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Event / できごと

インドの経済自由化

Economic liberalisation in India
AD1991年7月24日
重要度 4
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概要

1991年、インドは外貨が尽きかけ、輸入の代金が払えなくなる寸前だった。国の金を担保に借りるため、準備の金塊を飛行機でロンドンへ運んだほどである。7月24日、財務大臣のマンモハン・シンは予算の演説で、独立以来の、国が産業を細かく許可制で縛る仕組みを改め、関税を下げ、外国の投資を受け入れると告げた。ヴィクトル・ユーゴーの「時が来た考えを止めることはできない」という言葉を引いている。インドの経済はその後、速い成長の時代に入り、ITの産業が世界に知られるようになった。

場所

デリー
28.61°N 77.21°E · インド

本文

独立したインドは、国が計画を立てて産業を育てる道を選んだ。重工業は国の会社が担い、民間の会社が工場を建てたり、作る量を増やしたりするには、役所のたくさんの許可が要った。この仕組みは「許可証の支配」と皮肉られた。輸入には高い関税がかかり、外国の会社の投資は厳しく制限された。成長は年に3パーセントほどにとどまり、「ヒンドゥーの成長率」と呼ばれた。

1990年、湾岸の危機で石油の値段が上がり、中東で働くインド人からの送金が止まった。政治も不安定で、外国の銀行はインドに金を貸さなくなる。1991年の初夏、インドの外貨の準備は、2週間分の輸入を払えるほどしか残っていなかった。政府は借金の担保として、国が持つ金塊をイギリスの銀行に預けることにし、飛行機でロンドンへ運んだ。国民にとって、それは大きな屈辱だった。

6月、ナラシンハ・ラオの内閣が発足し、経済学者のマンモハン・シンが財務大臣に選ばれた。7月24日、シンは予算の演説で、改革を告げる。多くの産業で許可の制度をやめ、関税を大きく下げ、外国の会社の投資を認め、通貨ルピーの値を下げる。演説の終わりに、彼はヴィクトル・ユーゴーの言葉を引いた。時が来た考えを、地上のどんな力も止めることはできない。

インドの経済は、その後、年に6から8パーセントで伸びる時代に入った。バンガロールなどに集まったITの会社は、英語のできる技術者を武器に、世界の会社の計算の仕事を引き受けるようになる。貧しい人の割合は大きく減った。一方で、豊かになった都市と、取り残された農村の差は広がった。シンは2004年から10年間、首相を務めている。

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