概要
1991年5月21日の夜、南インドのシュリーペルンブドゥールで、選挙の遊説をしていた元首相ラジーヴ・ガンディーに、花輪を捧げに近づいた女性が、体に巻いた爆弾を爆発させた。ラジーヴと十数人が死んだ。女性は、スリランカで独立を求めて戦うタミル人の武装組織「タミル・イーラム解放のトラ」の一員だった。ラジーヴは首相だった1987年、スリランカに平和維持の部隊を送り、組織と戦わせていた。母インディラも暗殺されており、ネルーの家から出た首相が二代続けて殺されたことになる。
場所
12.97°N 79.94°E · インド・タミル・ナードゥ州
本文
ラジーヴ・ガンディーは、ジャワハルラール・ネルーの孫、インディラ・ガンディーの長男である。政治には関心がなく、国内線の航空会社の操縦士をしていた。1980年に弟が飛行機の事故で死に、母に請われて政治に入る。1984年、母がシク教徒の護衛に暗殺されると(黄金寺院への突入)、40歳で首相になった。
隣のスリランカでは、多数派のシンハラ人の政府と、北と東に住む少数派のタミル人の武装組織との間で、内戦が続いていた(スリランカ内戦)。南インドには同じタミル人が多く住み、インドは初め組織を陰で支えていた。1987年、ラジーヴはスリランカ政府と協定を結び、平和維持の部隊を送り込む。ところが部隊は、武器を置かない「タミル・イーラム解放のトラ」と戦うことになり、千人を超える兵を失って、1990年に引き揚げた。
1989年の選挙で敗れて首相を退いたラジーヴは、1991年の選挙で返り咲きを目指して遊説していた。5月21日の夜、タミル・ナードゥ州のシュリーペルンブドゥールの集会で、若い女性が花輪を捧げ、足もとに身をかがめた。その瞬間、女性が服の下に巻いた爆弾が爆発した。ラジーヴと、周りの十数人が死んだ。
組織の指導者たちは、ラジーヴが再び首相になり、平和維持の部隊を送ってくることを恐れたとされる。この事件で、南インドでも組織への支持は失われた。スリランカの内戦は、2009年、政府軍が組織を壊滅させるまで続く。ラジーヴの妻ソニアはのちに国民会議の総裁になり、ネルーの家は、いまもインドの政治に影を落としている。