← 地図で見る
Event / できごと

タスキーギ梅毒研究

The Tuskegee syphilis study
AD1932年
重要度 5

概要

アメリカ公衆衛生局が、アラバマの黒人小作農399人の梅毒患者を「治療せずに経過を観察する」研究を始めた。参加者には「悪い血」の治療と告げ、無料の食事と埋葬費を与えた。1940年代にペニシリンが治療薬になっても、与えなかった。研究は40年続き、1972年に内部告発で報道されて中止された。死者128人、妻への感染40人、先天梅毒の子19人。1997年、大統領が謝罪した。医学研究への不信が、いまも残っている。

場所

タスキーギ
32.43°N -85.69°E · アメリカ・アラバマ州

本文

1932年、アメリカ公衆衛生局(PHS)が、アラバマ州メイコン郡で研究を始めた。

正式名称「**タスキーギにおける黒人男性の未治療梅毒の研究**」。

**背景**。メイコン郡は、アメリカで最も貧しい郡の一つだった。人口の大半が黒人の小作農。医療がほとんどない。梅毒の有病率が極めて高かった(調査で35%以上と推定された)。

当初、この地域では、ジュリアス・ローゼンウォルド基金の資金で梅毒の治療事業が行われていた。1929年の大恐慌で資金が尽きた。

PHSは、事業を治療から**観察**へ切り替えた。

**設計**。梅毒の患者399人と、対照の非感染者201人。全員、黒人の男性。

「梅毒を治療しなかった場合、人体で何が起きるか」を、死ぬまで追跡し、そして**解剖する**。

(この設計には、当時の一部の医学界にあった人種主義的な前提があった。「梅毒は白人では神経を、黒人では心血管を侵す」という説を確かめる、という動機である。)

**参加者に告げられたこと**。

「あなたには**悪い血(bad blood)**がある。無料で治療します」。

「悪い血」は、その地域で、貧血、疲労、梅毒、その他あらゆる不調を指す言葉だった。

提供されたもの——無料の健康診断、無料の食事(診察の日に)、そして**埋葬費用**。

貧しい人々にとって、これは大きかった。埋葬費用が受け取れるのは、遺族が解剖に同意した場合である。

彼らは、自分が梅毒であることを知らされなかった。研究に参加していることを知らされなかった。

**「治療」**。彼らが受けたのは、アスピリンと、鉄剤と、そして**診断のための腰椎穿刺**である。

腰椎穿刺は痛みを伴い、危険もある。参加者を集めるため、PHSは手紙を出した。標題は「**最後の無料治療の機会**」。

**ペニシリン**。

1943年、ペニシリンが梅毒に有効であることが確立した。1947年、アメリカ全土で、梅毒の標準治療になった。

タスキーギの参加者には、与えられなかった。

それだけではない。研究者は、参加者が他所で治療を受けないよう、手を打った。地域の医師のリストを作って「この者たちを治療しないでほしい」と要請した。第二次大戦の徴兵で、参加者250人が兵役の健康診断で梅毒を指摘され治療を命じられたとき、PHSは彼らを兵役の治療対象から外すよう働きかけた。

**内部の声**。

研究の途中、何度か、疑問が呈された。

1965年、PHSの性病部門の職員**ピーター・バクストン**が、上司に手紙を書いて研究の中止を求めた。委員会が招集され、そして「研究を完了させるべきだ」と結論した。

1968年、バクストンは再度、抗議した。無視された。

1972年、彼は記者に話した。

**1972年7月25日**、AP通信のジーン・ヘラーが報じた。翌日、全米の新聞の一面。

議会が公聴会を開いた。研究は、その年の11月に中止された。40年続いていた。

**被害**。

研究終了時の統計。梅毒による直接の死者28人、合併症による死者100人。妻への感染40人。先天梅毒で生まれた子ども19人。

(数字には諸説あるが、この規模である。)

**その後**。

1973年、集団訴訟。1974年、1000万ドルで和解。生存者と遺族に、生涯の医療が提供されることになった。

1974年、**国家研究法**。人を対象とする研究に、施設内審査委員会(IRB)の承認とインフォームド・コンセントを義務づけた。

1979年、**ベルモント・レポート**。人格の尊重、善行、正義——研究倫理の三原則。

**1997年5月16日**、ホワイトハウス。ビル・クリントン大統領が、生存者5人を招いて謝罪した。

「アメリカ政府がしたことは、恥ずべきことであり、私は申し訳なく思う。……アフリカ系アメリカ人の皆さんに言いたい。私は、あなた方の祖先に対して行われた行為が、深く、深く、道徳的に誤っていたことを知っている。……我々は、それを繰り返さない」。

生存者の一人、ハーマン・ショウ(94歳)が答えた。「今日、我々は暗い過去に幕を引き、癒しの扉を開くためにここにいる」。

**残ったもの**。

この事件は、アメリカの黒人社会に、医療への深い不信を残した。

臨床試験への黒人の参加率の低さ、予防接種への忌避、医師との関係——それらの一部が、この40年に遡ることが、繰り返し指摘されている。2020年のCOVID-19ワクチンをめぐる議論でも、この名が出た。

不信は、非合理ではない。それは、経験の記憶である。

同じ時代のできごと

白瀬矗の南極探検AD1912年1月タイタニックの沈没AD1912年4月15日フォードの流れ作業AD1913年ハーバー・ボッシュ法AD1913年ボーアの原子模型AD1913年ラマヌジャンの手紙AD1913年1月16日『春の祭典』初演AD1913年5月29日マルヌの戦いAD1914年9月6日
AD1932年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります