概要
アルバニアは、独裁者ホッジャのもとで、ソ連とも中国とも手を切り、ヨーロッパで最も閉じた国だった。1990年代の初めに社会主義が終わると、人々は市場経済の仕組みを知らないまま、高い利子をうたう投資の会社に預金を注ぎ込んだ。後から入った人の金で前の人に利子を払う、ねずみ講である。国民の多くが家や家畜を売って加わり、集まった金は国の経済の規模の半分近くに達したとされる。1997年の初め、会社が次々に潰れると、怒った人々は武器庫を襲い、国は無政府の状態に陥った。二千人ほどが死に、イタリアを中心とする多国籍の部隊が送られた。
場所
41.33°N 19.82°E · アルバニア
本文
エンヴェル・ホッジャは、1944年から1985年に死ぬまで、アルバニアを治めた。ユーゴスラヴィアと手を切り、ソ連と手を切り、1978年には中国とも手を切った。宗教は禁じられ、国民は外国へ出られず、国じゅうに十数万ものコンクリートのトーチカが作られた。ヨーロッパで最も貧しく、最も閉じた国だった。
1990年代の初め、体制が崩れると、人々は初めて市場経済に放り出された。銀行はほとんど機能しておらず、人々は国外で働く家族からの送金を手元に持っていた。そこへ、月に数パーセントから、のちには数十パーセントもの利子をうたう投資の会社が次々に現れる。実際には、後から預けた人の金で前の人に利子を払う、ねずみ講だった。政府は止めるどころか、会社と近い関係にあり、テレビでは会社の宣伝が流れた。
1996年の暮れまでに、国民の三分の二ほどが預けたとされる。家や家畜を売って預けた人もいた。集まった金は、国の年間の経済の規模の半分近くに達した。1997年1月、会社が次々に支払いを止めると、全財産を失った人々が街に出た。
南部の町から始まった暴動は、たちまち全国に広がった。人々は軍と警察の武器庫を襲い、数十万丁の銃が持ち出された。警察は逃げ、町は武装した住民と犯罪の集団の手に落ちた。数万人がイタリアへ船で逃れようとし、沈んだ船もある。3月、国連の承認のもと、イタリアを中心とする多国籍の部隊が送られ、夏の選挙で政権が替わって、ようやく秩序が戻った。死者は二千人ほどとされる。持ち出された武器の多くは戻らず、隣のコソヴォの戦いにも流れ込んだ。