ネブカドネザル2世
概要
エルサレムを陥としてユダの民をバビロンへ連れ去った。空中庭園の伝承で知られる。
所属
新バビロニア関わったできごと(2)
ネブカドネザルのバビロンBC600年頃 · 王バビロン捕囚BC586年 · 新バビロニア側 · 総指揮本文
紀元前634年頃に生まれたとされるが、確かではない。名はアッカド語でナブー・クドゥリ・ウツル、「ナブー神よ、わが長子を守りたまえ」という意味である。500年ほど前に同じ名を持つ偉大な王(ネブカドネザル1世)がいたため、2世と呼ばれる。

父のナボポラッサルは、長くメソポタミアを支配してきたアッシリア帝国に反旗を翻し、バビロンで王を名乗った人物である。父は東のメディアと手を組み、紀元前612年、アッシリアの都ニネヴェを陥落させた。こうして南メソポタミアのバビロンを中心とする新バビロニアが、オリエントの新しい覇者として立ち上がった。
アッシリアの残党を支援していたのが、エジプトだった。紀元前605年、皇太子のネブカドネザルは軍を率いて、ユーフラテス川上流のカルケミシュでエジプト王ネコ2世の軍を打ち破った。その直後、父の死の知らせが届いた。ネブカドネザルはわずかな供回りとともに砂漠を急ぎ帰り、王位に就いた。以後43年にわたって王として君臨する。

治世の初めの十数年は、毎年のように西へ遠征し、シリアやパレスチナの町々を従えて貢ぎ物を取り立てた。バビロニアの年代記は、そのありさまを短い言葉で淡々と記録している。紀元前601年にはエジプト本国に攻め込もうとしたが、双方に大きな損害が出て引き返した。年代記はこの失敗も隠さず書いている。エジプトはその後も、パレスチナの小国にバビロンへの反乱をそそのかし続けた。
その小国の一つがユダ王国だった。ユダがエジプトを頼ってバビロンへの貢ぎ物を止めると、ネブカドネザルはエルサレムを囲み、紀元前597年に町を降伏させた。年代記はその日付まで記録している。若い王エホヤキンと王族、貴族、職人たちがバビロンへ連れ去られ、王の叔父ゼデキヤが新しい王に据えられた。
だがゼデキヤもまた、エジプトの援助を当てにして背いた。バビロンの軍は再びエルサレムを長く囲み、紀元前587年か586年、城壁を破って町に入った。旧約聖書によれば、逃げたゼデキヤは捕らえられ、目の前で息子たちを殺されたうえで両目をつぶされ、バビロンへ引かれていった。ソロモンが建てたと伝えられる神殿は焼かれ、町の城壁は崩され、多くの住民がバビロンへ移された。これがバビロン捕囚である。

バビロンの遺跡からは、王宮で食料を受け取った人々の名を記した粘土板が見つかっている。その中に、油の配給を受ける「ユダの王エホヤキン」の名がある。連れ去られた王とその一族が、宮廷から食料の支給を受けていたことが分かる。故郷を失った人々は、異国の地で自分たちの律法と歴史を書き記し、まとめ直していった。ユダヤ教の聖典の多くが形を整えたのは、この捕囚の時代とその後のことである。
征服で得た富と人手を、ネブカドネザルは都バビロンの造営に注ぎ込んだ(ネブカドネザルのバビロン)。かつてアッシリアに徹底的に破壊されたこともある町は(センナケリブのバビロン破壊)、二重三重の城壁に囲まれた、当時の世界で最大級の都市に生まれ変わった。北の入口には、青い釉薬をかけた煉瓦に、竜と牡牛の姿を浮き彫りにしたイシュタル門が立った。門をくぐると、獅子の浮き彫りが並ぶ行列道路がマルドゥク神の神殿へと続く。そのそばには、7層の巨大な聖塔エテメンアンキがそびえていた。旧約聖書の「バベルの塔」の物語の背景には、この塔があると考えられている。町の煉瓦の多くには、ネブカドネザルの名が刻印されていた。イシュタル門は20世紀の初めにドイツの調査隊が発掘し、いまはベルリンの博物館に復元されて立っている。

バビロンの「空中庭園」は、古代の世界の七不思議の一つに数えられている。山の多いメディアから嫁いできた王妃が故郷の緑を恋しがったので、ネブカドネザルが段々の庭園を造ってやった、という話である。だが、この話を伝えるのは数百年後のギリシア語の著述家たちだけで、ネブカドネザル自身の碑文にも、バビロンから出た膨大な粘土板にも、庭園のことは一言も出てこない。発掘でも確かな跡は見つかっていない。庭園は実はアッシリアの都ニネヴェにあったものが混同されたのだ、という説が有力になっている。
旧約聖書の『ダニエル書』では、ネブカドネザルは驕り高ぶった罰として正気を失い、7年の間、獣のように野で草を食べたと書かれている。これを裏づける記録は無い。死海の近くで見つかった古い文書には、同じような話が、後の王ナボニドゥスのこととして書かれており、話が取り違えられた可能性が指摘されている。

紀元前562年、ネブカドネザルは亡くなった。70代前半だったと考えられる。跡を継いだ息子は、即位するとエホヤキンを牢から出して厚遇したと旧約聖書は記す。だが帝国の繁栄は長く続かなかった。王位をめぐる争いが続き、ネブカドネザルの死から23年後の紀元前539年、ペルシアのキュロス2世がほとんど戦わずにバビロンに入った(キュロスのバビロン征服)。捕囚の民はやがて故郷へ帰ることを許された。
ネブカドネザルの名は、彼が攻め滅ぼした側の聖典によって世界に知られることになった。ヴェルディのオペラ『ナブッコ』では、ヘブライ人を苦しめる暴君として登場する。20世紀のイラクでは、サダム・フセインがバビロンの遺跡を再建し、自分の名を刻んだ煉瓦を積ませて、この王の後継者を気取った。