古代オリエント

概要
文字も法も都市も、まずここで生まれた。そして次々に主が入れ替わる2500年。
この物語について
文字も法も都市も、この地域で先に生まれた。では、なぜこの地域は主役であり続けられなかったのか。
ティグリス川とユーフラテス川に挟まれたメソポタミアの南部は、雨が少なく、石も木もろくに採れない土地だった。ただ、川の水を畑に引けば麦がよく実った。水路を掘り、維持するには大勢の人手と、それをまとめる仕組みが要る。紀元前4千年紀の後半、南部のウルクは数万の人が住む都市に育っていたとみられ、巨大な神殿を中心に、麦や家畜の出入りを記録する役人が働いていた。
記録の始まりは、物を数えることだった。人びとは早くから、粘土で作った小さな玉や円錐を麦や羊の数の代わりに使っていた。やがて粘土板に印を押し、葦の筆で刻むようになる。紀元前3200年ごろには、数と物の名を記す記号が使われていた。こうした記号の積み重ねが楔形文字の成立につながり、やがて物の名だけでなく、言葉の音そのものを書き表せるようになった。最初に書かれたのは詩でも祈りでもなく、帳簿だった。

ほぼ同じころ、ナイル川の流域でも国がまとまった。紀元前3100年ごろ、上エジプトと下エジプトが一人の王のもとに統一されたと伝えられる。毎年決まった時期に川があふれ、肥えた土を運んでくるエジプトは、まわりを砂漠に守られ、メソポタミアよりずっと安定していた。紀元前26世紀には、王クフのために大ピラミッドが築かれる。ギザの大ピラミッド建設には二百数十万個とされる石が使われた。それだけの石を積み上げるには、大勢の人を集め、食べさせ、組織する力が要った。近くで見つかった労働者の村の跡から、働いていたのは奴隷ではなく、交代で集められ、パンとビールを支給された人びとだったと考えられている。
メソポタミアは、エジプトのようにはまとまらなかった。開けた平野に都市が並び、水と土地をめぐって争った。紀元前24世紀ごろ、アッカドのサルゴンが初めて南北の都市をまとめて帝国を作ったが、長くは続かない。それでも、争いの絶えない土地だからこそ、決まりを書いて示す必要があった。紀元前18世紀、バビロンの王ハンムラビは、282条の法を玄武岩の石碑に刻み、町に立てた。目には目を、という仕返しの原則で知られるハンムラビ法典は、身分によって罰が違い、医者の失敗や家の倒壊の責任まで定めている。これより3世紀以上古いウル・ナンム法典も見つかっていて、法を書いて示す伝統はさらにさかのぼる。
紀元前17世紀、エジプトは初めて外からの支配を受けた。ヒクソスと呼ばれる西アジア系の人びとが、馬に引かせる戦車と強い弓を持ち込み、ナイルの下流を治めたのである。彼らを追い出した南の王たちは、その戦車を自分たちの武器にして、外へ打って出た。新王国の時代、エジプトはパレスチナからシリアまで兵を進め、女王ハトシェプストのように、遠征よりも交易と建築で名を残した王も出た。
紀元前14世紀、王アクエンアテンは、多くの神々の祭りをやめ、太陽の円盤アテンだけを崇めるよう命じた。新しい都を築き、王と王妃の姿もそれまでにない写実的な様式で描かせた。アクエンアテンの宗教改革は史上初の一神教の試みとも言われるが、王の死後すぐに元に戻され、彼の名は記録から削られた。その数年後に即位した少年王がツタンカーメンで、短い治世で終わったために墓が小さく、3千年以上盗掘を免れたことで、20世紀にもっとも名の知られたファラオになった。
同じころ、アナトリアのヒッタイトが南へ勢力を広げていた。紀元前1274年ごろ、ラムセス2世はシリアのカデシュでヒッタイト軍と戦った。カデシュの戦いはエジプトの神殿の壁に大勝利として刻まれたが、ヒッタイトの側の記録は自分たちの勝ちとして書いており、実際には引き分けに近かったとみられる。十数年後、両国はエジプト・ヒッタイト平和条約を結んだ。エジプトの文字とアッカド語の両方で写しが残る、現存する最古の講和条約である。

紀元前12世紀のはじめ、地中海の東の世界は一気に崩れた。ヒッタイトの都は焼かれ、シリアの港町ウガリトは滅び、ギリシアのミケーネの宮殿も相次いで放棄された。エジプトは、ラメセス3世が「海の民」と呼ぶ人びとを撃退したと碑文に残すが、その後は衰えていく。海の民が崩壊の原因だったのか、干ばつや地震、交易の網の崩れが先にあって、海の民はその結果として動いたのかは、今も議論が続いている。いずれにせよ、銅と錫を遠くから運んで青銅を作る仕組みが壊れ、各地で採れる鉄が広まっていった。
崩れた後の空白からは、小さな民の時代が来た。地中海の沿岸では、フェニキア人が22の文字で言葉の音を書き表すアルファベットを使い、船でそれを広めた。何百もの記号を覚えた書記でなくても、文字が書けるようになった。内陸では、イスラエルとユダの王国が生まれる。エジプトの王メルネプタハの石碑には、紀元前13世紀の末にすでに「イスラエル」という民の名が見えるが、聖書の語る出エジプトやダビデ、ソロモンの王国の大きさを、考古学はまだ裏づけられていない。

紀元前9世紀から、ティグリス川の上流のアッシリアが、鉄の武器と組織だった軍で周辺を飲み込んでいった。アッシリアは、征服した土地の人びとを丸ごと別の土地へ移す強制移住を繰り返し、反乱の芽を摘んだ。紀元前722年ごろに北のイスラエル王国が滅ぼされ、紀元前7世紀にはエジプトまで征服された。王アッシュルバニパルは都ニネヴェに膨大な粘土板を集め、その中から『ギルガメシュ叙事詩』の写本が見つかっている。だが力で押さえた帝国は、力が衰えると早かった。紀元前612年、ニネヴェ陥落で、新バビロニアとメディアの連合軍がこの都を落とした。
次の主になった新バビロニアの王ネブカドネザル2世は、バビロンを城壁と神殿で飾り立て、紀元前587年ごろにはエルサレムを破壊して、ユダの人びとを連れ去った。バビロン捕囚のあいだに、連れ去られた人びとは自分たちの伝承を書き留め、まとめ直していく。神殿を失っても、書かれたものを中心に信仰を守る。後のユダヤ教の形は、この経験から生まれたとされる。

その新バビロニアも、ニネヴェ陥落から70年あまりで終わる。紀元前539年、ペルシアの王キュロス2世がほとんど戦わずにバビロンに入った。キュロスは、征服した民に元の神々を祀ることを許し、捕囚の民を故郷へ帰した。聖書は彼を、神に油を注がれた者とまで呼んでいる。息子カンビュセスはエジプトを征服し、その後のダレイオス1世のもとで、アケメネス朝ペルシアはエジプトからインダス川までを治める、それまでで最大の帝国になった。州ごとに総督を置き、「王の道」と呼ばれる街道と駅で各地を結び、貨幣を鋳造した。帝国という形は、ここで一つの完成を見る。
紀元前4世紀、マケドニアの若い王アレクサンドロスがこの帝国を倒し、地域はギリシア語を話す支配者たちのヘレニズムの世界に組み込まれた。その後も、ローマ、ササン朝、イスラームの帝国と、主は入れ替わり続ける。四方が開けた平野と、豊かな川の流域という条件は、文明を早く育てた一方で、次々と外の勢力を引き寄せた。一つの民族が主役であり続けることは難しかった。

だが、主が入れ替わっても、作られたものは引き継がれた。征服者たちは、前の支配者の書記と帳簿と法をそのまま使った。私たちが1時間を60分、1分を60秒に分け、7日ごとに週を区切り、アルファベットで文字を書くのは、この地域で生まれた習慣が、主を替えながら受け渡されてきた結果である。主役でなくなったのではなく、主役の台本を書いた場所だったと言ったほうが近いのかもしれない。
動画(1)
この物語が起きた場所
筋(121)
年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。
- 粘土のトークンできごとBC8000年頃数を表す記号が先にあり、物の名を表す記号は後から加わった西アジアの各地から、親指の先ほどの粘土の小片が大量に出る。円錐、球、円盤、四面体。羊一頭、油一壺というふうに、物の種類ごとに形が決まっていたと考えられている。やがてこれを中空の粘土の球に入れて封をし、円筒印章を転がした。中身が見えないので、外側に同じ数だけ印を押すようになる。すると球そのものが要らなくなり、平たい板に印を押すだけになった。数を表す記号が先にあり、物の名を表す記号は後から加わった。書くことは、数えることの副産物として始まった。ウルク
- ウルク。都市というものの始まりできごと紀元前35世紀数万人が城壁の中に住んだ。分業も神殿も官僚も、ここで一度に現れている。ウルク
- 円筒印章できごとBC3400年頃閉じたことを示す技術のほうが、文字より先にあった石を円筒に削り、側面に図を彫る。粘土の上で転がすと、帯状の文様が連続して現れる。押した後で作り直せば、跡が乱れて分かる。壺の蓋を粘土で封じ、その上を転がせば、開けたかどうかが見える。文字が生まれる前から、これが所有と、取引の承認と、そして封印に使われた。図柄は個人と役職に固有で、事実上の署名である。首から下げ、死ぬと墓に入れた。閉じたことを示す技術のほうが、文字よりも、先にあった。ウルク
- 楔形文字の成立できごと紀元前32世紀最初に書かれたのは詩でも法でもなく、麦とビールの帳簿だった。文字は数えるために生まれている。ウルク
- 上下エジプトの統一できごとBC3100年頃(年代には幅がある)ナイルに沿った細長い国が一つになった。この形のまま3000年続く。ヒエラコンポリス
- ナルメル人物在位 BC3100年頃(年代には幅がある) – ?上下エジプトを統一したとされる王。化粧板に彫られた姿が、王という形の最初の表現になっている。
- ウルのゲーム盤と骰子できごとBC2600年頃生きるためではない道具ウルの王墓から、貝殻と青金石を象嵌した盤が5面出土した。20の枡が十字に並ぶ。動かす数は、四面体の骰子で決める。ルールは長く不明だったが、大英博物館の学芸員が、紀元前177年の粘土板に書かれた遊び方の記述を解読して、復元した。同じ盤が、エジプトからインドまでの遺跡に出る。船乗りと商人が運んだ。人が最初に作った道具の中に、生きるためではないものが、これだけ古くからある。ウル

- ギザの大ピラミッド建設できごとBC2560年頃古王国のクフ王が築いた。3800年にわたり世界で最も高い建造物であり続けた。ギザ
- 目を縁どるできごとBC3千年紀飾ることと、身を守ること古代エジプトでは、男も女も目の周りを黒い粉で縁どった。方鉛鉱などの鉱物をすりつぶし、油で練ったものである。壁画の人物の目が強く描かれているのはそのためだ。強い日差しを和らげる、虫を避ける、目の病を防ぐとも考えられた。鉛を含むので体に良いものではなかったが、ある種の鉛の化合物が細菌を抑える働きを持つという研究もある。飾ることと身を守ることは、化粧の始まりから分かちがたく結びついていた。テーベ(王家の谷)
- アッカドのサルゴンできごとBC2334年頃複数の都市国家を一人の下に置いた。記録に残る最初の「帝国」とされる。アッカド(位置は特定されていない)
- サルゴン人物在位 BC2334年頃(年代には幅がある) – BC2279年頃複数の都市国家を一人の支配下に置いた。記録に残る最初の「帝国」とされる。出自の伝説は聖書のモーセの話に似ている。
- ウル・ナンム法典できごとBC2100年頃現存する最古の法典。ハンムラビより300年早く、傷害は同害報復ではなく罰金で償わせている。ウル

- 『ギルガメシュ叙事詩』できごと紀元前21世紀記録に残る最古の文学。友の死を受け入れられず、不死を探しに行って手ぶらで帰る話になっている。ニップル

- 六十進法できごとBC2000年頃60は割りやすいメソポタミアの数は60を単位にした。60は2、3、4、5、6、10、12、15、20、30で割り切れる。分けるのに都合がよい。粘土板に楔で刻む記号は二つだけで、縦の楔(1)と横向きの楔(10)を並べ、位置で桁を示す。位取りの考え方は、ここが最も古い。ゼロにあたる空位の記号は後から現れた。円を360度に、1時間を60分に、1分を60秒に分けるのは、この数の名残である。ウルク
- 木の錠できごとBC2000年ごろ扉に横木を渡して閉じるだけでは、外から動かされる。古代エジプトで使われた錠は、横木の上に開けた穴へ、木の棒を数本落とし込む仕組みだった。棒が落ちていると横木は動かない。鍵は、その棒と同じ配置に突起を並べた木の板である。差し込んで持ち上げれば棒が抜け、横木が滑る。突起の並びが合わなければ開かない。この「合う並びを持つ者だけが開ける」という考え方は、いまのピンタンブラー錠とまったく同じになる。四千年、同じ原理が使われ続けている。テーベ(王家の谷)
- ハンムラビ人物BC1810年頃 – BC1750年頃メソポタミアを統一し、法を石碑に刻んで公開した。条文は282条に及ぶ。
- ビールとニンカシへの讃歌できごとBC1800年頃歌が手順書である粘土板に書かれた、醸造の女神への讃歌。同時に、ビールの作り方の手順書でもある。大麦を発芽させ、パン(バッピル)に焼き、砕いて水に浸し、発酵させ、濾す。文字を持たない者でも、歌として覚えられる。当時、ビールは日常の飲み物であり、そして労働の対価だった。ウルクの粘土板に、労働者への配給として、日に一定量のビールが記録されている。ストローで飲む。濾しきれない殻を避けるためである。ウル
- ハンムラビ法典できごとBC1754年頃法を石に刻んで公開した282条を石碑に刻んで公開した。刑罰は身分によって差があり、目には目をの原則で知られる。バビロン
- ヒッタイト国BC1650年頃 – BC1180年頃アナトリアの王国。鉄器と戦車を駆使し、カデシュでエジプトと戦った。史上初の和平条約の一方の当事者。
- ヒクソスのエジプト支配できごとBC1650年頃追い出した側が、その武器で帝国を作るレヴァントから来た人びとがデルタに王朝を建てた。馬と戦車と複合弓がエジプトに入ったのはこのとき。追い出した側が、その武器で帝国を作る。アヴァリス
- エジプト新王国国BC1550年頃 – BC1077年頃ラムセス2世らのもとでレヴァントまで版図を広げた、古代エジプトの最盛期。ヒッタイトと覇を争った。
- 『死者の書』とミイラできごとBC1500年頃心臓と羽根を秤にかける正しくは「日のもとに現れ出る呪文」。死者が冥界を通り抜けるための呪文集で、パピルスに書いて棺に納めた。中心にあるのが心臓の計量である。死者の心臓が天秤の一方に、真理の女神の羽根が他方に置かれる。釣り合えば来世へ、傾けば怪物に食われて消える。生前の行いが死後を決めるという考え方が、ここに明確な形で現れている。体を残さねば魂が戻れないので、内臓を取り出し、ナトロンで乾かし、樹脂と布で包んだ。テーベ

- ハトシェプストの治世できごとBC1479年女性でファラオを名乗り、交易で栄えた20年。死後、その名は記念物から削り取られた。デイル・エル・バハリ
- ハトシェプスト人物? – BC1458年頃女性でファラオを名乗り、20年治めた。死後、その名は記念物から削り取られている。
- ウガリットの文字できごとBC1400年頃文字の数を音の数まで減らす、もう一つの源流楔形文字の形で、30の音だけを表す文字が作られた。文字の数を音の数まで減らす発想が、フェニキア文字と並ぶもう一つの源流になる。ウガリット

- アクエンアテン人物BC1380年頃 – BC1336年頃多神教を捨ててアテン一神への信仰を強い、新都アケトアテンへ遷った。死後すぐに元へ戻される。
- アクエンアテンの宗教改革できごとBC1350年頃史上初の一神教の試みとも言われる多神教を捨ててアテン一神を強い、新都へ遷った。史上初の一神教の試みとも言われる。アマルナ
- ツタンカーメン人物BC1341年頃 – BC1323年頃9歳で即位し19歳で没した少年王。ほぼ未盗掘の墓が1922年に見つかり、世界的に知られた。
- ツタンカーメンの治世できごとBC1332年小さな墓が盗掘を免れた9歳で即位し、父の宗教改革を戻し、19歳で死んだ。小さな墓が盗掘を免れ、3300年後に手つかずで開かれる。テーベ(王家の谷)
- ラムセス2世人物BC1303年頃 – BC1213年頃67年在位した新王国の象徴。カデシュでヒッタイトと戦い、のちに史上最古級の和平条約を結んだ。
- カデシュの戦いできごとBC1274年エジプトとヒッタイトが戦車で激突した。記録に残る最古級の大会戦で、双方が勝利を主張した。カデシュ(位置は特定されていない)
- エジプト・ヒッタイト平和条約できごとBC1259年現存する最古の講和条約現存する最古の国際和平条約。両国の言語で書かれた版が双方に残っている。

- 出エジプト(伝承)できごとBC1250年頃(伝承)証拠はなく、物語は残ったモーセに率いられたヘブライ人がエジプトを出て、海を渡り、シナイで律法を受けた。考古学の証拠はなく、いつ、どれだけの人が、そもそも起きたか、分からない。だが三つの宗教が、これを自分たちの始まりの物語にした。シナイ山

- メルネプタハ碑できごとBC1208年イスラエルの名の最初ラムセス2世の息子の戦勝碑に、「イスラエルは荒らされ、その種はない」。エジプトの記録に「イスラエル」が出てくる最初で、聖書の外で最も古い。民の名で、国の名ではない。碑はテーベの葬祭殿から1896年に出た。テーベ
- メルネプタハ人物? – BC1203年60代で即位ラムセス2世の13番目の息子。父が90歳まで生きたので、60代で即位した。リビア人と海の民を退け、その碑にイスラエルの名を刻んだ。ミイラはカイロにある。「出エジプトのファラオ」に擬されることがある。
- 海の民の侵入と青銅器時代の終わりできごとBC1200年頃双方が疲れたところへ来た。青銅器時代がここで終わるヒッタイトが滅び、ミュケナイが焼け、エジプトも衰えた。地中海東部の文明が同時に崩れる。
- ラメセス3世人物? – BC1155年最後の大きなファラオ海の民をナイルの河口で破り、その戦いをメディネト・ハブの壁に刻んだ。最後の大きなファラオ。世界最初の記録されたストライキが治世29年に起きた。ハーレムの陰謀で喉を切られて死んだことが、2012年のCTで分かった。
- デボラとバラクできごとBC1125年頃聖書で最も古い詩ナツメヤシの下で裁いていた女預言者が、将軍バラクに「タボル山へ行け」と命じ、バラクは「あなたが一緒なら」と言った。カナンの鉄の戦車900が雨で沼にはまり、将軍シセラは天幕で女ヤエルに杭で殺された。「デボラの歌」は聖書で最も古い詩の一つ。タボル山
- ネブカドネザル1世のエラム遠征できごとBC1120年頃マルドゥクの像を取り戻したエラムに奪われていたマルドゥクの像を、夏の暑さの中の遠征で取り戻した。「刃は炎のように熱く、水は毒のように」。マルドゥクはこのあとバビロンの最高神になり、『エヌマ・エリシュ』が整えられる。500年あまり後の同名の王のほうが有名になった。バビロン
- ティグラト・ピレセル1世の遠征できごとBC1114年崩壊のあと最初に立ち直った青銅器時代の崩壊のあと、アッシリアが最初に立ち直った。地中海まで遠征し、ライオンを900頭狩ったと碑文に書く。帝国の型が見えはじめる。アッシュル
- ネブカドネザル1世人物? – BC1104年頃同名の王のほうが有名にイシン第二王朝の王。エラムがマルドゥクの像を持ち去って半世紀、夏の暑さの中でエラムを破り、像を取り戻した。「ナブーよ、境界を守れ」の名。600年後のネブカドネザル2世は、この王の名を取った。
- サムソン(伝承)できごとBC1100年頃柱を倒した髪を切らない誓いの男が、獅子を裂き、ロバの顎で1000人を倒し、ガザの門を担ぎ、デリラに髪を切られて目を潰され、神殿の柱を倒して敵と共に死んだ。士師記の最後の英雄。ヘラクレスに似た話で、太陽神話とも言われる。ガザ

- ティグラト・ピレセル1世人物? – BC1076年崩壊の時代にアッシリアを立て直し、地中海まで遠征した。碑文に自分の狩りと征服を数字で記す。粘土板の図書館を作った最初の王でもある。
- アルファベットの成立できごとBC11世紀頃数百の記号を覚えなければ書けなかったものが、22の子音字で書けるようになった。書くことが書記の専門職から離れる。ギリシア文字もラテン文字もアラビア文字もヘブライ文字も、ここから枝分かれしている。ビブロス
- サムエルとサウルできごとBC1030年頃王はあなたたちの息子を取る最後の士師が、民に「王をくれ」と求められ、「王はあなたたちの息子を兵に、娘を料理人に取る」と言って、それでも油を注いだ。イスラエル最初の王。サウルは戦い、疑い、ダビデを追って、ギルボアで自分の剣に伏した。ギブア
- サウル人物? – BC1010年頃最初の王で悲劇の王ベニヤミン族の背の高い若者が、父のロバを探していて王にされた。アンモン人とペリシテ人と戦い、預言者に見捨てられ、ダビデの竪琴に癒され、ダビデに槍を投げ、娘をダビデに与え、ギルボア山で息子三人と共に死んだ。最初の王で、悲劇の王。
- プスセンネス1世人物? – BC1001年頃誰も見向きしなかった発見第21王朝。タニス。46年統治した。1940年にピエール・モンテが墓を開けると、銀の棺、金の面、ラピスラズリの首飾りが手つかずで出た。「銀のファラオ」。ドイツ軍がパリに入る3か月前で、発見はほとんど報じられなかった。
- 鉄が広まるできごとBC12〜BC9世紀青銅は錫と銅が要り、どちらも遠くから運ぶしかない。鉄鉱石はどこにでもある。武器も農具も、遠距離交易に頼らずに作れるようになった。ヒッタイトが独占していたという通説は、いまは疑われている。ハットゥシャ
- ザラスシュトラ人物不明(BC1500年頃からBC600年頃まで諸説) – ?善と悪が争い、人はどちらに与するか選べると説いた。死後の審判という考えは、のちのユダヤ教・キリスト教・イスラームにも影を落としている。
- タニスの王墓できごとBC1000年頃銀のファラオ第21王朝の王プスセンネス1世が、デルタの東の都に、盗掘されない墓を作った。1940年に手つかずで見つかり、銀の棺と金の面が出た。ツタンカーメン以来の完全な王墓だが、戦争の年で、誰も見向きしなかった。タニス
- アヒラムの石棺できごとBC1000年頃22文字の最古の長い文ビブロスの王の石棺の縁に、「この棺を開ける者に、王笏は折れ、玉座は覆る」とフェニキア文字で刻まれている。22文字のアルファベットで書かれた最古の長い文。ギリシア文字もラテン文字も、ここから100年か200年のうちに分かれた。ビブロス

- ダビデのエルサレムできごとBC1000年頃物語の大きさと遺物の小ささが噛み合っていない羊飼いから王になった、と聖書は語る。エルサレムを取って都にした。考古学で確かめられるのは名前の刻まれた石碑一つで、王国の規模は議論がある。エルサレム
- ダビデ人物? – BC970年頃羊飼いの末の子が、巨人を倒し、王に嫌われて逃げ、王になった。エルサレムを都にした。詩篇の作者とされ、メシアはその子孫から出るとされた。
- ソロモンの神殿できごとBC960年頃一つの丘に三つの宗教の記憶ティルスの職人と杉材で建てた、と聖書は記す。BC586年に壊され、第二神殿がAD70年に壊され、いまその場所には岩のドームが建つ。エルサレム

- ヒラムのティルスできごとBC950年頃レバノン杉フェニキアの王が、ソロモンにレバノン杉と職人を送って神殿の造営を助け、紅海の船を一緒に出した。20の町を礼にもらって「値打ちのない土地」と言った。ティルスはのちに地中海に植民市を送り、カルタゴを建てる。ティルス
- イスラエル王国の分裂できごとBC930年頃連れ去られた人びとが物語を書き留め、聖書になるソロモンの死後、北の10部族が離れてイスラエル、南がユダになった。北はBC722年にアッシリアに、南はBC586年にバビロンに滅ぼされる。エルサレム
- ソロモン人物? – BC930年頃知恵の王として伝わる。二人の母が争う子を剣で分けよと言った。神殿を建て、外国の妃を多く持ち、その死後に王国が割れた。
- 新アッシリア帝国国BC911年 – BC609年常備軍と属州制でオリエントを初めて統一した帝国。最大時はエジプトにまで届いたが、急速に崩れた。
- オムリのサマリア建設できごとBC880年頃アッシリアは100年「オムリの家」と呼びつづけた北イスラエルの王が丘を買って都を建てた。息子アハブがフェニキアの王女イゼベルを娶り、預言者エリヤと争う。アッシリアの碑文は、この国を「オムリの家」と呼びつづけた。サマリア
- アッシュルナツィルパル2世のカルフ遷都できごとBC879年宴の人数と献立まで碑文に残る新しい都の落成に7万人を招いて10日宴を開いた、と碑文が人数と献立まで記す。宮殿の壁の浮き彫りに、反乱者の皮を剥ぐ場面を刻んだ。恐怖も統治の道具だった。カルフ(ニムルド)
- エリヤとカルメル山できごとBC860年頃主が神か、バアルが神かアハブ王とイゼベルの時代、預言者エリヤがバアルの預言者450人と祭壇で競い、火が下った。「主が神か、バアルが神か」。預言者たちをキション川で殺し、雨が降った。エリヤは戦車で天に上げられ、いまもユダヤ人は過越に彼の席を空ける。カルメル山の洞窟群(位置は特定されていない)

- ウラルトゥの興りできごとBC860年頃2800年前の水路がいまも使われるヴァン湖のほとりに、アッシリアの北の敵が国を建てた。山の民が石を積んで要塞と水路を作り、200年アッシリアと押し合う。アルメニア人の土地の前史になる。トゥシュパ(ヴァン)
- カルカルの戦いできごとBC853年聖書に出てこない、聖書の王の記録アッシリアの西進を、シリアとイスラエルの12の王が連合して止めた。イスラエル王アハブが戦車2000を出したと碑文にある。聖書に出てこない、聖書の王の記録になる。カルカル(位置は特定されていない)

- イエフの反乱できごとBC841年唯一の肖像エリシャの弟子が将軍イエフに油を注ぎ、イエフは戦車で駆けてヨラム王を射殺し、イゼベルを窓から投げさせ、アハブの子70人の首を籠に入れさせた。同じ年、アッシリアの黒いオベリスクに、跪くイエフが刻まれた。イスラエル王の唯一の肖像。イズレエル
- メシャ碑できごとBC840年頃列王記の裏側モアブの王が、自分の神ケモシュの助けでイスラエルの軛を脱いだと石に刻んだ。「オムリ」「イスラエル」「ヤハウェ」の名がある。列王記の裏側の記録。1868年に見つかり、ベドウィンが火で割った。破片をつないでルーヴルにある。ディボン
- シャルマネセル3世の黒いオベリスクできごとBC825年跪くイエフアッシリア王が31年の遠征を黒い石に刻んだ。跪いて貢ぐ「オムリの子イエフ」。イスラエルの王が絵で残った唯一。象、猿、ラクダ。カルカルの戦いの相手だったアハブの後継者が、貢いでいる。大英博物館。カルフ(ニムルド)
- シャルマネセル3世人物? – BC824年31回の遠征35年の在位で31回遠征した。カルカルでアハブたちの連合に「勝った」と刻んで、実際は止められた。黒いオベリスクにイエフの貢納。バラワトの門の青銅の帯。晩年は息子の反乱で、27の都市が背いた。
- イエフ人物? – BC814年頃狂ったように駆ける「イエフのように狂ったように駆ける」。エリシャの使いに油を注がれ、イズレエルへ戦車を飛ばして、王と王母とアハブの一族を皆殺しにし、バアルの神殿を便所にした。アッシリアに貢いで生き延びた。28年。ホセアは「イズレエルの血」を責めた。
- アモスとホセアの預言できごとBC750年頃正義を水のように南の牧夫アモスが北王国の都に来て、「正義を水のように流れさせよ」と富者を責めた。ホセアは不貞の妻を娶って、神とイスラエルの関係を演じた。文字で残る最初の預言者たち。30年後、北王国は消えた。サマリア
- クシュ王国のエジプト支配できごとBC747年ナイル上流のクシュがエジプトを制し、第25王朝を開いた。アフリカ内陸の王国が古代地中海世界の主役になる。メロエ
- アッシリアの強制移住できごとBC744年帝国という形の発明の一つ征服した民を丸ごと別の土地へ移し、混ぜて住まわせた。反乱の芽を絶つ統治術で、450万人が動かされたと推定される。帝国という形の発明の一つになる。ニネヴェ
- イザヤの預言できごとBC740年頃剣を鋤にウジヤ王の死んだ年、神殿で炭火に唇を触れられた。「剣を鋤に、槍を鎌に」。アッシリアが北を滅ぼす年に、南で語った。第40章以降は別人が200年ほど後に書いたとされ、そこに「苦難の僕」がある。キリスト教が最も引く預言書。エルサレム
- ヒゼキヤ人物BC740年頃 – BC687年トンネルアッシリアに背き、包囲され、生き延びた。533メートルのトンネルを両側から掘って、真ん中で会った。その碑文がいまイスタンブルにある。地方の聖所を壊してエルサレムに集めた。病んで15年寿命を延ばされ、日時計の影が戻ったと聖書は書く。
- イスラエル王国の滅亡できごとBC722年南のユダだけが残るアッシリアが北の王国を滅ぼし、住民を各地へ移した。南のユダだけが残る。ユダヤ教が一神教としてまとまっていくのは、この生き残った側でのことになる。サマリア
- ミダス王のフリギアできごとBC720年頃ムシュキのミタ触れるものが金になる王は、アッシリアの記録に「ムシュキのミタ」として出てくる。実在した。デルフォイに最初に奉納した異邦人で、キンメリア人に都を焼かれて牛の血を飲んで死んだと伝わる。ゴルディオンの大墳墓は父の墓。ゴルディオン
- サルゴン2世人物? – BC705年遺体が見つからなかった王兄を継いだか、簒奪したか。サマリアを落として2万7290人を移住させ、ウラルトゥを破り、バビロンを取り、自分の都ドゥル・シャルキンを10年で建てた。戦場で死に、遺体が見つからなかった。息子はその都を捨てた。
- センナケリブのエルサレム包囲できごとBC701年籠の鳥のようにヒゼキヤはトンネルを掘って泉を城内に引き、壁を厚くして待った。アッシリアの王は46の町を落とし、エルサレムを「籠の鳥のように閉じ込めた」と自分の碑に書いたが、落としたとは書かなかった。聖書は天使が18万5000を打ったと書く。トンネルはいまも水が流れる。エルサレム
- ミダス人物? – BC696年頃触れたものが金にアッシリアの記録に「ムシュキのミタ」。BC709年にサルゴン2世に貢いだ。ギリシアの伝説では触れたものが金になり、ロバの耳を床屋だけが知っていた。キンメリア人がゴルディオンを焼いたとき、牛の血を飲んで死んだ。
- キンメリア人のゴルディオン破壊できごとBC696年頃ミダス王はこのとき死んだと伝わる黒海の北から来た騎馬民族がフリギアの都を焼いた。触れたものを金に変えたというミダス王は、この時に死んだと伝わる。ゴルディオン
- センナケリブのバビロン破壊できごとBC689年聖なる都を壊した罪だと、息子が元に戻したアッシリア王が反乱を繰り返す都を徹底的に壊し、運河の水を流し込んだ。聖なる都を壊した罪だ、と息子はそれを元に戻す。バビロン
- アッシュルバニパル人物BC685年頃 – BC627年頃各地から粘土板を集めてニネヴェに図書館を作った。焼けた宮殿の中で粘土が焼き固まったおかげで、『ギルガメシュ叙事詩』はいま読める。
- センナケリブ人物? – BC681年ニネヴェを都にして水道を引き、エルサレムを包囲して退き、バビロンを壊した。息子に殺された。旧約聖書とアッシリアの碑文の両方に出てくる。
- ギュゲスのリュディアできごとBC680年頃金の産地。貨幣の最初の鋳造につながる王を殺して王妃を娶った護衛の男が、新しい王朝を開いた。金の産地を持ち、ギリシアの神殿に贈り物をし、貨幣の最初の鋳造につながる。サルディス

- アッシリアのエジプト征服できごとBC671年オリエントが初めてひとつの帝国の下に入った。ただし支配は長く続かなかった。メンフィス
- プサメティコス1世のエジプト再統一できごとBC664年ベコスアッシリアの代官として据えられたサイスの侯が、ギリシアとカリアの傭兵を雇って他の侯を降し、アッシリアが弱ると独立した。第26王朝。ギリシアの傭兵に陣営の土地を与え、子供に鳥の言葉を実験させたとヘロドトスは書く。サイス
- ギュゲス人物? – BC652年頃ヘロドトスでは王妃の裸を見せられた護衛、プラトンでは姿を消す指輪の男。王を殺して王朝を開き、キンメリア人との戦いで死んだ。
- ニネヴェの図書館できごとBC7世紀半ば各地から集めた粘土板3万点あまり。BC612年に宮殿が焼けたとき、粘土が焼き固まって残った。『ギルガメシュ叙事詩』が読めるのはこの火事のおかげになる。ニネヴェ

- ヨシヤ人物BC648年 – BC609年メギドで死んだ8歳で王。父は暗殺された。18年目に律法の書が見つかり、宗教を一か所に集めた。アッシリアが崩れる隙に北へ広げ、メギドでエジプト王ネコの軍の前に出て、矢で死んだ。「彼のような王は前にも後にもなかった」と列王記。23年後、エルサレムはバビロンに滅ぼされる。
- ネブカドネザル2世人物BC634年頃 – BC562年エルサレムを陥としてユダの民をバビロンへ連れ去った。空中庭園の伝承で知られる。
- 新バビロニア国BC626年 – BC539年アッシリアを倒して興った王国。ネブカドネザル2世がエルサレムを陥とし、ユダの民をバビロンへ連れ去った。
- ヨシヤの改革できごとBC622年律法の書が見つかった神殿の修理で「律法の書」が見つかった。王は衣を裂き、地方の聖所を全部壊し、礼拝をエルサレム一か所にし、過越を祝わせた。見つかった書は申命記の元と考えられている。13年後、王はエジプト軍の前に出て死んだ。エルサレム
- ニネヴェ陥落できごとBC612年新バビロニアとメディアの連合軍がアッシリアの都を落とし、帝国は崩れた。ニネヴェ
- メディア王国とエクバタナできごとBC612年アッシリアの遺産を二つで分けたバビロニアと組んでニネヴェを落とし、イラン高原の最初の大国になった。70年後、属国だったペルシアに取って代わられる。エクバタナ
- プサメティコス1世人物? – BC610年傭兵で再統一アッシリアの代官として始まり、傭兵で他の代官を降し、54年統治した。ギリシア人を初めて大量にエジプトに入れた。二人の赤子を羊飼いに育てさせて最初の言葉を待ったら「ベコス」(フリギア語でパン)だった、とヘロドトス。
- エレミヤの預言できごとBC609年頃滅びを語りつづけて、同胞から憎まれた預言者。神殿があるから安全だという考えを否定し、井戸に投げ込まれた。都は本当に落ちた。エルサレム
- ナボポラッサル人物? – BC605年誰の子でもないカルデア人とされる。アッシリアの下で「誰の子でもない」と自分で書いた。BC626年にバビロンで王を名乗り、メディアと組んでニネヴェを焼いた。息子ネブカドネザルがカルケミシュでエジプトを破った年に死んだ。新バビロニアの建国者。
- キュロス2世人物BC600年頃 – BC530年捕囚の民を帰したアケメネス朝の創始者。バビロンを無血で降し、捕囚のユダヤ人を故地へ帰した。
- ネブカドネザルのバビロンできごとBC600年頃青い釉薬の煉瓦で門を飾り、ジッグラトを建て直した。空中庭園はこの都のものとされるが、バビロンの記録には出てこない。バビロン
- 七日の週できごとBC6世紀自然に根拠のない区切りが、世界中で共有されている一年は太陽で決まり、一月は月で決まる。だが一週間には、天体の裏づけがない。七という数は、肉眼で動いて見える天体の数と同じで、メソポタミアではその七つに日を割り当てて数えた。ユダヤの暦は七日目を安息日と定め、働かない日を宗教の決まりとして固定する。ローマは惑星の名を曜日に当て、それがヨーロッパの言語に残った。日本の「日月火水木金土」も、この並びが中国を経て伝わったものになる。自然に根拠のない区切りが、いま世界のほぼ全域で共有されている。バビロン
- クロイソス人物BC595年頃 – BC546年頃金銀の鋳造貨幣を最初に整えた王とされ、その富は「クロイソスのように富める」という言い方で残った。キュロス2世に敗れて国を失う。
- ネコ2世人物? – BC595年運河を掘り始めたサイス朝。ナイルと紅海の運河を掘り始めて12万人が死んだと伝える。メギドでユダの王ヨシヤを殺し、カルケミシュでネブカドネザルに負けた。フェニキア人にアフリカを回らせた。ギリシアの傭兵と三段櫂船。
- クシュのメロエ遷都できごとBC6世紀初めエジプトから退いたクシュは、ナイル上流のメロエで鉄と交易の国として続いた。独自の文字(メロエ文字)を持つが、いまも読み解けていない。メロエ
- バビロン捕囚できごとBC586年ネブカドネザル2世がエルサレムを陥とし、ユダの民をバビロンへ連れ去った。エルサレム

- アケメネス朝ペルシア国BC550年 – BC330年最後にこの地域をひとつにまとめたエジプトからインダスまでを収めた最初の世界帝国。ギリシアへの遠征に失敗し、最後はアレクサンドロスに滅ぼされた。
- キュロスのバビロン征服できごとBC539年ペルシアがほぼ無血でバビロンに入り、捕囚のユダヤ人は故地へ帰ることを許された。バビロン
- カンビュセスのエジプト征服できごとBC525年エジプトはペルシアの州にキュロスの息子がペルシウムでファラオを破り、エジプトを取った。ヘロドトスは彼が聖牛アピスを刺し、王の墓を暴き、狂ったと書く。エジプトの碑文は彼をファラオの名で刻む。砂漠で5万の軍が消えたという話は、いまも探されている。ペルシウム
- ネヘミアのエルサレム城壁再建できごとBC445年52日で築いた城壁ペルシア王の献酌官だったユダヤ人が、総督として送られ、52日で城壁を築いた。周りの民が邪魔をし、片手に道具、片手に剣で働いたと自分で書いている。捕囚から戻った共同体の輪郭が、ここで決まった。エルサレム
- ハスモン朝の独立できごとBC140年祭司の王朝マカバイの反乱から27年、シモンがセレウコス朝の税を止め、大集会が「永遠の大祭司にして指導者」と決めた。王でなく祭司の王朝。80年。ヨハネ・ヒルカノスがイドマヤを改宗させ、その孫がヘロデ。ポンペイウスが来て終わった。エルサレム
- シモン・タッシ人物? – BC135年エリコの宴でマタティアの5人の息子の2番目。ユダとヨナタンが死んで、最後に指導者に。エルサレムの要塞アクラを落とし、独立を得た。娘婿プトレマイオスがエリコの宴で息子二人と共に殺した。三男ヨハネ・ヒルカノスが逃げて継いだ。
- エルサレム神殿の破壊できごとAD70年ユダヤ戦争の末に神殿が焼かれた。ユダヤ教は神殿のない宗教へ形を変えていく。エルサレム

- ホスロー1世の改革できごとAD531年ササン朝の最盛期税を土地の測量に基づく定額にし、軍を国が養う騎兵に変えた。ササン朝の最盛期で、アテナイを追われた哲学者を受け入れ、インドから『パンチャタントラ』とチェスを得た。クテシフォン
- 線文字Bの解読できごとAD1952年ミケーネはギリシア語だったクレタ島クノッソスで見つかった粘土板の文字。50年、誰も読めなかった。建築家マイケル・ヴェントリスは14歳でエヴァンズの講演を聞いて取り憑かれ、余暇に取り組んだ。記号の出現位置を統計的に整理し、格子状の表に並べ、音節の対応を推測した。そして自分の予想に反する結論に達した。この言語はギリシア語である。ミケーネ文明がギリシア語を話していたことが、これで確定した。粘土板の中身は、羊の頭数と油の配給の記録だった。彼は4年後、34歳で交通事故で死んだ。ロンドン
- アモス人物預言者でも預言者の子でもないテコアの牧夫で、いちじく桑の栽培者。北の都で「牛の中の牛」と貴婦人を罵り、祭りと生贄を退け、正義を求めた。祭司に追われて帰った。文字で残る最初の預言書。「わたしは預言者でも、預言者の子でもない」。
- イザヤ人物インマヌエルエルサレムの貴族で、四人の王の顧問。「インマヌエル」「切り株から新芽」「狼と子羊」。アッシリアの包囲で王に「静まれ」と言った。66章の預言書の前半が彼で、後半は捕囚期の別人。ミカエランジェロがシスティーナに描いた。伝説ではマナセに鋸で挽かれた。
- モーセ人物葦の籠からナイルの葦の籠から拾われ、エジプトの宮廷で育ち、同胞を打つ役人を殺して逃げ、燃える柴で名を聞き、民を率いて海を渡り、山で十戒を受け、荒野を40年さまよって、約束の地を見ながら死んだ。三つの宗教の預言者。史料は聖書だけ。
- サムエル人物最後の士師不妊の母ハンナが祈って授かり、幼くして神殿に預けられ、夜、名を呼ばれた。最後の士師で預言者。王を求める民に反対し、サウルに油を注ぎ、サウルを退け、ダビデに油を注いだ。死後、サウルが魔女に彼の霊を呼んだ。
- エリヤ人物火の戦車ギレアデのティシュベ人。毛の衣と革の帯。烏に養われ、寡婦の油を尽きなくし、子を生き返らせ、カルメルで火を呼び、ホレブで「静かにささやく声」を聞いた。死なずに火の戦車で天へ。マラキは「主の日の前にエリヤが来る」と書き、福音書はそれを洗礼者ヨハネとした。
- メシャ人物両方の側の記録モアブの王。「羊を飼う者」。オムリの子アハブに羊10万頭の毛を貢いでいた。アハブの死後に背き、列王記は「自分の長子を城壁の上で焼いた」と書く。自分の碑では「ケモシュが私を救った」。両方の側の記録が残る、珍しい王。
- ヒラム人物ティルスの王ティルスの王。ダビデに宮殿の杉を送り、ソロモンに神殿の杉と金と職人を送り、オフィルへの船を一緒に出した。ヨセフスはティルスの年代記から、彼がメルカルトの祭りを始め、島を広げたと伝える。フリーメイソンが神殿の職人「ヒラム・アビフ」の伝説を作った。
- デボラ人物蜜蜂「蜜蜂」。士師記で唯一の女性の士師。エフライムの山地のナツメヤシの木の下で人々を裁き、バラクを戦いに送り、勝利の歌を歌った。「私デボラは立った、イスラエルの母として」。士師記5章の歌はBC12世紀の言葉と考えられ、聖書で最古の部分の一つ。
- サムソン人物デリラに髪を「太陽」。ナジル人。ペリシテ人の女を求め、謎かけをし、狐300匹の尾に火をつけて畑を焼き、デリラに秘密を売られた。目を潰されて臼を挽き、髪が伸びて、柱を倒した。「私はペリシテ人と共に死のう」。ミルトンとサン=サーンスが作品にした。
重なっているストーリー
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