できごと

ギザの大ピラミッド建設

Great Pyramid of Giza
BC2560年頃
年に諸説あり重要度 5
BC2560年頃ギザ
このできごとには、まだ自由に使える図版が見つかっていません。 代わりに、このデータベースが持っているBC2560年頃の版図を描いています。

概要

古王国のクフ王が築いた。3800年にわたり世界で最も高い建造物であり続けた。

場所

ギザ
29.98°N 31.13°E · エジプト・ギザ県

本文

エジプトの古王国の時代、王の墓は少しずつ形を変えた。最初は泥煉瓦の台のような墓だったが、第3王朝のジェセル王は、石を六段に積み上げた階段ピラミッドを造らせた。第4王朝の初めのスネフェル王は、三つものピラミッドを造らせ、途中で傾きを変えた屈折ピラミッドを経て、初めて表面のなめらかな真正のピラミッドを完成させた。その息子クフ王が、カイロの西のギザの台地に造らせたのが、大ピラミッドである。紀元前2560年ごろのことと考えられている。

完成したときの高さは約147メートル。いまは頂上の部分が失われて139メートルほどになっている。底辺の一辺は約230メートルで、四辺は東西南北にきわめて正確に向けられ、そのずれは1度の何十分の一にすぎない。3800年のあいだ、地上で最も高い人工物だった。記録が破られるのは、14世紀の初めに尖塔を備えたイギリスのリンカン大聖堂である。

ギザの大ピラミッド
ギザの大ピラミッドWikimedia Commons Radosław Botev · CC BY 3.0 pl

使われた石は230万個と推計される。平均すれば一つ2トンを超える。20年で積んだとすれば、1日に300個以上。昼夜を分けずに5分に1個の計算になる。石の大半は台地のすぐ近くで切り出された石灰岩だったが、外側を覆う白く美しい化粧石は、ナイル川の対岸のトゥラから運ばれた。王の玄室の花崗岩は、800キロ南のアスワンから運ばれている。

その運搬の様子を伝える記録が、2013年に見つかった。紅海の沿岸の古い港の跡から出たパピルスに、メレルという役人の日誌が書かれていたのである。メレルは200人ほどの部下を率い、トゥラで切り出した石灰岩を船に積んで、ナイル川と運河を通ってギザへ運んでいた。日付はクフ王の治世の後半にあたる。現存する最古の、文字の書かれたパピルスの一つで、ピラミッドの建設にかかわった人の書いたものとしては唯一である。

上空からみた三大ピラミッド 一番左が大ピラミッド
上空からみた三大ピラミッド 一番左が大ピラミッドWikimedia Commons Robster1983 at English Wikipedia · CC0

王の遺体を安置した玄室の上には、重みを逃がすための五つの小部屋が重ねられている。その一つの壁から、建設に当たった作業班が書き残した落書きが見つかっており、そこにクフ王の名が記されていた。大ピラミッドがクフ王のものであることを示す、確かな証拠の一つである。

ピラミッドをどう積み上げたのかは、いまも分かっていない。まっすぐな長い傾斜路を造ったという説、ピラミッドの周りにらせん状の道を巡らせたという説、内部に傾斜路があったという説などが出されている。石を載せたそりを引くとき、前の砂に水をまいて滑りやすくしていたことは、別の王の墓の壁画からうかがえる。

奴隷が鞭で打たれて造ったという姿は、映画や物語で広まったもので、いまの研究では否定されている。紀元前5世紀にエジプトを訪れたギリシアのヘロドトスは、10万人が3か月交代で20年働いたと書いた(ヘロドトス『歴史』)。だがヘロドトスが訪れたのは建設から2000年以上も後のことで、クフ王を神殿を閉ざした暴君として描くなど、彼の記述には現地で聞いた噂話が多く混じっている。

ヘロドトス『歴史』に関わる図版:POxy v0017 n2099 a 01 hires
ヘロドトス『歴史』Wikimedia Commons Unknown · Public domain

1990年代、ギザの台地の南の一角から、労働者の集落と墓地が見つかった。そこからは、大規模なパン焼き場やビールの醸造所、魚や牛の骨が出た。墓に葬られた人々の骨には、骨折が治療されて治った跡や、手足を切断した後も生き延びた跡があった。労働者の墓には、ピラミッドのそばに葬られることを誇りにした碑文も残る。奴隷を王の墓のそばに葬りはしない。

働き手の中心は、技術を持った常勤の職人たちと、交代で動員された農民たちだったとみられている。ナイル川が氾濫して畑が水に浸かる季節には、農民の手が空く。そうした人々が、食料と引き換えに働いた国家の事業に近い、と見られている。最も多いときで2万から3万ほどが働いたとする推計がある。

ギザのピラミッド群
ギザのピラミッド群Wikimedia Commons Olaf Tausch · CC BY 3.0

これほどの建造物を造らせたクフ王自身の姿は、ほとんど分かっていない。確かにクフ王と分かる像は、アビドスで見つかった、高さわずか7.5センチほどの象牙の小像だけである。ピラミッドの脇からは1954年、解体して埋められていた長さ40メートルを超える木造の船が見つかり、組み立て直されている。

大ピラミッドの謎は、いまも尽きない。2017年には、宇宙から降り注ぐ素粒子を使って内部を透視する調査で、大回廊の上に大きな空間があることが分かった。その正体はまだ確かめられていない。古代ギリシア人が数えた世界の七不思議のうち、今も残っているのは、この大ピラミッドだけである。

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Wikimedia Commons john and edgar morton · Public domain

いまの大ピラミッドは、表面が階段状に見える。完成したときには、全体が白く磨かれた化粧石に覆われ、日の光を照り返していた。その化粧石の大半は、14世紀にカイロを襲った大地震の後、町の再建のために剝がされて持ち去られたとされる。いま観光客が入る入口の一つも、9世紀にアッバース朝のカリフが財宝を求めて掘らせた盗掘の穴だと伝えられている。4500年の間に、ピラミッドは墓から石切り場へ、そして世界中から人が訪れる遺跡へと役目を変えてきた。

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