アモスとホセアの預言
概要
南の牧夫アモスが北王国の都に来て、「正義を水のように流れさせよ」と富者を責めた。ホセアは不貞の妻を娶って、神とイスラエルの関係を演じた。文字で残る最初の預言者たち。30年後、北王国は消えた。
場所
32.28°N 35.20°E · ヨルダン川西岸
関わった人(1)
アモス預言者本文
紀元前10世紀の終わり、ソロモンの死のあと、イスラエルの民の王国は南北に分かれた。北のイスラエル王国はより広く豊かで、紀元前9世紀にはオムリ王がサマリアに新しい都を築いた(オムリのサマリア建設)。その北王国で、紀元前8世紀の前半、王ヤロブアム2世の長い治世は、領土を広げ、交易で栄えた時代になった。サマリアの遺跡からは、宮殿の家具を飾ったとみられる精巧な象牙の細工が多く掘り出されている。しかし繁栄は一部の者のものだった。豊かな者は土地を買い集め、借金を返せない貧しい農民は土地を失い、奴隷に売られた。
アモスは、南のユダ王国のテコアという、荒野の縁の村の人だった。自らを羊を飼う者、いちじく桑の木を手入れする者と呼んでいる。その牧者が北へ行き、王の聖所のあるベテルで、北王国の人びとに神の言葉を告げた。アモス書の冒頭は、それを「地震の二年前」のことと記す。紀元前8世紀の半ばに大きな地震があったことは、北の町ハツォルなどの遺跡の地層からもうかがえるとされる。

アモスの言葉は激しい。彼らは正しい者を銀で売り、貧しい者を靴一足のために売る。象牙の家に住み、冬の家と夏の家を持ち、寝台の上で羊を食べて、酒を鉢で飲む者たち。人びとは祭りを盛大に祝い、いけにえを捧げていたが、アモスは神の言葉として、わたしはおまえたちの祭りを憎み、退ける、と告げた。神が求めるのは、儀式ではなく、正義を洪水のように、恵みの業を尽きることなく流れる川のように流れさせることだという。人びとが待ち望んでいた「主の日」は、光ではなく闇の日になる、とアモスは警告した。
ベテルの祭司アマツヤは、アモスが王に背くことを語っていると王に訴え、アモスに、先見者よ、ユダの地へ帰れ、ここは王の聖所だ、と言い渡した。アモスは、わたしは預言者でもなく、預言者の仲間でもない、羊の群れを追っていたところを主が取られたのだ、と答えた。職業として王に仕える預言者たちとは違う、という意味である。

ホセアは、アモスより少し遅れて、北王国の内側から語った人である。神から、淫行の女をめとれと命じられ、ゴメルという女性を妻にしたと書かれている。生まれた子には、王家が血を流した谷の名「イズレエル」、「憐れまれぬ者」、「わが民でない者」という名がつけられた。妻は夫のもとを去るが、ホセアは銀15シェケルと大麦で女を買い戻し、再び迎えた。これが実際の結婚の話なのか、預言のための象徴の物語なのかは、昔から議論がある。ホセアは、自分を裏切ってほかの神々に走る民を、それでも見捨てられない神の思いを、夫の苦しみに重ねて語った。エフライムよ、どうしてわたしはおまえを見捨てることができようか、という言葉がある。
ヤロブアム2世が死ぬと、北王国はたちまち崩れた。それから二十数年の間に六人の王が入れ替わり、その多くは暗殺された。東からはアッシリアの王ティグラト・ピレセル3世が攻め寄せ、征服した土地の民を遠くへ移していった(アッシリアの強制移住)。ホセアは、彼らは風を蒔いて、嵐を刈り取る、と語った。紀元前722年ごろ、サマリアはアッシリアに落ち、北王国は滅びた(イスラエル王国の滅亡)。
二人の言葉は、北王国が滅びたあと、南のユダで書き集められ、受け継がれた。それ以前の預言者、たとえばエリヤの物語は、他人の書いた王たちの歴史の中で伝えられている(エリヤとカルメル山)。アモスとホセアは、その言葉が預言者自身の名を冠した書物として残った最初の人びとであり、「記述預言者」と呼ばれる。ほぼ同じころ、南ではイザヤとミカが語りはじめた(イザヤの預言)。アモス書の最後の、ダビデの王家の再興を約束する明るい数節は、のちの時代に書き加えられたものと考える研究者が多い。

二人の言葉は、遠い後の世にまで響いた。ホセアの、わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではない、という言葉を、福音書のイエスは二度引いている。アモスの正義を洪水のように流れさせよという言葉は、20世紀のアメリカで、キング牧師が公民権運動の演説の中で繰り返し引いた。王の聖所で、富む者と権力者を正義の名で問いただした牧者の言葉は、2700年後の人びとの声にもなった。