できごと

アルファベットの成立

History of the alphabet
BC11世紀頃
年に諸説あり重要度 5
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概要

数百の記号を覚えなければ書けなかったものが、22の子音字で書けるようになった。書くことが書記の専門職から離れる。ギリシア文字もラテン文字もアラビア文字もヘブライ文字も、ここから枝分かれしている。

場所

ビブロス
34.12°N 35.65°E · レバノン

本文

楔形文字は数百の記号を使い分けなければ書けなかった。楔形文字の成立の記号は時代によって数百から千近くあり、一つの記号が語を表すこともあれば音節を表すこともあった。エジプトの聖刻文字(ヒエログリフ)も同じで、意味を示す記号と音を示す記号を組み合わせて書く。どちらも身につけるのに長い年月の訓練が要り、書くことは書記という専門職の仕事だった。王と神殿が書記を抱え、税と供物と法を記録させていた。

アルファベットの祖形は、その専門職の外で生まれたらしい。シナイ半島西部のセラビト・エル・ハディムにあったエジプトのトルコ石鉱山で、20世紀の初めに奇妙な刻文が見つかった。聖刻文字に似た形だが、使われている記号は30に満たない。いまは原シナイ文字と呼ばれ、紀元前19世紀から前16世紀ごろのものとされる(年代には幅がある)。ナイル河谷のワディ・エル・ホルでも、同じ系統の古い刻文が出ている。鉱山や遠征隊で働いた、セム語を話す人びとが書いたと考えられている。

ビブロス出土のテラコッタ製水差し(後期青銅器時代)
ビブロス出土のテラコッタ製水差し(後期青銅器時代)Wikimedia Commons Jastrow · Public domain

仕組みは単純だった。牛の頭の絵を、セム語で牛を意味する「アルプ」の最初の音に当てる。家の絵を、家を意味する「バイト」の最初の音に当てる。絵が語そのものではなく、その語の頭の子音を表すようになる。こうすれば、自分たちの言葉のすべての子音を、二十数個の記号で書き分けられる。エジプトの文字にも一つの子音を表す記号が二十数個あったが、エジプトの書記はそれだけで書こうとはしなかった。

この発想は数百年かけて地中海の東岸に広がった。前14世紀から前13世紀の港町ウガリトでは、粘土板に押す楔形の記号で30字ほどのアルファベットが作られている。書く道具は楔形文字のまま、仕組みだけを取り入れたものだった。

ビブロスの十字軍時代の聖ヨハネ=マルコ教会
ビブロスの十字軍時代の聖ヨハネ=マルコ教会Wikimedia Commons User:Linaduliban · Public domain

前11世紀ごろ、ビブロスやテュロス、シドンといったフェニキアの港町で、文字は22の子音字に落ち着いた。字の形は線で書きやすい形に整い、右から左へ書く。ビブロスの王アヒラムの石棺に刻まれた銘文は、この文字で書かれたまとまった文として最も古いものの一つで、前10世紀ごろのものとされる(もっと古いとする説もある)。ビブロスはエジプトのパピルスを地中海に売る港でもあり、ギリシア語でパピルスや書物を指す「ビブロス」という語はこの町の名から来たとされる。英語の「バイブル」の遠い語源になる。

22なら、数週間から数か月で覚えられる。フェニキア人は文字を神殿の秘儀にしなかった。商人が取引を記録し、船乗りが積荷を書き付け、植民市の人が故郷と連絡を取る道具として使った。カルタゴの建設に見られるように、フェニキア人は地中海の各地に植民市を作り、文字もそれに乗って運ばれた。キプロス、シチリア、北アフリカ、イベリア半島の南岸から、フェニキア文字の碑文が出ている。

前8世紀ごろ、ギリシア人がこの文字を受け取った。ギリシア人自身もそれを「フェニキアの文字」と呼び、ヘロドトスはフェニキア人カドモスが伝えたという伝承を書き留めている。ここで大きな工夫が加わる。フェニキア語にはあってギリシア語には要らない喉の子音の字を、母音に振り替えた。牛の「アルプ」の字はアルファになり、a の音を表す。こうして母音と子音をすべて書き分ける文字ができた。字の名前の頭の二つ、アルファとベータが、「アルファベット」という言葉になる。ホメロスの名で伝わる叙事詩が文字に書き留められたのも、この文字が広まってからのことになる。

ギリシア文字はイタリア半島に渡ってエトルリアの都市国家の人びとに使われ、そこからローマ人がラテン文字を作った。9世紀の末から10世紀にかけては、ギリシア文字をもとにスラヴ語を書くキリル文字が作られる。東の枝はアラム文字を経て伸びた。アラム語が西アジアの共通語として広く使われたことで文字も広がり、そこからヘブライ文字の方形の書体が、さらにナバテア文字を経てアラビア文字が生まれた。インドのブラーフミー文字もアラム文字に由来するという説が有力だが、異論もある。

漢字と日本の仮名、朝鮮のハングル、マヤの文字のように、別の起源をもつ文字もある。それでも、ラテン文字、キリル文字、ギリシア文字、アラビア文字、ヘブライ文字、そしてインドから東南アジアへ広がった文字の多くが、たどれば地中海東岸の22字に行き着くとされる。いま世界で使われている表音文字の大半が、この一つの系統の子孫になる。

文字が少なくなっても、すぐに誰もが読み書きできるようになったわけではない。古代の識字率は、多くの社会で低いままだった。それでも、書くことが王と神殿の独占から外れる道は開いた。商人の帳簿、兵士の落書き、市民が投票に使った陶片。書き手の幅が広がったことは、残された文字の中身から確かめられる。

誰が作ったのかは分かっていない。原シナイ文字からフェニキア文字までの数百年は、碑文の数が少なく、短いものばかりで、道筋に隙間がある。原シナイ文字の刻文の多くは、いまも読み方が定まっていない。分かっているのは、それが一人の天才の発明というより、エジプトの文字を外から見ていた人びとが思いつき、交易の人びとが使い込んで形を整えたものらしい、ということになる。

出典(2)

ウィリアム・H・マクニール(増田義郎、佐々木昭夫 訳) 『世界史』第I部 ユーラシア大文明の誕生とその発展(BC500年まで)
マット・リドレー(大田直子、鍛原多惠子、柴田裕之 訳) 『繁栄 明日を切り拓くための人類10万年史』第3章 美徳の形成

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