概要
1996年4月28日、タスマニアの観光地ポート・アーサーの流刑地の跡で、ひとりの男が半自動の銃を撃ち、35人を殺した。首相になったばかりのジョン・ハワードは、自分を支える地方の農民の反発を押し切り、12日後には各州に銃の規制で合意させる。半自動の銃は禁じられ、政府が買い取って壊した銃は65万丁を超えた。ハワードは集会に防弾のチョッキを着て立った。オーストラリアで銃による大量の殺人が起きることは、その後長く見られなくなった。
場所
-43.15°N 147.85°E · オーストラリア・タスマニア州
本文
ポート・アーサーは、19世紀にイギリスから送られた囚人のうち、再び罪を犯した者を閉じ込めた流刑地の跡である。石造りの監獄の廃墟が残り、タスマニアで最も人の集まる観光地の一つだった。
1996年4月28日、28歳の男が、半自動の銃を持って廃墟の中のカフェに入り、食事をしていた人々を撃った。そのあと駐車場や道路でも撃ち続け、近くの宿に人質を取って立てこもった。翌朝、宿に火を放って出てきたところを捕まる。殺されたのは35人、傷ついた人は23人にのぼった。
その7週間前に首相になったばかりのジョン・ハワードは、保守の連立政権の長で、銃を持つことの多い地方の農民に支えられていた。それでも彼は、すぐに銃の規制に乗り出した。事件の12日後、すべての州と準州が、全国の銃の規制についての合意に署名する。半自動のライフルと散弾銃を原則として禁じ、銃を持つには正当な理由を示させ、登録を国じゅうで揃える。すでに持っている銃は、政府が買い取って壊した。その数は65万丁を超えた。
反発は激しかった。ハワードは6月、ヴィクトリア州の町の集会に、防弾のチョッキを上着の下に着て立ち、銃を持つ人々の怒号を浴びた。それでも規制は通った。オーストラリアでは、この事件のあと20年以上、同じような大量の殺人は起きていない。規制の効果をめぐる議論はあるが、アメリカで銃の事件が起きるたびに、この国の例が引かれる。