物語

『歴史の終わり』と『文明の衝突』で読む冷戦後

出てくるできごと AD1776 – AD2003
できごと 14人物 4
この物語に出てくる図版:United States Declaration of Independence
この物語に出てくるアメリカ独立宣言から。United States Declaration of Independence Wikimedia Commons original: w:Second Continental Congress ; reproduction: William Stone · Public domain

概要

冷戦が終わったあと、世界はどうなるのか。3年違いで出た二冊が、正反対の答えを出した。

この物語について

1989年に壁が崩れたあと、次に何が来るのか。答えを出そうとした二冊が、3年違いで正反対のことを言った。しかも書いた二人は、もとは師と弟子だった。

マーストリヒト条約に関わる図版:GER — BY — Regensburg - Donaumarkt 1 (Museum der Bayerischen Geschichte; Vertrag von Maastricht) (cropped)
マーストリヒト条約Wikimedia Commons User:Mateus2019 · CC BY 2.0 de

『歴史の終わり』(フランシス・フクヤマ、1992年、原型の論文は1989年)は、勝負はついた、と言う。原型の論文が雑誌に載ったのは1989年の夏で、まだベルリンの壁の崩壊の前だった。著者は当時、アメリカ国務省の政策企画の仕事をしていた。「歴史の終わり」という言い方は、彼の発明ではない。20世紀前半のパリで、ロシア出身の哲学者コジェーヴがヘーゲルを講じ、1806年にナポレオンがイエナで勝ったとき、歴史は原理のうえでは終わったと読んだ。フクヤマはその読み方を受け継いでいる。下敷きにしたのはヘーゲルの歴史哲学で、歴史を、人間が互いに認め合う仕組みを探す長い争いとして読む。人間は食べて生きるだけでなく、一人の人間として認められたいと願う。その欲求を、本はプラトンの言葉を借りて「気概(テューモス)」と呼んだ。王政も、ファシズムも、共産主義も、すべての人を等しく認めることができず、その争いに敗れた。残ったのは自由民主主義と市場経済で、それに代わる理念はもう出てこない。出来事は起き続けるが、人類が「どういう仕組みで暮らすか」を争う歴史は終わった、という筋になる。その理念の出発点として本が見るのが、アメリカ独立宣言やフランス人権宣言の、人は等しく権利を持つという考え方である。

もとの論文の題には疑問符が付いていた。「歴史の終わり?」である。本になるときにそれは外れたが、多くの読者は、これからは何も起きない、という意味に受け取った。著者が言ったのは、事件が起きなくなることではなく、理念の競争に決着がついた、ということだった。

アパルトヘイトの終結に関わる図版:F.W. de Klerk, left, the last president of apartheid-era South Africa, and Nelson Mandela, his successor, wait to speak
アパルトヘイトの終結Wikimedia Commons Carol M. Highsmith · Public domain

ただ、本は楽観だけで終わらない。題の後半の「最後の人間」はニーチェの言葉で、争うものが無くなった人間は、安楽と小さな満足のなかで誇りを失うのではないか、という不安が後半を占める。勝ったあとの退屈が、新しい争いを生むかもしれない、と著者自身が書いている。

『文明の衝突』(サミュエル・P・ハンチントン、1996年、原型の論文は1993年)は、正面から反対する。著者はハーヴァードの政治学者で、フクヤマの学生時代の師でもある。争いの軸はイデオロギーから文明へ移る。西欧、正教、イスラーム、中華、ヒンドゥー、日本、ラテンアメリカ、アフリカ。人は冷戦のあいだ「どちらの陣営か」で自分を語ったが、これからは「何者か」で語る。宗教と言葉と歴史が、その答えになる。だから次の戦争は、文明と文明の断層線で起きる、という筋になる。こちらも、もとの論文の題は「文明の衝突?」と疑問の形だった。西欧の理念は普遍ではなく、西欧という一つの文明のものにすぎない、とも言う。日本は一国だけで一つの文明をなすとされ、トルコやロシアやメキシコは、どの文明に属するかで内側が引き裂かれた「引き裂かれた国」と呼ばれた。戦争が起きると、同じ文明の国々が身内として加勢する、とも本は言う。ボスニアでは、ロシアがセルビア人に、イスラーム諸国がボシュニャク人に、ドイツがクロアチア人に肩入れした。

イラク戦争に関わる図版:UStanks baghdad 2003
イラク戦争Wikimedia Commons Technical Sergeant John L. Houghton, Jr., United States Air Force · Public domain

1990年代のはじめは、どちらにも都合のよい証拠があった。1991年のソ連の解体で、共産主義の本家は消えた。最後の指導者ゴルバチョフは、力で東欧を押さえ込まなかった。1992年のマーストリヒト条約で、ヨーロッパは通貨で国どうしを縛る道を選び、1994年のアパルトヘイトの終結で南アフリカは選挙で多数派の政府を作った。どれも『歴史の終わり』の方向に見えた。ただ、同じ1989年の6月、北京ではすでに逆向きの答えが出ていた。天安門事件で、中国の共産党は民主化を求める人びとを戦車で退け、市場は開いても政治は開かない道を選んだ。その道が30年以上続くとは、当時ほとんど誰も考えていなかった。

一方で、ユーゴスラヴィアは解体とともに戦争になった。ボスニア紛争は、カトリックのクロアチア人、正教のセルビア人、ムスリムのボシュニャク人が入り混じる土地で起きた。ハンチントンはこれを、断層線の戦争の典型として扱った。1995年7月のスレブレニツァの虐殺では、国連の「安全地帯」だった町で、ボシュニャク人の男性と少年およそ8000人が殺された。指揮したラトコ・ムラディッチは16年逃げ続け、2011年に捕らえられて、のちに国際法廷で終身刑を言い渡されている。だが、同じ言葉を話し、隣り合って暮らし、結婚もしていた人たちを「文明」の違いで引き裂いたのは、政治家とメディアだった、という見方も強い。

どちらの本の枠にも収まらないものもあった。1994年のルワンダ虐殺では、約100日のあいだに50万から80万人以上とされる人が殺された。殺した側と殺された側は、同じ言葉を話し、多くは同じキリスト教の信者だった。虐殺が始まると、国連は現地の平和維持部隊を減らし、大国はほとんど何もしなかった。理念の争いでも、文明の衝突でもない。1991年、ソマリアでは国家そのものが崩れ、隣のケニアに難民キャンプが開かれた。冷戦のあとに増えたのは、国と国の戦争より、国が崩れたあとの内戦と難民だった。どちらの本も、国家が機能していることを前提にしていた。

2001年の9・11同時多発テロは、多くの人に『文明の衝突』が当たったと感じさせた。首謀したウサーマ・ビン・ラーディンは、自分の戦いを宗教の言葉で語った。その翌月、パレスチナ出身の批評家エドワード・サイードは、文明を一枚岩の主体のように扱うこと自体が誤りだと書き、ハンチントンの説を「無知の衝突」と呼んだ。サイードは1990年代から、文明の区分は人を束ねて敵を作る見方だと批判し続けていた。2003年のイラク戦争では、民主主義を外から持ち込めば根づく、という考えが試され、うまくいかなかった。フクヤマはこの戦争を支持した論者たちと袂を分かっている。2008年の金融危機のあと、1936年のケインズ『一般理論』がまた読まれたのは、市場の勝利も自分で安定するものではないと、多くの人が思い出したからだった。

9・11同時多発テロに関わる図版:WTC smoking on 9-11
9・11同時多発テロWikimedia Commons Flickr user Michael Foran · CC BY 2.0

二人のその後も対照的だった。ハンチントンは最後の本で、アメリカ自身のまとまりが移民によって揺らぐことを心配し、2008年に死んだ。フクヤマはのちに、国家と制度がどう作られるかの大きな歴史を書き、さらに、人が尊厳を認められたいという欲求が、国民や宗教や民族への帰属の政治として噴き出していることを論じた。認められたい欲求という『歴史の終わり』の核にあった考えが、かつての師の言う帰属の問題と、ほとんど同じところへたどり着いたことになる。

どちらも、そのままの形では当たっていない。民主主義は後退した国が多く、文明は本が描くほどまとまってもいない。ロシアとウクライナは同じ正教の国どうしで戦っている。それでも二冊が読まれ続けるのは、冷戦後の世界を説明する問いの立て方を決めたからだろう。私たちはいまも、理念で分かれるのか、帰属で分かれるのか、という二つの問いのあいだにいる。

この物語は、二冊が使ったできごとを並べ直したものになる。本文は写していない。サイードについては物語物語「『オリエンタリズム』で読む歴史」もあり、その反論の講演も付けてある。

動画(3)

The 'End of History' Revisited | Francis FukuyamaThe Long Now Foundation著者本人が、20年後に自分の予測を検証する
The clash of civilizations — with Samuel Huntington (1992)AEI Archives著者本人が、本になる前の講演でこの説を初めて出したときのもの
The Myth of the "Clash of Civilizations". Edward SaidPalestine Diary『オリエンタリズム』の著者による、真正面からの反論

この物語が起きた場所

筋(18)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. アメリカ独立宣言できごとAD1776年7月4日『歴史の終わり』が到達点と呼ぶ理念の出発点植民地が本国から離れ、人が生まれながらに権利を持つと宣言した。フィラデルフィア
  2. ゴルバチョフ人物AD1931年3月2日 – AD2022年8月30日改革を試み、結果として体制を畳んだ。武力で押さえつけない選択が、冷戦を戦争なしに終わらせる。
  3. エドワード・サイード人物AD1935年11月1日 – AD2003年9月25日『文明の衝突』に正面から反論したエルサレム生まれのパレスチナ人で、ニューヨークで英文学を教えた。西洋が「東洋」を語る型そのものを批判し、学問と支配のつながりを問うた。
  4. ケインズ『一般理論』できごとAD1936年2008年にまた読まれた不況は、賃金が高すぎるからでも、放っておけば直るものでもない。人が使わなければ、誰かの所得が減り、その人がまた使わなくなる。均衡は、失業を抱えたままでも成り立つ。だから、政府が支出して、有効需要を作る。「穴を掘って埋め戻す仕事でも、何もしないよりましだ」。長期には我々は皆死んでいる。ニューディールと戦後の福祉国家の理論の基礎になり、1970年代のスタグフレーションで批判され、2008年にまた読まれた。ケンブリッジ
  5. ラトコ・ムラディッチ人物AD1942年3月12日 – ?壁の裏に16年ボスニアの村。父はウスタシャに殺された。ユーゴ人民軍の将校から、1992年、ボスニアのセルビア人勢力の軍司令官に。サラエヴォの包囲(1425日、市民1万1000人が死んだ)とスレブレニツァ。16年、逃亡した(親族の家の壁の裏に隠れていた)。2011年、セルビア北部の村で逮捕。2017年、旧ユーゴ国際刑事裁判所がジェノサイドと人道に対する罪で終身刑。判決を読み上げる法廷で、彼は叫んで退廷させられた。
  6. ウサーマ・ビン・ラーディン人物AD1957年3月10日 – AD2011年5月2日遺体は海に沈められたサウジアラビアの建設業の富豪の子。50人以上の兄弟の一人。1980年代、アフガニスタンでソ連と戦う義勇兵に金と組織を提供した。1988年、アル・カーイダ(基地、名簿)。1990年、湾岸戦争でアメリカ軍がサウジに駐留したことを、聖地への冒涜として憎んだ。スーダン、そしてアフガニスタンのタリバンの下へ。1998年の大使館爆破、2000年のコール号、2001年の9・11。2011年5月2日、パキスタンのアボッタバードの家で、米海軍特殊部隊に撃たれた。遺体は海に沈められた。
  7. アスワン・ハイ・ダムできごとAD1970年7月21日ナイルは毎年氾濫し、肥沃な泥を運んできた。エジプトの農業は五千年、それに依存していた。ナセルは、洪水を止め、通年の灌漑と発電を得るために、巨大なダムを構想した。英米が融資を降り、スエズ運河の国有化と戦争に至る。ソ連が引き受けた。湛水でヌビアの村々が沈み、十万人以上が移住させられ、アブ・シンベル神殿は切断して移された。泥が来なくなり、農地は化学肥料に、三角州は侵食に、そして住血吸虫は蔓延に向かった。アスワン
  8. ベルリンの壁の崩壊できごとAD1989年11月9日二冊の出発点28年間ドイツを分けた壁が一夜で開いた。冷戦の終わりが目に見える形になる。ベルリン
  9. 天安門事件できごとAD1989年6月4日同じ1989年に、逆向きの答えが出ていた民主化を求める学生らに軍が投入された。ベルリンの壁が開く5か月前の出来事になる。北京
  10. ソ連の解体できごとAD1991年12月25日12月8日、ロシア、ウクライナ、ベラルーシの首脳がベロヴェーシの森で「ソ連は存在しない」。21日、アルマアタで11か国がCIS。25日、ゴルバチョフが辞任の演説をし、クレムリンの赤い旗が降りて三色旗が上がった。69年。核のボタンはエリツィンに渡った。モスクワ
  11. 難民キャンプできごとAD1991年ソマリアの中央政府が崩れ、国境を越えた人々のために、ケニア北東部のダダーブに仮の居住地が設けられた。想定は九万人、数年である。三十年を超えて存続し、一時は五十万人近くが暮らした。そこで生まれ、そこで育ち、外を知らないまま成人した人がいる。移動の自由は制限され、働くことも難しい。仮設という前提が、恒久の状態を作る。世界の難民の多くが、平均して十年を超えて、こうした場所にいると推計されている。ダダーブ(位置は特定されていない)
  12. マーストリヒト条約できごとAD1992年2月7日通貨で縛るベルリンの壁の崩壊とドイツ統一の直後。ドイツを、通貨を手放させることでヨーロッパに縛る、というミッテランの計算と、コールの決断。欧州共同体(EC)が欧州連合(EU)になった。単一通貨、共通の外交と安全保障、司法と内務の協力。EU市民権。デンマークが国民投票で一度否決し、条件をつけて通した。2002年、ユーロの紙幣と硬貨が12か国で流通した。マーストリヒト
  13. ボスニア紛争できごと1992年『文明の衝突』が断層線の戦争と呼んだもの同じ言葉を話し、隣り合って暮らしてきた人びとが、宗教で線を引かれて殺し合った。ヨーロッパで戦争は終わったという前提が、冷戦の3年後に崩れる。サラエヴォ
  14. アパルトヘイトの終結できごとAD1994年全人種が参加する選挙が行われ、マンデラが大統領になった。報復ではなく和解が選ばれる。ヨハネスブルグ
  15. ルワンダ虐殺できごと1994年どちらの本の枠にも収まらない100日で80万人以上が殺された。植民地時代に固定された民族の区分が、その下地にあった。キガリ
  16. スレブレニツァの虐殺できごとAD1995年7月11日安全地帯国連が「安全地帯」と宣言した町。守っていたのはオランダ軍400人。ムラディッチのセルビア人部隊が入り、女子供をバスで運び出し、男と少年8372人を、数日で、倉庫と学校と野原で殺して、埋めた。後に重機で掘り返して別の場所へ移した(骨が散らばって、身元の特定を難しくした)。ヨーロッパで第二次大戦後、最大の大量殺害。国際法廷がジェノサイドと認定した。スレブレニツァ
  17. 9・11同時多発テロできごとAD2001年9月11日生中継された旅客機4機。2機が世界貿易センターの2棟に、1機が国防総省に、1機はペンシルベニアの野に落ちた(乗客が操縦室に突入した)。2977人が死んだ(19人の実行犯を除く)。93か国の人。生中継された。アメリカは「テロとの戦争」を宣言し、10月にアフガニスタン、2003年にイラク。空港の検査、監視法、そして「9・11以後」という言い方が残った。ニューヨーク
  18. イラク戦争できごとAD2003年3月20日大量破壊兵器を理由に、アメリカとイギリスがイラクに侵攻した。三週間でバグダードが落ち、兵器は見つからなかった。フセインは穴の中で捕まり、絞首刑になった。そのあと8年の内戦で、10万人を超える市民が死んだ。バグダード

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