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Event / できごと

ヒトゲノム計画

Human Genome Project
AD2003年4月14日
重要度 5

概要

1990年に始まり、6か国の20の研究所で13年、30億ドル。30億の塩基対を読んだ。途中からクレイグ・ヴェンターの民間の会社が別の方法で追い上げ、2000年、ホワイトハウスで「引き分け」の共同発表になった。遺伝子は10万個と思われていたのが、2万個ほどしかなかった。データは全部、無償で公開された。いま、1人分を読むのに数百ドル、1日。

場所

ホルムデル
40.38°N -74.18°E · アメリカ・ニュージャージー州

本文

1953年、DNAの二重らせん。1977年、サンガーの塩基配列決定法。1980年代、ヒトの全塩基配列を読む計画が構想された。「30億の文字を読む。10年で。30億ドルで」。

1990年10月、開始。アメリカのエネルギー省と国立衛生研究所(NIH)が中心。イギリス(サンガー研究所。ウェルカム財団が資金の3分の1を出した)、日本(理化学研究所)、フランス、ドイツ、中国。20の研究所。国際コンソーシアム。

方法。「階層的ショットガン」。染色体を大きな断片に分けて、地図の上に並べ(クローンの位置を確定し)、それぞれを細かく砕いて読み、組み立てる。慎重で、遅い。

1996年2月、バミューダ原則。参加する研究所は、決めた配列を24時間以内に公開データベースに載せ、誰でも自由に使えるようにする。特許を取らない。この合意が、後の全てを決めた。

1998年5月、クレイグ・ヴェンターが、パーキン・エルマー社と組んで、セレラ・ジェノミクス社を作った。「3年で、3億ドルで、我々がやる」。方法は「全ゲノム・ショットガン」。地図を作らず、全部をいきなり細かく砕いて、大量の配列を読んで、計算機で組み立てる。当時の最速のコンピュータの一つを使った。そして、遺伝子に特許を取る計画があった。

競争になった。公的計画は速度を上げた(2倍、3倍に)。ヴェンターは公的計画の公開データを自分の組み立てに使った(原則上、誰でも使える。公的側はそれを不公平だと感じた)。

2000年6月26日、ホワイトハウス。クリントン大統領の隣に、公的計画のフランシス・コリンズと、セレラのヴェンターが並んだ。ロンドンではブレア首相が衛星中継で加わった。「ドラフト(草稿)の完成」の共同発表。引き分けにする、という政治的な解決。

2001年2月、2つの論文(公的側は『ネイチャー』、セレラは『サイエンス』)。

2003年4月14日、「完成」の宣言。DNAの構造の発表から50年。実際には、全体の約92%(残りは繰り返し配列が多く、当時の技術では読めない領域)。真の意味での「完全な」ヒトゲノムは、2022年、テロメアからテロメアまで読み通した「T2T」コンソーシアムによって発表された。

分かったこと。全長は約30億塩基対。遺伝子(タンパク質をコードする)は、当初10万個と予想されていたのが、2万個ほどしかなかった(線虫が2万、稲は3万以上)。ゲノムの1.5%だけがタンパク質をコードする。残りの多くは、かつて「ジャンク」と呼ばれ、いまは調節に関わる領域が多いと分かっている。人間どうしの塩基配列の違いは0.1%。人類の遺伝的多様性の大半は、「人種」の間でなく、「人種」の中にある。

費用。約27億ドル(当初予算30億ドル)。13年。

その後。1人分のゲノムを読む費用は、2001年に1億ドル、2007年に1000万ドル、2015年に1000ドル、いま数百ドル。1〜2日。癌の遺伝子診断、新生児の希少疾患の診断、感染症の系統解析(COVID-19の変異株の追跡は、この技術の上に立っている)。

問題。遺伝情報による差別(アメリカは2008年にGINA法)。データの帰属。ゲノムのデータベースが、ヨーロッパ系の人に極端に偏っていること(2019年の時点で、研究に使われたゲノムの約8割がヨーロッパ系)。それが、他の集団の医療の精度を下げている。

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