概要
同じ言葉を話し、隣り合って暮らしてきた人びとが、宗教で線を引かれて殺し合った。ヨーロッパで戦争は終わったという前提が、冷戦の3年後に崩れる。
場所
サラエヴォ
43.86°N 18.41°E · ボスニア・ヘルツェゴビナ
43.86°N 18.41°E · ボスニア・ヘルツェゴビナ
本文
ユーゴスラビアが解体していく途中、 1992年にボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言した。 住民はボシュニャク(ムスリム)、セルビア人、クロアチア人が入り混じって暮らしていた。 同じ言葉を話し、隣り合い、結婚もしていた。
戦争は3年半続いた。 サラエヴォは1425日包囲され、水道も電気も止まった市街で、狙撃と砲撃が日常になった。 1995年7月、スレブレニツァで8000人以上の男性と少年が組織的に殺された。 第二次世界大戦後のヨーロッパで最悪の虐殺として、 のちに国際法廷がジェノサイドと認定する。
「民族浄化」という言葉が広まったのもこの戦争になる。 違いは血ではなく、宗教と、そこから作られた歴史の物語だった。
1995年のデイトン合意で戦闘は止まり、 国は二つの構成体に分けられたまま、いまも動きにくい仕組みで運営されている。
冷戦が終わって3年。 ヨーロッパで大きな戦争は終わった、という前提が崩れた。 『文明の衝突』は、これを断層線での戦争の典型として扱った。
出典(1)
サミュエル・P・ハンチントン(鈴木主税 訳) 『文明の衝突』第III部(断層線での戦争)