概要
クレタ島クノッソスで見つかった粘土板の文字。50年、誰も読めなかった。建築家マイケル・ヴェントリスは14歳でエヴァンズの講演を聞いて取り憑かれ、余暇に取り組んだ。記号の出現位置を統計的に整理し、格子状の表に並べ、音節の対応を推測した。そして自分の予想に反する結論に達した。この言語はギリシア語である。ミケーネ文明がギリシア語を話していたことが、これで確定した。粘土板の中身は、羊の頭数と油の配給の記録だった。彼は4年後、34歳で交通事故で死んだ。
場所
51.51°N -0.13°E · イギリス・イングランド
関わった人(1)
マイケル・ヴェントリスAD1922年7月12日–AD1956年9月6日 · 解いた本文
**発見**。
1900年、イギリスの考古学者**アーサー・エヴァンズ**が、クレタ島のクノッソスを発掘した。
そこに、巨大な宮殿があった。彼はこれを、伝説のミノス王の宮殿と考え、**ミノア文明**と名づけた。
そして、**粘土板**が大量に出た。焼き固められていた(宮殿が火災で焼けたとき、日干しの粘土板が偶然、焼成された)。
文字は、三種類あった。
- **絵文字**(クレタ聖刻文字) - **線文字A** - **線文字B**
エヴァンズは、線文字Bの粘土板を約3000枚(後にギリシア本土のピュロスとミケーネからも出土し、総数は5000枚を超える)確保した。
そして、**発表しなかった**。
彼は、自分で解読するつもりだった。生きている間に、ごく一部しか公刊しなかった。他の研究者は、材料にアクセスできなかった。
1941年、エヴァンズ死去。90歳。解読できていなかった。
**謎**。
- 記号の数は約90。多すぎてアルファベット(20〜30)ではなく、少なすぎて漢字のような表語文字ではない。→ **音節文字**らしい。 - 数字と、それに続く物の絵(羊、麦、壺、車輪)があるので、**帳簿**らしい。 - 何語なのか、分からない。
**当時の常識**。
エヴァンズは、ミノア文明はギリシア人以前の、非ギリシア系の文明であると確信していた。
彼にとって、クレタが先で、ギリシア本土のミケーネはその属領である。だから、**線文字Bはギリシア語ではありえない**。
この見解が、分野を支配した。候補として挙げられたのは、エトルリア語、バスク語、ヒッタイト語、そして未知の「エーゲ語」。
**マイケル・ヴェントリス**。
1922年生まれ。父は陸軍軍人、母は建築とデザインに関心の深い女性。
言語の才能が異常だった。6歳でポーランド語の本を読み(母方にポーランドの血縁があった)、スイスの学校でフランス語とドイツ語で授業を受け、独学でスウェーデン語を習得した。
**1936年**、14歳。ロンドンのバーリントン・ハウスで、85歳のエヴァンズが、線文字Bの粘土板について講演した。
少年が質問した。「**それは、まだ誰にも読めないのですか**」。
以後、彼はこの問題を離れなかった。
18歳のとき、彼は最初の論文を『**アメリカ考古学誌**』に投稿した。「ミノアの粘土板に書かれた言語は、**エトルリア語**であろう」。
(学会誌は、投稿者が高校生であることを知らなかった。)
**本業**。
彼は建築家になった。ロンドンの建築学校を出て、教育省の建築部門で学校の設計をした。
第二次大戦中は、空軍の航法士としてランカスター爆撃機に乗った(ドイツ語ができたため、無線の傍受も担当した)。
解読は、**余暇**の仕事である。夜と週末。
**方法**。
彼が使ったのは、言語の知識ではない。**統計と、記号の配置の分析**である。
(1)**どの記号が、語の初めに現れ、どの記号が終わりに現れるか**を、全部数える。
(2)語尾の変化に注目する。同じ語幹に、違う語尾が付く組み合わせを探す。これは、**屈折語**(語尾が変化する言語)の証拠になる。
(3)**格子(グリッド)**を作る。
これが彼の独創である。
音節文字なら、各記号は「子音+母音」を表す。同じ子音の記号は、縦の列に。同じ母音の記号は、横の行に。
どの子音・どの母音かは分からない。しかし、「この記号とこの記号は、**同じ母音を共有する**」という関係だけなら、語尾の変化のパターンから推測できる。
彼は、この格子を、何度も作り直した。
(4)**作業ノート**。彼は、自分の考えの経過を「Work Notes」として印刷し、世界中の関心を持つ研究者に送り続けた。全20号。最後の号が、解読の報告になる。
**鍵**。
アメリカの研究者**アリス・コーバー**(ブルックリン・カレッジのラテン語教師。1950年に43歳で癌で死んだ)が、既に重要な仕事をしていた。
彼女は、粘土板の語を、手作りのカードに整理し(紙が手に入らない戦時中、たばこの箱を切って使った。18万枚)、語尾の変化の3組の連鎖を発見していた。
ヴェントリスは、彼女の成果の上に立っている。
そして、もう一つの鍵。
**固有名詞**。クレタ島の**地名**は、ギリシア語化する前から変わっていない可能性が高い。
彼は、格子から得た音の候補を、クノッソス(**ko-no-so**)、アムニソス(**a-mi-ni-so**)、トゥリソス(**tu-ri-so**)といった地名に当てはめた。
合った。
そして、当てはめた音価で、他の語を読んでみた。
**po-me** = ποιμήν(羊飼い)。 **ke-ra-me-u** = κεραμεύς(陶工)。 **ka-ke-u** = χαλκεύς(銅細工師)。 **ti-ri-po-de** = τρίποδε(三脚の鼎、双数形)。
**ギリシア語だった**。
**1952年6月**。
彼は、自分の予想が外れたことを認めた。彼はずっと、エトルリア語だと考えていた。
Work Note 20 の冒頭に、彼は書いた。
「私の作業の過去数週間の展開は、**私が長く保持してきた仮説を、放棄せざるを得ない結果**に導いた。……**線文字Bの言語は、ギリシア語である**。5世紀も古い、そして扱いにくい形のギリシア語ではあるが、ギリシア語である」。
1952年7月1日、彼はBBCのラジオでこれを発表した。
**チャドウィック**。
その放送を聞いた一人が、ケンブリッジのギリシア語学者**ジョン・チャドウィック**。彼は暗号解読の経験(戦時中、日本語の暗号を扱っていた)と、ギリシア語の古い方言(アルカディア=キプロス方言)の専門知識を持っていた。
彼はヴェントリスに手紙を書き、協力が始まった。
1953年、二人の共著論文『ミケーネ文書におけるギリシア語方言の証拠』が『ヘレニック研究誌』に載った。
**確証**。
同じ1953年、アメリカのカール・ブレーゲンが、ピュロスで発掘した粘土板(まだ誰も見ていない、新しいもの)を、ヴェントリスの音価表で読んでみた。
ある粘土板に、三本脚の鼎の絵があり、その横に **ti-ri-po-de** と書かれていた。
四耳の壺の絵の横に、**qe-to-ro-we**(τετρα-ϝῶτες、四つの耳)。
絵と、文字が、一致した。
ブレーゲンは、ヴェントリスに手紙を書いた。「**あなたの音価表を、この新しい資料に当てはめてみました。……これは偶然ではありえません**」。
**帰結**。
(1)**歴史**。ミケーネ文明(前1600〜1100年)の人々は、**ギリシア語を話していた**。ギリシア語の歴史が、ホメロスより500年以上遡った。
エヴァンズの「クレタが先、本土は属領」という図式は逆転した。線文字Bの粘土板はクノッソスからも出るので、ある時期、**ミケーネ人がクレタを支配していた**ことになる。
(2)**内容**。粘土板に、詩も、歴史も、法も、書かれていなかった。
書かれていたのは、**帳簿**である。
- 羊の頭数(クノッソスの粘土板の羊の総数は、10万頭近くになる) - 油、穀物、蜂蜜、香料の配給 - 職人の名簿と、その職種 - 戦車の車輪の在庫(「使用可能な車輪、○組」「壊れた車輪、○組」) - 神々への供物(**ポセイドン**、**ゼウス**、**ヘラ**、**ディオニュソス**の名がある。ディオニュソスは後代の神と考えられていたので、これは驚きだった) - そして、女性と子どもの労働者の名簿。おそらく、奴隷。
日付は書かれていない。年をまたぐ記録がない。**1年分の在庫管理**である。
宮殿が焼けた年の、帳簿だけが、焼き固められて残った。
(3)**線文字A**は、いまも読めない。記号の音価は線文字Bから推定できるが、それで読んでも、意味のある言語にならない。ミノア語は、未知の言語である。
**ヴェントリス**。
1953年、大英帝国勲章。
1956年、チャドウィックとの共著『**ミケーネ・ギリシア語文書**』を脱稿。
**1956年9月6日**、深夜。ロンドン北方のA1号線を運転中、駐車していたトラックに追突した。即死。
**34歳**。
共著は、彼の死の数週間後に出版された。
事故の状況——深夜、直線道路、他に車がない——から、自殺だったのではないかという推測が、繰り返し語られている。彼が解読の後、目的を失っていたこと、建築の仕事に満足していなかったことが、根拠として挙げられる。
証拠はない。
チャドウィックは、共著の第2版(1973年)の序で、彼についてこう書いた。
「彼の心は、驚くべき速さで働いた。……彼は、自分が間違っていることを認めるのに、少しもためらわなかった。**これは、偉大な学者の稀な美徳である**」。