鉄が広まる
概要
青銅は錫と銅が要り、どちらも遠くから運ぶしかない。鉄鉱石はどこにでもある。武器も農具も、遠距離交易に頼らずに作れるようになった。ヒッタイトが独占していたという通説は、いまは疑われている。
場所
40.02°N 34.62°E · トルコ・チョルム県
本文
青銅は、銅に錫を1割ほど混ぜた合金になる。銅だけより硬く、溶かして型に流し込める。前3千年紀から前2千年紀にかけて、エジプト、メソポタミア、アナトリア、エーゲ海の王国は、武器も農具も飾りも青銅で作っていた。
弱点は材料だった。銅の産地は限られ、錫はさらに少ない。東地中海の錫は、遠く中央アジアのアフガニスタンのあたりから陸路で運ばれたものが多かったと考えられ、のちにはイベリア半島やブリテン島からも運ばれる。トルコ南岸の沖で見つかった前14世紀のウルブルンの沈没船には、銅の延べ板約10トンと錫約1トンが積まれていた。ちょうど青銅を作る割合になる。宮殿と宮殿を結ぶ長い交易網が切れれば、青銅は作れなくなる。

鉄鉱石は、ほとんどどこにでもある。それでも鉄が広まらなかったのは、扱いが難しいからだった。銅は約1085度で溶けるが、純粋な鉄は1500度を超えないと溶けない。古代の炉ではそこまで上がらない。人が最初に使った鉄は、空から落ちてきた隕鉄だった。ツタンカーメンの墓から出た鉄の短剣も、隕鉄で作られていたことが2016年の分析で分かっている。鉄は金より貴重な、王の宝だった。
解決は「溶かさない」ことだった。炭と鉱石を炉で燃やすと、1200度ほどで、鉄は溶けないまま、かすを含んだ海綿のような塊になる。これを熱いうちに叩き、かすを絞り出して鉄にする。鍛冶という工程になる。炭の中で長く熱すると表面に炭素が入って硬くなり、赤めて水に入れるとさらに硬くなる。そうした技は、長い試行の末に身についた。出来上がった鉄は、うまく作れば青銅より強い。何より、材料が足もとで手に入る。
前1200年ごろ、東地中海の青銅器の世界が崩れた。ヒッタイトの王国が消え、シリアの港町ウガリトが焼かれ、ギリシアのミケーネの宮殿が滅び、エジプトは海の民の侵入と青銅器時代の終わりの襲来を退けたものの、力を失っていった。原因は、干ばつ、地震、反乱、移動する人びとの襲撃など、いくつもが重なったと考えられている。長い距離の交易網は寸断された。
錫が来なくなった時期と、鉄が広まる時期は重なる。前12世紀から前11世紀にかけて、キプロスとレヴァントで実用の鉄の刃物が増え、前10世紀から前9世紀には、ギリシアや西アジアの広い地域で鉄が日用の金属になっていく。足りなくなった錫の代わりを求めて、必要が技術を押し出した、という説明がよく行われる。ただし、錫の不足が本当にそれほど深刻だったのか、鉄はむしろ別の事情で少しずつ広まったのではないか、と疑う研究者もいる。
旧約聖書のサムエル記には、ペリシテ人がイスラエルの土地に鍛冶屋を置かせず、イスラエルの人びとは鋤や斧を研ぐのにもペリシテ人のところへ下っていった、という話がある。金属を扱える者が力を持った時代の記憶として、よく引かれる一節になる。
ヒッタイトが製鉄の技術を独占し、そのおかげで強大だったという話は、長く教科書に書かれてきた。ヒッタイトの王がアッシリアの王に宛てた手紙に、良い鉄はいま手元に無いので送れない、という一節があり、鉄を管理していた証拠とされた。しかしいまは疑われている。ヒッタイトの遺跡から出る鉄器の量は、独占で軍を強くしたと言えるほど多くない。手紙もむしろ、鉄がまだ少なく貴重だったことを示していると読める。ヒッタイトの強さは、鉄よりも戦車と外交によるところが大きかった(カデシュの戦い、エジプト・ヒッタイト平和条約)。

鉄の時代は、世界のあちこちで別々の道をたどった。前9世紀からのアッシリアは、鉄の武器をそろえた軍で広い地域を征服していく。インドではガンジス川の流域で、森を切り開く斧と鋤に鉄が使われた。中国は、高い温度で鉄を溶かして型に流す鋳鉄の技術を早くから発達させ、漢の時代には鉄を国の専売にするかどうかが朝廷で論じられた(塩鉄会議)。
鉄は王の宝から、農民の道具になった。遠くの鉱山と船団と宮殿を押さえた者だけが金属を持てる時代が終わり、村の鍛冶屋が鋤を打てる時代が来た。青銅器時代の終わりの後に来た世界の、最も大きな変化の一つになる。