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Event / できごと

雪印乳業の集団食中毒

Snow Brand Milk Products food poisoning
AD2000年6月27日
重要度 3
ロシア中国インドモンゴルビルマタイ日本ベトナムラオスフィリピンカンボジア朝鮮民主主義人民共和国大韓民国AD2000年6月27日大坂
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているAD2000年6月27日の版図を描いています(13勢力)。

概要

2000年6月の終わりから、雪印乳業の大阪工場で作られた低脂肪乳を飲んだ人々が、吐き気や下痢を訴えた。患者は一万三千人を超え、戦後最大の集団食中毒になる。原因は、北海道の工場で停電の間に脱脂粉乳の原料に菌の毒素が増え、それをそのまま使ったことだった。会社の発表は遅れ、記者に囲まれた社長が「私は寝ていないんだ」と口にした姿が繰り返し放送される。二年後には子会社が輸入の牛肉を国産と偽っていたことが発覚し、その会社は解散した。企業の隠し方が、ブランドを一度に失わせることを示した事件である。

場所

大坂
34.69°N 135.53°E · 日本・大阪府

本文

雪印乳業は、北海道の酪農家たちが作った組合から始まった会社で、日本の乳製品の最大手だった。1955年にも、脱脂粉乳による集団食中毒を起こしている。そのとき社長は、全社員に向けて「信用は、長年の努力で得られるが、失うのは一瞬である」と説いた文書を配った。

2000年6月27日、大阪の工場で作られた低脂肪乳を飲んだ人から、吐き気や下痢を訴える連絡が入った。会社はすぐには製品を回収せず、公表も遅れた。その間に患者は増え、最終的に一万三千人を超えて、戦後で最も大きな集団食中毒になった。

原因は、北海道の大樹町の工場にあった。3月、停電で機械が止まり、脱脂粉乳の原料の乳が長い時間温かいまま置かれて、黄色ブドウ球菌が増え、熱に強い毒素ができた。工場はその原料で作った脱脂粉乳を、捨てずに出荷した。菌は加熱で死んでも、毒素は残る。大阪の工場は、それを使って低脂肪乳を作っていた。記者会見を打ち切ろうとした社長が、記者に詰め寄られて「私は寝ていないんだ」と口にした場面は、何度もテレビで流された。

2002年、子会社の雪印食品が、狂牛病(狂牛病)の対策として国が買い取る国産の牛肉に、輸入の牛肉を詰め替えていたことが発覚した。雪印食品は解散に追い込まれる。二つの事件で雪印の製品は店の棚から消え、グループは解体と再編を迫られた。企業が問題を隠すことが、長年の信用をどれほど速く失わせるかを示した例として、いまも企業の研修で語られている。

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