ヒラムのティルス
概要
フェニキアの王が、ソロモンにレバノン杉と職人を送って神殿の造営を助け、紅海の船を一緒に出した。20の町を礼にもらって「値打ちのない土地」と言った。ティルスはのちに地中海に植民市を送り、カルタゴを建てる。
場所
33.27°N 35.20°E · レバノン・南レバノン県
関わった人(1)
ヒラム王本文
ティルスは、地中海の東の岸、いまのレバノンの南に浮かぶ島の町だった。その名は土地の言葉で「岩」を意味するツォルに由来し、海岸から1キロメートルに満たない海の上に、城壁に囲まれた町があった。島は攻めにくく、二つの港を持ち、海を通じて遠くと結ばれていた。この町を中心とするフェニキアの人々は、背後の山に茂るレバノン杉を切り出し、貝から取る高価な紫の染料を作り、船を操って地中海の各地と交易した。
紀元前10世紀、このティルスを治めたのがヒラムである。その治世は、後の時代のユダヤの歴史家ヨセフスが引用した、ティルスの年代記にもとづく記録から知られる。それによると、ヒラムはアビバアルという王の子で、34年間王位にあり、53歳で亡くなった。在位はおよそ紀元前970年頃から紀元前930年頃とされるが、年代には幅がある。ヒラムは町の東側を埋め立てて広げ、大きな広場を造り、離れていた神殿を島につないだ。町の守り神メルカルトと女神アスタルテの神殿を建て、レバノンから切り出した杉を神殿の屋根に使ったという。メルカルトがよみがえる祭りを最初に行ったのもヒラムだと伝えられる。

ヒラムの名は、旧約聖書の列王記にも出てくる。ヒラムはイスラエルの王ダビデと親しく、ダビデの子ソロモンが王位を継いだと聞くと、祝いの使者を送った。ソロモンは、父が戦いに追われて果たせなかった神殿を建てたいと伝え、レバノンの杉を切ってほしいと頼んだ。木を切る技にかけては、シドンの人々にかなう者はいない、とソロモンは言ったという。ヒラムは承知し、杉と糸杉を山から海へ下ろし、筏に組んで、ソロモンの指定する港まで運ぶと約束した。その代わりにソロモンは、毎年、大量の小麦とオリーブ油をヒラムの宮廷に送った。山がちで穀物の乏しいティルスと、木材と技術を持たないイスラエルの、互いに欠けるものを補う取引だった。
ティルスから送られたのは、木だけではなかった。聖書は、ヒラムという同じ名を持つティルスの青銅の職人が、神殿の入口に立つ2本の青銅の柱や、12頭の牛の像が支える巨大な青銅の水盤を鋳造したと書いている。こうして建てられたのがソロモンの神殿である。聖書によれば、神殿の建設に7年、ソロモンの宮殿に13年かかった。

建設が終わると、ソロモンはヒラムに、礼としてガリラヤの20の町を贈った。ところが、町を見に来たヒラムは気に入らず、兄弟よ、これはいったい何という町か、と言ったという。その地はそれ以来、取るに足りない土地という意味に取れるカブルの地と呼ばれた、と聖書は書いている。ヨセフスはまた、二人の王が謎かけを競い合い、解けなかったほうが金を払う約束をした、という話も伝えている。はじめはソロモンが勝ったが、ヒラムはティルスの賢い若者を呼んで謎を解かせ、新しい謎を出してソロモンを負かしたという。
二人は海の事業でも手を組んだ。紅海の奥の港エツヨン・ゲベルから、ヒラムの送った海に慣れた船乗りがソロモンの船乗りとともに出航し、オフィルという土地から大量の金を持ち帰った。さらに、タルシシュの船と呼ばれる大型の船が3年に一度、金や銀、象牙、猿などを運んできたと書かれている。オフィルがどこにあったのかは分かっていない。アラビア、アフリカの東岸、インドなど、さまざまな説がある。

ただし、こうした聖書の記述が、どこまで歴史の事実を伝えているかについては、研究者のあいだで議論がある。ソロモンの王国の規模や豊かさは、後の時代の人々によって大きく描かれた可能性があり、ヒラムの名も、同時代の碑文にはまだ見つかっていない。それでも、ヨセフスが引くティルスの記録と聖書が、同じ王の名と、木材と技術の取引を伝えていることは、この時代のフェニキアの力をよく物語っている。
ヒラムの時代のあと、ティルスの人々は地中海の西へと乗り出していった。キプロスに町を築き、さらに北アフリカやスペインに交易の拠点を置いた。伝承では、紀元前814年、ティルスの王女がアフリカの北岸に新しい町を建てたとされる。それがのちの大国カルタゴである(カルタゴの建設)。フェニキアの人々が使った文字は、ギリシアに伝わってアルファベットの成立の祖となった。
ティルスの南東には、いまも「ヒラムの墓」と呼ばれる大きな石棺が残る。だが、調査の結果、それはヒラムの時代よりずっと後の、ペルシアの支配の時代のものと考えられている。また、ヒラムの名は、18世紀に生まれたフリーメイソンの儀式の中で、神殿を建てた棟梁の伝説として、まったく別の物語を与えられた。聖書にはない話である。
島の町ティルスの運命を変えたのは、紀元前332年のティルス攻囲だった。アレクサンドロス3世は、島を落とすために海を埋めて陸から突堤を築き、7か月の包囲の末に町を攻め落とした。突堤にはその後、砂が積もり、ティルスは島ではなく、陸続きの半島になった。いまもそのままである。