できごと

ミダス王のフリギア

Midas of Phrygia
BC720年頃
年に諸説あり重要度 3
古シベリアの狩猟採集民サハラの牧畜遊牧民フィン・ウゴル系タイガの狩猟採集民カラスク文化西アフリカの穀作農民北欧青銅器時代の諸文化イラン系の牧畜民キンメリアドラヴィダ系の人びとアラビアの牧畜遊牧民骨壺墓地(アーンフィールド)文化サーミ新アッシリア帝国ベルベル系の人びとヴェーダ期のアーリヤ人ケルティベリア人ヒッタイトアラム人エラム国家群とアラム系諸王国ウラルトゥクシュ王国トラキアイリュリア人エジプトフリュギア人新アッシリア帝国イスラエル王国ギリシア諸ポリスBabyloniaGandhara grave cultureサバア王国BC720年頃ゴルディオン
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC720年頃の版図を描いています(32勢力)。

概要

触れるものが金になる王は、アッシリアの記録に「ムシュキのミタ」として出てくる。実在した。デルフォイに最初に奉納した異邦人で、キンメリア人に都を焼かれて牛の血を飲んで死んだと伝わる。ゴルディオンの大墳墓は父の墓。

場所

ゴルディオン
39.66°N 31.99°E · トルコ・アンカラ県

関わった人(1)

ミダス?–BC696年頃 · 王

本文

触れるものがすべて金になる王の話は、誰もが一度は聞いたことがあるだろう。その王ミダスは、神話の中の人物であると同時に、実在した王でもあった。

BC12世紀ごろ、アナトリア(いまのトルコ)を支配していたヒッタイトの国が崩れたあと、アナトリアの中央部には、バルカン半島から渡ってきたとされる人々が住み着いた。のちのギリシア人がフリギア人と呼んだ人々である。彼らはサンガリオス川(いまのサカリヤ川)のほとりのゴルディオンを都とし、BC8世紀には、東の新アッシリア帝国とも渡り合うほどの国を築いた。

ナサニエル・ホーソーン版による神話におけるミダース王。王が娘に触ったとき、娘は彫像と化した。1893年発行版のウォルター・クレインによる絵。
ナサニエル・ホーソーン版による神話におけるミダース王。王が娘に触ったとき、娘は彫像と化した。1893年発行版のウォルター・クレインによる絵。Wikimedia Commons Walter Crane · Public domain

アッシリアの王サルゴン2世の年代記には、BC8世紀の終わり、「ムシュキのミタ」という王がたびたび登場する。ミタはアナトリアの東南の小国々と組んでアッシリアに逆らったが、BC709年ごろには使者を送ってサルゴンに貢ぎ物を納めた、と記されている。ムシュキはアッシリアの人々がフリギア人を指した呼び名と考えられ、このミタこそ、ギリシアの伝承のミダスだとする見方が広く受け入れられている。神話の王は、同じ時代の外国の記録にその名を残していたのである。

都ゴルディオンの跡には、いまも大小の古墳が並ぶ。中でも最大の古墳は、高さ50メートル以上、直径300メートル近い巨大な土の山で、「ミダス塚」と呼ばれてきた。1957年、アメリカの調査隊がトンネルを掘って中心まで進み、手つかずの木の墓室を見つけた。中には60代の男性の骨が横たわり、150を超える青銅の器や、精巧な象嵌をほどこした木の卓や台が残されていた。墓室の木の年輪から、墓が造られたのはBC740年ごろと分かり、ミダスが活躍した時代より少し早い。そのため、いまでは、ミダスの父か先代の王の墓で、ミダスが葬ったものだと考えられている。器の中には葬儀の宴の残りがこびりついていて、のちの化学分析で、羊やレンズ豆の煮込みと、葡萄酒と麦酒と蜂蜜酒をまぜた飲み物だったことが分かった。この分析をもとに、その飲み物を再現したビールまで造られている。

ミダース王の王墓(再現したもの)
ミダース王の王墓(再現したもの)Wikimedia Commons Georges Jansoone ( JoJan ) · Public domain

ギリシア人の間では、ミダスは富と愚かさの両方の象徴として語られた。ローマの詩人オウィディウスの『変身物語』によれば、ミダスは、酒の神ディオニュソスの師シレノスが酔って迷い込んだのを手厚くもてなして返した。喜んだ神が望みを一つかなえると言うと、ミダスは触れるものがすべて金になることを望んだ。ところが、パンも水も口に入れたとたんに金に変わり、食べることも飲むこともできない。ミダスは願いを取り消してくれと神に頼み、パクトロス川で身を洗うよう告げられた。以来この川から砂金が採れるようになった、というのが話の結びである。パクトロス川は実際に、西のリュディアの国に砂金をもたらした川で、のちにリュディアは世界で初めての硬貨を造る(リュディアの鋳造貨幣)。

同じ『変身物語』には、ロバの耳の話もある。アポロンと牧神パンが音楽の腕を競ったとき、ミダスだけがパンの笛のほうが良いと言った。怒ったアポロンは、ミダスの耳をロバの耳に変えてしまう。王はそれを帽子で隠したが、髪を切る床屋にだけは隠せなかった。黙っていられなくなった床屋は、地面に穴を掘って秘密をささやき、土をかぶせた。するとそこに生えた葦が、風に揺れるたびにその言葉をささやいた、という。

ミダスの審判(アブラハム・ヤンセンス画)
ミダスの審判(アブラハム・ヤンセンス画)Wikimedia Commons Abraham Janssens I · Public domain

ミダスは、ギリシアの世界ともつながっていた。ヘロドトスは『歴史』の中で、異国の王としてデルフォイの神殿に供え物をしたのは、リュディアのギュゲスより前にミダスがいて、自分が裁きの座に用いた玉座を奉納した、と書いている。

ミダスの最期について、ギリシアの地理学者ストラボンは、キンメリア人が攻め込んできたとき、ミダスは牛の血を飲んで自ら命を絶ったと伝える。後の年代記はこれをBC696年ごろのこととする(キンメリア人のゴルディオン破壊)。ただ、ゴルディオンで見つかった大きな焼け跡は、年代を測り直すとBC800年ごろのものと分かり、キンメリア人とは関係がないことになった。ミダスの最期とフリギアの衰えがどう結びつくのかは、まだはっきりしない。フリギアはやがて西のリュディアの勢力下に入った。

ゴルディオンの名は、アレクサンドロス3世が都に残された荷車の結び目を剣で断ち切ったという話(ゴルディオンの結び目)で、2000年以上ものあいだ知られていた。だが、その都がどこにあったのかを知る者はいなかった。1900年、ドイツの考古学者の兄弟が、アンカラの西の村の近くで、その跡を突き止めた。金に変わる手の王は、土の山の下に、思いのほか確かな足跡を残していた。

同じ時代のできごと

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