概要
南アフリカの代表チーム、スプリングボクスは、アパルトヘイトの時代、白人の誇りの象徴で、黒人の多くは相手のチームを応援した。アパルトヘイトが終わり、1994年に大統領になったネルソン・マンデラは、翌年に自国で開かれるラグビーのワールドカップを、国をまとめる機会にしようとした。1995年6月24日、ヨハネスブルグの決勝で、南アフリカは延長の末にニュージーランドを破った。表彰の場に、マンデラはスプリングボクスの緑のジャージを着て現れ、白人の主将に優勝杯を手渡した。白人の多い観客席から、マンデラの名を呼ぶ声が沸き起こった。
場所
-26.20°N 28.05°E · 南アフリカ
本文
南アフリカでは、ラグビーは、とくにオランダ系の白人アフリカーナーの人々のスポーツで、緑と金のジャージを着た代表チーム、スプリングボクスは、白人の誇りの象徴だった。アパルトヘイトの時代、チームはほとんど白人だけで作られた。多くの黒人は、スプリングボクスを、自分たちを抑えつける体制の象徴とみなし、国際試合では相手のチームを応援した。アパルトヘイトに抗議する国際的な運動のなかで、南アフリカは1980年代、ラグビーの国際試合からほぼ締め出されていた。
1990年、27年間獄中にいたネルソン・マンデラが釈放され、アパルトヘイトは撤廃に向かった(アパルトヘイトの終結)。1994年、すべての人種が投票できる初めての選挙で、マンデラが大統領になった。白人の人々の中には、黒人の政府が報復するのではないかという恐れが根強かった。黒人の側には、長い抑圧への怒りがあった。
1995年、第3回のラグビー・ワールドカップが南アフリカで開かれることになった。アフリカ民族会議の中には、スプリングボクスの名前と紋章を廃止すべきだという声もあった。だがマンデラは、白人が大切にしているものを奪えば、彼らを国から遠ざけるだけだと考え、チームを国全体の代表として応援するよう、黒人の人々に呼びかけた。チームは「一つのチーム、一つの国」を合言葉に、黒人の住む地区を訪れて子どもたちとラグビーをした。
スプリングボクスは大会を勝ち進み、6月24日、ヨハネスブルグのエリス・パーク競技場で、優勝候補のニュージーランドと決勝を戦った。試合は延長戦にもつれ込み、南アフリカが15対12で勝った。表彰の場に現れたマンデラは、白人の選手と同じ、背番号6の緑のスプリングボクスのジャージと帽子を身につけていた。マンデラが主将フランソワ・ピナールに優勝杯を手渡すと、白人が大半を占める六万人の観客席から、「ネルソン、ネルソン」という声が沸き起こった。
この試合は、和解と国の統一の象徴として語り継がれ、のちに映画『インビクタス』にもなった。だが、スポーツの一試合が、深い格差や対立を解消したわけではない。その後も南アフリカでは、黒人と白人の間の経済の格差が続き、スプリングボクスに黒人の選手をどれだけ入れるかも長く議論になった。2019年、日本で開かれたワールドカップで、南アフリカは黒人として初めての主将シヤ・コリシに率いられて優勝した。