「イスラム国」の台頭
概要
モスルを落とした武装組織がカリフ制を宣言した。イラクとシリアにまたがる領域を3年支配し、動画で処刑を配信した。
場所
33.32°N 44.37°E · イラク
本文
2003年のイラク戦争でサッダーム・フセインの政権が倒れると、アメリカはイラクの軍と旧与党の組織を解体した。職を失った元兵士や役人の多くは、少数派のスンナ派の人々だった。その混乱の中で、ヨルダン出身のアブー・ムスアブ・ザルカーウィーが率いる武装組織が、アル・カーイダの名を掲げて活動を始めた。この組織は、アメリカ軍だけでなく、多数派のシーア派の人々を狙った爆弾テロを繰り返し、宗派の対立をあおった。
2006年にザルカーウィーがアメリカ軍に殺された後、組織は「イラクのイスラム国」を名乗った。一時はスンナ派の部族がアメリカ軍と手を組んだことで追い詰められたが、2010年にアブー・バクル・バグダーディーが指導者になると、勢いを取り戻した。2011年に隣のシリアで内戦が始まると(シリア内戦)、組織はその混乱に入り込み、シリア東部に地盤を築いた。2013年には「イラクとシャームのイスラム国」を名乗り、2014年の初めには、そのあまりに過激なやり方と命令に従わない態度から、アル・カーイダの指導部に関係を断たれた。

2014年6月10日、組織はイラク北部の大都市モスルを落とした。攻め込んだ戦闘員は千数百人ほどだったとされるが、はるかに多いはずのイラク軍の部隊は、指揮官が逃げ出し、武器や車両を残して総崩れになった。組織はアメリカ製の武器と、銀行にあった大量の現金を手に入れた。勢いに乗った戦闘員たちは、首都バグダードの近くまで迫った。
6月29日、組織は名を「イスラム国」に改め、バグダーディーをカリフとするカリフ制の再興を宣言した。7月4日、バグダーディーはモスルのヌーリー・モスクで説教に立ち、その姿が初めて映像で世界に流された。カリフは、イスラム共同体全体の指導者を意味する。組織は、世界中のイスラム教徒に忠誠と移住を呼びかけた。

最盛期の「イスラム国」は、イラクとシリアにまたがって、イギリスの国土に匹敵するとも言われた広さの土地と、数百万から1000万人ほどの人々を支配したとされる。税を取り立て、独自の裁判所を開き、教科書を作り、通貨まで発行した。石油を密売し、古代の遺物を売りさばいて資金にした。その一方で、処刑の様子を撮影した動画をインターネットで配信し、恐怖を広めた。2015年の初めには、日本人の後藤健二さんと湯川遥菜さんが殺害されている。
2014年8月、組織はイラク北西部のシンジャル山の周辺に住むヤズィーディーの人々を襲った。男性の多くは殺され、女性や少女は数千人が連れ去られ、奴隷として売り買いされた。国連の調査団は、これをジェノサイドと認定している。シリアのパルミラでは、2015年、古代のベル神殿などが爆破された。

組織の宣伝に引き寄せられ、80を超える国から数万人の若者が加わった。ヨーロッパでは、2015年11月のパリ同時多発テロなど、組織が関わったり、その呼びかけに応えたりしたテロが相次いだ。アメリカを中心とする有志連合は2014年8月から空爆を始め、イラク軍、クルド人の部隊、シリアの諸勢力が地上で戦った。
2017年7月、9か月に及ぶ戦闘の末にモスルが奪い返された。カリフ制が宣言されたヌーリー・モスクは、その直前に組織自身の手で爆破された。10月には、組織が首都としたシリアのラッカが落ちた。2019年3月、シリア東部のバグーズ村が落ちて、組織が支配する土地は無くなった。同じ年の10月、バグダーディーはアメリカ軍の作戦で追い詰められ、自爆して死んだ。

それでも組織は消えていない。
「イスラム国」の源流は、2001年の9・11同時多発テロを起こしたアル・カーイダの流れにある。ただ、アル・カーイダが遠い敵であるアメリカを狙ったのに対し、「イスラム国」は自ら土地を支配し、国家を名乗った点で大きく違っていた。アラブの春の後の混乱で国家の統治が崩れた地域が、その温床になった。イラクやシリアの砂漠で小さな襲撃を続け、アフガニスタンやアフリカのサヘル地域などでは、組織に忠誠を誓った集団が勢力を保っている。支配地を失った後も、収容所に残された戦闘員とその家族の扱いは、各国の重い課題として残っている。