概要
1974年、ローランドとモリーナが、フロンが成層圏で分解してオゾンを壊すと予測した。1985年、イギリスの観測隊が南極上空のオゾンの急減を報告した。予測を、はるかに超える速さだった。2年後、24か国が生産の削減に合意した。後の改定で全廃に至る。全ての国連加盟国が批准した、唯一の条約である。オゾン層は回復に向かっている。代替品として使われた物質が、強力な温室効果ガスであることが、後に分かった。
場所
45.50°N -73.57°E · カナダ・ケベック州
本文
**オゾン層**。
成層圏(高度10〜50km)にある、オゾン(O₃)の濃度が高い層。
**役割**——太陽の**紫外線UV-B**を吸収する。
(この層がなければ、地表の生物のDNAが、直接、紫外線に晒される。
皮膚癌、白内障、そして——**植物とプランクトンの光合成の阻害**。
生態系の基礎が、崩れる。)
**フロン**。
**CFC**(クロロフルオロカーボン)。
**1928年**、**トマス・ミジリー**(ゼネラルモーターズ)が開発した。
(当時の冷蔵庫の冷媒——**アンモニア、二酸化硫黄、塩化メチル**——は、**毒性があり、漏れると死ぬ**。
1929年、クリーヴランドの病院で、冷媒〈塩化メチル〉が漏れて、**100人以上が死んだ**事故が起きている。)
ミジリーが作ったフロンは——
- **無毒** - **不燃** - **化学的に、極めて安定** - **安い**
**完璧に見えた**。
(彼は、学会の実演で、**フロンを吸い込み、そしてそれを吐いて、蝋燭の火を消してみせた**。無毒であり、燃えないことを示すために。)
用途——冷蔵庫、エアコン、**スプレーの噴射剤**、**発泡剤**(断熱材と、緩衝材)、**電子部品の洗浄**。
生産量が、急増した。
(**トマス・ミジリー**は、もう一つ、有名なものを作っている。
**有鉛ガソリン**(テトラエチル鉛)。
——**20世紀の大気の環境に、最も大きな悪影響を与えた人物**、としばしば評される。
彼自身、鉛中毒で健康を害した。
そして、ポリオで下半身が麻痺した後、自分で起き上がるための滑車の装置を作り、**1944年、その装置に絡まって窒息死した**。)
**予測**。
**1974年6月**。
**マリオ・モリーナ**(メキシコ出身)と**F・シャーウッド・ローランド**(カリフォルニア大学アーバイン校)が、『**ネイチャー**』に論文を発表した。
**論理**。
(1)フロンは、**極めて安定である**。だから、対流圏で分解されない。
(2)分解されないので、**成層圏まで上がる**。
(3)成層圏では、**強い紫外線**がある。
(4)紫外線が、フロンを分解する。**塩素原子**が、遊離する。
(5)塩素原子が、オゾンを壊す。
(6)そして——**塩素原子は、反応の後、再生する**。
**触媒として働く**。
**一つの塩素原子が、10万個のオゾン分子を破壊しうる**。
**反応**。
産業界は、猛烈に反発した。
(デュポン社の会長が、この説を「**SF小説だ**」と述べたと伝えられる。
エアゾール協会が、大規模な広報を行った。
——ローランドは、後に語っている。「**その後、10年近く、産業界からの講演の依頼が、一件も来なかった**」。)
**それでも**。
**1978年**、アメリカ、カナダ、スウェーデン、ノルウェーが、**スプレーの噴射剤としてのフロンの使用を禁止した**。
(世論が動いた。消費者が、フロンを使わないスプレーを選ぶようになった。
——**規制の前に、市場が動いた**面がある。)
**1985年**。
**南極上空**。
イギリスの**南極観測隊**(**ジョセフ・ファーマン**、ブライアン・ガーディナー、ジョナサン・シャンクリン)が、『ネイチャー』に報告した。
**ハレー基地での観測**。
**1970年代後半から、南極の春(9〜10月)のオゾンの量が、急減している**。
**約40%**、減っていた。
**予測より、はるかに速く、はるかに大きい**。
(彼らは、古い分光光度計を使っていた。1957年から、同じ場所で、同じ方法で測り続けていた。
——**長期の定点観測が、なければ、気づかなかった**。)
**そして**。
**NASAの衛星も、同じデータを取っていた**。
**しかし、気づいていなかった**。
(データ処理のプログラムが、**あまりに低い値を、測定の誤りとして自動的に除外していた**。
ファーマンらの報告の後、NASAが記録を遡って調べ直したところ、**衛星のデータにも、穴が写っていた**。)
(この事例は、**「異常値を、自動的に捨ててはならない」**という教訓として、繰り返し引かれる。)
**なぜ、南極か**。
**極成層圏雲**。
(南極の冬、成層圏が極端に冷える〈マイナス78度以下〉。
そこで、**氷の微粒子の雲**ができる。
その粒子の表面で、化学反応が起きて、**塩素が、反応しやすい形に変わる**。
そして、春——太陽が戻ると、光が引き金になって、**一気にオゾンが破壊される**。
——このメカニズムは、1986〜87年の南極での観測(**スーザン・ソロモン**が率いた探検隊)で、確かめられた。)
**行動**。
報告から、**2年**。
**1987年9月16日**、モントリオール。
**「オゾン層を破壊する物質に関するモントリオール議定書」**。
**24か国と、EC**が署名。
内容——**主要なフロンの生産を、1998年までに50%削減する**。
(当初は、これだけだった。しかし——**改定の仕組み**が組み込まれていた。
科学的な知見が進めば、**規制を強化できる**。)
**改定**。
- **1990年、ロンドン改正**——**2000年までに、全廃**。そして、途上国の転換を支援する**多国間基金**を設立した。 - **1992年、コペンハーゲン改正**——期限を前倒し(1996年)。HCFCも規制対象に。 - 1997年、モントリオール改正。1999年、北京改正。 - **2016年、キガリ改正**——**HFC**(代替品として使われていた物質)を規制。
**成果**。
**すべての国連加盟国が、批准した**。
**国連の歴史上、普遍的な批准を達成した、唯一の条約である**。
(197の締約国。)
**効果**。
- 大気中のフロンの濃度は、**1990年代半ばにピークを打ち、以後、減少している**。 - **オゾン層は、回復に向かっている**。
(2018年と2022年の科学評価パネルの報告——
中緯度で**2040年頃**、北極で**2045年頃**、南極で**2066年頃**に、1980年の水準に戻ると予測されている。)
- 推計——議定書がなければ、2050年までに、アメリカだけで**2億8,000万件の皮膚癌**、**150万人の癌死**、**4,500万件の白内障**が追加で発生した、とされる。
**そして——気候**。
**予期せぬ副次的な効果**があった。
フロンは、**極めて強力な温室効果ガス**でもある。
(二酸化炭素の、**数千倍から1万倍**の温室効果を持つ。)
だから、フロンの全廃は、**気候変動の対策としても、極めて大きな効果があった**。
(推計——モントリオール議定書は、**京都議定書よりも、はるかに大きな温室効果ガスの削減を達成した**。
そして、それは**副産物**だった。)
**なぜ、成功したか**。
しばしば、気候変動の交渉との対比で論じられる。
**(1)代替品があった**。
(デュポン社が、代替物質の開発に成功し、**規制を支持する側に回った**。
——規制が、**先行した企業に有利になる**構図ができた。)
**(2)対象が、限られていた**。
(フロンを作っている企業は、世界で数十社。**交渉の相手が、少ない**。
——化石燃料は、経済の全体に及ぶ。)
**(3)因果関係が、明確だった**。
(一つの物質、一つの現象、一つの被害〈皮膚癌〉。
——気候変動は、原因も、影響も、分散している。)
**(4)目に見える「穴」があった**。
(衛星の画像で、**南極の上に、青い穴が空いている**。
——極めて分かりやすい。報道が、繰り返し使った。)
**(5)そして——途上国への資金の仕組みを、作った**。
(多国間基金。先進国が金を出し、途上国が転換する費用を賄う。
**これがなければ、普遍的な批准は、なかった**。)
**問題**。
**(1)代替品が、温室効果ガスだった**。
**HFC**(ハイドロフルオロカーボン)。
オゾンは壊さない。**しかし、強力な温室効果ガスである**。
(だから、2016年のキガリ改正で、これも規制することになった。
——**一つの問題を解決した物質が、別の問題を起こした**。ミジリーのフロンと、同じ構造である。)
**(2)違法な生産**。
**2018年**、大気の観測から、**CFC-11の排出が、予想より多い**ことが判明した。
追跡の結果、**中国東部**に、違法な生産の源があることが特定された(発泡剤として使われていた)。
(対応が取られ、その後、排出は減少している。
——**大気を観測していたから、見つかった**。)
**モリーナとローランド**。
**1995年、ノーベル化学賞**。**パウル・クルッツェン**とともに。
(大気化学の分野に、初めて与えられたノーベル賞である。)
授賞の理由に、こうある。
「**彼らは、地球環境が、いかに、そしてどれほど、人為的な排出に対して脆弱でありうるかを、示すことに貢献した**」。
(クルッツェンは、後に「**人新世**」という語を提唱する人物でもある。)