ヒトゲノム計画
概要
1990年に始まり、6か国の20の研究所で13年、30億ドル。30億の塩基対を読んだ。途中からクレイグ・ヴェンターの民間の会社が別の方法で追い上げ、2000年、ホワイトハウスで「引き分け」の共同発表になった。遺伝子は10万個と思われていたのが、2万個ほどしかなかった。データは全部、無償で公開された。いま、1人分を読むのに数百ドル、1日。
場所
38.91°N -77.04°E · アメリカ合衆国
本文
1953年、ワトソンとクリックは、ロザリンド・フランクリンらのX線写真をもとに、DNAが二本の鎖のらせんであることを示した(DNAの二重らせん)。遺伝の情報は、アデニン、チミン、グアニン、シトシンの4種類の塩基の並び順として書かれている。1977年には、イギリスのフレデリック・サンガーらが、その並びを読み取る実用的な方法を開発した。1970年代には遺伝子を切り貼りする技術も生まれていた(遺伝子組み換え技術の誕生)。こうして1980年代の半ば、ある野心的な構想が語られるようになる。人間の遺伝情報の全体、およそ30億の塩基の並びを、端から端まで読み取ってしまおう、というのである。
はじめは疑う声のほうが多かった。当時の技術では、1日に読めるのはせいぜい数百の塩基で、30億を読むには気の遠くなる年月がかかる。巨額の予算が一つの計画に吸い取られ、個々の研究者の自由な研究が干上がるという反対もあった。それでも、病気の原因となる遺伝子を探すための地図が必要だという声が勝った。アメリカでは、原爆の被爆者の遺伝的影響の研究などを通じて遺伝学に関わってきたエネルギー省と、国立衛生研究所が推進役になった。
1990年10月、ヒトゲノム計画は正式に始まった。15年で、30億ドルで、という目標が掲げられた。国立衛生研究所の側の初代の責任者は、二重らせんの発見者ジェームズ・ワトソンで、のちにフランシス・コリンズが引き継いだ。イギリスでは医学研究の財団ウェルカム・トラストが資金を出してサンガー・センターを設け、全体のおよそ3分の1を読んだ。日本、フランス、ドイツ、中国も加わり、6か国の20の研究所が分担して作業を進める国際的な共同事業になった。
公的な計画が取った方法は、慎重なものだった。まず染色体を大きな断片に分け、それぞれがゲノムのどこにあたるかという地図を作る。そのうえで、断片を細かく砕いて読み、地図に沿って組み立てていく。手間はかかるが、組み立ての誤りが起きにくい。
1996年2月、計画に参加する研究所の代表たちは、大西洋のバミューダに集まり、一つの原則に合意した。読み取った塩基配列は、24時間以内に公開のデータベースに載せ、世界中の誰もが自由に使えるようにする。人類共通の遺産を、特定の誰かが独占することは許さない、という考えだった。この「バミューダ原則」は、その後の生命科学全体のデータ共有のあり方を決めることになる。
1998年5月、その計画に正面から挑む者が現れた。国立衛生研究所の研究者だったクレイグ・ヴェンターが、分析機器の大手パーキン・エルマー社と組んで新会社セレラ・ジェノミクスを立ち上げ、自分たちなら3年で、3億ドルでやってみせる、と宣言したのである。彼の方法は「全ゲノム・ショットガン法」と呼ばれた。地図を作る手間を省き、ゲノム全体をいきなり無数の小さな断片に砕いて、最新の自動解読装置で大量に読み、それを当時有数の性能を持つコンピュータでつなぎ合わせる。セレラは、配列の情報を有料で企業に提供し、有用な遺伝子については特許を取る計画を持っていた。
人類の遺伝情報が一企業の商品になるかもしれない。公的な計画の側は危機感を募らせ、資金を増やし、解読装置を入れ替えて、作業の速度を数倍に上げた。両者の争いは激しく、ヴェンターは公的計画が公開したデータも自分たちの組み立てに使えたため、公的な側はそれを不公平だと感じた。報道は「ゲノム競争」を書き立てた。
2000年6月26日、ホワイトハウスで、クリントン大統領を挟んで、公的計画のコリンズとセレラのヴェンターが並んで立った。ロンドンからは、イギリスのブレア首相が中継で加わった。ヒトゲノムの「概要版」がほぼ完成した、という共同の発表だった。どちらが勝ったとも言わずに引き分けにする、政治の演出でもあった。翌2001年2月、公的計画は『ネイチャー』誌に、セレラは『サイエンス』誌に、それぞれの成果を発表した。
2003年4月14日、計画は「完成」を宣言した。DNAの二重らせんの論文から、ちょうど50年の月だった。当初の予定より2年早く、費用も予算を下回る約27億ドルだった。ただし、この「完成」は、当時の技術で読める部分をほぼ読み終えたという意味で、同じ配列が延々と繰り返す染色体の中心部や末端など、全体の8パーセントほどは空白のまま残されていた。本当の意味で端から端まで読み通したゲノムが発表されたのは、新しい解読技術を使った国際チームによる2022年のことである。
読み終えて分かったことは、驚きに満ちていた。人間の遺伝子、つまりたんぱく質の設計図にあたる部分は、10万個ほどあると予想されていたのに、実際には2万個あまりしかなかった。体長1ミリほどの線虫とほとんど変わらない数である。たんぱく質の設計図になっているのはゲノム全体のわずか1.5パーセントほどで、残りの大部分は、かつて「がらくた」と呼ばれた領域だった。いまでは、その中に遺伝子の働きを調節する重要な部分が多く含まれていることが分かってきている。また、どの二人を比べても、塩基の並びの違いはごくわずかで、しかもその違いの大半は、いわゆる「人種」の間ではなく、同じ集団の中の個人どうしの間にあることも示された。
その後の変化は、計画を構想した人々の想像をも超えた。一人分のゲノムを読む費用は、2001年には1億ドル近くかかったが、新しい解読装置の登場で急落し、2010年代の半ばには1000ドル前後、いまでは数百ドルで、1日か2日あれば読めるようになった。がん細胞の遺伝子を調べて薬を選ぶ治療、原因の分からない難病を抱えた新生児の診断、病原体の遺伝情報を読んで感染の広がりを追う疫学。COVID-19の世界的流行の流行で、変異株の出現が世界中でほぼ即時に追跡できたのも、この技術の上に立っている。遺伝子を狙って書き換える技術(CRISPR-Cas9によるゲノム編集)も、ゲノムの全文が読めることを前提にしている。
新しい問題も生まれた。遺伝情報によって雇用や保険で差別されるおそれに対し、アメリカは2008年に遺伝情報差別禁止法を定めた。誰のゲノムのデータを、誰が、何のために使ってよいのかという問いは、いまも答えが定まっていない。そして、研究に使われてきたゲノムのデータは、ヨーロッパ系の人々のものに大きく偏っている。そのため、遺伝情報にもとづく診断や予測が、ほかの集団の人々には同じ精度で当てはまらないことが指摘されている。30億の文字を読み終えたことは、その意味を読み解く、はるかに長い仕事の始まりにすぎなかった。