できごと

CRISPR-Cas9によるゲノム編集

CRISPR gene editing
AD2012年6月28日
重要度 5
カナダアメリカ合衆国アメリカ合衆国メキシコニカラグアホンジュラスキューバグアテマラAD2012年6月28日バークレー
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2012年6月28日の版図を描いています(8勢力)。

概要

細菌がウイルスを切る仕組みを、狙った場所でDNAを切る道具にした。安く、速く、誰でも使える。人の胚を編集した実験が3年後に報告される。

場所

バークレー
37.87°N -122.27°E · アメリカ合衆国・カリフォルニア州

関わった人(1)

ジェニファー・ダウドナAD1964年2月19日–? · 共同発表

本文

2012年6月28日、アメリカの科学誌『サイエンス』の電子版に、一本の論文が載った。著者の中心は、カリフォルニア大学バークレー校の生化学者ジェニファー・ダウドナと、フランス出身の微生物学者エマニュエル・シャルパンティエ。細菌がウイルスから身を守るために使っている仕組みを取り出し、DNAの好きな場所を狙って切る道具に作り変えられることを示したものだった。この道具はCRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)と呼ばれ、わずか数年のうちに世界中の生物学の研究室で使われるようになった。

物語は、地味な観察から始まる。1987年、大阪大学の石野良純らは、大腸菌の遺伝子を調べているうちに、同じ短い配列が間隔をおいて何度も繰り返される奇妙な部分に気づき、論文に書き留めた。何のためのものかは分からなかった。1990年代、スペインの微生物学者フランシスコ・モヒカは、塩田にすむ微生物をはじめ、多くの細菌や古細菌に同じような繰り返しがあることを見つけた。この繰り返しの配列は、のちにCRISPRと名づけられる。

CRISPR/Cas9のたとえを現した図。
CRISPR/Cas9のたとえを現した図。Wikimedia Commons Ernesto del Aguila III, NHGRI · Public domain

2005年頃、モヒカらいくつかの研究グループは、繰り返しと繰り返しのあいだに挟まった短い配列が、細菌に感染するウイルスのDNAとそっくりであることに気づいた。細菌は、一度感染したウイルスのDNAの切れ端を、自分のゲノムに記録として残しているらしい。そして、同じウイルスが再びやってくると、その記録を目印にして、侵入者のDNAを見つけて切り刻む。細菌にも、経験から学ぶ免疫があったのである。2007年には、ヨーグルトを作る乳酸菌を研究していたデンマークの企業の研究者たちが、この仕組みが実際に細菌をウイルスから守っていることを実験で確かめた。

ウイルスのDNAを切る役目を担うのが、Cas9という酵素である。Cas9は、細菌の記録から作られた短いRNAを手に持ち、それと同じ配列を持つDNAを探し当てて、そこをはさみのように切る。シャルパンティエは、この働きに、もう一種類の小さなRNAが欠かせないことを2011年に見つけていた。同じ年、学会で出会ったダウドナとシャルパンティエは、共同で研究を始めた。ダウドナは、RNAの立体構造の研究で知られる生化学者だった。

Cas9タンパク質とDNA・RNAの複合体構造
Cas9タンパク質とDNA・RNAの複合体構造Wikimedia Commons Deposition authors: Nishimasu, H., Ishitani, R., Nureki, O.; Visualization author: Synpath · CC0

二人の研究室は、Cas9が二本のRNAに導かれて、試験管の中で狙ったDNAを正確に切ることを確かめた。さらに、その二本のRNAを一本につなげても働くことを示した。目印になる部分の配列を書き換えれば、理屈の上では、どんな生物のゲノムのどこでも狙って切れる。2012年の論文は、この道具の可能性を明確に示していた。同じころ、リトアニアのシクシュニスのグループも、ほぼ同じ発見を独立に報告している。

DNAを切ること自体が目的ではない。細胞は、切られたDNAを自分で修復しようとする。そのときに修復がうまくいかずに遺伝子が壊れたり、こちらが用意した配列が取り込まれたりする。これを利用して、遺伝子を働かなくしたり、書き換えたりできる。こうした技術をゲノム編集と呼ぶ。

CRISPR RNA(crRNA)の模式図
CRISPR RNA(crRNA)の模式図Wikimedia Commons explorebiology · CC BY 4.0

ゲノム編集の技術はそれ以前からあった。だが、DNAの狙った場所に結びつくタンパク質を、目的の場所ごとに一から設計して作らなければならなかった。熟練した研究者が手間と時間をかけ、費用もかさんだ。CRISPRでは、目印になる短いRNAの配列を変えるだけでよい。必要な材料は安く手に入り、大学院生でも数週間で扱えるようになった。2013年の初めには、マサチューセッツ工科大学とハーバード大学のブロード研究所の張鋒(フェン・チャン)や、ハーバード大学のジョージ・チャーチらが、人やマウスの細胞でゲノム編集に成功した。以後、植物から動物まで、ほとんどあらゆる生物に使われるようになる。

あまりに強力で手軽な道具だったために、懸念もすぐに生まれた。人の受精卵や精子・卵子の遺伝子を書き換えれば、その変更は子に、さらにその子孫へと受け継がれる。病気を防げるかもしれないが、予期しない変化も引き継がれ、やがては望みどおりの子を「設計」することにつながりかねない。ダウドナは2015年の初め、科学者たちを集めて話し合い、人の生殖に関わるゲノム編集を当面控えるよう呼びかけた。1975年、遺伝子組み換え技術の安全をめぐって科学者たちが自ら規制を話し合ったアシロマ会議にならった動きだった。同じ年の春、中国の研究チームが、育つ見込みのない人の受精卵を編集した実験を報告し、議論は一気に現実のものになった。

プライムエディティング(改良型CRISPR-Cas9によるゲノム編集手法)の模式図
プライムエディティング(改良型CRISPR-Cas9によるゲノム編集手法)の模式図Wikimedia Commons explorebiology · CC BY 4.0

2018年11月、恐れていたことが起きた。中国・深圳の研究者、賀建奎が、HIVに感染しにくくなるよう遺伝子を編集した受精卵から双子の女の子が生まれたと発表したのである。人のゲノム編集をめぐる国際会議が香港で開かれる直前だった。世界中の科学者がこれを強く非難した。必要性が乏しく、安全性も確かめられておらず、親への説明も不十分だったからである。中国の裁判所は翌年、彼に懲役3年の判決を下した。

一方で、病気の治療への応用は着実に進んだ。患者自身の細胞を体の外に取り出して編集し、体に戻す方法で、遺伝性の血液の病気である鎌状赤血球症などの治療薬が開発され、2023年にはイギリスとアメリカで、CRISPRを使った初めての治療薬が承認された。農業でも、栄養成分を増やしたトマトや、身の多い魚などが作られ、日本でも販売が始まっている。

ジェニファー・ダウドナ
ジェニファー・ダウドナWikimedia Commons Jussi Puikkonen/KNAW · CC BY 2.0

2020年、ダウドナとシャルパンティエはノーベル化学賞を受けた。発表から8年という異例の早さで、女性二人だけでの受賞も化学賞では初めてだった。ただし、この技術の特許をめぐっては、ダウドナのいるカリフォルニア大学と、張鋒のいるブロード研究所とのあいだで、長い争いが続いた。

メンデルのエンドウの論文で遺伝の法則が見いだされてから150年、DNAの二重らせんが解かれてから60年、遺伝子組み換え技術の誕生が生まれてから40年。人類はついに、生命の設計図を狙いどおりに書き換える、安くて手軽な道具を手にした。きっかけは、細菌の小さな繰り返し配列という、誰も気にとめなかった謎だった。何を直し、何を直さないのか。その線をどこに引くかを決めるのは、科学ではなく、私たちの社会である。

同じ時代のできごと

バーブリー・モスクの破壊AD1992年12月6日ボスニア紛争1992年マーストリヒト条約AD1992年2月7日鄧小平の南巡講話AD1992年1月18日ショートメッセージAD1992年12月3日地球サミットAD1992年6月3日マボ判決AD1992年6月3日サラエヴォ包囲AD1992年4月5日
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
AD2012年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →