人物

ナルメル

Narmer
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エジプト第1王朝重要度 3

概要

上下エジプトを統一したとされる王。化粧板に彫られた姿が、王という形の最初の表現になっている。

関わったできごと(1)

上下エジプトの統一BC3100年頃(年代には幅がある) · 当人

本文

上下エジプトを統一したとされる王。紀元前3100年頃の人とされるが、年代には100年ほどの幅がある。生まれた年も、死んだ年も、在位の長さも分からない。

ナルメルのパレット(ロイヤル・オンタリオ博物館)
ナルメルのパレット(ロイヤル・オンタリオ博物館)Wikimedia Commons No machine-readable author provided. Captmondo assumed (based on copyright claims). · Public domain

ナイル川の流域では、紀元前4千年紀を通じて、上エジプト(南の谷あい)と下エジプト(北のデルタ)にそれぞれ農耕の村が育ち、やがて町と首長の国ができた。南のナカダやヒエラコンポリス、アビドスには、王と呼べる者たちの大きな墓が現れる。研究者はナルメルより前の王たちを「第0王朝」と呼び、蠍の印を名に持つ王などが知られている。統一は一人の王が一度の戦いで成し遂げたものではなく、何世代もかけて南の勢力が北へ広がっていった結果だった、と考えられている(上下エジプトの統一)。

根拠のほとんどが、一枚の化粧板になる。1897年から翌年にかけて、イギリスの考古学者クィベルとグリーンが、上エジプトのヒエラコンポリスの神殿跡で、奉納品を埋めた穴から見つけた。高さ64センチ、緑がかった灰色のシルト岩の板で、いまはカイロのエジプト博物館にある。化粧板とは、本来は目の周りに塗る顔料をすりつぶすための石の板で、この板の片面の中央にも、すり皿にあたる丸いくぼみがある。ただし、これほど大きく、両面に細かな浮き彫りを施した板は、実際に使うためではなく、神殿に捧げるために作られたものと見られる。

ナルメルのパレット(表面)
ナルメルのパレット(表面)Wikimedia Commons Public domain

両面の最上部には、牛の頭をした女神の顔が左右に並び、そのあいだに王の名が刻まれている。王宮の正面をかたどった枠の中に、ナマズを表す字と、のみを表す字。この二つで「ナルメル」と読む。エジプトの文字が、王の名を書き記すまでに育っていたことを示す早い例である。同じころ、メソポタミアでも文字が生まれようとしていた(楔形文字の成立)。

片面で、上エジプトの白冠をかぶった王が、ひざまずく敵の髪をつかんで棍棒を振り上げている。王の前では、ハヤブサの姿の神ホルスが、パピルスの生えた土地から伸びる人の頭を縄で引いている。北のデルタを服従させたことを表すと読まれる。もう片面で、下エジプトの赤冠をかぶって行進している。行列の先には、首を切られて並べられた敵の遺体があり、下の段では、雄牛が城壁を突き崩している。中央では、二頭の首の長い獣が首を絡ませ、それを人が綱で押さえている。

ナルメル王のパレット
ナルメル王のパレットWikimedia Commons anonymous · Public domain

二つの冠が同じ人物に描かれた最初の例になる。棍棒を振り上げて敵を打つ王の姿は、その後3000年にわたって、エジプトの神殿の壁に繰り返し描かれる型になった。化粧板に彫られた姿が、王という形の最初の表現になっている。

この板が実際の統一を記録したものなのか、儀礼のための象徴的な図なのかは議論がある。ある年の戦いの記念なのか、王がふつう行う儀式の場面なのか、あるいは王の力そのものを表す図案なのか。板の絵は、それだけでは何も語らない。

アビドス出土のアラバスター製壺に刻まれたナルメルのセレク(王名標)
アビドス出土のアラバスター製壺に刻まれたナルメルのセレク(王名標)Wikimedia Commons Petrie 1901 RT II pl. 2.3 · Public domain

ナルメルの墓は、アビドスの王たちの墓地にある。煉瓦で内張りした二つの部屋からなる、のちのピラミッドとは比べものにならない質素な墓である。第1王朝の後の王たちの墓から出た封泥には、歴代の王の名が順に並べられたものがあり、その先頭にナルメルの名が置かれている。王朝の人々自身が、ナルメルを始まりの王と見ていたことが分かる。ナルメルの名を刻んだ土器は、遠くパレスチナの南部の遺跡からも見つかっていて、エジプトの勢力や交易がそこまで及んでいたことをうかがわせる。

メネスという伝説の初代王と同一人物か、という問題も決着していない。メネスの名は、ずっと後の紀元前5世紀にヘロドトスが、紀元前3世紀に神官マネトが、エジプト最初の王として伝えたものである。ナルメルと次の王ホル・アハのどちらかがメネスにあたると考える研究者が多いが、メネスは複数の王の記憶を重ねた伝説の人物だとする見方もある。

ナルメル王の所領を示す泥製の封印(メトロポリタン美術館)
ナルメル王の所領を示す泥製の封印(メトロポリタン美術館)Wikimedia Commons CC0

ナルメルの後、第1王朝は北の境に近いメンフィスを都として整え、王の力は急速に大きくなった。500年ほど後には、ギザの大ピラミッドが建てられる(ギザの大ピラミッド建設)。エジプト3000年の始まりに置かれる人物について、確かなことは、名前と、この一枚の板しかない。

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