ダビデ
概要
羊飼いの末の子が、巨人を倒し、王に嫌われて逃げ、王になった。エルサレムを都にした。詩篇の作者とされ、メシアはその子孫から出るとされた。
関わったできごと(1)
ダビデのエルサレムBC1000年頃 · 王本文
ダビデの生涯は、主に旧約聖書のサムエル記と列王記、歴代誌が語っている。紀元前1000年頃、イスラエルの王になったとされる人である。聖書の物語は、その数百年後にまとめられたもので、どこまでが史実かは研究者の間で大きく意見が分かれる。以下は、まず聖書の語るところである。

ベツレヘムの羊飼いエッサイの八人の息子の末の子だった。初代の王サウルが神の命に背いたため、預言者サムエルは新しい王を探しに来て、兄たちではなく、野で羊の番をしていた少年ダビデに油を注いだ。
ダビデが王に仕えるようになったいきさつは、聖書に二通り書かれている。一つは、悪い霊に苦しむサウルの心を、竪琴を弾いて鎮めたという話。もう一つは、ペリシテ人の巨人ゴリアテを石投げの一撃で倒したという話である。別の箇所では、ゴリアテを倒したのはエルハナンという別の兵士だと書かれていて、いくつもの伝承が重ねられたことがうかがえる。

戦で手柄を立てたダビデは、民に「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った」と歌われた。王の息子ヨナタンとは固い友情で結ばれ、王の娘ミカルを妻にした。だが王は人気を妬み、槍を投げつけて殺そうとした。ダビデは逃げた。荒れ野の洞窟に隠れ、追ってきたサウルを殺す機会を得ても、神が油を注いだ王に手をかけることはできないと言って、衣の裾を切り取るだけにとどめた。やがて敵であるペリシテ人の王のもとに身を寄せ、手勢を率いて暮らした。
サウルとヨナタンがペリシテ人との戦いで死ぬと、ダビデは「ああ、勇士たちは倒れた」と嘆く歌を作った。その後、南のユダの部族の王になり、7年半の後、北の部族も含めたイスラエル全体の王になった。

ダビデは、どの部族の土地でもなかった町エルサレムを攻め取り、都に定めた(ダビデのエルサレム)。神との契約のしるしである「契約の箱」を運び込み、その前で喜び踊った。王が裸同然で踊るのを見た妻ミカルは、心の中で彼をさげすんだ。神は預言者ナタンを通じて、ダビデの王家がとこしえに続くことを約束した。
王の物語は、英雄の話だけで終わらない。ある夕方、屋上から水浴びする女性バテシバを見て、宮殿に呼び寄せた。彼女が身ごもると、夫で忠実な兵士のウリヤを、戦の最前線に送って死なせ、バテシバを妻にした。預言者ナタンは王の前で、貧しい者のたった一匹の子羊を奪った金持ちの話をした。王が怒って、その男は死に値すると言うと、ナタンは言った。「あなたがその人です」。ダビデは罪を認めた。生まれた子は死に、のちにバテシバはソロモンを産んだ。

晩年は家族の争いに苦しんだ。息子アムノンが異母妹を辱め、その兄アブサロムがアムノンを殺した。アブサロムはやがて父に背いて反乱を起こし、ダビデはエルサレムから逃げ出すことになる。戦いの中で、アブサロムは長い髪を木の枝に絡め取られ、将軍ヨアブに討たれた。知らせを聞いたダビデは、「わが子アブサロム、わが子よ。私がおまえに代わって死ねばよかった」と泣いた。最後は、王位を争う息子たちの中からソロモンを後継に定め、40年の治世を終えて死んだとされる。
旧約聖書の詩篇150篇のうち、70あまりの篇に「ダビデの」という題が付いている。のちのユダヤの人々は、ダビデを詩篇の作者と考え、理想の王として記憶した。国が滅び、人々が異国に囚われた後(バビロン捕囚)、いつかダビデの子孫から救い主(メシア)が現れて王国を立て直す、という希望が生まれた。新約聖書の福音書は、イエスの系図をダビデにさかのぼらせ、「ダビデの子」と呼んでいる。

歴史としてのダビデは、長く聖書の外に証拠が無かった。1993年、イスラエル北部のテル・ダンで見つかった紀元前9世紀のアラム語の碑文に「ダビデの家」と読める文字が刻まれていて、ダビデを王朝の祖とする王家が実在したことを示す最初の証拠になった。ただし、聖書が描くような広大な王国があったのか、エルサレムが当時どれほどの町だったのかについては、考古学者の間でいまも議論が続いている。小さな山地の首長だったとみる人もいれば、相当の王国があったとみる人もいる。
羊飼いの少年が王になり、罪を犯し、それを悔い、息子を失って泣く。聖書のダビデは、完全な英雄ではなく、弱さを抱えた人間として描かれている。ミケランジェロの大理石の像をはじめ、その姿は数えきれない芸術作品に刻まれてきた。