話せなかった経験を書いた。一人の加害者の話が、無数の人の経験の話に変わった。
この言葉には前史がある。2006年、アメリカの社会運動家タラナ・バークが、性暴力を受けた若い女性たち、とくに貧しい地域の黒人の少女たちに寄り添う活動に、この言葉を掲げていた。あなたは一人ではない、私も同じ目にあった、と伝えるための言葉だった。ハッシュタグが広がると、ミラノはすぐにバークの活動を紹介し、運動の始まりが彼女にあることを示した。

告発は、映画界からほかの世界へ広がった。テレビの人気司会者、俳優、政治家、料理人、指揮者、大学教授。長年地位を保ってきた人びとが、次々に職を追われた。その年の暮れ、アメリカの雑誌タイムは、毎年選ぶ「今年の人」に、沈黙を破った人びとを選んだ。
運動は国境を越えた。フランスでは「豚を告発せよ」という言葉が広まり、韓国では2018年に女性検事が上司からの被害をテレビで告白したのをきっかけに、検察、演劇界、政界の有力者が告発された。インドでは閣僚が辞任した。日本では、ジャーナリストの伊藤詩織が、元テレビ局員から性暴力を受けたとして顔と名前を出して訴え、2019年に民事裁判で勝訴している。

法も動いた。アメリカでは、性的な嫌がらせについて口外を禁じる契約を制限する法律が、州や連邦で作られた。スウェーデンは2018年、相手の同意のない性行為を罰する法律を定めた。日本では2023年に刑法が改められ、同意のない性交を罰する不同意性交等罪が設けられた。同じ年、日本の大手芸能事務所の創業者による長年の性加害が、海外の報道をきっかけに明るみに出て、事務所は名前を変えることになった。
ワインスタイン自身は、2020年にニューヨークで有罪となり、禁錮23年を言い渡された。この判決は2024年に、審理の手続きに誤りがあったとして覆され、裁判がやり直された。ロサンゼルスでも別の事件で有罪の判決を受けている。

反動と批判もあった。告発がソーシャルメディア上で広がり、事実が確かめられる前に人が社会的に罰せられることへの懸念が出た。2018年、フランスの女優カトリーヌ・ドヌーヴらは、口説く自由まで否定すべきではないとする公開書簡を新聞に出し、強い反論を受けた。職場で男性が女性と二人きりになるのを避け始めた、という調査もある。そうなれば、かえって女性が仕事の機会を失う。
それでも、何かが動いたことは確かだ。職場で上の立場にある者が、その力を背景に性的な関係を迫ること。それはかつて、我慢するか、黙って辞めるしかない個人の問題とされてきた。男女の機会の平等をうたう法律(男女雇用機会均等法、タイトル・ナイン)ができても、そうした被害は表に出にくかった。「私も」の声の連なりは、それが職場の権力の問題であり、多くの人が同じ経験をしていることを、数で見せた。その前と後で、何が許されるかの線が動いた。

一人の告白が、ほかの人の口を開かせる。ソーシャルメディアという道具(スマートフォンの登場から10年後だった)が、それを一晩で世界の規模にした。どこまでが正当な告発で、どこからが行き過ぎなのか。その線引きをめぐる議論は、いまも続いている。