できごと

ウルク。都市というものの始まり

Rise of Uruk
紀元前35世紀
年に諸説あり重要度 5
紀元前35世紀ウルク
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っている紀元前35世紀の版図を描いています。

概要

数万人が城壁の中に住んだ。分業も神殿も官僚も、ここで一度に現れている。

場所

ウルク
31.32°N 45.64°E · イラク・ムサンナー県

本文

いまのイラク南部、ユーフラテス川の旧河道に近い砂漠に、ワルカと呼ばれる遺丘がある。古代の名をウルクという。紀元前4千年紀の後半、ここに数万人が住む集落が現れた。それまで人類が、これほどの数で、これほど密集して暮らした例は知られていない。考古学ではこの時代を、遺跡の名をとって「ウルク期」と呼ぶ。

当時のメソポタミア南部は、今よりも湿地や水路が多かったと考えられている。麦を育てる畑、ナツメヤシの林、魚や葦の採れる沼、羊や山羊の放牧地が近くに集まり、それらを水路でつなぐことができた。人が集まった理由については、灌漑の工事と水の管理には大きな組織が要ったからだという説と、神殿への信仰と祭祀が先にあって人を引き寄せたという説がある。灌漑が国家を生んだという古い見方は、今では単純すぎるとされることが多く、さまざまな要因が重なったと考える研究者が多い。

ウルク期の円筒印章と印影。前3100年頃。ルーブル美術館収蔵。
ウルク期の円筒印章と印影。前3100年頃。ルーブル美術館収蔵。Wikimedia Commons Public domain

ウルクの中心には二つの聖域があった。愛と戦いの女神イナンナを祭るエアンナ地区と、天の神アンを祭るとされる地区である。エアンナでは、色を塗った粘土の円錐を壁に何千本も差し込んで模様を描いた巨大な建物が、何度も建て替えられた。もう一方には、高い基壇の上に白く塗った神殿が建っていた。のちのジッグラトにつながる、高く積み上げた聖域の早い例である。

人が密集すると、必要なものが一度に出てくる。食料を集めて配る仕組み、仕事を割り振る者、揉め事を収める者、神殿を維持する人々。遺跡からは、縁の斜めな粗い鉢が膨大な数で見つかっている。型で大量に作られたもので、働き手に麦や食料を配給するための升だったとする説が有力だが、ほかの用途を考える研究者もいる。

ウルクから発見された粘土板文書。ウルク3層に年代づけられ、倉庫施設からのビールの分配が記録されている。大英博物館収蔵。
ウルクから発見された粘土板文書。ウルク3層に年代づけられ、倉庫施設からのビールの分配が記録されている。大英博物館収蔵。Wikimedia Commons Jim Kuhn · CC BY 2.0

分業も目に見える形で現れた。自分では食べ物を作らない人々が、陶工、織り手、金属工、石工、書記、神官として働く。ウルクから出た文書の中には、職業や役職の名を序列に並べたとみられる一覧があり、のちの時代まで何百年も書き写され続けた。社会を階層として整理する発想が、ここで文字になっている。

その文字が生まれたのも、ウルクだった。エアンナ地区の、紀元前3300年から前3100年頃の層から、最古級の粘土板が数千枚まとまって見つかっている。その大半は、麦、ビール、家畜、布、労働者の数を記録した帳簿である。残りは、文字を覚えるための語の一覧とされる。最初の文字は、詩や祈りを書くためではなく、誰が何をどれだけ納め、何を受け取ったかを記録するために使われた。これがやがて楔形文字の成立へと育っていく。

ウルク出土の男性頭部像(ルーヴル美術館)
ウルク出土の男性頭部像(ルーヴル美術館)Wikimedia Commons Marie-Lan Nguyen · Public domain

文字の前段階として、粘土で作った小さな数取りの札や、それを包んだ粘土の球、印章を転がして押す円筒印章が使われていた。数取りの札から文字が生まれたという説はよく知られているが、その道筋をどこまでたどれるかには異論もある。なお、エジプトでも同じ頃に文字が現れており、どちらが早いかは決着していない。

ウルクの影響は遠くまで及んだ。シリアのユーフラテス川上流やイラン西部に、ウルクとそっくりの土器や建物を持つ集落が現れる。木材、石、金属といった、南の沖積平野で手に入らない資源を求めて拠点を置いたのではないかと考えられているが、交易か植民か支配かについては議論が続く。この広がりは紀元前3100年頃を境に急にしぼんだ。

ウルク出土の人物頭像
ウルク出土の人物頭像Wikimedia Commons Anonymous Unknown author · Public domain

信仰と権力の姿を伝える遺物もある。高さ1メートルほどの石の大杯には、裸の男たちが穀物や果物を運び、衣をまとった人物が女神に供物を捧げる行列が段ごとに刻まれている。供物が神殿に集まり、そこから再び分けられるという仕組みを、絵として示したものとも読める。

この大杯は、20世紀前半にドイツの調査隊がウルクを発掘した際に見つかった。ドイツ隊は1912年に調査を始め、のちに長期の発掘を重ねて、ウルクの層を一つずつ明らかにしていった。大杯はバグダードのイラク博物館に収められていたが、2003年のイラク戦争の混乱の中で略奪され、数か月後に壊れた状態で戻ってきた。5000年を越えて残った遺物が、ほんの数日の混乱で失われかけたのである。

ウルクの城壁は、もう少し後の初期王朝時代に築かれた。全長は9キロを超え、囲まれた範囲は5平方キロを超える。伝承では、この城壁を築いたのは、『ギルガメシュ叙事詩』の主人公として知られる王ギルガメシュとされる。王名表に名があり、紀元前2700年頃の王だったのではないかと言われるが、実在を示す同時代の記録は見つかっていない。叙事詩の冒頭は、城壁に登って煉瓦を確かめよ、と読み手に呼びかけている。

『ギルガメシュ叙事詩』に関わる図版:British Museum Flood Tablet
『ギルガメシュ叙事詩』Wikimedia Commons CC0

人口の推計には幅があり、ウルク期の終わりで2万から4万、初期王朝時代には5万を超えたという見積もりもある。シリア北部のテル・ブラクのように、同じ頃に大きく育った集落もあり、ウルクだけが特別だったわけではないという指摘もある。それでも、文字、記念碑的な神殿、大規模な分業と再分配の仕組みがそろって確認できる最古の場所が、ウルクであることに変わりはない。のちのアッカドのサルゴンもウル・ナンム法典も、ここで生まれた都市という器の上に建てられた。

動画(1)

Mesopotamia: Crash Course World History #3CrashCourse都市・文字・法がまとめて現れた場所の12分

出典(6)

ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第I部 ユーラシア大文明の誕生とその発展(BC500年まで)
マット・リドレー(大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之 訳) 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』第5章 都市の勝利
デヴィッド・グレーバー、デヴィッド・ウェングロウ(酒井隆史 訳) 『万物の黎明 人類史を根本からくつがえす』第8章(王のいない都市)
ジェームズ・C・スコット(立木勝 訳) 『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』第3章(人と動植物を一か所に囲い込む)
ウォルター・シャイデル(鬼澤忍、塩原通緒 訳) 『暴力と不平等の人類史 戦争・革命・崩壊・疫病』第1部(不平等はいつ始まったか)
ウィリアム・バーンスタイン(鬼澤忍 訳) 『交易の世界史 シュメールから現代まで』第1章(最初の長距離交易)

同じ時代のできごと

車輪の登場紀元前35世紀
この項目は誰でも直せます。編集する編集履歴
BC3451年の世界を地図で見る国境・できごと・生きている人が、その年のものに入れ替わります歴史データベースとは? →