スマートフォンの登場
概要
電話とネットとカメラが一枚のガラスになった。10年で世界の半分がそれをポケットに入れる。人が何を見て何時間を使うかが、この板で決まるようになった。
場所
37.32°N -122.03°E · アメリカ合衆国・カリフォルニア州
本文
2000年代の半ば、携帯電話はすでに世界に広まっていた。日本では1999年から、携帯電話でメールを送り、簡単なウェブの画面を見ることができた。北米では、会社員たちがカナダのブラックベリーを持ち歩き、小さなキーボードで電子メールを打っていた。世界でいちばん携帯電話を売っていたのはフィンランドのノキアだった。一方で、音楽はアップルのiPodで聴かれていた。電話と音楽プレーヤーとカメラとパソコンは、まだ別々の機械だった。
2007年1月9日、サンフランシスコでの発表会で、アップルのスティーブ・ジョブズは、今日は三つの革命的な製品を発表する、と言った。タッチ操作のできる画面の大きなiPod、革命的な携帯電話、画期的なインターネット通信機。そして、これは三つの機械ではなく、一つの機械だ、と続けた。iPhoneである。

当時の多くのスマートフォンには、物理のボタンのキーボードが付いていた。iPhoneには、それが無かった。正面は一枚の大きなガラスの画面で、指で直接触れて操作する。二本の指で写真を広げたり縮めたり、指で払って画面を送ったりする操作は、それまでの機械には無いものだった。画面が必要なときだけキーボードを映し、それ以外のときは画面のすべてを表示に使う。この割り切りが、iPhoneの最大の特徴だった。
携帯電話の業界の反応は冷ややかだった。マイクロソフトの最高経営責任者は、インタビューで、キーボードの無い高い電話は企業の客には受けない、と笑った。最初のiPhoneは、アメリカで2007年6月29日に、一つの通信会社と組んで発売された。高速の通信方式には対応しておらず、ほかの会社の作った応用ソフト(アプリ)も入れられなかった。

本当の変化は翌年に来た。2008年7月、アップルは誰でもiPhone用のアプリを作り、売ることができる仕組みを始めた。最初に並んだアプリは500ほどだったが、数年で何十万にも増えた。同じ年の秋には、グーグルが無料で提供するアンドロイドを積んだスマートフォンも発売され、多くの会社が同じような機械を作るようになった。
アプリは、機械の役目を次々に増やしていった。地図、写真、音楽、ニュース、ゲーム、銀行、買い物、タクシーの手配、出会いの場。2010年前後には、写真を共有するアプリや、スマートフォンで車を呼ぶ仕組み、無料で通話やメッセージができるアプリが次々に生まれた。新聞、写真店、地図帳、レコード店、目覚まし時計、懐中電灯。それまで別々にあったものが、一枚の板の中に吸い込まれていった。

キーボード付きの携帯電話を作っていた会社は、急速に力を失った。ノキアは携帯電話の事業をマイクロソフトに売り、ブラックベリーも電話の生産から手を引いた。1969年のARPANETの最初の通信に始まるインターネットは、机の上のパソコンで使うものから、ポケットの中のスマートフォンで使うものへ移った。World Wide Web の誕生から20年近く、マッキントッシュからは四半世紀近くがたっていた。
スマートフォンは、豊かな国だけのものではなかった。安い機種が出回ると、アフリカやアジアでも広まり、多くの人にとって、初めて手にするインターネットの入口になった。2011年、中東の国々で政府への抗議が広がったとき(アラブの春)、人々はスマートフォンで撮った映像を世界へ流した。発売から10年あまりで、世界の人口の半数近くがスマートフォンを持つようになったと見積もられている。

一方で、新しい問題も生まれた。人々は一日に何時間も画面を見るようになり、子どもや若者への影響が議論されるようになった。どの記事を読み、どの動画を見るかは、アプリの仕組みが選ぶようになった。人の注意をどれだけ長く引きつけられるかが、会社の稼ぎを決めるようになったのである。2018年には、アップル自身が、一日にどれだけ機械を使ったかを利用者に知らせる機能を入れた。
ジョブズは2011年に亡くなった。電話とインターネットとカメラを一枚のガラスにまとめた機械は、いまでは多くの人にとって、目覚めてから眠るまで手放せないものになっている。人が何を見て、どこへ行き、誰とつながるか。その多くが、この板を通して決まるようになった。