物語

『交易の世界史』で読む物の流れ

出てくるできごと BC3451ごろ – AD1869
できごと 10国 2
この物語に出てくる図版:Foire de Champagne XIIIe
この物語に出てくるシャンパーニュの大市から。Foire de Champagne XIIIe Wikimedia Commons JPS68 via photoshop · Public domain

概要

シュメールの銅から現代のコンテナまで。人が物を遠くへ運ぶために、何をしてきたか。

この物語について

遠くにしか無い物を欲しがる気持ちは、どこまで世界を動かしてきたのか。人は物を遠くへ運ぶために、何を作り、何を壊してきたのか。

『交易の世界史』(ウィリアム・バーンスタイン、2008年、日本語版2010年)は、5000年の交易を一本の線でつなぐ。著者は歴史の専門家ではなく、医師から投資の理論家に転じ、金融の本で知られるようになった人物である。その目は、運ばれた物と、そのために作られた仕組みと、そこで振るわれた暴力に向けられる。

始まりはメソポタミアにある。川が運んだ泥の平野は麦をよく実らせたが、木材も石も金属もほとんど無かった。ウルク。都市というものの始まりのような都市が育つと、人々は銅や錫や木材を、山の向こうや海の向こうから取り寄せなければならなくなった。青銅は銅と錫を混ぜて作るが、錫の産地は遠い。最初の長距離交易は、贅沢のためというより、無い物を補うために始まった。

物を運ぶには、道具と知恵が要る。砂漠ではラクダが、海では風が鍵になった。インド洋では、夏には南西から、冬には北東から季節風が吹く。この風の向きを知れば、船は一年で往復できる。ダウ船とモンスーンが結んだ海は、アラビア、東アフリカ、インド、東南アジアを一つの交易の場にした。のちにキルワのような港町が、この海の西の端で栄えることになる。

ローマの時代には、絹が東から西へ運ばれた。ローマの絹は富の象徴になり、プリニウスは、インドや中国やアラビアの品のために、毎年莫大な金がローマから流れ出ていると嘆いた。陸の道を担ったのは、一人の商人が端から端まで歩く旅ではなく、町から町へと品を受け渡していく人々の連なりだった。中央アジアのソグド商人のネットワークは、その中継を何世紀にもわたって担った。絹の作り方は長く中国の秘密だったが、6世紀に蚕の卵がひそかに東ローマへ持ち込まれ、その独占は破られたと伝えられる。

7世紀以降、インド洋と陸の道の多くはイスラーム世界の商人の手に入った。預言者ムハンマド自身、隊商の商人として暮らした人だった。中国の福建では泉州の海上交易が栄え、アラブやペルシアの商人が住みついた。マルコ・ポーロやイブン・バットゥータが書き残した東方の港の豊かさは、この時代の交易の広がりを伝えている。同じ道は、病も運んだ。14世紀の半ば、黒海のほとりの港から地中海へ戻ったイタリアの商船は、ペストを積んでいた。数年のうちに疫病はヨーロッパじゅうに広がり、人口の3分の1から半分ほどが死んだとされる。交易の網が密になるほど、病の広がりも速くなった。

ヨーロッパの内側でも、交易の仕組みが育っていた。12世紀から13世紀には、フランス北東部のシャンパーニュの大市で、イタリアの商人とフランドルの毛織物の商人が定期的に落ち合った。現金を持ち歩かずに済む為替手形や、遠くの相手と帳簿でやりとりする方法が磨かれ、のちのメディチ銀行のような金融の家を生む土台になった。

15世紀の末、ポルトガルの船がアフリカを回ってインドに着くと、香辛料の道は海の上で争われるようになった。1498年、ヴァスコ・ダ・ガマの船団がインド西岸のカリカットに着いたとき、持参した贈り物は、豊かな港の人々の目には粗末に映ったと伝えられる。ヨーロッパには、アジアの人々が欲しがるものがほとんど無かった。売る物が無ければ、銀で払うか、力で奪うしかない。ポルトガルは要所の港を武力で押さえ、通行証を持たない船を襲う道を選んだ。1602年のオランダ東インド会社の設立で生まれた会社は、国から戦争と条約の権限まで与えられていた。会社はジャワ島のバタヴィアを拠点に、香辛料の産地を力で押さえていく。ナツメグを産する島は世界でも限られていた。1621年、総督クーンはバンダ諸島を武力で制圧し、島の人々の多くが殺され、飢えで死に、奴隷として連れ去られた。バンダ諸島の虐殺と香辛料の独占は、独占のために島を一つ空にした事件である。バンダ諸島の小島ランを持っていたイギリスは、のちにそれをオランダに渡し、代わりに北米のニューアムステルダム、いまのマンハッタンを確保した。

大西洋では、カリブの砂糖プランテーションのために数百万人のアフリカ人が運ばれた。アジアでは、イギリスが広州の茶貿易で茶を買い続け、その代金の銀が足りなくなると、インドで作らせたアヘンを中国に売り込んだ。それを取り締まった清と戦ったのがアヘン戦争である。インドの綿布も、同じ時代の争いの種だった。17世紀の末、インドの色鮮やかな綿布はイギリスで大流行し、国内の毛織物業者は職を奪われると訴えた。議会はインドの綿布の輸入や着用を制限する法律を作った。のちにイギリスが機械で綿布を作るようになると、立場は逆転し、インドの手織りの職人が市場を奪われることになる。本が繰り返し示すのは、交易が平和的な営みではなかったことになる。欲しい物を持つ相手が売ろうとしなければ、売らせる力が使われた。

アヘン戦争に関わる図版:Destroying Chinese war junks, by E. Duncan (1843)
アヘン戦争Wikimedia Commons Edward Duncan · Public domain

19世紀には、運ぶ技術そのものが変わった。1825年の鉄道の開業に始まる鉄道は、内陸の産物を港へ速く安く運べるようにした。蒸気船は風を待たずに海を渡り、1869年のスエズ運河の開通はロンドンとインドの間の航路を大きく縮めた。やがて冷凍船が南半球の肉をヨーロッパへ運ぶようになる。イギリスは1846年の穀物法の廃止で穀物の輸入を自由にし、自由貿易の旗を掲げた。

交易が広がるほど、得をする者と損をする者が分かれる。安い外国の品が入れば、消費者は喜び、同じ品を作っていた人々は職を失う。損をする側は、国に守ってほしいと声を上げる。本はこの綱引きが5000年変わらないと論じ、その最も苦い例として1930年のアメリカの関税引き上げを挙げる。各国が報復の関税で応じ、大恐慌のさなかに世界の貿易は大きく縮んだ。その反省が、第二次世界大戦後の自由貿易の枠組みにつながっていく。

20世紀の半ばには、地味な発明がもう一つの変化を起こした。1956年、アメリカの運送業者マルコム・マクリーンが、荷物を規格のそろった鉄の箱に入れ、トラックから船へ箱ごと積み替えて運び始めた。コンテナ輸送のはじまりである。それまで港で人手をかけて荷を積み降ろしていた手間と費用が大きく減り、世界中で部品を作って組み立てる今の経済が可能になった。港の風景も変わり、大勢の港湾労働者が荷を担いでいた波止場は、巨大なクレーンが箱を吊り上げる場所になった。

交易は世界を作り替えてきた。病も、宗教も、技術も、同じ船と隊商に乗って動いた。遠くの物を欲しがる気持ちは、ときに国を富ませ、ときに島を一つ空にした。いま手元にある品がどこから来たのかを考えることは、この5000年の続きを考えることでもある。

この物語は、本が追った品物と道を並べ直したものになる。本文は写していない。

この年表には交易を扱う物語がいくつもある。仕組みから見る『近代世界システム』、三層で見る『物質文明・経済・資本主義』、13世紀に別の世界があったと見る『ヨーロッパ覇権以前』。読み比べられる。

この物語が起きた場所

筋(12)

年代順に並べてあります。役どころが書いてあるものは、なぜこの物語に含まれるかを添えました。

  1. ウルク。都市というものの始まりできごと紀元前35世紀最初の長距離交易数万人が城壁の中に住んだ。分業も神殿も官僚も、ここで一度に現れている。ウルク
  2. ソグド商人のネットワークできごと400年絹の道サマルカンドを中心に、中国から黒海まで隊商の網を張った人びと。ソグド語が絹の道の共通語になり、仏教もマニ教もこの商人たちに運ばれた。サマルカンド
  3. 泉州の海上交易できごと1000年マルコ・ポーロが世界最大の港の一つと書いた町。ムスリムの商人が数万人住み、モスクとヒンドゥー寺院とマニ教の像が並んでいた。泉州
  4. シャンパーニュの大市できごと1150年年に六度、北の毛織物と南の香辛料がこの平野で出会った。伯爵が道中の安全と裁判を保証し、そこで為替と信用取引の作法が育つ。トロワ
  5. ネーデルラント連邦共和国国AD1581年(廃位布告) – AD1795年(フランス軍の侵入による崩壊)王を戴かない共和国が、80年戦ってスペインから独立した。人口200万の国が、17世紀の世界の海運の半分を握る。株式会社と証券取引所と中央銀行が、ここでほぼ同時に生まれた。
  6. 大英帝国国AD1607年(ヴァージニアの入植) – AD1997年(香港の返還)会社の商館から始まり、七年戦争でフランスを退け、19世紀に世界の陸地の4分の1を占めた。二つの大戦で疲れ、20年ほどでほとんどを手放す。
  7. バンダ諸島の虐殺と香辛料の独占できごとAD1621年香辛料をめぐる暴力ナツメグの木が世界でここにしか無かった。オランダ東インド会社が独占のために島民1万5000人のほとんどを殺すか奴隷にし、空いた土地に農園を作った。バンダ諸島(位置は特定されていない)
  8. カリブの砂糖プランテーションできごと1640年小さな島が、世界で最も利益の出る土地になった。砂糖のために数百万人が大西洋を運ばれ、ヨーロッパの食卓に甘さが日常として入る。工場に似た労働の管理も、ここで先に生まれた。バルバドス(位置は特定されていない)
  9. 広州の茶貿易できごと1700年イギリスが飲む茶の代金として、銀が中国へ流れ続けた。その流れを逆にするために持ち込まれたのがアヘンになる。飲み物の習慣が、戦争の理由になった。広州
  10. 鉄道の開業できごとAD1825年9月27日蒸気機関車が公共の交通になった。人と物が動く速さが桁で変わり、時刻という概念が全国で揃う。マンチェスター
  11. アヘン戦争できごと1840年清が英国に敗れ、香港を割いた。この敗北の報が、日本に開国の危機感をもたらす。南京
  12. スエズ運河の開通できごとAD1869年11月17日距離が縮むヨーロッパとアジアの距離が一気に縮まった。エジプトは建設の負債で英国の支配下に入る。スエズ運河

重なっているストーリー

同じできごとや人物を含む物語です。何件を共有しているかを添えました。

交易路とお金8件を共有 / 運ぶ/両替する/貸す。人と物が動くところには、いつも同じ仕組みが生えてくる。『サピエンス全史』で読む歴史5件を共有 / ハラリが人類史を三つの革命で切った本。その筋に沿って、このデータベースの項目を並べ直す。帝国と独立4件を共有 / 数十年で世界の大半が数か国のものになり、また数十年で戻った。『物質文明・経済・資本主義』で読む三つの層4件を共有 / 毎日の暮らし、市場での取引、そしてその上に乗る資本主義。ブローデルは経済を三層に分けた。『大分岐』で読む歴史3件を共有 / 1800年まで、長江下流とイングランドは同じくらい豊かだった。分かれたのは石炭と植民地のせいだ、という本。『ヨーロッパ覇権以前』で読む13世紀3件を共有 / 1250年から1350年まで、世界はすでに一つにつながっていた。ただし中心はヨーロッパではなかった。『近代世界システム』で読む歴史3件を共有 / 国ごとの発展を比べるのをやめる。16世紀からずっと、世界は一つの分業の仕組みとして動いてきた、という本。『リオリエント』で読む世界経済3件を共有 / 1800年まで、世界経済の中心はアジアだった。ヨーロッパは、その列に遅れて並んだ客にすぎない。中国の王朝2件を共有 / 殷から清まで3000年。王朝は替わっても、同じ型で替わり続けた。イスラム世界2件を共有 / 一世紀でイベリアからインダスまで。学問を受け継ぎ、育て、そして西へ返した。技術と産業2件を共有 / 道具が人を変え、その人がまた道具を作った。速さが加速していく話。都市の歴史2件を共有 / 人が密集して住むという異常な選択が、文明のほとんどを生んだ。『世界史』(マクニール)で読む歴史2件を共有 / 文明どうしが接触し、借り、競い合うことで歴史が動く。世界を一つの物語として書いた最初の教科書。『繁栄』で読む歴史2件を共有 / 人類が豊かになったのは交換のおかげで、悲観する理由はいつも外れてきた、という本。反論側も付けてある。『オリエンタリズム』で読む歴史2件を共有 / 西洋が「東洋」について語ってきたことは、東洋についての知識ではなく、西洋についての物語だった、という本。『砂糖の世界史』で読む世界商品2件を共有 / 一つの白い粒を追いかけると、カリブの奴隷とイギリスの朝食と産業革命が一本につながる。食の歴史2件を共有 / 何を食べるかは、誰が作り、どう運び、どう残すかで決まってきた。台所の外の仕組みの歴史になる。海の歴史2件を共有 / 海は人と物と病と戦争を運び、人はその海を測り、守り、汚してきた。ムンディ先生の講義で学ぶ歴史2件を共有 / 高校の先生「ムンディ先生」が、世界史と日本史を200講ずつで通した授業の動画。ここに並ぶ項目には、その講の動画が付いている。大航海時代1件を共有 / 海が壁ではなく道になった。二つの大陸が結ばれ、世界がひとつの市場になっていく。宗教改革と科学革命1件を共有 / 教会が独占していた「何が正しいか」の答えが、聖書と観測に明け渡されるまで。古代オリエント1件を共有 / 文字も法も都市も、まずここで生まれた。そして次々に主が入れ替わる2500年。インドと仏教1件を共有 / 一人の王子が始めた問いが、アショーカ王に拾われ、玄奘に運ばれ、東アジアへ届くまで。感染症と人類1件を共有 / 人が動くほど病も動いた。文明の広がりと感染の広がりは、同じ地図の上にある。草原の帝国1件を共有 / 匈奴からジュンガルまで、2500年のあいだ農耕世界の北にいた人たちの側から歴史を並べる。主権はだれのものか1件を共有 / 王が決めるのか、議会が決めるのか、国民が決めるのか。800年かけて答えが動いた。接触前のアメリカ1件を共有 / 旧大陸と行き来のないまま、農耕も都市も国家も別々に生まれた。3000年ぶんの、独立した実験。文明のはじまり1件を共有 / 農耕も都市も文字も、離れた場所で別々に始まった。そして始まった順序は、思っているのと違う。誰が書き残したか1件を共有 / 残っているものが全部ではない。誰の筆によるかで、同じ出来事が違って見える。コテンラジオで聞く歴史1件を共有 / ポッドキャスト「コテンラジオ」が取り上げた人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。『国家はなぜ衰退するのか』で読む歴史1件を共有 / 国境をひとつ挟んで豊かさが違うのは、地理でも文化でもなく制度のせいだ、という本。2024年のノーベル経済学賞の元になった。『疫病と世界史』で読む歴史1件を共有 / 歴史を動かしたのは王でも思想でもなく、目に見えない微生物だった、と最初に言い切った本。『万物の黎明』で読む歴史1件を共有 / 狩猟採集から農耕へ、村から都市へ、そして国家へ。その一本道の筋書きそのものが間違いだ、という本。『負債論』で読む歴史1件を共有 / お金は物々交換の不便から生まれた、という話は史料に無い。先にあったのは借りのほうだ、という本。『1491』『1493』で読む新大陸1件を共有 / コロンブス以前のアメリカは人の少ない原野ではなかった。以後の世界は、生き物の大移動でできている。『反穀物の人類史』で読む歴史1件を共有 / 人が穀物を育てたのではなく、穀物と国家が人を囲い込んだ。最初の国家は、なぜ壁の内側に人を閉じ込めたのか。『暴力と不平等の人類史』で読む格差1件を共有 / 格差を大きく縮めたのは、改革ではなく破局だった。戦争、革命、国家の崩壊、疫病の四つしかない、という本。『収奪された大地』で読むラテンアメリカ1件を共有 / 500年の歴史を、何が持ち去られたかで書く。金、銀、砂糖、ゴム、コーヒー、銅、石油。お金の歴史1件を共有 / 金属の塊が、紙になり、数字になった。お金が成り立っているのは、皆が信じているあいだだけになる。中田敦彦のYouTube大学で学ぶ歴史1件を共有 / 「中田敦彦のYouTube大学」が講義した世界史・日本史・偉人伝の人物とできごと。ここに並ぶ項目には、その回の動画が付いている。交通と旅の歴史1件を共有 / 人が速く遠くへ動けるようになるたびに、世界は狭くなり、旅は一部の人の冒険から誰もの楽しみになった。
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