キンメリア人のゴルディオン破壊
概要
黒海の北から来た騎馬民族がフリギアの都を焼いた。触れたものを金に変えたというミダス王は、この時に死んだと伝わる。
場所
39.66°N 31.99°E · トルコ・アンカラ県
本文
キンメリア人は、黒海の北の草原にいた騎馬の民である。自分たちの記録は残しておらず、知られていることはすべて、彼らに襲われた側の記録による。ヘロドトスは、東から来たスキタイ人に押し出されて、黒海の東岸を回って南へ逃れたと書いている(スキタイの騎馬遊牧)。
アッシリアの記録に彼らが現れるのは、紀元前8世紀の終わりである。サルゴン2世のもとに届いた密偵の報告に、北のウラルトゥ王国が「ギミッリ」に大敗したとある。馬に乗り、弓を射て、動きが速い。城壁の町を長く囲むより、襲っては去る戦い方をした。山を越えてアナトリアの高原に入った彼らの前にあったのが、フリギア王国だった。
フリギアは、アナトリアの中央に広がる王国で、都はサンガリオス川のほとりのゴルディオンにあった。王の名はミダスという(ミダス王のフリギア)。アッシリアの記録には「ムシュキのミタ」として出てくる。はじめはアッシリアと争い、のちに使者を送って和を結んだ。東の大帝国とも渡り合う、有力な王だった。
その都をキンメリア人が襲ったのは、紀元前7世紀の初めとされる。後の年代記はこれを紀元前696年ごろに置くが、別の年を伝える記録もあり、はっきりしない。地理学者ストラボンは、ミダスが敗れて牛の血を飲み、自ら命を絶ったと伝えている。牛の血が毒になるという古い俗信による話で、そのまま事実とは受け取れない。
ミダスの名は、ギリシア人のあいだで伝説になった。酒の神ディオニュソスに願って、触れたものがすべて金になる力をもらったが、食べ物まで金に変わって飢えかけた。アポロンと牧神パンの笛の腕比べでパンに軍配を上げ、怒ったアポロンにロバの耳にされた。こうした話はローマの詩人オウィディウスの作品で広く知られるようになった。ヘロドトスは、ミダスが異国の王として初めてデルフォイに玉座を奉納したと書き、その玉座は自分の時代にも見られたと言う。
ゴルディオンには、もう一つの伝説がある。神殿に、ミダスの父ゴルディアスの牛車が、固い結び目で縛りつけてあった。これを解いた者がアジアの王になる、と言われていた。紀元前333年、アレクサンドロス3世はこの結び目を剣で断ち切ったと伝えられる(ゴルディオンの結び目)。

20世紀の発掘は、町の様子を明らかにした。城塞の中には大きな広間を持つ建物が並び、床には色の石を並べた模様が残っていた。城塞全体を焼いた火災の跡も見つかり、長いあいだキンメリア人の襲撃の跡だと考えられてきた。ところが、木の年輪と放射性炭素による年代の測り直しで、その火災は紀元前800年ごろのものと分かった。キンメリア人より100年ほど早い。火の原因は、いまでは事故か内乱かとされ、キンメリア人による破壊の跡は、町の中ではっきりとは確かめられていない。
町の外には、高さ50メートルを超える大きな墳丘がある。1957年に掘り抜かれ、中から丸太を組んだ墓室が現れた。60歳を過ぎた男が、木の寝台に横たえられていた。まわりには、象眼を施した木の家具と、百を超える青銅の器。器の底に残った跡を分析すると、羊か山羊の肉の煮込みと、ぶどう酒と大麦の酒と蜂蜜酒を混ぜた飲み物だった。葬儀の宴の残りである。墓の木は紀元前740年ごろに切られており、ミダス本人ではなく、その父か先代の王の墓と考えられている。
フリギアは、この後も滅びなかった。だが東西に通じる強国の地位は失い、やがて西のリュディアの勢力下に入る。キンメリア人はさらに西へ向かい、リュディアの王ギュゲスを戦いで倒し(ギュゲスのリュディア)、ギリシア人の町々も荒らした。アッシリアの記録にも、王たちが彼らと戦った跡が残る。だが紀元前7世紀の後半、リュディアの王アリュアッテスに撃退されたのを最後に、まとまった集団としては記録から消える。名前だけが、クリミアの古い地名などに残ったとされる。