海の民の侵入と青銅器時代の終わり
概要
ヒッタイトが滅び、ミュケナイが焼け、エジプトも衰えた。地中海東部の文明が同時に崩れる。
関わった人(1)
ラメセス3世?–BC1155年 · 退けた本文
紀元前1200年前後の数十年のうちに、地中海東部の文明が次々に崩れた。アナトリアの大国ヒッタイトが消え、ギリシアのミュケナイの宮殿が焼け、シリアの港町ウガリトが滅び、キプロスの町々が荒らされた。エジプトは辛うじて侵入者を撃退したが、その後は長い衰えに入る。数百年続いた青銅器時代の国際社会が、ほぼ同時に終わった。
崩れる前の世界は、驚くほど緊密につながっていた。エジプト、ヒッタイト、バビロニア、アッシリア、ミタンニの王たちは、互いを「兄弟」と呼んで粘土板の手紙を交わし、王女を嫁がせ、金や馬や職人を贈り合った。カデシュで戦ったエジプトとヒッタイトも、のちには平和条約を結んでいる(エジプト・ヒッタイト平和条約)。トルコの南岸沖で見つかった前14世紀の沈没船からは、キプロスの銅の延べ板10トンと、はるか東から運ばれた錫1トンのほか、エジプト、カナン、ミュケナイ、バルト海の琥珀までが引き揚げられた。青銅は銅と錫を混ぜて作る。銅はキプロスに豊富だが、錫は産地が限られ、多くは遠く中央アジアのあたりから運ばれていたと考えられている。どの国の武器も道具も、この長い交易の鎖に頼っていた。

その鎖が切れた。ヒッタイトの都ハットゥシャは前1200年頃に放棄され、焼かれた。ギリシアでは、ミュケナイ、ティリンス、ピュロスなどの宮殿が次々に炎に包まれた(ミュケナイの興り)。皮肉なことに、宮殿の記録係が粘土板に線文字Bで書いていた帳簿は、宮殿を焼いた火で焼き固められて残った。ピュロスの粘土板には、海岸を見張る者を配置したという記録があり、最後の日々の緊張を伝えるものと読まれている。
ウガリトの最期は、手紙の中に残っている。ウガリトの王は、キプロスの王に宛てて、敵の船が来て町を焼き、国を荒らしている、わが兵も船もヒッタイトの地やリュキアにいて手元にない、と書き送った。それより前には、ヒッタイトの王がウガリトに、穀物を急いで送るよう求め、これは生死に関わる問題だと書いた手紙もある。ウガリトは前1185年頃より後に破壊され、二度と再建されなかった。

エジプトの碑文が「海の民」と呼ぶ集団が現れるのは、この頃である。前13世紀の末、ファラオのメルネプタハは、リビアの人々と、それと結んだ「海の国々」の侵入を退けたと記した。そして前1177年頃、ラメセス3世は、テーベの葬祭殿の壁に、もっと大きな侵入を退けた記録を刻ませた。異国の者たちは島々で謀議をめぐらせ、ヒッタイトもキプロスも、どの国もその武器の前に立ちはだかれなかった、と碑文は語る。浮彫には、牛に引かせた車に女と子どもを乗せて陸を進む人々と、ナイルの河口で鳥の頭の飾りのついた船と戦うエジプトの艦隊が描かれている。戦士だけでなく、家族を連れて住む土地を探す人々の移動でもあったことがうかがえる。
碑文には、ペレセト、チェケル、シェケレシュ、デニエン、シェルデンなど、いくつもの民族の名が挙げられている。そのうちペレセトは、聖書に出てくるペリシテ人のことだと考えられている。彼らはエジプトに撃退された後、カナンの南の海岸に住みつき、のちのダビデの物語に宿敵として登場する(ダビデのエルサレム)。「パレスティナ」という地名も、ペリシテ人の名から来ている。シェルデンはサルデーニャ、シェケレシュはシチリアと結びつける説があるが、そこから来たのか、後にそこへ移ったのかも分からない。海の民がどこから来たのかは、いまも特定できていない。エーゲ海、アナトリアの西岸、さらにその向こうから、さまざまな人々が加わっていたのだろう。

海の民が文明を滅ぼした、という説明は、いまではあまり採られない。原因は一つではないという見方が有力になっている。湖の底の泥や花粉を調べる研究から、この頃の地中海東部が長い干ばつに見舞われていたことが分かってきた。ヒッタイトの穀物の手紙は、その裏づけと読める。同じ時期に大きな地震が続いた跡も、各地の遺跡で見つかっている。干ばつと飢饉が人々を動かし、動いた人々が別の土地の人々を押し、地震や内乱が王国の力を弱め、交易の道が途切れて錫が届かなくなる。
システムが複雑に繋がっていたぶん、一か所が崩れると全体が連鎖した、という説明が近年よく採られる。宮殿が物資を集めて配り直す仕組みは、平時には効率がよかったが、一つの歯車が止まると全体が回らなくなった。海の民は、崩壊の原因というより、崩壊の結果として生まれた人の流れであり、同時にそれをさらに押し進めた力だった、とも考えられている。

エジプトは侵入を退けたが、無傷ではなかった。ラメセス3世の治世の後半には、墓を造る職人たちが食料の支給の遅れに抗議して仕事を放棄し、王自身も後宮の陰謀で殺された。新王国は前11世紀に分裂し、かつてラムセス2世がシリアまで兵を進めた大国の姿は戻らなかった。
その後の数百年、この地域では文字の記録が激減する。とくにギリシアでは、線文字Bが使われなくなり、文字そのものが400年近く失われた。人口は減り、町は村になり、大きな建物は建てられなくなった。後の歴史家はこの時代を「暗黒時代」と呼ぶ。もっとも、近年の発掘では、この時代にも交易や技術の工夫が続いていたことが分かってきており、単なる空白ではなかったとする見方も強まっている。

崩れたところから、鉄と、アルファベットと、新しい民族が出てくる。錫の入手が難しくなったことも背景に、どこでも採れる鉄の鉱石から道具や武器を作る技術が広まった。地中海の沿岸ではフェニキア人の港町が栄え、少ない文字で言葉を書き表すアルファベットを広めた(アルファベットの成立)。ギリシア人はのちにそれを借りて、ホメロスの叙事詩を書き留めることになる。その叙事詩が歌うトロイア戦争(伝承)は、崩壊の直前の英雄たちの時代の、遠い記憶だと考えられている。内陸にはイスラエル、アラムといった新しい民族の国が生まれた。古い世界の終わりは、次の世界の始まりでもあった。